とろりん☆ビショップ2000%
少しばかり冷やりとした感覚が、口腔を撫でた。舌の上に乗る小さな欠片が、鋭利な感触でその硬度を教えるが、それと同時に、尖端はもう蕩けてしまっている。
すぐにも舌をかき混ぜてしまいたい衝動に駆られるが、はじめのうちは、我慢することだ。少しずつ、じわりじわりと蕩け出す芳香に欲望をかき立てられながら、じっと己を戒めるのである。この身を走るすべての感覚は、一粒の甘い欠片に集約し、神経を研ぎ澄ませて、今か今かとその瞬間を待ちわびている。欲望に流されかける軟弱な自分と、それを厳しく律して最大の快楽を得ようと計算する己との、これは駆け引きである。
タイミングは早すぎても、遅すぎてもならない。いよいよと思って舌の上に転がしたとき、予想外に冷え切ったままの硬いものが柔肉にぶつかるのは、興醒めであること、この上ない。まるで、石でも食わされたような気になり、それまでの高揚など、途端に吹き飛んでしまう。そうなれば、何もかもが台無しである。
また、逆に、これを恐れるあまり、念入りに蕩かせすぎるのもよろしくない。見る影もなくどろどろに溶けた生温い液体を、口蓋にべったりと貼り付け、むせかえるような甘ったるい匂いで呼吸困難になって喜ぶような下品な趣味は、私にはない。
ゆえに、見極めが肝要である。
表層のみがまろやかに蕩け、しかし、その内には未だ、冷やりと硬い芯を有すること。それが、目指すべき最良である。その境地に至るためには、どうすべきか──己の口腔の感覚に集中し、これを信じるだけである。
口内の微妙な温度変化から、そろそろショコラの表面が柔らかく蕩け出したことを知る。ショコラは融解する瞬間、口内の熱を奪っていく。それにより、極めて繊細な、独特の冷涼感が生じるのである。
互いの熱エネルギーを交換し、互いに柔らかく、蕩けていく。それは、自分とショコラだけの、濃密な語らいのひとときであるといってよい。私とショコラの絡み合う交歓には、何者も立ち入ることが叶わない。最早、我々は一心同体であるから、引き離すことなど、出来はしないのだ。
舌の上に蕩け出すものの、この上なくなめらかな舌触りは、容易く理性を押し流していく。この快楽に身を委ねる邪魔となるならば、忙しい思考活動など、今は灯りを落としてしまえば良い。たとえて言うならば、柔らかな寝台の中で、羽毛の温もりに包まれながら、次第に思考が停滞していくのを感じつつ、うとうとと眠りに落ちる、あのひとときに似た至福が、全身を覆っていく。
活動的であること、生産的であることが、脳にしても身体にしても、本来であれば期待される役割であった筈だ。対して、何を生産するでもない、怠惰なひとときは、いわば憎むべき敵である。
しかし、そうしてじっと動かずに、本来備わった機能を停滞させている罪深い時間こそ、抗い難い愉しみをもたらすのは、なにゆえであろうか。すっかり自立を放棄して、大いなる波間にたゆたいたいという欲望が、ヒトの根底には息づいているのだろうか。
勤勉と禁欲を価値として掲げておきながら、情けないことである。逆にいえば、達成するのが困難であるからこその価値、である。怠惰であることをやめてしまえば、勤勉であることは、何も特別な価値がなくなってしまうのだから。
自分に言い訳をしながら、気だるくソファに身を預ける。ショコラとは、居ずまいを正して、心身を緊張させながら、完璧なテーブルマナーでもって味わう類のものではない。勿論、下品であってはならないが、多少の行儀悪さには、目を瞑ることにする。勤務時間外に、自室でいかに寛ごうとも、誰に小言を言われる筋合いもない。
ショコラを味わう際には、ショコラにのみ、感覚を集中すべきである。頭の片隅で瑣末な物事を考えるのも、手足に余計な力を入れているのもよろしくない。そうして意識が分散することによって、折角のショコラの味わいは、まるで水に薄めでもしたかのように、台無しとなってしまう。
それであれば、だらしなくソファに身を預けた格好で、心身を解きほぐし、片手を伸ばして皿の上のショコラを一粒、摘み上げるという作法は、誠に理に叶っている。なにしろ、こちらが受け容れる態勢を整え、己を開示しないことには、ショコラと親密な語らいを交わすことは出来ないのだ。
私は特段、チョコレート・ホリックというわけではない。子どもの頃からの習慣で、一日一枚、板チョコを齧らなくては活力が湧かないという中年男や、自分へのご褒美と称してシーズンごとに有名ショコラティエの新作に目の色を変える女性たちと自分とには、さしたる共通項はない。
私はそのときそのときで、ささやかな日常から、出来得る限りの至福を引き出し、享受したいと願うだけだ。あますところなく、豊かに味わうこと。それは、このショコラという一粒の宝石に対する礼儀である。
ショコラティエは、究極的には、理想のカカオ豆を求めて、各地の農園を訪ね歩く。栽培地の拡大にともない、何世代にもわたって複雑に繰り返された交配によって、今やカカオ豆の品種は多岐にわたり、産地によって異なる味わいを有する。それらのブレンドの比率こそ、ショコラの生命である。
画家に、彼を象徴する色があり、作家に、彼を象徴する文体があり、ショコラティエに、彼を象徴する味がある。厳密にいえば、同じ品種であろうと、産地によって味は異なり、農園によって味は異なり、株によって味は異なり、実によって味は異なり、豆によって味は異なり、収穫時期によって味は異なり、天候によって味は異なり、収穫年によって味は異なる。更には、その後、発酵、焙煎、磨砕、コンチングと、幾段階にも及ぶ長い工程が待ち受けている。いくら条件を均一にすべく努力しようとも、予測の出来ぬ変数の関与を、完全に遮断することは不可能である。
ゆえに、この一粒のショコラと同じものを、二度と再現することは出来ない。その出逢いは、ただ一度きりである。ならば、何故、時間をかけて、じっくりと味わわずにいられるだろうか。この出逢いに、心からの感謝を捧げ、心身のすべてでもって、歓びを知り尽くさずにいられるだろうか。
意識以前の段階で、ショコラの放つ僅かな兆候が、いよいよ私に時を告げる。僅かに舌を持ち上げるや、まるで抵抗なく、するりと口内を滑り落ちるショコラの感覚は、私の読みが誤っていなかったことを教えた。
それを喜ぶ暇もなく、待ちかねたとばかりに口腔に満ちる芳醇な香りが、思考を麻痺させる。甘美な戦慄が、脊椎に沿って立ち昇るのを感じた。そっと開いた唇から、押し殺した吐息がこぼれる。触れるだけで蕩けてしまいそうな、それは、なんと甘く、熱い溜息であっただろうか。
「……あぁ、…」
悩ましく身じろいで、私は陶然と呻いた。それから、吐息混じりの喘ぎが、ことのほか淫猥に響いてしまったことに気付いて、頬が熱くなるのを感じた。はしたない唇に、そっと指先を押し当てて塞ぐが、既に遅い。私はますます、恥じ入った。
快感をそのまま、声や態度に表してしまうなど、子どもと同じではないか。自分自身に裏切られたような心地で、私はやるせなく髪をかき上げた。しかし、成人としての慎みも忘れさせてしまうほどに、溶け出したショコラは、濃密な魅力を惜しげもなく放っていた。
本当ならば、ショコラのすべてを私の中に閉じ込めていたい。吐息一つ分の芳香すら、手放すことが惜しまれる。今、この瞬間だけでも、呼吸を止めることが出来たならば、どれほど良いだろう。私はただ、己の熱でショコラを溶かすだけの存在になりたい。
しかし、実際には、心臓は熱く、呼吸は速く、少しも休まることを知らない。私はせめてもの抵抗として、努めてゆっくりと、静かに、呼吸した。
鼓動が高鳴り、ぞくりと肌が粟立つのは、ショコラに含まれる覚醒成分の効用であろうか。堪らずに、私は己の肩を抱いた。革張りのソファに頬を擦り寄せれば、ひやりとした感触が心地良い。それだけ、自分自身が火照っていることの証であった。誰あろう私自身、その事実に戸惑わざるを得なかった。
こう言っては誤解を招きかねないが、たかがショコラである。なにも、苛烈なスパイスや強烈なアルコールが含まれているわけではない。覚醒作用があるといっても、それはカフェインよりも余程穏やかな程度のものだ。そんな、たかがショコラ一粒に、いいように翻弄されている己を、私は認めざるを得なかった。
カカオ豆を磨り潰して香辛料を混ぜた、現代のショコラとは似ても似つかぬ液体を、かつてメソアメリカ文明の王は、精力剤として愛飲していたという。現在でも、ショコラには媚薬のイメージがつきまとう。イメージは易々と身体反応を引き起こし、その体感がフィードバックされることによって、イメージを一層に強化する。ゆえに、ショコラは媚薬であり続けるだろう。たとえそれが、根拠のない神話であろうとも。
「……は、ぁ…」
身体の内側から、とろりと愛撫される感覚は、意思の力で遮断出来るものではない。喉から下って、胸、それから腹の内側まで、まるで、優しい手に撫でられるかのようだった。柔らかく濃厚な口づけを、あちらこちらの内壁に落としながら、ショコラは私の内に溶ける。
くすぐったい、焦らすような甘い刺激に、私は骨まで蕩かされてしまう。そうなれば、もう、どこまでが私で、どこまでがショコラであるか、そんな区別は無意味である。私から溶け出したものがショコラであり、ショコラから溶け出したものが私だ。
眩暈がするような恍惚の中で、よりいっそうに強く、己の身体をかき抱いた。
◆
昔読んだ絵本の中にあった、欲深い王が戦利品の黄金細工をかき集めて溶かし、金の延べ棒を作るというワンシーンを、今でもよく覚えている。絵の中で、どろどろに溶けた黄金が釜から流れ出るさまは、幼い私の心を強く惹きつけた。
別段に、黄金の魔力は純真な子どもの心をも虜にする、という興醒めな話をしたいわけではない。絵本の作者だって、なにも、金銀財宝に目が眩み、略奪に精を出す強欲な征服者への憧れを喚起するために、作品を刊行したわけではなかろう。
すなわち、幼い少年には、型に流し込まれた黄金が、とても「美味しそう」に思えたのだ。溶けた原料を型に入れ、冷やして固めるという一連の流れに、とてもわくわくとして、食欲をそそられたことを覚えている。
勿論、摂氏1064度の融点を超えて熱せられた液状の黄金に触れることなど、不可能である。しかし、絵の中の世界は、味気ない現実と違って、少年の想像を大いにかき立てた。
あの、どろりとした黄金を掬い上げたら、どんな感触がするのだろう。どんな風に重く指に絡みつき、ぼたぼたと滴るのだろう。とろとろに蕩けたところを口に含んだら、どんな味がするのだろう。喉を流れ落ちるとき、どんな感触がするのだろう。プールのようにして飛び込んでみたら、どんな風だろう。
子どもがお菓子の家に憧れるのと同じように、私は黄金の川に焦がれた。そして、今になって思うのだ。あれは、私の中の、チョコレートのイメージが投影されていたのではないかと。
熱すれば容易に蕩け、どろどろと流れ出し、型に入れて冷やせば、板状に固まる。そんな性質を持ち、当時、最も身近にあったものといえば、チョコレートである。見たこともない筈の、金の熔解工程の描写に、あれほどのめり込めたのは、頭の中でそれをチョコレートに置換していたためであろう。
そう思ってみれば、板状のチョコレートを包む銀紙の輝きは、眩いばかりの金の延べ棒を彷彿とさせる。子どもにとって──否、一部の大人にとっても、それは変わらないかも知れないが──一枚の板チョコレートは、金銀財宝に匹敵した。大事に守り、時折そっと取り出しては、一齧りして恍惚の時間を過ごし、また丁寧に仕舞い込む。それは、かけがえのない財にほかならなかった。
そうだとすれば、触れたいだの舐めたいだの泳ぎたいだのと、荒唐無稽な願望を抱いたことにも、納得がいく。思うままに掬い上げたいと願った、あの黄金の川は、すなわち、チョコレートの川だったのだ。
だから、というわけではないが、私は口腔にショコラを転がすとき、暗闇の中にてろりと艶めく黄金のイメージが脳裏に浮かび上がる。四角く成型された金塊でも、山積みの金貨でもなく、固まりかけの飴細工にも似た、有機的な曲面を持つ黄金の一滴である。
そして、己の舌の上に、ありありと、そのなめらかさを感じるのだ。黄金の塊を口の中に蕩かせ、食する──いかなる王侯貴族の美食も、これにはかなうまい。私はみるみるうちに、どっぷりと夢想に浸かっていく。現実離れした贅沢な悦びを、目を閉じてじっくりと味わうのだ。随分と長いこと、私はこの秘密の遊戯の虜となっている。
とろとろと蕩け出すショコラから溢れる、この世のものとは思えぬ甘やかな香りは、未だ、人工的に合成することが叶わない。あの複雑な芳香は、いかなる要素によって構成されているものだろうか。それが解き明かされれば、かの神秘なる供物の魔力に、対抗する術も見つかるのだろうか。
甘くもあり、苦くもあり、爽やかでもあり、しつこくもあり、あっさりとしつつも、コクがあり、花のような、果実のような、香ばしいような、酸っぱいような、新しく、また旧く、若々しく、老獪で、溌剌としていながら、怠惰であり、活力に満ちていながら、人間を堕落させ、絡みつき、粘りつき、誘惑し、褒美を与え、罰をもたらす、善であり、悪である──『神の食べ物(テオブロマ)』。
その神秘を、人間の手によって解き明かさんとするのは、神への冒涜であろうか。しかし、いつの世も、人は神に挑戦し続けてきた。造物主と同じ地平に立つことは、人類の積年の夢である。
大いなる存在にのみ許された、創造という行為の真似事を、我々は地道に繰り返している。そうしていれば、いつか、模倣ではない、新たな何かを、生み出すことが出来ると信じている。それを可能とする、天才の到来を、期待している。
ショコラとは、さあ解き明かしてみろといって、我々に与えられた、神のパズルの一つなのかも知れない。だとすれば、かようなものを創り上げた制作者に、私は同じギヴァーとして、畏敬の念を抱かずにはいられない。そして、心からの感謝を述べたいと思う。こくりと喉を鳴らして、私は胸の内で呟いた。
ショコラに身を委ねる怠惰な私を、これはパズルなのだという言い訳によって救ってくれて、どうもありがとう、と。
最後の一欠片を呑み込んでなお、気だるい余韻は私の四肢にわだかまり、思考の上に優しく毛布を掛けて寝かしつけようとするのだった。そのまま意識を手放しかけたところで、私は辛うじて首を振った。
己を叱咤して、甘美な誘惑を振り払う。すっかり身を沈み込ませていたソファから身を起こすのは、底冷えのする雪の朝に、温かな寝床から一歩踏み出すときに似て、仄かな未練と喪失感があった。
しかし、夢は終わったのだ。
思考を切り替え、纏わりつく余韻を洗い流すべく、私はコーヒーカップに手を伸ばした。普段から紅茶を愛飲する私であるが、ショコラと組み合わせるのに、コーヒー以外の選択肢は存在しない。まるで、お互いがお互いのためにのみ存在しているかのように、彼らは完璧な調和を誇る。
カップの中身は、やや冷めてしまっていたが、口腔に流し込めば、ショコラの残り香をすっかり抱き締めて、きれいに連れ去ってくれる。もう一度煽れば、既に、甘ったるい余韻は、私の内のどこにも感じられなかった。気だるいまどろみが嘘であったかのように、頭はすっきりと冴え渡っている。僅かに残った名残り惜しさも、ほどなくすれば、かき消えてしまうだろう。
何故、そうしてショコラの残滓を拭い去らねばならなかったのか。何も、これから重要な会議に赴くというわけでも、気分を切り替えて新作パズル創作に励む予定があるわけでもない。しかし、それらの職務よりも、ある意味では、重要なことが待っているのだった。改めて、ソファに腰掛け直し、普段通りに背筋を伸ばす。
「お待たせいたしました──この辺りで、準備は良いでしょう」
──私はそう言って、向かいのソファに座る人物に微笑みかけた。
◆
待たされたことを怒っているわけでもなかろうが、ルークは暫し、無言でこちらをじっと見つめた。とはいえ、その視線は、私が最初にショコラを口に含んでから、ずっと向けられている。その目の前で、私はうっとりと目を閉じてショコラを舌の上に転がしたし、だらしなくソファに寝そべったし、熱い吐息をもらしたのだ。今更、何も気にすることはない。
主人を放っておいて、ショコラに溺れるとは、他人が聞けば、何事かといって叱責されてしまうだろうか。しかし、これは必要な「準備」だったのだ。そのことは、我が年若い主人にしても、よく理解してくれている筈だ。
淡青色の瞳を、思慮深げに瞬いて、そのルークはようやく、口を開いた。
「……お前はいつも、こういう風に、チョコレートを食べるのか」
こういう風、とはどういう意味だろうか。私は素朴な疑問を抱いたが、指摘はしないでおいた。ルークの言葉に、つまらぬけちを付けたと思われるのは、本望でない。ええ、そうですよ、とだけ、極上の笑みで答える。
「何か、気になることでも?」
「いや。大変だな、と思っただけ」
微妙に目を逸らして、ルークは気まずそうにぼそぼそと呟いた。彼のコメントの意図は、よく分からなかったが、ルークが独特な思考で独特な言い回しをするのは、いつものことである。聡明なルークの発言を、凡人である私が、すべて理解出来るものとは思わない。だから最近は、根掘り葉掘り、発言の意図を追及するような無粋な真似はやめて、ありのままのルークを受け容れるようにしている。
ショコラを味わう私の姿を見て、ルークは、大変だなと感想を抱いた。それは、正しいとか正しくないとかいった観点で判定されるべきものではない。ルークがそう思った、という事実が大切なのである。
そこには、対象への興味関心、共感、想像といった、複雑な心のはたらきが絡んでいる。それを私に対して向けてくれたというだけで、早くも心が浮き立つのを感じる。大変さでいえば、かつて、腕輪を嵌めていたルークと何も知らぬ部下たちの間に立っていた頃の、正しく心身を削るような激務の方が、よほど上であると思うが、あの頃の少年であれば、決して側近に対して、大変だななどという感想は抱かなかったであろう。
そう思うと、ルークのたった一言のコメントが、なんとも愛しいものに思えてくる。私のためだけに発せられたその台詞を、私は繰り返し反芻して、胸の内に刻んだ。
「それじゃあ、始めようか」
言って、ルークは膝の上に組んでいた指を解く。それを合図に、私は居ずまいを正した。二人の間のローテーブルへと、視線を落とす。そこに在るのは、白と黒の盤上の遊技──チェスセットである。今日は、私が頼み込んで、ルークと一戦を交えさせて貰うこととなったのだ。しかし、ここに用意されているのは、いつも彼が用いる、ツゲ製の逸品ではない。
不思議な色艶のチェスピースを、じっくり観察すれば、その正体に思い至ることが出来るだろう。否、顔を近づければ鼻腔をくすぐる甘い香りの方が、それよりも早く、答えを教えてしまうかも知れない。
それは、チョコレート製のチェスセットであった。
白と黒、それぞれのチェスピースはもちろん、美しい升目を描く盤面までも、すべてチョコレートで出来ている。食用、観賞用、そして実用にまで耐えうる一式である。
どうせ食べてしまうものだからといって、手抜かりはなく、駒はあくまでも優美に形作られ、象牙細工のそれと並べても遜色のない出来栄えである。盤面にしても、僅かの段差すら許さぬ緻密さで、疵一つなく磨き上げられ、非の打ちどころがない。
2月半ばのこの時期にだけ、数量限定で販売される、特別なショコラである。わざわざ1年前から予約を入れておいただけの甲斐はあった、と私は改めて満足を覚えた。
既に、チェスピースは整列し、出撃の合図を待っている。己の配下にある駒を見下ろして、ルークは苦笑した。
「それにしても──ちょっと、食べ過ぎじゃないかな」
彼の手元に並ぶ駒は、随分と少ない。ポーンこそ8つ配置されているが、2つある筈のナイトもビショップも、あるべき位置が空白となっている。キングに寄り添うべきクイーンもいない。王を護る城塞は、辛うじて片割れが残っているだけだ。開戦前から、既に深刻な兵力不足に陥っている。
盤上に乗っていない駒は、どうなってしまったのか。辺りを見回しても、チェスピースはどこにも落ちていない──つまり、それらは今、私の腹の中である。
「いえいえ、なにしろお相手はルーク様です。これでもまだ、差がつきすぎていると思いますよ」
そう、対戦前の「準備」とは、これであった。正々堂々と挑んだところで、私と彼では、勿論、勝負になるわけがない。実力差に応じて、ハンデをつけるのは当然である。
たとえば、持ち時間に差をつける。そして、たとえば──優位なほうの駒を最初から、減らしてしまう。
手持ちの駒の数は、そのまま戦力に直結する。これは、実力差のある者同士でゲームを成立させるための工夫であって、何も非難されるべきことではない。などといって、私はルークを説得した上で、彼の目の前でその「準備」をした。ルークにしても、なるほどといって、私の提案を受け容れたのだ。予想以上に駒を減らされたからといって、文句を言うものではない。
それに、今更、取り戻そうとしても、それは不可能なのだ。返せと言われたところで、私の中で溶けてしまったショコラは戻らない。確かに、ショコラの誘惑に負けて、いささか食べ過ぎてしまったような気がしないでもなく、それは素直に申し訳ないことであるが、こればかりは仕方がない。
これも、ルール上、盤上から取り去られた駒が復活することのない、チェスならではのことであると私は思う。同じルーツを持つボードゲームであるところの将棋では、捕獲した敵の駒を自軍に加えて使用可能という点で、大きく精神性が異なるといえよう。もし将棋ショコラがあったところで、それは迂闊に食べてしまってはならないということだ。
穴だらけの自軍を神妙に見下ろして、ルークは淡青色の瞳を瞬いた。こうしてハンデをつけて対戦するのは、なにも、私が彼に遊んで貰っているというだけではなく、ルーク自身にとっても、刺激的なことではなかろうかと、私は密かに思っている。通常の対戦で、ルークと名勝負を演じられる相手など、彼の周りには存在しないのだ。突出して優れた者ならではの孤独である。「どうしても自分が勝つようになっているゲーム」をプレイして、いったい何が楽しいだろう。そこでは、どんなスリルも、駆け引きも、最早、意味を為さない。
私は、ルークにとって、チェスがつまらぬものになってしまうのを避けたかった。真剣に考え、慎重に相手の手を読み、戦況を予測し、読みが当たれば喜び、外れれば悔しがり、妙手に感嘆する、そんな当たり前のことを、忘れずにいて欲しかった。
今、ルークは、少ない駒でいかにしてゲームを進めるべきか、高速で思考を働かせている。それは彼にとって、忘れかけていた実感であろう。何も考えなくとも、半ば自動的に勝利を収めることが出来ていた、これまでとは違う。少年の表情が、活き活きと輝いていくのが分かった。
「沢山取られた分も、お前にやり返してやらないといけないな」
ことのほか好戦的な台詞を口にして、ルークは挑発的に微笑む。頭の中では、どうやってこの側近をねじ伏せてやろうかと、ありとあらゆるシミュレーションが進行しているのだろう。どうぞお手柔らかに、と私は頭を垂れたが、ついでに一言、付け加えることも忘れない。
「実は、私のほうもまだ少々、物足りないもので……そのルークの駒など、なんとも美味しそうではありませんか」
白い少年の手元に残った数少ない駒の一つを、私は指差してみせた。実際、塔を模したルークの駒は、形状的に他よりも口当たりが良く、味見した中でも特に私のお気に入りなのだ。
「そう──なら、取ってみれば良い」
余裕の態度で、ルークは応じた。出来るものなら、やってみろというのだろう。もっとも、その前に、僕はお前の王を捕えているだろうが──そんな「根拠のある自信」が、足を組んだ少年のしなやかな身体から、ありありと醸し出されていた。
私がルークの駒を味わうのが早いか、それとも、ルークが私の王を呑み込むのが早いか。
高揚を抑えて、私は己の駒へと、指を伸ばした。
──こんな、甘い、甘い戦いも、たまには悪くない。
[ end. ]
今年もチェスチョコを買い損ねた記念として。
2013.2.14