saihate no henkyo >> 地球へ…小説



沈黙の螺旋 / Sugito Tatsuki







ジョミーはいつもそうするように、ソルジャー・ブルーの寝室を訪れる。その場の主は今日も、昨日と同じくそこにいる。昨日と、その前の日と、もう10年以上も昔のあの日と、変わらぬ様子で、静寂を保ち眠り続けている。
ジョミーは寝台の傍らに立ち、時を止めた横顔を見つめた。彼の状態は人々の口に上る際、一般に「眠っている」と表現されるが、事象に即して表現するのならば、感傷的なそれより、「止まっている」と言ってしまった方が相応しい。思念波のやりとりすら叶わぬ状態で、一体何が彼の存在証明となろう。今の彼は、生きていない(......)。人々の細やかな心は、その事実を受け入れ難く、「眠り」などという詩的な表現を借りて目を背けているのだ。
彼の時を再び動き始めさせることが出来るのはジョミーだけだ。すなわち、それこそ彼がジョミーの夢で何度も訴えていたように――有する意味は違えども――、その命は今、ジョミーに委ねられている。
ジョミーは今日も、ブルーを見つめながら、起きて欲しいという思いを抑えなくてはいけない。約束したのだから。互いを信じているのだから。けれど、何て苦しいのだろう。ジョミーは過ぎた年月のうちにすっかり上達してしまった、己の情動の制御に気を払いつつ、彼と交わした最後のやり取りに思いを遣った。


これが、正しかったのだろうか。
こんなやり方しか、なかったのだろうか。
二人は、話し合って、長い時間を使って、そして合意した。
けれど、ジョミーは未だに確信出来ないでいる。

生きているのと、そこにある(.....)のとでは、同じことなのだろうか。

彼の命を握る――恐ろしいまでの重圧。
彼はもう語らない。
彼はもう瞼を上げない。
それでも、ジョミーは今日も、彼をこのままに、ひきとめて、繋ぎとめることを止めない。
あの日から、今までずっと、そうしてきたのだ。





その日、告げられたブルーの提案について、ジョミーは考える時間をくれ、と言った。それ以外の言葉を持たなかった。――心は決まっていたのに。先延ばしにしたかっただけだ。
彼の提案は、すなわち、有事(..)に備えて自らの生命活動を凍結させるということだった。ジョミーはそれを受け容れ難く思った。勿論、このまま次第に力を失っていって、そう遠くない日にとうとう生を手放してしまうよりも、この先彼が、どんな形であれ、共に存在してくれることの方が望ましいに決まっている。ともすれば、いつか、ついえかけたその生命力を持ち直させる術の見つかる日が来るかも知れない。ゲーム理論ならば間違えようがなく、誰にとっても最善の手であることは明らかである。
しかし、どれだけの間だろう。どれだけ、時を止めた彼を見続けなくてはいけない。呼びかけに応じても貰えず、目を見つめることも出来ず、温もりすらない。生きていない(......)彼を見るごとに、耐えられなくなってしまうかも知れない。そう、単なる我儘だ。ジョミーは自覚していた。彼と話したいし、目を見たいし、触れ合いたい。――けれど、彼を継いで役割を負った今となっては、そんなもの、表出してはいけないのだ。耐えることを覚えなくてはいけない。成長しなくてはいけない。それが、彼のジョミーに対する望みだからだ。

ジョミーが抵抗を覚えたのは、彼が自らを有事に備えて延命させる(...........)と表現したことだった。その言葉は全く的確であり、恐らくそうせざるを得ないであろう現実に残酷なまでに即していた。
ジョミーは己の非力を悔いた。もっと強ければ、彼を保険(..)として、最後の手段として、まさにその命に戦いの道具としての利用価値を見出して、そうして彼を生かしておく理由にするなど、しなくて済んだ。彼の生を冒涜せずに済んだ。自らの手で、彼を汚さずに済んだ。地球まで共にたどり着き、望み続けたその姿を見せ、地を踏ませてやることだって出来たし、その命をつなぐことさえ出来たかも知れない。もっと力があったならば。
これでは同じだ。
過去に彼に非道な行いを為すためだけに彼を生かした、ラボラトリの連中と何も変わりがない。けれど、自分たちは弱いから、最後まで彼に頼る他ないのだ――どうあっても。


ジョミーはブルーの元を訪れた。回答をするため――いや、承認を、というべきか――いずれにせよ、表面上だけでも合意の形を見せて、せめて彼が気を病まずに眠り(..)につけるようにするのが己の義務であると分かっていた。
彼のために、また、自分のために、明確に区切りをつける必要があった。

「あなたは以前に言った、僕が、あなたを好きにして良いと」

今そんな言葉を持ち出したジョミーの意図を得て、ブルーは静かに頷く。ジョミーは知っていた。自分に出来ることは、本当はごく僅かしかなくて、実際には提示されたいくつかの選択肢の中から選び取っているにすぎず、自発行動すら、設定された状況から既に予測され決定されたことでしかないのだ。好きにして良いと許可を得たところで、彼を本当に望むようにどうにかするなんて、出来る筈もない。はじめから、制限つきの自由だった。だからこそ、ブルーは敢えて、それを言ったのだ。

無力さが悔しかった。どうしようもなく苦しかった。
ジョミーはブルーと前髪が混じり合うほどに顔をよせる。

「まだだ、ブルー、まだ閉じないで」

――泣いてはだめだ。彼をよく見えなくなってしまう。
ジョミーは己にこみ上げる情動を堪えた。彼の瞳を、その生の証を、刻まなくてはいけないのだ。これから瞼が下り、その鮮やかな色が隠されてしまって、どれだけの時間が経っても、忘れてしまわぬように――彼の、命を。

いかなる色も持たず、いかなる色にも染まらず、 ゆえにいかなる色も歪むことなく映す、透明な瞳をのぞきこめば、 鮮烈な炎の揺らめきが見える。
燃え尽きるまで輝かんとする、その意志が、命を物語る。
確かに今、生きているのだと。
その赤が、──生命の証だ。

もう、耐えられそうになくて、ジョミーは目を閉じた。唇を重ねる瞬間、僅かに震えてしまったけれど、伝われば良いと思った。今だけ、己の感情をそのままに表出したかった。彼に受け容れて貰いたかった。


「――あとはどうしたい」

思い残すことはないかと問うような声だった。そんなもの、数えきれないほどにあるに決まっている、とジョミーは思った。そして、一番の切実な望みは、決して叶わない。望むだけ無意味で、口にしてしまえば互いを傷つけることにしかならない。

「約束を」

ジョミーは意志をもって告げた。せめて、証が欲しかった。そうしたら、信じてやっていける。揺らぐ心の支えにして、崩れ落ちそうな時にも縋って、無理矢理にでも立ち続けられる。

「あなたが次に目覚めるのは、生きるためだ。生きて、共に地球へ行くためだ。――約束して」

彼は暫し間を置いてから、ゆっくりと首肯した。――偽りの肯定を彼に促してしまったことへの自己嫌悪と、何も言わず望みに応えてくれたその優しさに、ジョミーはどうしようもなく胸が痛んだ。ブルーも分かった筈だ。この約束がどれほど、不確かなものであるか。そして、その脆さを知りながら、どうしても約束を交わして貰わなくてはいけない、ジョミーの切なる思いが、分かっただろう。

「約束だ」

口にしながら、二人とも、同じ結末を見ていた。この約束は、破棄される。
それを交わしたそばから、ジョミーは圧倒的な喪失感に囚われた。

約束なんかじゃなかった。
形が必要だっただけだ。自分勝手な思いを抑制するための、通過儀礼を求めた。
彼の声を、もう聞けない。
彼の目を、もう見られない。
彼の思念を、もう捉えられない。
彼の熱を、もう感じ取れない。
彼に、もう、触れられない。


ブルーが、その限られた世界に別れを惜しむように、ゆっくりと瞼を下ろす。鮮明な色を映す瞳が翳り、隠されていく。その過程の一瞬ずつを、ジョミーは、記憶に、自らの深くに、焼きつけた。

あなたを、覚えている。
あなたを、この身に生かす。
約束のある限り、あなたを捉えていられる。
あなたに触れる感覚を、忘れない。

あなたを愛している。

再び、今度は静けさに満ちた心持ちで、身を寄せる。もう動きを止めた身体を、強く抱きしめる。
約束したのだから。
きっと、悔やまない。





決意したのだ、確かに、その時。

その決意を保ち続けられたのなら良かった。


想定の範囲になかったのだ。
彼は時を止めたけれど、自分はそうではない。
時間は進んで、否が応でも己は変わっていく、そんな簡単なことを、忘れていたのだ。
決意だなんて、響きばかり悲壮なそれが、いかに移ろいやすく、一時的なものにすぎないのか、ジョミーはやがて思い知らされることになった。


生きていなくたって良い。
そこにあるだけで良い。
それで満足しなくてはいけなかったのだ。
たとえその状況が、新たな苦悩をもたらそうとも、それ以上を望んではいけない。

いないよりは、ある(..)方が良いに決まっている。

もう何年も、その姿を見つめるたびにジョミーはいつも、ブルーの目を覚まさせたい衝動を堪えている。
彼に会いたい。
もう一度、触れたい。
声を聞きたい、輝く瞳を見たい。
彼を思い出して、己の内で都合良く再構築して、つのる情動に苛まれる己の慰めとしては、自己嫌悪に陥った。
今すぐにでも、目覚めさせたい。
その温もりで、この身を確かに包んで欲しい。

あなたがなくとも、時が勝手に進むのが嫌だ。変化が嫌だ。
次第に慣れて、気付かぬうちに忘れて、いつか意識にも上らなくなるのが嫌だ。あなたはいつも僕の内に占有されていなくてはいけない。
目を離せないブルーの静かな横顔は、ジョミーの精神を沈静させるよりむしろ、一層かき立てる。

ジョミーは音も立てず寝台に身を乗り上げ、ブルーの肩に手をかける。その身を抱き起こそうとすれば、否でも実感せざるを得ない。力ないその身が、魂を宿さぬことを。 彼がこうなる直前、自由に腕を上げることもままならぬ状態にあった時でも、彼はジョミーの意図を達せられるよう、出来るだけ動作の協力をしてやっていたのだと気付かされる。 今や定められた重力に従い寝台を沈み込ませる彼の腕も、頭部も、ジョミーが絶えず支えてやる必要がある――それはひどく困難だった。
物体だ、とジョミーは思った。
その腕を重いなんて、彼の意識あるうちには思いもしなかった。支えてやるのが疲れるなんて、一度も感じなかった。ただ彼は悲しいまでに非現実的で儚く、まるで存在の実感がなかったのだ。 今の彼は、意志を持たぬ器だ。それ相応の体積をもって、一定の重さをもって、そこにあるだけだ。触れられるというだけで、立体映像と何ら変わりない。


ジョミーは必死で己と戦う。
だめだ、これ以上を求めてはだめだ。
一瞬の情動に任せたら最後だ。失ってしまう。一番恐れていることになってしまう。
あなたを失うのは嫌だ。愛しく思うほどに、触れることが出来ない。
あなたのためを思うからじゃない、自分のためだ。あなたには何の責任もない。僕が、あなたを失いたくないという、この上なく個人的で身勝手な思いの表出にすぎないのだ。
ある(..)だけでは嫌だ。ちゃんと生きて欲しい。けれど、失われるのはもっと嫌だ。
どうすることも出来ずに、ジョミーは止まぬ葛藤に苛まれる。


こうまでして、彼を繋ぎとめている。
いつか、彼を失うために目覚めさせる、その日まで。
泣きたくなった。




End.















#11まで観た限りで特に説明もないブルー延命の経緯を想像してみました。
今後の展開で驚きの大どんでん返し、ブルー地球に到達! なんてことになったらどうしよう。


2007.06.21


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