POG世界パズル遺産〜綿の城篇〜






POG presents

世界パズル遺産 〜綿の城篇〜 

──POGは世界のパズルの修復・保護に尽力し、貴重な財を次世代へ継承します。──



実り豊かな果樹園の広がる温暖な土地に、突如として現れた、乳白色の丘陵。一瞬、雪山かと見紛う、非現実的な光景である。
石灰分の沈着によって形成された棚田状の地形は、白亜の宮殿の大階段にも似ている。そのひとつひとつには、清涼な水が満ち、水面は鏡のごとく、天空を映し出す。
日中は、青空をそのままに反射して、水深に応じた淡青色のグラデーションを描く。その様子は、ラリマーの原石をスライスして、階段状にずらして惜しげもなく重ねたようだ。
綿の城(パムッカレ)──と、呼ばれる。なるほど、まさに真綿のような純白の世界が広がっているが、実際はその外観というより、一帯が綿花の産地であることから名づけられたらしい。
優れた自然美は、まさしく人類にとって、護り、受け継がれるべき遺産である。見物人の絶えない、その地が今は、ただひとりのためだけに許し与えられていた。
時の流れを止めたかのような、見渡す限りの乳白色の世界に、ひとつだけ動くものがある。それは、細い人影であった。

白金の髪、光の下にさらされた乳白の手足──景色に同化するほどの姿で、ひとりの少年が、ゆっくりと水辺を歩んでいた。
白い肢体に巻きつけた、ラベンダー色の薄手の布は、大判のストールのようであるが、ペシテマルと呼ばれるタオルの一種だ。手順に則って巻きつけることで、一枚でまるで衣服のようにして身体を覆うことが出来る。
ただ、少年はそれを本来の使い方で用いる気はないようであった。腰にしっかりと巻きつけて隠すという、正当なやり方とは程遠い。身体に緩やかに絡みついているだけであって、風でも拭けば簡単に滑り落ちてしまうだろう。
そんな不安定な格好で、少年はゆっくりと歩を進めた。ペシテマルが翻り、薄布の端を飾る房が揺れる。
少年の足は、一歩一歩を確かめるように、白の岩盤にひたりと押し当てられた。素足から伝い感じられるものに、暫し思いを馳せているのだろうか。
時折、何かを探すように、足を止めて緩く首を上げる。そうしてまた、歩き出す。
一方向へ向かっているというわけではないらしく、その進路は度々、方向を転換した。とはいえ、気ままに散歩しているというのではなく、何らかの目的あってのことであると、少年の物静かな横顔は語っていた。

少年は、パムッカレの散策を続ける。
ただし、本物ではない。精確にいえば、これはレプリカだ。観光客で賑わう、かの世界遺産から十数キロ離れた土地に、かつてPOGが建設した。組織の人員以外に、その存在を知る者はない。
世界的頭脳集団が何故、かようなものを、と人は疑問に思うだろう。偉大なる自然の造形物を、ヒトの手によって再現しようという、驕った試みか。
否、それだけではない。
勿論、これは──パズルである。
構造は、ごく単純なものだ。岩盤の内部には、水路が張り巡らされている。規則的に穿たれた穴から、水は特定のパターンで溢れ出し、ひとつの区画を満たす。その法則性は、岩盤の上を移動する解答者の選択したルートに依存する。
水の張った区画には移動出来ず、飛び越すことも出来ない。溜まった水は、より下の区画へと排水されていく。刻一刻と正解のルートは変容し、選択をひとつ誤れば、八方塞がりとなった末に水没するのが定めである。
とはいえ、全身水浸しになる程度のことであって、なにも命まで取られるわけではない。その辺りの匙加減は、このパズルが制作された時代のPOGの穏健な性格をよく物語ってるといえよう。
今日では、パズルとしての出来の如何というよりも、かような造形そのものに価値を見出し、観光気分で訪れる構成員が殆どである。思えば、現在POGジャパンの取り組む『東京パズルランド構想』も、その延長線上にあるといってよい。
少年──POGジャパン総責任者ルーク・盤城・クロスフィールドは、今まさに、組織の偉大なる先人の遺したパズルを、自ら検分しているのであった。

夕暮れ時、天空の淡青色から燃えるような紅、そして紫紺へのグラデーションを、水面は鮮やかに映し、無数の空の欠片を地上に描き出す。
ひとつひとつを、結晶としてそのままに拾い上げることが出来たならば、それは、感嘆すべき財宝となることだろう。それとも、刻一刻と表情を変える雄大な光景こそが、ヒトに与えられし財といえようか。
夕陽が岩盤を、水面を、少年の肌を、赤く染め上げる。
ブドウ畑も、太陽神殿の遺跡も。
──月の時間が来る。

「……チェックだ」

ぼそりと少年は呟き、綿の城の頂点に立った。
眼下に広がる、階段状の水面を、彼は暫くの間、じっと見つめていた。淡青色の瞳は、あたかも日中の天空を映したパムッカレの水面をそのまま嵌めこんだかのようだ。
ふと、何かに呼ばれたように、ルークは顔を上げた。いつの間にか、その傍らには、ひとつの人影が佇んでいた。

「──お疲れ様でございます。無事に撮影は完了いたしました……見事な映像でしたよ」

少年をレンズ越しに追い続けていた、忠実なる側近は、そう言って微笑した。任務終了との知らせを受けて、ルークの唇から、小さく安堵の息がこぼれる。
POG世界パズル遺産。
地球上の各地に点在する、POGの手になるパズルを紹介していく紀行番組である。
偉大なる先人の遺産を、我らが頭脳集団は管理・修復し、次世代へと受け継いでいく──そんなポリシーを込めて、全世界へ発信している。
見聞を広げるための旅の途上、丁度近辺へ滞在していたからというだけの理由でもって、ルークはパムッカレ・パズルの撮影に駆り出された。

「……僕が映る必要はあったのかな」

これまでのシリーズでは、特に案内人ギヴァーを立てることもなしに、純粋にパズルだけの映像でもってコンテンツを制作していた筈であるが、とルークは首を傾げた。それを、POGジャパン総責任者自ら、パズルに挑んでみせるなど──それも、こんな格好で。
もっともな疑問に対して、ビショップは穏やかに応じる。

「ご安心を。その辺りは編集でカットいたしますので、本放送分には含まれません」
「じゃあなんで撮ったの」
「『私の趣味』です。……いえ、冗談です。どうか、そんな目で見ないでください……実は、これは『POG世界パズル遺産〜悠久の大地篇〜』BD初回版特典映像なのです。ほんの三十秒ほど、それも殆どケシ粒程度にしか見えないロングショットではありますが、なにしろ貴重な映像です。人々はこぞって買い求めることでしょう。人気沸騰間違いなし」
「……ふぅん」

残りの二時間五十九分三十秒ほどの映像データはどうなるのか、とでも言いたげに、ルークは側近の微笑を胡乱に見遣ったが、それ以上深く追及はしなかった。
ともかく、仕事が済んだならば、なによりである。既に日も暮れかけている。早く宿に戻ろうと、ルークは踵を返し、そしてそのまま、足を滑らせた。
あ、と目を瞠ったときには、ぬるつく足場から踵が浮いている。完全にバランスを失い、背後へ倒れ込みかけたところで、隣の側近が慌てず手を差し伸べ、その身体を支えた。
最後に気を抜いてしまったと悔やむように、ルークは側近の腕の中で苦々しく目を伏せた。緩く首を振って、溜息を落とす。

「少し……疲れたな」
「ずっと立たれていたのです。無理もありません」

丁度、この先に温泉が、とビショップは眼下を指し示した。忠実なる側近の提案に、ルークは素直にこくりと頷いてみせる。
早速、二人は連れ立って、綿の城を下っていった。いつ転んでしまっても支えられるようにと、ビショップの腕は、緩くルークの肩を包み護っていた。



熱に耐えるのがあまり得意ではないルークの薄い皮膚には、人肌程度の穏やかな湯温が相応しい。その意味で、巨大パズルのほど近くに湧き出る温泉は、満足のいく条件を適えていた。
今や薄布も脱ぎ落したルークは、湯の中に四肢を伸ばして、深く息を吐いた。彼の腰掛けているのは、丁度良い位置に沈んでいた岩──ではない。
それは、人類の手になる造形物であった。澄んだ水底に、倒壊した神殿の柱と思しき残骸が、いくつも折り重なって沈んでいるのだった。ドーリア式の石柱は、かつて、この地に威容を誇っていたという、アポロン神殿の一部であろうか。
そのひとつに、ルークは腰を下ろし、安寧の表情で目を閉じている。少年の白く伸びやかな手足と、朽ち果てた神殿のコントラストを、水辺に控えた側近は丹念に鑑賞した。
貸し切りの温泉を満喫する少年の心身が、ほどよく解れてきた頃、ビショップはその傍らへと跪いた。携えているのは、ドーム状の銀蓋を被せられた、楕円形の皿である。型押しの細やかな装飾は、異国情緒を醸し出してやまない。

「折角、ここまで来ましたので…」

囁いて、側近は蓋を静かに開けた。
伝統的な草花の意匠をあしらった装飾も繊細な銀の皿、その上には、一口サイズの菓子が盛りつけられていた。色とりどりの小さなゼリーに粉砂糖をまぶしたような見た目も愛らしい、伝統菓子ロクム(ターキッシュ・ディライト)である。
サイコロ状、あるいは円く形作られたそれらは、指先で摘めば、しっかりとした弾力でもって応じる。

「……どうぞ」
「ん……」

青年の長い指は、少年の唇の合間に、菓子をそっと押し込んだ。薄ピンク色のひと欠片は、バラの香り付けがなされている。
白金の睫を伏せて、ルークはロクム独特の歯応えと濃厚な香りを味わった。その様子を微笑みとともに見守り、ビショップは主人の喉を潤すグラスを用意した。
チューリップの花にも似て、飲み口の広がった形状のガラスカップには、マホガニー色の液体が注がれている。現地の習慣に倣って、側近の淹れたチャイであった。
常日頃、彼らの愛飲する英国式のルールに則った紅茶とは、一味違う。ジンジャーをはじめとする香辛料が効いて、濃密に溢れる香りが鼻腔をくすぐった。
喉を潤し、グラスを戻すと、ルークは淡青色の瞳を上げた。側近をじっと見つめる少年の頬は淡く紅潮し、瞳は艶やかに潤んでいる。その可憐な唇が、小さく動かされて、声を紡いだ。

「一緒に、入ろう」

いいえ──と、咄嗟に断ることが、ビショップには出来なかった。ルークからの初めての誘いを、断るための理由が、どこを探しても、見つけられなかった。
かつてであれば、決して越えてはならぬ一線として、己を戒めることも出来ただろう。しかし今、そんなかつての臆病な戒めは、何も効果が働くものではなかった。
加えて言うならば、長旅と長時間の撮影によって、彼の身体も疲労を訴え始めていた。都合の良い自分自身に苦笑して、ビショップは恭しく頭を下げた。

「それでは、少しだけ……お邪魔いたします」

青年は靴を脱ぎ、デニム地の裾を丁寧に折り返した。しなやかに引き締まった足首から脹脛があらわになる。
年若い主人の傍らに、遠慮がちに腰を下ろすと、ビショップはゆっくりと湯に脚を沈めた。足先から立ち昇る穏やかな感覚に、自然と溜息をもらす。
隣あう少年と、同じ景色を見つめ、同じ感覚に身を委ねているのだと分かった。それだけで、胸がうち震えるようだった。どんな映像よりも鮮明に、この記録は、己の内に刻み込まれるのだと思った。
水面に写った白い月が、静かに揺れ動く。髪にそっと触れてくる気配に気付いて、ルークは傍らの青年を見上げた。

「──よく、お似合いですよ」

年若い主人を満足げに見つめて、ビショップは頷く。いつの間にか、少年の白金の髪の耳元には、可憐な赤いケシの花が飾られていた。遺跡の周辺で、微風に揺れる姿に心を惹かれ、摘んできたものである。小さくも鮮やかな存在が、純白の世界に、彩りを添える。
水面に映る、即席の髪飾りをつけた己の姿を、ルークは暫し、不思議そうに眺めた。それから、少しばかり身体をずらして、隣の側近への距離を詰める。水辺に腰掛けたビショップの膝に、ルークはそっと、頭を擦り寄せた。

「……また、来たいね」
「ええ。きっと、また」

二人分の囁き声が、月夜の闇へと溶けていった。




[ end. ]
















スパーク無配ペーパー小話でした。彼らの世界遺産巡り&入浴の旅は続く。
2012.10.7

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