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少年の容態が大分回復してくると、見舞いが訪れるようになった。その日やって来たのは5つ年下の「家族」、ロッソとその妹アニーだった。彼らは親を亡くし、路頭に迷っているところを店主に拾われた。
「はい、お花!早くよくなってね」
少女が差し出したそれは、どう考えても摘んできた野生の野花などではない、形の整った瑞々しい切花だった。少年はありがとう、と言って受け取ると、自慢げににやにやしている「弟」に苦笑した。
「・・・お花は盗っても金にならないんだよ」
「うん、でも、ジョイにあげたかったから」
欲しいから盗む、という手段をとるのに何のためらいもない幼い「家族」が、無邪気にその詳細を話すのを聞くのは、表には出さなかったが少年には辛いものがあった。
「俺ら、ジョイの代わりに・・・なってんのかなあ、分かんないけど・・・ちゃんとやってるから、だから、安心してていいよ!」
兄妹は、そろそろ行くね、と言うと、思い出したように小さな木箱を取り出した。壊れてしまったオルゴールで、暇つぶしにでも直してくれと、置いて出て行った。
少年は一人、ぼんやりと天井を見ていた。
自分のせいで、幼い彼らに負担がかかっている。今まで、考えることを拒んできたけれど、こうしてこのタウンで生き続ける限り、彼らもやがては自分と同様の道を辿るだろう。受け容れたくない、しかし確かな予測。抜け出すことの許されない、明らかすぎる未来へ続く路を、少しずつ進んでいるのだと。
しばらくそうしていた少年は、ふと、枕元に置かれた先ほどのオルゴールに手をのばした。
それまで物音一つしなかった上階から、派手な音がして、店主は作業の手を止めた。二階へ上がる。風で何か倒れたのか―――見回るも、その形跡はない。最後に残った、少年を寝かせている部屋に近づく。外れかかって殆どその意味を成さないドアに手をかけようとして、そして、その手を宙で止めた。ドアの開いた隙間から、床に転がる小さな箱を認める。見舞いに来た兄妹が持っていたものだ。蓋の開いたそれは、旋律を奏でない。
奥の寝台の上で少年は身を起こしていた。背を曲げ、抱えた膝に顔を埋めて、表情は読み取れない。ただ、その肩は震えていて、押し殺した嗚咽がもれ聞こえる。
これまで、辛く苦しい暮らしの中でも、少年は決して、涙を見せることはなかった。少年の内面を覗き見てしまったようで、後ろめたさに、店主はそのまま引き返した。
数時間後、食事を持って部屋を訪れた店主を少年は、何事もなかったかのように迎え入れた。床に転がったままのオルゴールを指して言う。
「さっき、中見ようとして落としちゃって。すみません、レオンさん、直してやってくれませんか。俺ちょっと自信なくて」
そんなわけがないと分かっていたが、店主は了承した。その真意を知りたかったが、聞くことはできずに。
再び一人きりとなって、少年の瞳から、もう涸れたかと思っていた涙が、またこぼれた。シーツを強く握り締めている筈の手には、実際には軽い力しかこもらない。ぼやける視界で、利き手を目の前に上げる。開き、閉じる、ぎこちない動き。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
ただ、その答えのない問いを何度も繰り返し思う。
そして、泣き疲れた少年の意識は闇へ沈んでいった。
動けるようになった少年は、一つ決意していた。「家族」を、こんな所ではなく、どこかまともな所でまともに暮らしていけるように。迷惑をかけた店主に、その分を返せるように。
少年の手は、元通りに動かすことは出来なくなっていた。細かい作業の適わぬそれでは、唯一の希望であった機械いじりの仕事も出来ようがない。
こんな自分はもう、どうなったって構わない、そう思った。
いつものように、自然に店を出たつもりだった。
「ジョイ、どこか行くの?」
纏う空気の違いを敏感に読んだのだろうロッソが問う。少年は答える。
「うん。・・・どうかした?」
「・・・どこに行くの?」
不安そうに問いなおす「弟」に目線の高さを合わせ、少年は言った。
「大丈夫。しばらく帰らないけど、心配しないで・・・レオンさんにも伝えといてね。ロッソ、ちょっとの間だけ、俺がいない分頑張ってくれる?」
「弟」は納得がいかないようだったが、頷いたのを見ると、少年は微笑んで、それじゃ、と言って歩き出した。待ってるからね、という、懇願するような声を背に受けて。
シティに近づくほど、生活水準は高くなっていく。少年はタウンの中心部へ向かい、路地に身を隠して大通りをざっと見渡した。ほんの少しの用だからと気を抜いたのだろう持ち主を降ろし、ロックされずに道に止められている旧式の乗用車に目を留める。数秒の後、少年は素早くそれに走り寄り、乗り込むとハンドルを握る。操作方法は知っていた。迷わず急発進させる。持ち主らしき人物が何か叫んでいたようだったが、思うところは何もなかった。
持ってきた張り紙の地図を参考に、タウンを抜け、山間部のキャンプを目指し、荒野を走り抜ける。
早く。
一刻も早く。