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ヘイトクライム / Sugito Tatsuki







キース・アニアン上級少佐は高揚していた。戦闘場面への期待にいちいち興奮を覚え正常な判断力を失うほどに青くはない。それでもその足は次第に歩を速めるのであった。

キースは常日頃携帯する拳銃の他に何の武装もなしに、一直線に目標へと向かった。あるいは、キースがその身を置く空間こそ、最大にして最後の兵器の内部であったから、これ以上の武装はないだろう。
巨大な力を受け崩壊したとみえる内壁と、戦闘不能に陥った保安部隊の面々に未だまとわりつき小さくスパークを起こしている蒼白い輝きを横目に捉えると、キースは向かう先にあるそれ(..)の残滓を実感し、一層に抑え難く情動が急いた。

それ(..)は伝説と称されるのも大仰でない程の強烈な力を持つ筈なのだ。化け物どもの頂点たるその脅威は既に垣間見ただけで充分な認識を得た。単行は正直、得策でないと判断されよう。しかしキースはあえて自らが対峙することを望んだ。確信があったのだ。あの情が細やかなものには、無個性な一般兵よりも、個としての認知を受けている己こそ、ある効果をもたらすと踏んだ。

それら(...)は、忌まわしいテレキネスでもって、己に仇なす人類の機体を躊躇いなく攻撃する。操縦桿を握る人間ともども撃墜する。戦闘に耐えられぬ細やかな神経とやらも、自衛という第一目標の前には霞むのだろうか? ──いや、キースが予測するに、それら(...)が何ら罪の意識なく殺人行為を行なえるのは、それだけの敵への憎悪に由来するのではなく、むしろ逆に、何とも思っていない(.........)からだ。人命を、ではない。それら(...)には、機体には人間が乗るという想像力が欠如している。意識に上らない。だから、知識は当然に備えていながら、決して──知らないのだ。撃ち落した機体の中には人間が存在し、その命を奪ったのだということを。だからこそ、戦闘を不得手としながらも人類の攻撃をことごとく退け、これまでその集団を維持し得たのだ。それがあの"ソルジャー"の巧妙な教育の賜物だとしたら、全く知恵の回ることだと思わざるを得ない。

SD体制以前における人類の戦争の歴史を概観しても、それはいかにして「同胞を殺したくない」という本能に対抗するか、殺人手段の改良の歴史であった。血を浴びる近接戦から、銃器により距離が伸び、やがて人のかたちを捉えさせない戦闘機が主役となって、最早殺人の手応えは失われた。すなわち、姿が見えない程、悲鳴が聞こえない程遠くからなら、容易く相手の人間性を否定出来る。「人殺し」にならずに済む。苦悩も葛藤も受けずに済む。

化け物どものおぞましい力は専ら遠距離で、自らの安全な立ち位置を確保し心理的安心を保った上で、確実に狙いをつけた後、発現される。その力は不安や恐怖といった情動に対しことさらに脆弱で、強い影響を受ける。今まさに一つの命を自らが奪った過程を目の当たりにして精神の安定を保てるほど、奴等は強くない。それが近接戦では致命的弱点となることを、キースは既に敵本拠艦脱出の際に身をもって知っていた。奴等は個人対個人の戦闘を想定しない。自らの弱さを理由に群れて、一つの結束のもとに敵を撃破する術しか持たない。一対一の戦いに投げ込まれれば、恐れてまともな反応も出来ないのだ。

──だから、その中で、ジョミー・マーキス・シンは異端だった。
近接戦の作法を身につけていたし、その上での強力なテレキネスを備える。自分が対等もしくはそれ以上に渡り合えたのは何より、心理防壁によって一連の動揺を誘ったためという、一種の運によるところが大きいだろうとキースは分析していた。目前にナイフの切っ先が迫ってもなお己の力を信じ精神集中を継続するその意志には全く感心する。しかしながら、刃を向けられてから明らかにその力は弱まったのであり、奴等の長たる者とて、能力が情動に大きく依存するという特徴に変わりはない。それは奴等の脅威たる力の源であり、同時に弱点でもある。表裏一体をなし、決して克服出来る類のものではないのだ。

それが、情動の完全なる抑制の術と共に力を得た我々人類と決定的に異なる、とキースは思った。
──そこを突けば良い。

キースは既に対抗策を念頭に置いていた。だからあえて単独で現場へ向かった。あれ(..)とは初対面ではない。あれ(..)にまともな記憶力が備わっているなら、こちらを個として認識した瞬間、必ずや動揺から何らかの隙が生じよう。
そこからの展開を何パターンかシミュレートし、キースは勝算を立てた。


   ◇   ◇   ◇


かつて神の子と称された者は、結局、いばらの冠を被せられ、紫の衣を着けられて、鞭打たれ嘲弄された挙句に十字架にかかったとされる。
それに倣ったわけでもなかろうが、紫のマントとはまるで道化だなと、キースは足取りも不確かなそれ(..)の弱弱しさにはまるで不釣合いに見える大仰な格好を笑った。

幾度となく繰り返した動作で銃を構えたキースは、ふと違和感を覚えた。それから、銃口が固定されずに彷徨っているのを見て、己の指先が震えているのを自覚した。常のキースならば、あと僅かでも力を込めれば手が震えだす、その限界の握力でもって、いかなる場合にもすぐさま、コンマ1グラムの狂いもなくグリップを握ることが完全に身についていた。それはどのような相手に対しても乱れなく発揮される筈であった。キースは不審に思った。

──ストレスを受けているというのか?
すっかり戦闘慣れした筈の、この自分が、
こんなものに、乱されているというのか!


キースは得体の知れぬ指先の痙攣の統制を試みた。己の内なる情動に気をとられる代わりに、キースは銃口を向けた先に立つそれ(..)の慄然たる表情を捉えた。更に焦点を絞れば、未だ拭い去られることなく螺旋に刻み込まれた本能的な嫌悪感を催す、その血色を透かす不気味な瞳が水平方向に揺れる様までが仔細に観察された。

──近すぎる。
身体に叩き込まれた動きでもって距離を取ろうと脚の筋肉を緊張させ、しかし、行動に移す直前でキースは踏みとどまり、思い直した。これは定石通りの戦闘ではない。これまでの一般理論は通用しない。経験的事実と、それ(..)の特性を鑑みた上での計算結果を常に場の状況により柔軟に変化させ適応しつつ、迅速かつ完全に排除する──それだけだ。
その過程で見出された有益な情報は、すなわち、それら(...)は敵の接近するほどに恐れを抱き、概してその特殊能力の表出を弱めるということであった。相対する者の心理防壁のゆえに己の力が通用しないと知るのは、力に頼って生きるそれら(...)にとってかなりの動揺を誘うらしいことをキースは経験的に知っていた。接近し──サイオンによる防御を無効化する。
そう、これは戦略なのだ。
逆に、様子見のために距離を保つことは、それ(..)に勝算を抱かせるに繋がる。キースに退くことは許されない。確かに、いかなる術を持つとも知れぬものに戦闘の定石に背いて接近することには抵抗を覚える。それは通常ならば、思い上がった愚か者の勘違いの上に成り立つ無謀な自滅行為に他ならない。しかし──優位に立たねばならないのだ。慢心とは異なる。精神的優位、それが、場の主導権を握り、圧倒するに直結する。

ジルベスター7上空の敵本拠艦で受けた屈辱をキースは忘れ難く、そのおぞましい感覚は今なお生々しく痕跡を残す。充分に対抗訓練を重ねたといえ、なお防壁の合間から這入り込み、内を執拗に探られる不快感、恐怖の全てを抑制することは叶わなかった。

──感情的になった方が、すなわち敗者だ。
足を引っ張る無益な情など、こちらは持ち合わせていない。キースは己の圧倒的優位のもとに、それ(..)が情動を乱すことを期待した。それは有効な戦略であると同時に、自ら受けた屈辱を晴らす手段でもあった。


キースは己の方針を再確認した。
銃口はその位置を固定し、僅かにも照準をぶれさせない。
得られた自然狙点に自らの平静の証を視認すると、キースの指は、無造作に──トリガーを引いた。

必ずしも的中する必要はなかった。 だから定石に則っての二連射(ダブル・タップ)はせずに、一発ずつ、撃ち込んだ。 ここでの第一の目的は威嚇であったからだ。反撃の間を与えぬ銃撃でもって恐怖を生起させ、その力の弱まったところではじめて──有効な一撃のもとに仕留める。それが定めた方針であった。 だから、まさか初弾から効果を発揮するとはキースは予想していなかった。簡単にその身に侵入を許し、肉を爆ぜ、赤黒い血液を撒き散らすとは──言ってしまえば、その体液が赤いことすら、純然たる驚きの対象であった。

キースは苛立った。それ(..)の血肉の組成が見慣れた人間のそれと変わりなかったからではない。その次の瞬間──目の前にいる化け物が、あたかも人間であるかのような振舞いをした(................)からだ。化け物は脅威たる力を持っている筈だった。そうであるべきだった。ところがそれ(..)は、大して効果を期待していなかった銃弾を跳ね返しもせずにその身に受けたのだ。その上、苦鳴をあげて体勢を崩したのだ。化け物はうずくまり防御の体勢をとった。狙いをつけられる面積を抑えようとするその一連の動きは正に非力な人間が身を護るためにとるそれと変わりなかった。 銃撃戦に巻き込まれたら、地に低く伏せ、標的となり得る自分の投影面積を通常の50%以下に抑え、頭部と身体の中心を護り、耐えよ──一般市民たる者にはまず活用する機会はないが、万一の有事に備えて必ず教育を施される自衛マニュアルを、それ(..)は忠実に再現してみせた。サイオンでガードする際にも、そんなことをするメリットがあるのだろうか? 恐らくは単なる気休めであろう──だが奴等にはその"気分"こそが力の源となり得るのだ。

化け物なら直立不動で弾丸をはじき返す程度のことはしてみせると踏んでいたキースは奇妙な違和感にとらわれた。 平和ずれした、名ばかりの 警備兵とは違う、長たる者がそのような振る舞いをしたことは、統制されきっている筈のキースの情動を、刺激し、その意識を変容させた。一時でも己の情動が乱されたという事実が不快だった。

そもそもはじめから動きののろいそれ(..)は今や一所に留まり、狙撃の難度は全くもって低い。いい標的だ。 キースは一歩一歩、均等な速度でもって距離を詰め、獲物に肉迫した。

常のキースであれば、どんな攻撃手段を秘めているとも知れぬ化け物に迂闊に近づくような真似をすることはなかっただろう。 勿論、距離を詰めればそれだけ銃撃の精度は上がる。特にキースをはじめ、直接戦闘場面への参加を主たる職務としない人員に支給された何の変哲もない拳銃の型においては、対象との距離が10メートルを超えて伸びるとともに、著しく精度が落ちる。接近は、化け物をそのガードの綻びを突いて確実に仕留めるための有効な戦略なのだ──
キースは己の能力をもってすれば、その実戦に極めて不向きな、形ばかりの拳銃の有効射程距離を一般の5倍にまで伸ばせることを今は思考の外に置き、自分の行動をそう結論付けた。決して、何らかの情動などに由来するものではないのだと理由付けた。いつの間にか目的がすり替わって、己の一貫性のない行動の一々に都合の良い適当な解釈を加えている詭弁には、目を閉ざした。それ(..)の排除は既に第一目標ではなかった。化け物が、その証を見せることこそ──今のキースの求めるところだった。

キースはその情動の赴くままに、距離を詰めた。恐れていたのだ。これでは、まるで人間のようだ(......)。化け物と人間の境界が、崩れてしまう。だから、その脅威たる力を表出させたかった。そうしたら、はっきりと断言出来る、化け物は化け物だ、排除すべきものだと。
仲間であるという主張をしたいのか知らないが、人間の振りをするなど浅ましい。今すぐ、その化けの皮を剥いでやる。
血を流しうずくまった、無力なそれ(..)であっても、決定的な一撃を加えられる段になれば、何かおぞましい力を発揮して防ぐに違いない。さあ、早く、それを見せてみろ! 化け物は化け物らしく、身体が半分吹き飛ばされても笑って立っているくらいのことはしてみせろ!

キースはいつになく饒舌であった。戦闘において緻密さを失う気分の高揚などあってはならないことであった。これまでにない己を自覚して、それでもキースは頑なに、これは戦略なのだと位置づけていた。すなわち、こちらの優位をことさらに意識させることで、感情過多を特徴とする化け物の頭に血を上らせれば、無力そうな仮面に巧妙に隠されたその本性を晒して、そうして脅威たる敵として心置きなく処分することが出来る。 だから、それらしいことを口にしているだけであって、その言葉に挑発以外の意味などない。 まして憎悪の感情を剥きだしにして憤怒をぶつけているわけがない。決して──あり得ない。




この程度では足りない。
足りない、手応えが、全く足りない。
その横面を銃の台座で殴ってやりたい。
頭蓋を叩き割りたい。
あるいはコンバットナイフをその腹に突き立て、喉を切り裂きたい。




そのような、あたかも私怨を原始的手法で解決しようとする復讐者であるかのような、感情の噴出に依った衝動など、ある筈がない。──考えてなどいない。認めることは出来ない。

──どうして思うようにならない。


   ◇   ◇   ◇


それ(..)の最後の力の放出されたサイオンバーストは予想外の威力であり、思わず動きを止めてしまったキースは部下たる化け物に窮地を救われる羽目となった。キースはそのような素人然とした反応をとった自分自身にこそ驚愕した。攻撃の威力のゆえではない、その有りようが、キースに不可解な戸惑いを与えた。

自らを犠牲に出来るわけがない、キースはそれら(...)について、このような認識を抱いていた。
キースの推察した限り、ミュウの特殊能力は一種のウイルスである。そのウイルスは宿主を乗り物として、虚弱な肉体に生き延びるための力を与える代わりに、意識レベルにおいて作用し、その自発行動にまで働きかけ、乗り継ぎながら、より勢力を拡大しようと利己的に振舞うのだ。
だから、その力を使いすぎて乗り物の方が耐えられなくなるような事態にはリミッターが発動し、自己防衛を試みる。それに抗い、振り切ってなお力を放出しようとする場合は、このような欠陥ある乗り物は不要であるとして、乗り捨てる。そして生命活動を保持する術を失った肉体は滅びる。

ミュウはその特殊能力でもって命をつなぐことは出来ても、自殺することは出来ない(...........)。 まして極めて優秀な乗り物たるタイプ・ブルーを、他の劣った乗り物をいくらか救うためになど、手放すわけがないのだ。

理解出来ないその行動に、キースの意識は混乱を覚え、そこで、ぶつりと途切れた。


   ◇   ◇   ◇


帰艦したキースを出迎えたのは、セルジュ・スタージョン上級中尉を筆頭とする彼の優秀な部下たちの憧憬の眼差しであった。

「さすがです少佐殿! あの化け物をお一人で仕留められるなんて」
「あれがここに降り立ったときは正直、恐ろしくて背筋が凍ったものです」
「自分は目が合ったのですよ! いや、とり殺されるかと思いました」
「よくぞご無事で……!」

キースは当分止みそうにない、興奮気味の部下たちの賛辞を片手を挙げて制し、言った。

「いや、メギドを手土産にされてしまった。梱包してやる暇もなかったから、地獄への道程はさぞ大荷物だろう」

この上司にしては珍しい軽口に、少年たちは緊張を解いてどっとわいた。




キースは震える手を握り締めた。再び開いたとき、もう痙攣は已んでいた。

既に平静を取り戻したキースは、先に感じた不可解は忘れて、こんなことではマザーに叱られてしまうな、とまだまだ青い己にひとりごちた。




End.















#17ブルー補完をすべきところを何故かキース。余裕のない大人です。そしてブルーは珍しく崇め奉られていない上に存在感が無い。


2007.08.03


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