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ローディーになりたい。
強くそう思うも、実際には夢のような話で、少年は相変わらず毎日の暮らしのための様々な「仕事」をするので精一杯だった。その日、馴染みの薄汚れた食堂で分けて貰った余りもので腹を満たしつつ、少年は今夜の計画を思案していた。
夜、工場廃棄物保管場から適当な部品回収を、当初の予定より時間をかけて終えた少年は、店へ戻る道を急いでいた。と、不意にその目の前を数人の男に立ち塞がれる。そろって髪を赤く染め、安っぽい革のジャケットを着た、その目標が自分であることを即座に認識した少年は、身を翻し、別の路地へ飛び込む。この辺りの地理は把握し尽くしている、上手く逃げる自信はあった。
廃棄物とはいえ、それは未だ私有財産であることに変わりはなく、持ち去れば窃盗と同じことだ。十分知っていて、今まで密かにそうしてきた。あの男達は、工場に雇われて自分を捕らえようというのだろう―――思いつつ走っていた少年は、店までもう少しのところまで近づいていた。何とか逃げ切った、そう思った。
と、突然に角から現れた、先ほどとは別の、しかし同じ雰囲気を漂わせる男達に行く手を阻まれる。緊張が解けかかっていたこともあって、予想外の事態に動揺のあまり数秒、その場に立ち尽くす。再び逃げようと試みるも、咄嗟に入った路地は行き止まりで、先程の男達も加わって、少年は完全に囲まれた。
「見つかっちゃったねえ・・・」
男の一人が愉しそうに呟いた。
窃盗行為の報復、というのは名目に過ぎなかった。咎められることなく、罰則もなく、獲物を支配し思いのままに出来る。男達には日々の鬱屈を晴らす絶好の機会だった。
背中を乱暴に突き飛ばされ、少年は地面に倒れこむ。抱えていた金属部品が、音を立てて周囲に散らばった。腕をついて身体を起こそうとするも、横から腹を蹴り上げられ、痛みに顔を歪めてうずくまる。
笑い声。
周囲のあちこちから、絶え間なく全身を襲う、骨が軋むような鈍い痛み。こみ上げる胃液が喉を焼き、切れた口の中には鉄の味が広がる。
そろそろ、無抵抗の獲物を囲んで蹴ることに飽きてきた男は、少年の頭を踏みつけて何言かを言う。少年の、衝撃を受けて混乱した頭にそれは、意味ある言葉として認識されなかった。反応のない少年に苛立った男は、おもむろにナイフを取り出した。細身のそれを、少年の力なく地に投げ出された掌に、根元まで突き刺す。
鋭く凶暴な感覚は一瞬にして少年の身体中を駆け抜け、高い悲鳴が上がる。勢いよく刃が引き抜かれ、血が飛び散った。少年は全身を震わせ、声にならない声で呻く。赤い液体と汗とが、地面に伝い落ちる。
次に男達の一人は、少年を仰向けにするとその上に跨り、汚れた着衣を引き裂いた。荒々しく身体を撫で回す。脳の大半を痛みに支配されつつも、少年は動く手足で必死に抗った。
激しい抵抗に、男は舌打ちをすると、行為を中断し、仲間に刃物を寄越すよう言った。
面倒だ。切る。
言うと、少年の脚を掴み上げ、その折れそうに細い足首に刃を沿わせる。
肉を裂く、鈍い音。
耳を覆いたくなる叫びが、辺りに響いた。
だがここには、危険を冒して他人を助けようとする者などは居ない。
「幾らでも啼いて良いんだぜ。どうせ誰も来ないからな」
完全な絶望の、闇の中、少年は代わる代わる男達の欲望をその身体に呑み込まされた。
幼い身体は、強引な挿入物に引き裂かれ、血と吐き出された体液が流れ出てどろどろになったそこを何度も激しく貫かれる。意識が飛びそうになれば刃物の傷口を抉られ踏み躙られる痛みに引き戻され、終わりの見えない行為は延々と続けられた。
最後の放出を終えた男が自らを引き抜くと、少年の身体はそのまま倒れ伏した。死んじまったんじゃないか?と、仲間の一人が呟くのを否定すると、黒髪を掴み頭を上げさせ、無防備な喉を露にする。もう片手にナイフを構え、殺る時が一番だよなと卑猥な笑みを浮かべる。
「お休み、黒猫ちゃん」
今にも首を掻き切ろうとした時、制止の声が入った。邪魔をされた男は不機嫌そうに手を止め振り返ったが、リーダー格の男が「下手に殺してアシがついたらどうする」と言うのに渋々納得した。
後には、蹂躙し尽くされた少年が放置された。
帰って来なかった少年を、いつもの気まぐれかと思いつつ探していた店主が、赤黒く染まった壁に囲まれた路地裏にその無残な姿を発見した時、少年は微かに呼吸を続けていたが、夏だというのにその身体は死んだように冷えきっていた。
腱まで切り裂かれた足首、血塗れの手。肌のあちこちには鬱血と爪痕。恐らくは肋骨も折れている。
店主は、近いうちに必ず代金は払うからと、貧しい者の治療に対しては乗り気でない医師に何とか頼み込んだ。
目を開けた時、少年は虚ろで、何もかも分からないといった様子だった。意識が覚醒するにつれ、あの夜の記憶が蘇り、恐怖で取り乱すだろうと覚悟していた店主はしかし、落ち着いた様子の少年に取り敢えず安心した。辛すぎる記憶を封印して思い出せないように自己防衛が働いたのだろうか、何が起きてこうなったのか覚えていないという少年に、店主は適当な事故という嘘をついた。
数週が経った。
「ご免なさい・・・俺、働けないのに、こんな世話してもらって」
店主は、申し訳なさそうにしている少年に、気にするな、事故だったのだから、ただ休んでいろ、と言った。
少年は俯き、そして、思い切ったように言った。
「・・・そんな風に、嘘つかないで下さい。治療費のせいで、金、困ってるでしょう。それに・・・俺、全部覚えてるから、あの時のこと・・・」
店主は驚いて少年を見た。
少年は、包帯の取れない自分の手を、見つめていた。
眠りに落ちた少年の髪を撫でながら、店主は回想していた。
あの夜、鋭い悲鳴が店のすぐ近くであがるのを、自分は聞いていた。
ああ、また若造が「悪さ」をしている。
もう慣れたことで、戸に鍵をかけると、床に就いた。
ここでは私刑など日常茶飯事だった。死者でも出ない限り、そうした暴行事件にいちいち捜査は入らない。そして、たとえ被害者の、助けを求める声が耳に入っても、動く者などはない。そういう場所だった。
朝になり、その現場を通りかかった時、一瞬にして全てが結びつき、悪夢のような現実が襲い掛かった。
自分自身を激しく非難する声がする。
あの時、あの時助けに行けば。
そしてそれに必死で言い訳をする自分がいた。
仕方なかった。
どうしようもなかった。
分からなかったのだから。
容赦ない自問が続く。
もし、分かっていたら?
どこかで本当は、分かっていたのではないか?
分かっていたのに、気付かない振りをしたのではないか?
あの叫びが、自分のよく知る者のそれだと。
・・・そうだとしても。
無駄な正義感で止めに入ったところで、巻き添えになるだけだ。
自分の身を守るために、無謀なことは試みず、無関係を装う。
ここに生きる者の、了解事項じゃないか。
それが、人間じゃないか。
自分は間違ったことはしていないと、心中で弁解を続ける自分は、酷く愚かで滑稽だと思った。
仕方なかった。
・・・仕方なかったんだ。
俺は、他人のために、自分の命を危険にさらすなんて真似は出来ない。
たとえ。
「それが、ジョイス・・・お前でも」