父と子のパズル
三つのホールをぶち抜きで設けられた巨大な展示会場は、興奮と熱狂に満ち満ちていた。
東京国際パズルフェア。略称、TPF。
今や、この国を代表する産業へと上り詰めた、パズルというコンテンツに関するあらゆる企業が一堂に会する、大イベントである。
四日間の開催期間のうち、前半の二日間は、主に業界関係者にのみ開かれた、商談の場としてのビジネスデー。後半の二日間は、一般のファンに広く公開されるパブリックデーとして位置づけられている。
世間一般では、長らく、パズルは子どもの愉しむものであるという意識が根強く息づいていた。大人になっても、パズルに夢中になっているのは、ごく一部のマニアックな人種のみであるとみなされていたといってよい。少なくとも、趣味であるとして公言すれば、陰で白眼視されることは免れ得なかった。
かような停滞期にも、打ちひしがれることなく、良質のコンテンツを提供し続けた制作者、および、それを支え続けたファンの活動が実を結んだのだろうか。現在、パズルの社会的地位は驚くべき躍進を遂げている。
コンビニエンスストアの商品棚の一等地には、パズルをあしらった商品がずらりと陳列され、交通機関の中で堂々とパズルに取り組む大人を見ない日はない。販売促進の専門誌では、人気パズルとのコラボレーションによって目覚ましい成果を挙げた事例の特集が毎号のように組まれている。消費マインドが冷え込む今こそ、潜在的パズルファンという巨大な市場に訴える販促活動を──そんな文言が説かれるようになって久しい。
その影響力は、国内のみに留まらず、いずれ世界を巻き込むであろう。パズルは、今や、子どもや、ごく一部の熱狂的ファンだけのものではなくなった。
もちろん、現在でもパズルは、子どもの主要な娯楽の一端を担っている。休日の朝に配信される新作パズルを、端末の前で楽しみに待つ子どもの姿は、十年前から変わらない。
今はそこに、一緒になって楽しむ親の姿が加わった。彼らは、決して、子どもに付き合ってはしゃいでみせているのではなく、自ら真剣に、パズルを楽しんでいる。制作者側も、それを分かっているから、子ども向けといっても、あなどれない重厚なストーリーを背景にした、珠玉の作品を提供するのである。
パズルのファン層の拡大は、イベントの来場者を見てもよく分かる。TPFの、本日は、パブリックデー一日目。すなわち、一般公開の初日である。
入場ゲートには、朝から数千人の行列が形成されていた。いずれも、期待に目を輝かせたパズルファンである。年齢層は幅広いが、興味関心は一致している。
なお、入場料は、一般来場者が千円、中高生は五百円、小学生以下は無料となっている。一般入場口と、キッズ・ファミリー専用の入り口は、きちんと分けて設置されているため、幼い子ども連れでも安心である。
開場とともに、隊列を組んだ人々は意気揚々と、場内へ吸い込まれていった。
「やってきたぜ、パズルフェア!」
その流れの中にあった一人、黒髪に細身のサングラスを差した少年は、興奮を抑えきれぬ様子で詠嘆した。
「すごーい! これ全部、パズルのブースなの?」
少年の隣で、目を丸くしているのは、スポーティーな格好をしたポニーテールの少女である。こういったイベントに来るのが初めてであるのか、落ち着きなく、辺りをきょろきょろと見回している。
「すげぇだろ? 朝っぱらから並んだ甲斐があるぜ」
少年──自他ともに認めるパズルバカ、大門カイトは、自慢げに鼻を鳴らした。
確かに、パズルファンにとっては、夢のようなイベントであろう。なにしろ、巨大展示場のすべてが、パズルに彩られているのである。
最新技術をふんだんに盛り込んだ、大手企業による華やかな新作パズルPR合戦、新進気鋭のパズル作家による力作の展示即売、業界人による舞台裏紹介とトークショー。どこを歩いても、何を見ても、パズル、パズル、パズルである。
少しでも通路を歩けば、両隣のブースについたコンパニオンの美女から、チラシだの紙袋だのサンプルだのを山のように手渡される。はっきり言って、極楽である──パズルバカにとっては。
「でも、私、パズル分かんないからなあ……」
幼馴染の付き添いというかたちでここまでやってきた少女、井藤ノノハは独りごちた。
その筋の人間にとって、これが血沸き肉躍るイベントであることは、周囲の盛り上がりようを見れば分かることであるが、残念ながら、彼女は「その筋の人間」ではなかった。世の中には、いろんな人がいるものだなあ、という感想を抱く程度である。
さて、どうしたものか──周囲をなんとなく見回したところで、
「あっ、なにあれ!」
何を見つけたのか、少女はブースの一つに駆け寄った。なにやら、子どもや女性を中心に人だかりが出来ている。
「ぺろりんぽろりんだ! かわいー!」
舌を出した、なんともゆるい雰囲気のキャラクターである。その等身大の着ぐるみが、歓声に応えて手を振っていた。子どもたちは我も我もと握手をせがみ、ふわふわのボディに抱きついてきゃあきゃあと喜んでいる。
「ぺろりんぽろりんのパズルスイーツクッキング…へえ、こんなのもやってるんだ。後で寄ってみよっと」
「なあ、そんなのいいから、早く行こうぜ。本格パズルコーナーはこっちだ」
「私は出来れば、ここで留守番していたいんだけど……ていうか、何で私を誘ったのよ、カイト? 他にもっと、パズルバカ…いや、パズルファンなら、いるじゃない。ルークくんでも、ギャモンくんでも」
「分かってねぇな。チケットをよく見てみろ」
「はあ」
言われるままに、ノノハは先ほど、入口で半券を切り取って貰ったチケットを、しげしげと眺めた。東京国際パズルフェアのロゴと、パズルのシルエット、開催日程の書かれた、何の変哲もない紙きれである。
「これが、何?」
幼馴染の意図が分からずに、ノノハは小首を傾げる。カイトは盛大な溜息を吐いた。
「書いてあるだろ、カップルチケットってよ。こいつは、男女ペア専用のチケットなんだ。一般チケット二枚分より、微妙に安い。そして、なんと、姫川エレナ特別監修の『恋のパズル』が特典としてついてくるんだ! すげぇだろ!」
カイトは拳を握りしめて力説した。どうやら、彼もはじめは一人で来場する予定で、前売り券を一枚購入しようとしていたのだが、特典に惹かれて、ついペアチケットに手が伸びてしまったということらしい。
「ええと。つまり、その限定パズル欲しさにペアチケットを買って、女性のほうのチケットが余っちゃったから私を、と……」
「いやな、最初はもちろん、アナに頼んでみたんだ。けど、先約があるとかで断られちまって、仕方なくな」
「ふ、ふーん……私はアナの代わりか!!」
鋭く突き出された少女の右拳が、狙いを違わず、少年の脇腹に吸い込まれる。ぐっ、と肺腑から残らず空気を吐き出して、カイトはその場に蹲った。見事な一撃、効果は抜群である。
暫し、声もなく身悶えた後、カイトは勢いよく顔を上げた。一欠片も容赦のない少女を、恨みがましく睨め上げて、矢継ぎ早に抗議を紡ぎ出す。
「なんだよ! タダで誘ってやったんだぞ、ありがてぇだろうが!」
「知らないわよ、このバカ! パズルバカ! パズルバカイト!」
負けじとノノハは声を張り上げ、いったい何事かと、通行人たちが振り返る。自分たちが軽く注目の的になっていることにも気付かずに、幼馴染同士は険しい睨みあいを続けていたが、
「──『ばか』は一。『ぱずるばか』は五。では、『ぱずるばかいと』は?」
一触即発の緊張状態に、割って入ったのは、落ち着き払った中にも、どこかいたずらっぽさを含んだ少年の声であった。咄嗟に振り返ったノノハは、またしても、目を丸くすることとなった。
「あ、あなたたち──、」
いったい、いつからそこに立っていたのだろうか? 現れたのは、それぞれに純白と漆黒で身を固めた二人組であった。
見事な白金の髪をした少年のほうが、親しげな微笑を浮かべて、一歩歩み出る。
「答えは──分かるね、カイト」
「答えは、やっぱり五だ──ルーク!」
勢いよく叫んで、カイトは這いつくばっていた床から立ち上がった。その表情には、既に苦痛の色はなく、活き活きとした喜びに満ちている。
少年の答えに、正解、と言う代わりに、ルークは満足げに頷いた。
「じゃあ、『あのおんななんかといちゃついて、このばかいと』は?」
「八。会えて嬉しいぜ、ルーク」
「僕もだよ、カイト」
抱きつかんばかりにして手を取り合う二人を、ノノハは複雑な心境で眺めた。同じく、複雑な心境であろうもう一人は、ルークの背後に控えめに佇む、黒衣の青年である。
今日はあくまでもプライベートのお忍びということか、頭脳集団POG日本支部を率いる二名は、私服に身を包んでいる。
「お前たちも、普通にチケット買って入ったのか?」
「僕たちは、主従割引ペアチケットを使って入ったんだよ」
「そんなチケットが!?」
どこまで需要が限定的なのだろうか。というか、彼ら以外に需要があるのだろうか。ノノハは思わず突っ込んでしまった。すると、
「今のは、冗談。ごめんごめん」
と、ルークはくすくすと笑ってみせた。無邪気な笑顔は、どうも憎めないものがある。
「よし、それじゃルーク、まずはあっち行ってみようぜ」
「うん。面白そうだね」
親友同士は、マップを片手に、楽しげに計画を練っている。プランがまとまったらしく、彼らは仲良く、声を揃えた。
「よし、パズルタイムの!」
「始まりだ!」
すっかりはしゃいでいる二人を、ノノハとビショップは、人波をかき分けて、懸命に追い掛けなくてはならなかった。保護者同士ですね、と言って、黒衣の青年は苦笑していた。
■
「なんだよ、なんで俺じゃだめなんだ! いいからやらせろ!」
「はいはい、ごめんね。お兄ちゃんはちょっとどいててね。小さいお子さんとお父さんが優先だよ」
喚く少年を、スタッフは慣れた様子であしらうと、他の親子連れをブース内パズル体験コーナーへ通した。立ち入り禁止の柵を通して、子どもたちの歓声が聞こえる。中では、よほど楽しいパズルが用意されているものらしい。
ここは、大人気特撮『銀河パズル警察ポリキューブ』の特設ブースである。ブース内に設置された三つのパズルを解くことで、ポリキューブの限定アイテムが手に入ることになっている。親子連れに大人気で、列が途切れる気配は無い。
当然、作品の熱心なファンであるカイトも列につこうとしたのであるが、ここで、先のスタッフの、つれない台詞である。期待が大きかっただけに、少年が思わず、声を荒げてしまったのも、仕方あるまい。
とはいえ、これは別段に、不条理な話ではない。そもそも、子ども層を多く取り込むことによって、親たちの財布を緩めさせることが目的のPRブースであるから、親子連れを優先するのは、当然といえば当然だ。
易しいパズルで、子どもたちを楽しませるのが主眼だというのに、そこへ目をぎらつかせたパズル廃人が乱入するのは、場違いというほかはない。暫しカイトは問答を続けたが、最終的には、折れざるを得なかった。
「なんだってんだ、むかつくぜ! 俺だって、そこらの『大きいお友達』と比べりゃ、十分にキッズの範疇じゃねぇか」
相当に悔しかったらしく、カイトは延々と愚痴をたれている。他の面々は、どうやって慰めたものかと、彼を囲んで、気まずく顔を見合わせるばかりである。
「こんなことなら、学園長のおっさんを連れてくるべきだったぜ……そうすりゃ、俺も親子連れだったのに!」
「カイト…」
何気なく呟かれた言葉に、ノノハは小さく胸が痛むのを感じた。
パズルと、親子──危険なパズルによって両親を失ったカイトにとっては、ナーバスな問題だ。辛い記憶を、思い出してしまったかも知れない。見れば、ルークもまた、何か思うところがあるのか、痛ましげに眉を寄せている。
ノノハはそっと、幼馴染の肩を抱いて慰めようとしたが、
「それか、俺に子どもがいれば! くそっ、誰か俺の子どもを産んでくれ!」
「やめてカイト、その発言すっごく痛いから!」
「ここだけの話だが、実は俺、この第三シリーズの謎の新キャラは、そんな理由で生まれた俺のガキじゃねぇかと睨んでるぜ」
「それはあんたの妄想だ! メタ発言すんな!」
とあるパズルアニメのティザービジュアルを指して、大真面目に呟くカイトの頭を、ノノハは容赦なくはたいた。それでも、彼の目を覚まさせることは出来なかったようで、カイトは今度は必死になって、友人に縋りつく。
「ルーク……ルークはどうだ!? お前、作るのは得意だろ! 頼む!」
「カ、カイト……」
「頼むな! そして、頼まれたほうも頬を染めるな! あとビショップさん、その目が笑ってない笑顔、すっごく怖いです!」
熱っぽく見つめ合う少年たちを、黒衣の青年と協力して何とか引き剥がし、ノノハは肩で息をした。まったく、こいつらときたら──心配で、放っておけないではないか。どういった類の心配か、ということはともかく。
「……ご心配なく。ルーク様は、綿毛しか産めないお身体ですので」
ぽつりと呟かれたビショップの一言が、一番怖かった。
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「なんだよ、家族連れでパズルに挑みやがって。一家四人でパズルかよ。おめでてーな。よーしパパ、パズル解いちゃうぞー、とか言ってよ。もう、見てらんねぇ。パズルってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。向かいで手元を観察してやがるギヴァーと、いつ殺し合いが始まってもおかしくない、解けるか死ぬか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女こどもは、すっこんでろ!」
「おーいカイトくん、発言が過激になっちゃってるよー」
吉野家コピペを地で行くカイトを、ノノハは軽く諌めたが、どうやら、本人には届かなかったらしい。それどころか、隣のルークまでも、その通りだとでも言いたげに、神妙な面持ちで頷いている。
「そう。まさにそうだね。パズルというのは、命懸けの戦場であるべきだよ。プライドとプライド、意地と意地のぶつかりあい。そこにはね、もう、大義名分だとか、政治的駆け引きだとか、そんなものは存在しない。戦いたいという、極めて原始的、本能的な欲求だよ。魂と魂の激突、ある意味で最も純粋にして神聖なる、真剣勝負さ。ギヴァーもソルヴァーも、その覚悟をもってして、パズルに臨まねばならない……ときにビショップ」
「はっ。いかがなさいましたか、ルーク様」
「今からお前は、僕のお父さんだ」
「は……?」
その場の一堂が、少年の何気ない一言によって、完全に凍りついた。
「そ、それは……身に余る光栄です、ルーク様。しかし、いきなりそのような……こちらにも、心の準備というものが、」
何故か頬を染めて、しどろもどろになっている青年に、ルークは輝くばかりの笑顔を向けた。
「これで、僕たち、親子向けのパズルに挑戦出来るね。じゃあ、行こうかパパ」
「パ……、ええ、行きましょう、我が息子よ」
すべてを受け容れる寛大なる慈父の面持ちで、ビショップは鷹揚に頷くと、少年の肩をそっと抱いて歩き出した。
「……いやいやいや。無理があるでしょ、あれは…」
ポリキューブのブースへと去りゆく二人の背中を、ノノハは半ばあきれ気味に見送った。パズルバカというのは、目的のためならば手段を選ばないらしい。
一方で、地団太を踏んだのはカイトである。
「くそっ、ルークの野郎、裏切りやがって! 信じてたのに! 卑怯者! 小悪魔まりも! コアクマリモ!」
「まあまあ」
「ここに鬼の手姫がいれば、俺とノノハの子どもってことにするのに!」
「すんな!」
本日、何度目になるか分からない一撃を、ノノハが放とうとした、そのときだった。間延びしたチャイムが鳴り、場内アナウンスが響く。
「ただいまより、パズルオークションを開催します。ご参加の皆様、第一ホールの特設ステージまでお集まりください」
これを聞いて、弾かれたように顔を上げたのは、誰あろうカイトであった。片手で無造作に目元を拭う──どうやら、本気で泣いていたらしい──と、勢いよく、会場の一角を指し示す。
「よし、行くぜノノハ! 地堂刹先生の書き下ろしパズルが出品されてるんだ! 絶対、落札してみせるぜ!」
「で、でも私たち、そんなお金なんて、」
「金じゃねぇ。パズルのスコアで入札するんだ……負ける気がしねぇぜ!」
泣いたカラスがもう笑っている。仕方ないなあ、と肩を竦めながらも、ノノハは少年の後を追い掛けた。幼い頃、二人、公園で追い掛けっこをしたときの、懐かしい温もりを、少しだけ胸に感じた。
■
後日談。親子だと言い張って、ポリキューブパズルに挑戦したルークたちであるが、根っからのギヴァー二人組である彼らは、出題される問題にことごとくダメ出しをした挙句、正体がばれて、穏便なる退場処分となったそうだ。
やはり、『パズル』で『パパ』をダシに、『ズル』をしてはいけないという話。
[ end. ]
3/30東京パズルランド 無料配布用の小話でした。
2013.04.01