La bicyclette / Sugito Tatsuki







手に馴染む滑らかなハンドルと、冷たい金属のブレーキ。
相反する感覚。
風が一瞬、身体に留まり、それをまた風がすくっていく心地良い清涼感が、鋭敏に捉えられる。


明け方から降り続いた小雨の止んだ夕暮れの空は、未だ雲に覆われていた。
平日の朝などは学生達の姿で賑わう長い並木道も、今は静まりかえって、すれ違う人も車もない。
このタイミングで雨を上がらせてくれた天に感謝したくなる。


僕は少しだけ力を込めて自転車のペダルを踏んだけれど、すぐに降りて、車体を押して歩き出した。
ここからは急な坂が続いている。僕の愛車に無粋な電動バッテリーの仕様はない。
ハンドルを握って支える両手に結構な重みがかかり、足がふらつく。


両側に歩道を持つ二車線の道路、その道幅は決して狭苦しいものではないが、
道なりに堂々とそびえる、ツタ類の絡んで苔むした石造りの塀の影に殆ど多い尽くされている。
一年中、たとえ夏の眩しく輝く陽光すら、この道を完全に照らし出すことはない。


いつも冷やりとした空気に包まれるこの道を、僕は気に入っている。
愛車と共に、"陰の道"を一歩一歩登っていく。
足元の濡れたアスファルトは光沢をきらめかせて、優しかった。


6分で坂を上りきると、僕は再びペダルをこぎ始めた。
道はゆるやかに左手へカーブしながら僕を運ぶ。
自在に操れるスピードで、他では得られない風を手にする。


今日は何だか、それがとても嬉しい気がして、深呼吸した。
氷のような空気を喉に感じたら、もう全身に行き渡り、目の奥までが冷やされた。
深夜に眠りについて夜明け前に起きる時の、冴えた頭に残る僅かな痺れに似ている。


僕は走る。
この道をただ、走っていく。
平坦な道はやがて、大通りにぶつかり、人と車の行き交うそこに吸い込まれて終わる。


僕はゆっくりとブレーキをかけた。
目的は達せられた。
目的なく自転車に乗るという目的――いくら手入れを欠かさなくても、乗る暇がないのでは意味がない。


走ってきた道へハンドルを向ける。
日が暮れる前に帰ろう。
僕の愛車にはバッテリーもないが、ライトもない。
相応しいデザインのそれが、まだ見つかっていないのだ。


無灯運転は御免だ、冷えた空気をきって、風をうけて、坂を走り下りる。
今度はいつになるか分からない、この楽しみを存分に味わいながら。




End.













あとがき。

オリビエさんの私小説(矛盾)
一人称、よく考えると畏れ多いです。
きっと彼はこんな平凡なこと考えていない。
しかし崩れた文やおかしなレイアウトが出来て楽しいです。

自転車愛好家オリビエさん、『ビシクレットとヴェロ』から発想しました。
何だか絶対パリが舞台じゃなさそうです。センス無いですね。


2006.03


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