君に伝える筆記 / Sugito Tatsuki







君の声が好きだ。
お喋りは大得意だけど、それより黙って、丁度ささやく位の君の声を聞いていたい。
そこにあるべきは薄闇、余計なものなく、僕は声を失っても構わない。
ただ、流れ移ろう音に聴き入りたい。

君の繊細な筆記がとても好きだ。
ペンナ・スティログラフィカの美しいアルファベートが、僕に君の声を呼び覚ます。
最大の喜びは、それが僕だけに宛てられること。
特別なアルファベートを綴る特別なインク、それを乗せる特別な紙、それを閉じる特別な封印、
一つ一つ、僕のもとへ運ばれる君の声だ。

「Quella verde, per favore.」

これは君だけのものだと思ったから、何色にするかと店員に聞かれて、自然に答えた。
君の綺麗な手に相応しい。
そうしていつまでも、手放さずにいてくれたら、もう間違いなく君だけのものになる。
たまに同じ気持ちを、ほんの一片、インク少し分だけ僕にも分けてやってくれれば良い。



――まあ、もし使って貰えたら嬉しいです。



Tanti auguri di buone feste!

Giancarlo







「……全く、どうしようもない頭をしてる」

恋愛詩人を気取ったのか、隣国からの恥ずかしい下手な手紙を手にオリビエはあきれた様に呟いた。 唐突にこんなモノを送りつけるとは一体どんな神経をしているのか――しかし上等な布張りのケースに 如何にも繊細な取り扱いを要する物らしく収められたその『贈り物』を目にし、知らず微笑が浮かぶ。 それは、濃緑のセルロイドを軸とする、一本の万年筆だった。

同封の説明書によると、LA SCUDERIA(ラ・スクデリーア)、馬小屋を意味するこの文具ブランドは近代、あるマニアックな時代小説作家が その万年筆の愛用者であったことから、知られざる名器として静かな人気を呼んでいるが、 そもそもは小さなプレゼーピオ製作店であり、更にその起源はキリスト教迫害時代、カタコンベでの 活動に遡るというのだから普通ではない。 決定的証拠も反証も有り得ず結局よく分からない経歴を公表する辺り、 帝政ローマの閥族でありオフには剣闘士として稼いだローマ兵を祖先に持ち、 ギリシア神話の怪物を従える敬虔なクリスチャンで、 質実剛健・勇気(ウィルトス)敬神(ピエタス)をモットーとするローマ人気質を仰ぎつつ色恋沙汰にうつつを抜かす現代ローマっ子という、 アイデンティティーをどう統一する気か見ているこちらが心配になってくるところの 彼の琴線に触れるところがあったのだろう。

手にしてみるとそれは程良く重厚で、精密に掘り込まれた金の装飾は静けさを湛えて上品に輝き、やや細めの造りが 優美に手に馴染んだ。バランスは合格、使ってみる価値はあると判断する。


――それにしても

と、螺子式キャップを閉め直しつつ思いを巡らす。

――問題は、何故、奴が知っていたかだ――

勿論現在主に使用している万年筆も悪いものではないので、さほど必要に迫られてはいないから熱心にではないが、いずれ自分に相応しい一本を求めようと思っていたことを。 良品を探していると、話の合間にでも口にしただろうか、覚えてはいない。 確か一度、彼のいくつかの万年筆(勿論どれもスクデリーアだ)の中でも未だ『馴染んで』いない新しいものを借りて署名をした時、 その書き味に少々興味を覚えたが、それは本当に些細なものだった筈だ。

十人十色の筆記スタイルに合わせて多様に展開している万年筆の中から、相手に最も使いやすいものを 選び贈るというのは、一歩間違えば全く使って貰えない恐れさえある困難を持つ。 身近に置くものだから、独自の審美眼を持つ相手ならば尚更だ。 それを敢えて行うのは、余程相手の筆記を熟知している、そして必ず気に入ると確信している自信家だけだ。 恋人にさり気なさを装ってプレゼントをねだる狡猾でありふれた技法(テクニーク)に対して、それを読み取る技法(テクニーク)を 常日頃磨いている彼の注意力の高さは職業病といったところか。

そんな態度が伺えて何だか癇に障ったが、贈り物がそれなりに満足するものだったことは否定出来ず、 おそらく夜にメランコリックな気分のままに書き付けただろう(昼は予定で一杯の筈だから) 笑える手紙を得たので良しとする。


――さて、何を書こう。

デスクから取り出した白い紙を前に、暫し万年筆を弄ぶと、おもむろにペン先を滑らせる。







親愛なるジャンニ、リクエストにお応えするよ。
これを僕だけのものにするための『慣らし』は、君への手紙としてあげよう。




End.













あとがき。

多少それっぽいけれども矢張りオリビエさんの一人語りになりました。
いつにも増して、一文、長すぎです。
しかし何の祭日にこじつけて贈ったのだろうジャン?

実のところオリビエさん、最初に書いたのは「ell」(筆記体)に違いない。

反省:使いもしないアイテムをネタにするのはやめましょう


2006.03


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