それぞれの投票







アイリは困惑していた。所属するパズル部での活動予定は、今日の放課後には予定されていなかった筈だ。だから、ゲームセンターにでも寄って、少し遊んだ後、いつものアイスクリーム屋で今月限定のフレーバーを買って帰ろうと計画していた。そのささやかな楽しみを無に帰させた張本人は、机を挟んだ向かいで、先ほどから神妙に押し黙っている。他の部員たちも、皆、戸惑いの表情で着席しており、誰もこの状況について、説明を受けてはいないらしい。仕方がなく、アイリは口火を切った。
「どうしたんです、先輩? 急にミーティングなんて……」
「これを見ろ…!」
答えたのは、同じパズル部員にして武田のよき理解者、相沢である。彼はノートパソコンを手繰り寄せ、ディスプレイをアイリの方へ向けてつきつけた。そこには、『ファイ・ブレイン〜神のパズル ベストコンビ投票』の文字が躍っている。どこかのウェブサイトと思しき画面を、アイリは顔を寄せてまじまじと眺めた。
「ベストコンビ……? あ、カイト先輩とノノハ先輩、こっちはアナ先輩と猫友……武田先輩と相沢先輩も……? ははぁ、私たちの中で、二人組の総選挙ってことですね」
うんうんと頷くアイリの前で、武田が勢いよく椅子を蹴って立ち上がる。
「その通りだ! そして今こそ、ルート学園パズル部ここにありと、世に知らしめる好機!」
「総員、第一種戦闘配備!」
ようやく、何故自分たちがここに集められたのか、その理由を察して、アイリは溜息を吐いた。見れば、総選挙の投票はweb上から、誰でも一人一日一票を投じることが出来るシステムらしい。要するに、部員全員で、武田&相沢コンビに投票し、まとまった票数を稼ごうという魂胆なのであろう。そのような工作をしなければ、トップを狙えないということが、既に当人たちを含む全員に分かり切っているというのも、哀しいことであるが──とはいえ、先輩を応援したいという思いは、いちパズル部員として、アイリの内にも少なからず存在する。彼らの株が上がれば、ひいては、パズル部の未来も明るい。いずれは部長の座をと密かに画策しているアイリにとって、実績作りは、悪い話ではない。早速、彼女は作戦を練り始めた。
「学校の端末からじゃ、回線が同じだから、全体で一票しか入れられませんよね。あとは、それぞれの家の端末と、携帯端末で、一人あたり一日2票ってところでしょうか……それ掛ける部員数、掛ける31日で……」
票数の計算を始める彼女の傍らで、分かっていないな、というように武田が首を振る。
「甘いぞアイリ。我々には、ネカフェという心強い味方がいるではないか」
「そこまでしますか!?」
まさか、金に物を言わせて投票権をもぎ取ろうとは──武田の覚悟のほどに、アイリは、あきれれば良いのか、尊敬すれば良いのか分からなかった。あっけにとられる彼女の前で、彼は部員各人にてきぱきと指示を飛ばす。
「各自、近場のネカフェを重複なく担当せよ! 僕は西口のドラッグストア横を狙う! 全財産をつぎ込んででも、我らに勝利を!」
「そこまで…!! 先輩、私、感動しました!」
どうせ、ささやかな小遣いは、ゲームセンターに注ぎ込む予定であった。そのような刹那的な遊びで浪費するよりは、パズル部の未来に投資した方が、価値のある金銭の使い道であるといえよう。誇り高きルート学園パズル部の一員として、この戦いに負けるわけにはいかない。意気込んで、アイリは意志を固めたのだった。



同時刻、POGジャパン総責任者ルーク・盤城・クロスフィールドの忠実なる側近、ビショップは一人、端末に向き合っていた。幹部専用の個室ではなく、共用のPCルームに座しているのには、理由があった。
「ふむ……やはり、同一回線と見做されますか……」
マウスから手を離して、青年は詠嘆した。画面上では、大門カイトをデフォルメしたキャラクターが、「投票は一日一票だぜ!」と警告を発している。
POGジャパン本部には無数の端末が存在するが、それぞれから投票しようとしても、同一回線を使用している以上、同一端末と見做され、問答無用でエラー画面に飛ばされる。すなわち、どれほどの人員を抱えていようとも、共用PCからアクセスする限り、投票権はPOGジャパン全体で一日一票、ということである。
「公の場からしかアクセスできない人々には、投票の権利がないと…容赦がありませんね」
いくら強い思い入れがあろうとも、そこに情状酌量の余地はない。個人の端末から、地道に一人一日一票、投票を続けるしかないということだ。しかし、それでは、毎日欠かさず投票したところで、たかがしれている。最大で、一人31票しか投票出来ないではないか。複数の回線契約を使い分けたところで、せいぜいその数倍といったところ──そんなことで、この過酷なる戦いの勝者となれるものとは思えない。
「中央戦略室権限で所属ギヴァーを総動員し、個人携帯端末からの投票を義務付けることも出来ますが……美しくない。この私は、そんな可愛らしい人海戦術は、使いませんよ」
勿論、これがただの人気投票であれば、数こそが正義であり、どれだけ賛同者を集めることが出来たかどうかが、結果に直結する。そこには、美しいも醜いもあったものではない。しかし、ビショップにとって、これはアンケートでもなければ、統計調査でもなかった。これは、パズルである──一目見た瞬間から、青年はそれを確信していた。
投票画面の上部には、「イキの良いソルヴァーの投票を待ってるぜ!」とある。その言葉が、ビショップの内に小さな違和感を生じせしめた。つまり、これは、ただの投票ではない──という予感だ。
キャラクターを選択し、投票ボタンを押すだけならば、誰にでも出来る。パズルですらない、一動作だ。しかし、ここであえて「ソルヴァー」の語を出したということは──すなわち、ここには何らかの、解くべき問題が隠されていると、そう解釈すべきではなかろうか。
己の知力を結集し、工夫を凝らして、目当てのコンビを一位当選させよと、この出題者は、挑戦状を叩きつけているのである。逆にいえば、そうでもしない限り、戦いに参加することすら出来ずに、ふるい落とされる。
「私はソルヴァーではありませんが……良いでしょう。POGの名にかけて、このパズル、解いてみせます」
これは、子どもの遊びではない──譲れないものを懸けた、戦いなのだ。呟いて、ビショップはネットワーク上を飛んだ。
「要するに……アクセス元が同一と見做されなければ良い、と」
慣れた手つきで、画面を操作する。目的の操作を終えると、ビショップは改めて、投票画面に戻った。「ルーク&ビショップ」の項目を選択、投票ボタンを押す。次の瞬間、現れた画面を見て、青年はふっと翠瞳を細めた。
「先ほどまで拒んでいたというのに、こんなに喜んで…容易いものですね、大門カイト」
画面の中では、少年のミニキャラクターが、「投票ありがとな!」と満面の笑みを見せていた。

ビショップの取った手法は、さして高度なものではない。ネットワーク接続経路に、あるステップを加えたのだ。俗に、『Stick』と呼ばれる接続方法である。『Stick』を介することで、アクセス元を偽装し、身元を隠蔽してネットワークに接続することが出来る。ビショップはその中から、南米のとある国の回線を選択した。これで、アクセス解析されようとも、身元が割れることはない。今、ビショップはPOGジャパンからではなく、どこぞの小国からアクセスしているものと見做されている筈だ。勿論、新たな『Stick』に乗り換えれば、また新しい人間としてカウントされる。それが、何を意味するかは、明らかであった。
「穴のあるシステムが悪いのですよ……私は、合法的に、己の出来る限りの努力を尽くしたまでです」
隙があれば、付け入られる。それが、この世の理だ。一度、勝負が始まった以上、いかなる攻略方法も、咎め立てされるいわれはない。パズルがそうであるのと同じく、頭脳と頭脳の戦いなのだ。
「あるいは……企画者側も、あえてこの抜け道を用意していたのかも知れませんね。すなわち、気付けた者にのみ、複数投票という財が用意されていた……と」
いずれにしても、構いませんが、とビショップは首を振った。これで、次々に『Stick』を乗り換えて、いくらでも投票が可能となったのである。早速、青年はせっせと画面をクリックする作業に入るかと思われた。しかし、ビショップはそうはしなかった。一旦、投票画面を仕舞う。そして、白紙のエディタを開くと、流れるような指遣いで、そこに数式を書き込んでいった。その表情には、隠しきれぬ高揚の色が見て取れる。少年のように瞳を輝かせて、ビショップは『制作』に取り組んだ。
「おそらく……ここまでは、他のソルヴァーでも辿りつくことが出来る『解答』でしょう。あとは、どれだけ、この手順に時間を割けるか、という物量戦になりますが……」
パズルを、ただ解くだけで満足しているようでは、まだ素人の段階である。そうした人々は、パズルを暇つぶしの娯楽と捕えているから、一度解いたパズルには関心を失う。
よりパズルに入れ込んでいる人間は、ただ解くのみには終わらない。もっとスマートに解く方法があるのではないか。最小手は何手であるのか。解答パターンは何種類あるのか。更に要素を加えることは出来ないか。要素を取り除いても成立させられるのか。
それらを、自らの手で検証する──あるいは、プログラムを組んで解析する。それが、パズルに魂を売り渡した者の行動だ。
そのプログラムを組む段階で、既に彼は、パズルの真髄を理解している。既に理解しているのに、プログラムを組む。最早、第一の目的は、「パズルを解くこと」ではない。自動的にパズルを解いてしまう、そのプログラムの完成こそが、唯一にして最大の目標であるといってよい。これが完成してはじめて、彼は、パズルを完全に分析しきったと、胸を張って言えるのである。それは、この世には無数の生命が日々、自然の法則の下に誕生しているというのに、あえて手数を踏んででも、自らの手でゼロから生命を生み出そうという試みに、人間が心惹かれずにはいられないのと、根幹を同じくしているのかも知れない。
ゆえに、これもまた、パズルである──人気投票のシステムを解析しつつ、ビショップは確信した。より美しく、より簡潔に、手順を構築していく。ギヴァーとして、同時にソルヴァーとして、このパズルに挑むのだ。
青年が書き綴っていたのは、自動投票プログラムである。いちいち『Stick』を乗り換え、項目選択、投票、というステップを、手作業で数千回繰り返すつもりは、ビショップにはなかった。これも、「努力」の一環である。
「私は──とても、負けず嫌いなのです」
美しく唇を歪めて、ビショップは宣言した。

ここまでしておいて、矛盾するようであるが、ビショップとしては、自分と主人のコンビが一位になることについては、さして興味は無かった。こんな手段まで使って、人々に自分たち二人の取り合わせを広く認知させる必要があるとは思わない。周囲からどう思われようと、どれだけの人々に支持されようと、ビショップとルークの関係性に、何ら影響をもたらすものではないからだ。あのコンビには負けたくない、などと意気込むような、器の小さい男ではない。ルークの在るところには、必ず、ビショップが控えている。この世界中のどこにあろうと、それは絶対の真理である。
ただの人気投票であれば、ビショップは、静観するに留めたであろう。実際、前回のキャラクター別人気投票では、主人にも自分にも一票も入れておらず、大門カイトが一位を取得するに任せた。
ただ、今回ばかりは、ビショップとしても、静観を決め込むわけにはいかない事情があった。
「一位に選ばれたコンビは、書き下ろし壁紙をプレゼント」──この一文が、青年に、過剰な「努力」を強いたのだ。
この特典がついたことによって、人気投票は、ただの人気投票の域を脱した。ビショップにとって、これは、自分と敬愛する主人の書き下ろしイラストを獲得するための手段となったのである。
また、いつぞやのように、チェスボードを模したセットの中で、チェスピース型の椅子に腰掛け、妙に服をはだけた状態でポーズを取るようなことになるかも知れない。そのときの書き下ろしイラストの出来栄えを、ビショップはなかなかに気に入っていた。プロの描き出す、高潔にして可憐なルークと、僭越ながら、凛々しく優雅な己の姿──そんな画像は、何枚あろうと、困るものではない。また、「人とパズルと明るい未来」をモットーとし、親しみやすい組織を目指す新生POGの象徴として、イメージ戦略的にも有効であろうと思われる。
チャンスが得られるのならば──何としても、一位を掴み取らねばならぬ。
「……頼みましたよ」
小さく呟いて、ビショップの指はキーを弾き、プログラムを走らせ始めた。



「……おや、私もエントリーされているのですね。光栄なことです」
長い付き合いの親友とのツーショットを、学園長は目を細めて見つめた。自然と手が動き、投票ボタンを押しかけるが、ふと、彼はそれを留めた。
「学園長の身分としては……事を見守る側に終始すべきなのでしょうね。私が投票しては、公平性を欠くというもの。若者たちの自主性に、任せるとしましょう」
結論づけて、バロンは画面を閉じようとした。しかし、その直前、あるツーショットに目が留まる。一方は、先日、正式にルート学園に転校してきた、現役パズルアイドル姫川エレナ。もう一方は、他校の生徒ではあるが、ルート学園高等部2年生に、ガリレオの称号の兄を持つ少女。二人の女子中学生の、水着姿の写真であった。南の島で撮影されたものだろうか。気持ち良く晴れ渡った青空と太陽を背景に、溢れるばかりの若さの輝きが、画面越しにも伝わってくる。
バロンは暫し、無言でその写真を見つめた。丸眼鏡の奥の瞳は、穏やかな慈父の光を宿している。
そして、彼は自然な所作でもって、「エレナ&ミハル」の項に一票を投じた。



「カイト……」
画面を眺めて、POG管理官ルーク・盤城・クロスフィールドは、大切な親友の名を囁いた。視線の先には、共に協力してパズルに挑むカイトとルークのツーショット写真が表示されている。ルークは柔らかな表情でもって、それを見つめた。
「僕たちは、パズルで繋がっている」
呟いて、ルークは画面を操作した。投票ボタンに触れかけるが、しかし、その指先は、途中で静止した。ふっとルークは苦笑を浮かべる。
「僕はまだ、投票を許されるまで、つぐないを果たしていないからね」
静かなる意思を宿した瞳で、少年は端末から手を離した。
それでも、もしも、こんな未熟な自分に投票してくれる誰かがいるのだとしたら──これまでの働きにも、意味があったということだ。今後、よりいっそう、職務に励むための、大いなる後押しとなるだろう。
「どんな結果だろうと……僕のすることは、変わらないよ」
窓の外に広がる、POGジャパン研究施設の一群を眺める少年の瞳は、静謐なる水面に似て澄み切っていた。
そこで、画面を閉じるべく、端末に向き直ったルークは、何かに気付いたように目を瞠った。
「ん……? でも、この順番って……」
美しき調和と秩序を愛するルークの脳は、そこに微かな違和感を覚えた。
暫しの思案の後、ルークは問い合わせ用メールフォームを開き、ある文章を打ち込み始めた。



一ヶ月後。ついに、投票結果公開の日を迎えた。三幹部とのミーティングを終えたところで、ビショップは自室に戻る暇も惜しんで、端末を開いた。そろそろ、投票結果ページが更新されている時間帯である。
「いよいよ、ですね……」
今夜の飲み会の相談をしている部下たちには聞こえないよう、密かに呟く声には、微かな緊張の色が伺える。あれから一ヶ月間、ビショップは自作の自動投票プログラムを走らせ続けておいた。国内外の『愚者のパズル』管理業務が多忙を極め、途中経過は確認出来なかったが、不測の事態が発生していなければ、おそらくは、1万票近くを獲得し、「ルーク&ビショップ」が一位の座に輝いている筈である。あまり二位以下と大差をつけてはまずいだろうという配慮から、前回・前々回の人気投票結果を参考に、投票数の調整は済ませてある。何も問題はない筈であった。
ついに──ルークとの、描き下ろしイラストが──その光景を、目の前に夢想して、ビショップは頬笑みを浮かべた。既に、ロケハン用のスケジュールは、主人の分ともども、調整済みである。いつオファーが来ても構わない。分かり切っている結果とはいえ、いよいよ心を決めて、結果ページを開く。
そして、目の前に、堂々たる大文字が表れた。

「★★★第一位 ヨシオくん&オカベくん 得票数10,098票★★★」

ビショップの指が止まる。表情が固まる。瞬きも忘れて、青年は、画面を凝視した。
「……これは……いったい、」
呟く声は、頼りなく掠れた。気付いたフンガが、訝しげに問う。
「ビショップ様、何か問題が?」
「いえ、何でもありません」
慌てて、画面をスクロールする。第二位カイト&ノノハ、第三位カイト&ルーク、第四位ルーク&ビショップ──以下、順位が続いている。順当な結果であり、特に疑問を差し挟む余地はない。
順位を眺めているうちに、多少の平常心を取り戻して、ビショップは深呼吸をした。額に片手を当て、気だるく首を振る。
「オカベさん……なるほど、故人には勝てない、と……そういうことでしょうか」
あのロボットは確か、彼らが英国を訪れた際、グレートヘンジパズルの犠牲となって散った筈である。おそらくは、その見事な散り際が、多くの人々の心を捉え、今回、その意志を継ぐヨシオとのコンビに、票が集中したのであろう。そう考えれば、この結果にも、納得がいくというものだ。
「……否……いやいやいや……それはないでしょう、それは……」
一瞬、納得しかけたところで、ビショップは頭を振った。納得がいかない──とても、納得出来る、わけがない。
公正なる投票結果に不平を述べるなど、マナー違反もいいところだが、しかし、これには何者かの意図を感じざるを得ない。
すなわち、ビショップと同様の手法でもって、得票数を稼いだ者がいるのではないか。そして、その者は、ビショップのように、不自然でない範囲での投票数の調整を行なうのではなく、はじめから全力で事にあたったのではないか。妙な遠慮をしてしまった己の甘さに、ビショップは歯噛みした。しかし、ふと考え直す。
「いや……それならば、我々が二位でなければおかしい……」
見れば、1万票近く獲得している筈の「ルーク&ビショップ」の得票数が、想定していたよりも妙に少ない。勿論、世間一般の投票者の動向も絡んでくる以上、何事も予想通りというわけにはいくまいが、『Stick』の接続不良があったにしても、これは少なすぎる。そして、その減少分は、おおよそ、ヨシオ&オカベの増加分に一致する。状況を鑑みて、ビショップの頭に、ある推論が浮かぶ。
「プログラムを……乗っ取られた……否、まさか……」
何者かがセキュリティを突破し、プログラムを改竄したとでもいうのだろうか。ビショップが知力の限りを尽くして組み上げたプログラムを超越するとは、いったい──今一度、青年は己の作品を検分した。まだ、自分のプログラムミスという可能性も残っている。何者かにねじ曲げられたと考えるよりは、己の責任とした方が、まだ心情としては幾分かましである。パズルにしても何にしても、己の分身ともいえる作品が蹂躙され、汚されることは耐え難い。
パズル制作時と何ら変わらぬ、真剣な眼差しで、精緻に検証していく。プログラムにこれといった問題はない──続いて、投票ページの構造を、今一度確認する。
「……おや?」
英数字の羅列の中で、ふと、ビショップはある一点に目を留めた。
最後に確認したときと、投票番号の並びが変わっているのではないだろうか。投票初日に保存しておいた画面キャプチャを、ビショップは手早く呼び出し、両者を比較した。間違いない──一つずつ、ずれている。並べ替えた後の方が、より自然なグルーピングがなされていることが分かる。
どうやら、投票初日、コンビの並ぶ順番が不適当であると、どこからか指摘があったらしく、密かに修正されていたものとみえる。それによって、一つ、番号がずれた。普通、投票の際には、毎回コンビの画像を選択し、投票ボタンを押すという流れであるから、大抵の投票者にとっては、それでも問題にはならなかっただろう。
しかし、ビショップの自動プログラムは違う。投票先を番号で指定していた。たとえ、それに該当するコンビが変更になろうとも、プログラムは愚直にも、それに投票し続けたのだ。
元々、「ルーク&ビショップ」であった筈の投票番号が、現在該当するのは──画面を追って、ビショップは、ああ、と呻きをもらした。それは、「ヨシオくん&オカベくん」であった。
思えば、この人気投票の企画者は、かつても、カルトクイズキャンペーンの際、よりによって「正解のない問題」を出題してしまった前科がある。その日のうちに、気付いた者が一報を入れ、問題は修正されたが──つまり、こうした事態は、想定すべきであった。せめて、途中で一度、様子を見に訪れるべきであった。プログラムを完成させたことに慢心して、その警戒を怠り、足元をすくわれた格好だ。
たった一箇所のミス──それによって、投票先が、一つずれてしまったのだ。僅かなミスによって、それまで積み上げてきた全てが失われ、勝算は瓦解し、無惨に敗北する──それは、これまで幾度となく、パズルの上で、あるいはチェスボードの上で、目にしてきた光景だ。
「……」
「おや、ビショップ様。どうしたんすか、こんなところでお昼寝?」
がっくりとうなだれて肩を震わせる黒衣の青年に、不思議そうに問うたのはダイスマンである。その問いには答えずに、ビショップは力なく一人ごちる。
「ふふ……パズルに勝って、ゲームに負ける……運命の皮肉、ということでしょうか……」
「……放っておきましょう。お疲れなのよ」
メイズの耳打ちに、ダイスマンも同意し、二人は上司を残して、そっとその場を後にした。



「もう、助手のくせに、僕を差し置いて……」
投票結果を開いて、不満げにコメントしたのは、キュービックである。とはいえ、言葉とは裏腹に、表情には少なからぬ喜びの色が見て取れる。自ら精魂込めて製作したロボットが揃って一位を獲得したことは、技術者として、喜び以外の何物でもないだろう。ただ、素直に喜ぶのが恥ずかしいだけの、照れ隠しであると、誰の目にも明らかであった。
「良かったじゃねぇか。お前の研究成果が、皆に認められたってことだ」
これからも、頼りにしてるぜ、とカイトは少年の肩を力強く叩いた。
「カイト……」
素直な励ましを得て、少年は、うん、と小さく頷く。
「そうだね。これで、ますます研究費を確保しやすくなるよ! 今度のロボットはね、新たに音声会話と自律学習機能を搭載する予定なんだ。お楽しみにね!」
どこへともなく、無邪気な笑顔を見せて、少年は意気込んだ。



「……なにこれ……」
英国の誇る名門クロスフィールド学院、その学生食堂の一角にて、携帯端末の画面を食い入るように見つめて呟いたのは、眼鏡を掛けた長身痩躯の少年であった。元々、あまり姿勢のよろしくない猫背を、更に前傾して、画面を凝視している。
「どうしたの、ピノクル」
その肩越しに、光に透ける金髪をふわりと巻いた少年が、画面を覗き込む。手を伸ばすと、勝手に画面をスクロールして、へぇ、と声をもらす。
「ベストコンビ投票……こんなの、やってたんだ。おや、僕とカイト、結構上位じゃないか。ノノハさんも? 嬉しいなあ。……あ、ピノクルもいた」
ふむふむと頷きながら順位を確認するフリーセルの隣で、ピノクルは相変わらず、青い顔をしている。ふるふると肩を震わせながら、彼は掠れた声を紡いだ。
「知らなかった……そうだよ、知らなかったんだ……あのPOGの人に勧められるままに、僕たちも広い世界を知るべく、過酷な旅を続けて一カ月……当然ネット環境は封印し……まさか、その間に、こんなことが……っ」
頭を抱えて嘆くピノクルを、フリーセルは動物園で奇異な生き物に出くわしたような目で見つめた。横合いからの視線に気付くこともなく、ピノクルはうわ言のように、ぶつぶつと呟きを続ける。
「もし知ってたら……自動プログラムでピノクル&フリーセルに大量投票したのに……否、それとも……フリーセルは、カイト&フリーセルが一位になった方が喜ぶのかな……? ああ、僕はどうしたら……!」
とうとう、少年は身を捩ってその場に倒れ伏した。フリーセルは暫し、それを観察していたが、起き上がる気配がないので、飽きて席を立った。
二人の遣り取りを遠巻きに眺めていた少女は、戻ってきたフリーセルに問う。
「どうしたの、彼……」
気味悪そうに声を潜めて、突っ伏したピノクルを指すミゼルカの問いに、フリーセルは軽く首を傾げてみせた。
「さあ? 何か、人知れぬ悩みがあるみたいだよ」
「……変わらんな」
旅を経て、少しは成長したかと思ったが、とダウトは深く溜息を吐いた。
「それより、聞いたか? 我々の旅の間に、ベストカップル投票なるものが開催されていたらしい。そろそろ結果発表の筈だが……確認するまでもないだろうな」
「もう、ダウトったら……」
気恥ずかしげに頬を染めて、ミゼルカはうっとりとダウトと見つめ合う。この二人も変わらないな、とフリーセルは微笑ましく思った。すっかり自分たちの世界に入り込んでいる彼らの邪魔をするのも悪いだろうと、少年は、そっとその場を離れた。
学生寮を出ると、外には気持ちの良い青空が広がっていた。清涼な微風が、軽く髪を揺らす。芝生を散策しつつ、ふと口元に指を遣って、フリーセルは独りごちた。
「僕としては……案外、ルーク管理官あたりとの絡みが、今後は注目されていくんじゃないかという気もするけれど……まあいいや。未来のことなんて、分からないよね」
高く澄んだ空を見上げて、少年は眩しく目を眇めた。
ルークにしろ、カイトにしろ、ノノハにしろ、自分が誰かとコンビとして扱って貰えるというのは、フリーセルにとっては、新鮮な心地だった。少年には、幼い頃から、親しい友人と呼べる存在がいなかった。級友と遊ぶ代わりに、長い時間を母親と二人きりで過ごしたが、幼い少年には最後まで、彼女を理解することは出来なかった。誰かに近づこうとする度に、世界は、少年を独りにさせた。そのうち、手を伸ばすことも、諦めてしまった。冷たい雨の降りしきる中、いつまでも、膝を抱えていた。
それが、今はどうだろうか。今は──彼らがいる。いくつもの顔を、親しみと共に、思い浮かべることが出来る。傷つけたこともあり、傷つけられたこともあった。そうして今、屈託なく、しっかりと、手を握りあえる。仲間であり──友人だ。
この僅か数ヶ月の間には、それだけの新たな出逢いがあった。きっと、これからも、そうであるように。
胸元のペンダントを、フリーセルはそっと摘んで、陽光にかざした。黄金の小さなパズルの中には、彼のかけがえのない希望が収められている。青空を映し込んだ瞳を、フリーセルは愛おしげに細めた。
「僕の、友達。今度こそ、紹介してあげるね。待ってて──ママ」
楽しみだな、と笑って、少年はどこまでも続く草原を歩んだ。




[ end & start. ]
















第三シリーズ開始おめでとうございます!

2013.10.06

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