たったひとり






双子には、名前が無かった。

識別する必要もなく、双子は双子でしかなかった。
双子という以上に、双子をよく言い表す言葉はなかった。
双子は「ひとり」だった。
ひとりだから、片時も傍を離れなかった。
同じ姿をしたお互いをお互いに、自分であると思っていた。

ある日、ひとりが、ひとりとひとりに分けられた。
双子の意思とは関わりのないところで、決められたことだった。
双子の身柄を預かる組織が、それを決めた。

半分ずつに分けられた彼らには、個別のナンバーが振られた。
見た目に区別しやすいようにと、片方の額に印が刻まれることになった。
当たり前のようにして、もう片方が己の顔にも傷をつけようとしたから、その方法はとりやめとなった。
代わりに、一方の毛髪を人工的に染色することで、周囲は双子の区別を図った。

双子には、各々に名前が与えられた。「ひとつ」という意味を、ふたつに分けた名前だった。
違う色の髪を撫でさすりながら、双子は確かめるように呟く。

「これがウー」
「これがノー」
「どうして、見分けなくてはいけないのだろう」
「同じなのに」
「違うなんて、おかしな話」
「我々は我々でしかないのに」
「同じものを、どうして、分けるのだろう」

分かたれてなお、双子は繋がっていた。
双子は、一方が体調を崩すと、必ずもう一方も同じ症状を呈した。
一方が怪我をすると、必ずもう一方も同じ箇所に怪我をした。
一方が得意とするパズルは、もう一方も得意だったし、一方が躓くところでは、必ずもう一方も躓いた。

双子は、互いにだけ分かる言葉でもって喋っていた。
何事かを耳元で囁き合って、くすくすと笑う。
他人がそれを理解することは出来なかった。
その言葉を使うことは、じきに禁じられ、共通語に矯正されたが、困ることはなかった。
声に出さずとも、視線を交わすだけで、呼吸をするだけで、双子は互いを理解することが出来た。
他の者の目がないときには、その昔の言葉を密かに持ち出して、懐かしい響きの中に遊んだ。



同じ思考、同じ感情、同じ記憶を共有する、ふたつの身体。
組織は、長年にわたり、その条件に合う子どもを探し求めていた。
ひとりでは耐えられぬ負荷も、ふたりならば耐えられる。
互いが互いのスペアとして、苦痛を分かち合うことが出来る。
リングによる強制的な脳の活性化、その副作用にも屈することなく、使命を果たすことが出来よう。
真実の眼と双蛇を旗印に、人類を神々のくびきから解放すべく立ち上がった崇高なる騎士団にとって、双子は、まさにその目的のために生まれたようなものだった。
他の誰が成り代わることも出来ぬ、その特異性でもって、双子は組織内での存在感を強めていった。



日々、双子は共にパズルを学んで過ごし、求められれば、組織の一員として他の役割にも従事した。
そちらも、双子であることが最大限に活かせる仕事だった。
双子が並んでいるだけで、その種の人々は珍しがって喜ぶ。
柔軟な身体と、器用に楽器を奏でる技術を備えた双子に、大人たちは芸を仕込み、夜ごと愛玩するのだった。

他人に身体を触られた分だけ、双子は穢れを払って埋め合わせるように、互いを撫でて慰める。
寝台の中で戯れることを、いつから覚えたのかは分からない。
きっと最初からだろうと双子は思う。
もともとひとつだったのだから、何もおかしいことはない。
互いに邪魔な衣装を脱がせて、直截に肌を重ねる。

「自分に触られて、嬉しい? ウー」
「自分に触れて、楽しい? ノー」
「当たり前」
「誰より悦い」

かつて「ひとり」だった双子は、同じ姿をしている。
同じ瞳、同じ唇、同じ肌、同じ腕、同じリング。
腰から脇腹にかけて走る大きな傷だけ、位置が違う。
ウーは左腰、ノーは右腰。
鏡映しの古傷は、双子が隣り合って並ぶと、パズルのピースのようにぴたりと重なり合うのだった。
触れ合わせて目を閉じると、何より安堵する。
双子がまだ、ひとつだった頃を思い出す。
双子は交代でその箇所を愛撫し、互いに唇を寄せた。
互いの身体を愛おしく引き寄せて、双子はまどろむ。

「ここが気持ち良い、知ってる」
「知ってる、ここが気持ち良い」

双子は同じものだから、知らないことは何もない。
誰もが違う姿かたちをした世界で、同じなのは、たったひとりだけだった。
手を持ち上げるのも、指を絡めるのも、鏡像よりも精確で、寸分たりとも狂いがない。
互いの耳飾りをつけてやりながら、双子は歌う。

「ウーはパズルを鳥のように解く」
「ノーはパズルを魚のように解く」
「ウーは啼き声が美しい」
「ノーは舌遣いが上手い」
「あの方はそう仰った」
「まるで違うもののように」
「同じなのに」
「交換してみようか」
「それは容易いことだ」

頬を擦り寄せて、双子は笑った。
単にお互いの負担を減らすために上手く役割分担をしているだけなのに、それをもってして双子の差異を見つけたといって自慢げにしている他人が、可笑しくてたまらなかった。
ウーの中にはノーがいたし、ノーの中にはウーがいた。
彼らは自由にそれを持ち出して使うことが出来た。
一人の人間が、時と場合に応じて仮面を使い分けるのと、それは何ら変わりのない作業だった。
一方に出来て、一方に出来ないことなど、あるわけがなかった。
双子は、ただそれ自体で完結していた。
頭を抱き合って、どちらともなく、囁きかける。

「世界には、ひとりだけだ」
「我々ひとりしかいない」
「ひとりしかいらない」



彼らは、自分が何者であるかを分かっているのか? 
髪色の違いによって、他人は双子を区別することが出来る。
名前をつけて、各々を定義することが出来る。
組織にとって、それで何ら不便はなかったから、この問いはずっと見過ごされてきた。

一人一人を引き離して実験してみれば、それは明らかだった。
双子のために、簡素な白い小部屋が用意された。
双子の一方が、ひとりでそこに入れられる。
椅子に腰掛けて不安げな表情を見せる少年に、スピーカー越しの音声が問う。

「名前は?」
「…………」

質問に、双子の片割れは答えない。
途方に暮れた様子で、まるでそこに誰かを探そうというかのように、落ち着きなく隣に視線を遣る。

「自分の名前を答えなさい」

追い立てるように厳しい調子で、再度促されて、少年はひくりと身を竦めた。
膝の上で心細げに組んだ手を、ぎゅ、と握り締める。
暫しの逡巡を経て、その唇が薄く開く。

「……ウー」

掠れた声で紡いで、質問者の反応を窺う。
ややあって、スピーカーから声が返って来る。

「本当に、そう思っているのか?」

正解とも不正解とも言われないことで、不安になったのだろう。
少年は顔を上げると、付け加えて言った。

「じゃあ、ノー」

監視カメラのレンズ越しにこの様子を観察していた実験者たちは、深々と溜息を吐いた。
同じ頃、別室で双子のもう片割れも、まったく同じ応答をしていた。



オルペウス・オーダーの中でも、タッグバトルにおいて双子に敵う者はなかった。その特異な能力を買われて、双子は要請を受ければ世界のどこへでも飛んだ。どこであっても、双子にとっては同じことだった。隣に兄弟がいさえすれば、どこであっても同じだった。
今回は日本での作戦に協力を求められていた。2対2で競うライトニングポジション──双子の最も得意とする分野のバトルである。新しい指揮官としてやってきたという男は、ひとしきり任務を説明した後、付け加えるようにして問うた。

「それで、どちらがウー、どちらがノーかね」

これまでに何度問われたか分からない質問事項だった。たいていの相手は、まず初対面で興味津々に問うてくるのに、この男は、最後にどうでもよさそうに問うたということだけが違っていた。
双子はちらりと横を向き、目配せをし合ってから答える。

「これがウーです」
「これがノーです」

互いを手のひらで指して言う双子を前に、男は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「くだらん。お互いがいなければ、自分が何者であるかも分からんのかね」

いつも通りの問いに、いつも通りに答えたのに、いつもと違う反応が返ってきたので、何か間違えてしまったのだろうかと、双子は互いを見つめて首を傾げた。
隣にいるもう一方を見て、それが何と呼ばれる者であるかを認識し、しかる後に、「そうでない方」が自分であると分かる。だから、双子はいつも一緒にいなければいけなかった。お互いを見つめていなければいけなかった。そうでなければ、自分が「どちらの方」であったのか、分からなくなる。けれど、双子はそれを煩わしいとも、恐ろしいとも思わなかった。どちらがどちらかなんて、本人たちにとっては、問題にならなかった。
否、他人にとっても、それは同じことだっただろう。双子のそれぞれの名前を聞いた後でも、両者を区別して扱おうとする者は誰もいなかった。双子は必ず一纏めにして呼ばれたし、一緒の扱いをされた。どちらがどちらであっても、同じことだった。

「どちらだろうと」
「パズルは出来る」

お互いだけに分かる言葉で呟いて、双子は小さく頷いた。



大門カイト、およびルーク・盤城・クロスフィールドとのパズルバトルの結果に、双子は思い残すところはなかった。自分たちの強みであるところのチームワークという面で、相手に劣っていたとは思わない。いつも通り、互いの意図は完璧に通じ合って、ひとつのミスなくゲームを進めた。敗北したのは、純粋に、相手方との実力差ゆえである。こちらに有利と思われたタッグバトルという条件をもってしても、その差異を埋めることは出来なかったということだ。正々堂々と戦った結果に、不満のあろう筈もない。それは、双子の誇る卓越したチームプレイに、何ら疵をつけるものではなかった。

しかし、周りはそうして納得してくれる者ばかりではなかった。ことに、作戦の指揮者──ヘルベルト・ミューラーの怒りは凄まじいものがあったという。伝聞調であるのは、この一件の後、双子はすぐに日本を発ち、彼の前へ顔を出すことがなかったからだ。双子の身柄を預かる南米支部の判断で、そういうことになった。怒れる男の前に双子を差し出して、貴重な人員に万一のことがあってはならぬと危惧したのであろう。その意味で、双子は命拾いをしたといって良い。
ただ、それなりの期待のもとに派遣されたというのに、命令違反を犯したうえ、満足に役目を果たすことが出来なかった以上、まったくお咎めなしというわけにはゆかぬ。組織の一員として、それは受け容れねばならない掟であった。

「指揮官殿はお怒りなのだ──分かるな」

悪く思うな、と断った上で、双子の上官たる近衛隊隊長は片手を振り上げた。肉を打つ、容赦のない烈しい音が上がる。頬を打擲された勢いのまま、ウーはその場に倒れ込んだ。もう片割れがすぐさま、覆いかぶさるようにして、その身体をしっかりと抱き締める。痛みに声も出せずにいる兄弟の代わりというつもりか、まるで自分が殴られでもしたように、がくがくと肩を震わせて泣き出すものだから、上官としてもさすがに哀れになったのだろう。もう片割れにも同様に与えられる筈だった罰は、免除された。

兄の打たれた頬を手当てしてやりながらも、無傷の少年は、痛い、痛いとしゃくりあげていた。

「痛い」
「痛い」

持ち上がったウーの手が、弟の頬をそっと撫でる。そこに傷もないのに、ノーは怯えるように身を竦めた。なめらかな肌に暫し指を滑らせてから、金髪の少年は目を伏せて呟く。

「違う」

兄の言葉に、ノーは弾かれたように面を上げた。信じられないといったように瞠目して、自分と同じ造形の顔を見つめる。真新しいガーゼに半分を覆われた顔に、どこか諦念の色を浮かべて、ウーは緩く首を振った。
濃紺の髪の少年は、いよいよ、兄の背中に腕を回して縋りつく。

「いやだ、同じがいい」

離れまいとでもいうように、己の片割れを抱き締めて、嗚咽を上げる。弟を宥めるように、ウーもまた、静かに腕を回した。背中を撫でさすってやりつつ、耳元に囁きかける。

「同じがいい」
「同じがいい」
「同じにする」
「同じにして」
「同じにしてあげる」

翌日、双子が人々の前に姿を現したとき、誰もが己の眼を疑った。同じ顔をした双子は、まったく同じように腫れ上がった頬に、同じようにガーゼを貼っていた。何事もなかったかのように、双子は互いを見つめ、満足げに微笑む。

それは、悪い冗談としか思えぬ光景であった。



「ふたりはいやだ」
「ふたりでなんて、いたくない」

触れ合うばかりに唇を寄せ合って、双子は祈るように歌う。
その間にも、慣れた手順で互いの衣装を開いていく指先のしなやかな動きが止まることはない。

「ひとりでいたかった」
「ひとりのままが良かった」
「戻りたい」
「ひとりに戻りたい」
「離れたくない」
「離れられない」
「痛い」
「傷が痛い」
「撫でて」
「撫でてあげる」

互いの首に、腕を回す。
互いの脚を、絡ませる。
腰の傷を、重ね合わせる。
押し当てた胸を、そっと滑らせた。

「あ、」
「、う」

敏感な箇所が擦り合わされて、ふたつの唇から声がこぼれる。
重なり合って共鳴する鼓動が、双子を再び繋ぎ合わせる。
熱い息を吐き出す唇を重ねて、同じ温もりをかきまぜた。
甘やかなさえずりは、もう、どちらのものとも分からない。
圧倒的な安らぎに身を任せて、互いの中に溺れた。
たったひとりの、自分の中に。



還る。




[ end. ]
















双子がそれぞれリングつけるのは、ひとりの人間がリング2個づけするのと同じ効果なのだろうか

2012.07.16

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