存在証明 / Sugito Tatsuki
多くを望みすぎた、罰なのだ、きっと。
彼は生きていたのだ。
確かに生きていた。
その時のただ中にあっては、そんな簡単なことも分からなくて、
もっと多くをと求めていた。
充分だったのに。
瞼を下ろしたままの彼は、そこにあるだけだと思っていた。
違う、そうではなくて、あるだけではなくて、それでも生きていたのだ。
彼が、戦いのために目覚める日が来るということが、辛いなんて、とんだ戯言だ。
目覚めるのだから。
未来があるのだから。希望があるのだから。どんなに儚くとも、望みを持てるのだから。
失われてしまった。
もう何も願えない。
ただ失う。
どうして、これ以上、失わなくてはいけない。
長い眠りに沈む彼を、時にたまらなく求めたけれど、我慢した。
失わないためだ。
ただそこにあるだけの彼を、見つめるだけで、我慢した。
失わないために。
それがどうだ、結局すべては決定されていた。
どれほど願っても、何を差し出してもいいと祈っても、どんな痛みも我慢すると叫んでも、
叶わない。
彼にこれ以上の静寂を与えないでくれ、
最後の希望まで奪わないでくれ、
いつ目覚めるとも知れぬ彼を見つめるのは辛かったけれど、今はその痛みすら妬ましい。
真の静寂に堕ちた彼を、知ってしまった、本当の意味で、ただそこにある(だけのものを、知ってしまった、今は。
何が悪かったのだろう。
どこを間違えたのだろう。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
こんな絶望を、味わわなくてはいけなかったのだろう。
彼は最初だった。代わりなどではなかった。
彼は最後だった。代わりなどどこにもない。
それなら、こうなるのだったら、本当に、彼を、どうにかしてしまえばよかった。
手の届くうちに、もっと、
ただ見つめて思い悩み、くだらない考えをめぐらせるより、
そんな感傷的なポーズなんかより、
彼を、
絶対に逃れられないように拘束して、自らの手で完全に支配してしまえばよかった。
一緒にいたかっただけだ。
一緒に行きたかっただけだ。
二人でいられたら良かった。
簡単に失われてしまうなんて、知らなかった。だから、離れてしまう恐怖もどこか遠くに感じていて、何となく、それでもこのままでいられる気がしていた。
代用のきかない、その時のただ中で、時が止まれば良いとか、一瞬が永遠に続けば良いとか、願うことはなかった。それは後から、行き場のない悲痛な叫びとなるだけだ。そう、
変わらなくて良い、
進まなくて良いと、
先の可能性を全て否定することになろうとも構わないと、
いつかきっと離れてしまうのならば、いっそ今のままが一番良いと、
──気付いていたなら、あの時に、いくらでも手はあった筈だ。
変わってしまわぬうちに、離れてしまわぬうちに、止めてしまえば良かった。
思い描く、あったかも知れない未来で、何度も彼を連れ去った。二人で、運命に背いた。時を止めた。けれど、どうあっても叶うことはない。彼はもう、ここにはいない。いつも気付くのは後になってからで、もう、とりかえしはつかないのだ。分かっている、もしああしていたら、こうしていたら、なんて、そんなことを思い描けるのは、それがもう過ぎたことだからに他ならない。
いつだって遅すぎるのだ。
気付いたときには遅すぎる。
そうして、どんどん事態は悪くなって、最後は、とりかえしのつかないところに至ってしまう。
いつだって、今が一番悪いと思っていた。
違う、まだ底についてなどいなかったのに。
最悪だと思っていたそのときさえ、今から見れば希望に満ち溢れていたのに。
眩しくて仕方がないのに。
気付かなかったのだ。
自己憐憫に囚われて、悲劇の主人公を気取って、循環する思考を巡らせて、
愚かだ。
じゃあ、今この時さえ、未来のいつの日にかは、それでもまだ、良かった方だなんて思う時が来るのだろうか。
それはきっと来ない。
なぜなら、彼がいない。
彼は絶対的に失われた。
戻ることはない。
代わるものもない。
彼の喪失という己の欠落は、決して埋まることない。
だから、この痛みは、最初であって、最後なのだ。
ただひとつ、安心できることがある。
彼が、もう、失われない(ということだ。
だから、もう、彼がいつ終わってしまう(かと、思い悩まなくてすむ。
ずっと囚われていた苦悩から解放されるのだ。
行き着いてしまったから。
決定打だったのだから。
思い描くような選択肢は、実際には存在しなかったのだから。
そうするしか、なかったのだから(。
だから、どれほどに際限なく求めてしまうのか、それだけはよく分かった。
貪欲にもほどがある。
知らなかったからだ。
本当に、ただそこにある、生きていない、というのが、どういうものであるのか。
だから、彼が、確かに生きているのだと、分からなかったのだ。
不安で仕方なかったのだ。
生きていたのに。
生きていたのに。
どうして気付かなかった。
彼はちゃんと生きていたんじゃないか。
失われて初めて気付くなんて、なんと愚かだろう。
けれど、そうなのだ。
いつだって、失われたものは美しいし、大事だし、大好きだったのだ。
失われることで価値が生じるのだから。
彼は、死によって初めて、生きていたことを証明したのだ。
境界を彷徨っていたけれど、確かに一線を踏み越えて、そうして、あちら側から、言っている、
ほら、僕が今までいた、そっちは、全然違うだろう、と。
End.
新OP先行カットを見た衝撃のままに綴ったポエムに#17を踏まえて加筆したものです。センチメンタルの極み。何となく『沈黙の螺旋』と繋がっています。
2007.07.28
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