白のルーク、黒のビショップ




内緒だよ。
誰にも、秘密。
気付かれては、いけない。



□ Rook



『彼らはカイトにまとわりついたカビだ。こそげ落とせば、きっとカイトも本気を──』
だよね?
そう言えば、納得するんだよね?
すべて上手くいっていると、ご主人様に報告するんだよね?
お前たちは、僕がそう言って振舞うことを期待しているんだろう?
カイトをファイ・ブレインに、あんなものにさせるために、丁度良い駒である僕を使って。
最後には、僕も使い捨てるんだろう?

あんなものに、カイトはさせない。
お前たちに、カイトは、渡さない。
カイトは、幸せにならないといけないんだ。
それが、9年前からの、僕の願いなんだから。

ああ、カイト。
分かって貰えなくても良い。
好きになってくれなくても良い。
憎んで、大嫌いなままで、いてくれて良い。
カイトのために、この身を捧げることが出来れば、僕はそれでいいんだよ。

僕がここにいるのは、カイトのためなんだから。
あのとき、カイトが、僕を生かしてくれたんだから。
初めて逢ったときから、僕は、カイトのものなんだ。
それだけが、僕の存在する意義。
カイトだけが、僕の生きる理由。

カイトは、良い友達に囲まれて、幸せでいるべきなんだ。
僕が、護ってあげる。
誰一人、失わせない。
皆が一緒にいられるように。
いつまでも、笑い合えるように。
護るよ。

僕の動向は見張られているから、迂闊なことは出来ない。
表向きは、伯爵の意思に忠実に従う振りを装いながら。
せめて、誰にも気付かれないように、そっと小さな意図を忍ばせるだけが、精一杯だ。
いつか、張り巡らせたその糸が、役目を果たすように。
迷宮を抜け出す、答えの道筋を、示してあげられるように。
カイトを助けることが、出来るように。

伯爵は、僕のことなど信用していない。
もしかしたら、既に僕の企みも見通して、けれど今は利害が一致しているから、泳がせているのだろうか。
すぐ傍に、本当の腹心を置いて、僕の動向を逐一、報告させている。
片時も目を離さず、僕が事を起こす兆候を、読み取ろうとする。
『しかし、何故?』
分かっているくせに。なんて、しらじらしい。
彼は、何も知らない振りをして、いちいち僕の意図を問うて確かめるんだ。
本当に、僕が伯爵の目的に忠実に動いているのかどうか、確かめている。

その度に、望む答えを返してやるけれど。
ばれるのは、時間の問題だろう。
試してみようか。
水音。
濡れた髪。
あっけにとられたような顔。
(よく堪えたな)
(本性を表すかと思ったが)
(まだ気付かれてはいけないのは、向こうにしても、同じことか)

少しずつ、狂っていく計画に、業を煮やして、僕を問いただすだろうか。
それとも、有無を言わさず、裏切り者として捕えるのだろうか。
いずれにしても、残された時間は、あまりない。
今のうちに、僕は出来るだけのことを仕掛けておかなくてはいけない。
カイトと、その仲間たち、皆を強くしてあげなくてはいけない。
負けないように。
潰されないように。
これから、彼らに課せられる、非情なパズルに。

お願いだよ。
カイトの力になって。
カイトを助けて。
カイトの友達になって。
カイトを幸せにして。
僕の代わりに。
もう、そちら側へ行くことの出来ない、僕の代わりに。
僕がいなくなっても、カイトが大丈夫なように。
いつも楽しく、笑っていられるように。
どうか。

願いを込めて、僕はパズルを作るよ。
完成したら、カイトに、あげる。
決して解けない、きれいな温かい世界を、あげる。
カイトが、もう傷つかなくて済む、優しい世界を。
かわいそうなパズルが、もう作りだされることのない、幸せな世界を。

人を傷つけるパズルなんて、作りたくなかった。
もう誰も、傷ついて欲しくなかった。
だから、これが、最後。
作っていて楽しいと、初めて思えた、このパズルで。
僕が、終わらせる。

僕が最後に、どういう役回りをあてがわれているか、だいたい想像がつく。
僕の側近として振舞っている、彼。
僕の裏切りを知った彼は、真の主人である伯爵の命に従って、僕を捕える。
『ギヴァーの資格は剥奪します』『あなたは我らPOGに相応しくない』『粛清の対象となりますので──』
今まで、他のギヴァー相手に、そうしてきたのと同じように、僕を裁く。

彼は、賢者のパズルを作るだろう。
カイトの前に立ちはだかる、最後の試練。
そこに封じられる財は、たぶん、僕だ。

カイトは、どうするだろう。
ちゃんと、僕を見捨ててくれるだろうか。
『君は僕を見捨てるべきだったんだよ』『全てを捨てる覚悟さ』
そのために、あれだけ、ひどいことを言って、傷つけてあげたんだ。
僕のことを、憎んでくれるように。
嫌いになってくれるように。
友達だなんて、思わなくなるように。
僕の命程度のものが、カイトの足手まといになっては、いけないんだ。
そんな風にして、カイトを縛りつけたくはない。

好きだから。
大好きだから。
カイトは、僕なんかに、囚われてしまってはいけない。
どうか、きれいに、忘れて。
一緒に過ごした、9年前のあの夏、何もかもが優しく輝いていた、あのときの、白く幼い僕だけ、好きでいて。
友達の「ルーク」は、そこでもう、いなくなってしまったのだと。
二度と、逢うことはなかったのだと。
そんな、きれいな思い出の中で、僕は生きていたい。

カイトは、何も知らないままで、きれいなままでいて欲しい。
こんな僕の思いは、誰にも知られないまま、独りで抱き締めて逝きたいんだ。
それは、カイトにだって解けない、僕の最後の秘密だ。

大好きなカイト。
素敵なカイト。
僕のカイト。
大切な、大切な、たったひとりの、友達。
だから、どうか。

君は、幸せでいてね。



■ Bishop



「──ああ、こちらにいらしてたんスね。例の愚者のパズルの件なんスが、……どうしたんスか、それ」
黒髪を濡れ光らせ、端正な面から水滴を伝わせる黒衣の青年の常ならぬ姿に、ダイスマンは切り出しかけた用件を打ち切って問うた。浴室へと通じる扉に背を預けたビショップは、頬に張りつく髪を軽くかき上げると、物憂げに水滴を拭って応える。
「……洗礼、でしょうか」
謎めいた返答に、ダイスマンは訝しげに眉をひそめたが、すぐにその意味するところに思い至ったらしい。困惑の表情でもって、同情するように溜息を吐く。
「ははぁ。なんというか、また、大変っスね……心中、お察しいたします。……虫の居所でも悪くいらっしゃったんスか?」
ルーク・盤城・クロスフィールド管理官の側近を務める黒衣の青年が、その情緒不安定な節のある年若い少年に、いかに公私を捧げて涙ぐましい忠誠を尽くしていることか、ダイスマンはよく承知していたので、ビショップが何らかの不始末をやらかしたという可能性は、最初から考えの内より除外していた。それよりは、気難しい少年の癇癪といった方が、まだ納得が出来るというものである。
普段、会合で同席する際には、殆ど側近に代弁させて、自らは発言どころか身じろぎすらしない、冷たい人形めいた在りようの少年であるが、ああいうタイプに限って、身近な者には手加減なく、鬱屈した感情をぶつけてしまうものなのかも知れない。
事の背景に思いを馳せ、心からこちらを気の毒がっているらしい青年に、ビショップは緩く首を振って応えてみせた。
「上機嫌でしたよ。このうえなく」
「……ますます大変じゃないスか」
「そうでもありません。これくらい、かわいいものですよ」
滴を伝わせつつも、穏やかな態度を崩さず、聖職者めいた慈愛の眼差しで語る青年に、ダイスマンは畏敬とあきれの入り混じった表情で肩をすくめた。
「そんなもんっスかね。自分なら、とても堪えられそうにないっスけど……まあ、手のかかる子ほどかわいいって、言いますもんね」
「いえいえ──そうではなく」
折角、納得しかけて頷いている青年の言葉を、ビショップは穏やかに否定して、可笑しそうに口元に指を遣った。
「楽しいとは思いませんか。抜け出せるわけもないのに、壁に爪を立てて引っ掻く。よじ登っては、あえなく滑り落ちる。愚かにも、無力にも、繰り返し。上から観察されていることにも気付かない。まるで、そう、実験箱の中のシロネズミのようで」
言って、ふっと微笑を浮かべる。愛し慈しむというよりは、それは、上段から憐れみを施してやる態度といった方が正しく、冷めきった眼差しはともすれば、哂い蔑むのと紙一重にさえ見える表情だった。
仮にも己の上司、POG総帥の腹心たる相手を語るには、あまりに非礼に過ぎる表現でもって優雅に紡いでおきながら、いたって平然とした面持ちの青年に、ダイスマンは信じられないものを見るように目を瞠った。
「そ──それは、どういう──」
「ああ、何でもありません。つまらない世迷言です。どうぞ、忘れてください」
小さく苦笑してみせると、それでは、と会釈して、ビショップは茫然と立ち尽くす青年を残し、その場を後にした。

静まり返った通路に、非の打ちどころのない優雅な足取りで靴音を響かせながら、ビショップは、胸の内から抑えきれない愉悦がこぼれ出るのを感じた。
『──だよね?』
そう言って、こちらを射抜いた淡青色の瞳を思い起こす。なるほど、彼らしいやり方だ。実に洗練されていて、無駄がない。咄嗟のこととはいえ、ぼろは出さなかった筈であるが、そうして取り繕ったところで、今となっては、しらじらしいばかりだろう。
こちらが「知って」いるということを、彼もまた、「知って」いるということが、これではっきりとした。
ますます面白い、とビショップは思う。
気付かれているということは、遠慮は要らないということだ。
あの白い少年は、いったい、いかなる戦略でもって、こちらの崇高なる計画を切り崩しにかかるだろうか。互いに、どこまで深く「読み」を働かせられるかどうか、勝利の鍵はそこにある。白と黒の意思が交錯して絡み合う、これは、刺激に満ちた、盤上の攻防戦に他ならない。
懐から取り出したチェスピースを、ビショップは片手で弄んだ。
薄闇に沈み込むかのような、漆黒の衣装を翻し、唇の端を美しく歪める。

「──さあ。お手並み拝見といきましょうか──白の<塔>」




[ end. ]
















#14の主従がなんだか化かし合いしてるっぽかったので。本当にこんなんなったらこれまでのビショルク像があえなく崩壊なんですがっ

2012.01.12

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