raspberry belle / Sugito Tatsuki
アルテメシアに降り立ったソルジャー・シンは、かの地で入手した、乾燥ラズベリーを含むシリアルを食するのを好むようになった。
その新たな習慣は、この年齢になって味覚の変化などあるのだろうかと、彼自身にとっても不思議なものであった。
穀類グラノーラならまだしも、これは子どもの食うものだ。長く離れた故郷へ帰って、知らず過去を追想しているのかも知れないとソルジャー・シンは思った。思えば昔、サッカーに熱中していた頃、あるシリアルのパッケージに載っていた栄養成分表にいたく感心し、毎日それとオレンジ・スカッシュを朝食としたことが思い起こされる。ただ、12の頃にはもう卒業していたし、実際、育英都市で各家庭にマッチングしてオンデマンド配信されるコマーシャル・フィルムだって、陽気なキャラクターが栄養価を宣伝するそれは、いつしか止んでいた。
きっかけは、アタラクシアを制圧し、懐かしい記憶を呼び起こす市内を視察していた時だった。ソルジャー・シンは、ふと見かけたシリアルに一瞬にして心奪われてしまった。その僅かな感情の揺らぎを敏感に察知したリオは、後に例の変装をしてそれを買い求め、両手に抱えきれないほどのラズベリーシリアルをソルジャー・シンに献上したのであった。その様子を見た周りの者は、一体あんな赤い粉を固めただけのものをソルジャーたる者が欲するものかと首を傾げた。しかしソルジャー・シンは感嘆の声を上げ、行動力ある部下を労うのみならず、毎日毎食、飽きもせずにそれを食するのだった。
今日もまた、深めの皿にシリアルをざらざらと落とし、ミルクを注ぎ、淡々とかき回す、どこか憑かれたように一種異様な空気を纏うソルジャー・シンに声をかけられるのはトォニィくらいのものであった。
「ジョミー、よくそんなもの食べるよね。いまどき人間の子どもだって食べやしないよ、そんな毒々しいの」
「年をとると、昔を懐かしむ機会も増える。特に味覚は記憶と結びつきやすい。君たちも大人になれば分かるさ」
そしてソルジャー・シンは解説してやった。このシリアルは昔まだ自分がアタラクシアの子どもであった頃、よく食していたシリーズの復刻版であること。当時シリアルには1箱に1本、スプーンのおまけがついていて、全部で10種類のそれを全て集めたくて仕方がなくて、ママに頼んで買いだめをしたこと。けれどその味にすぐに飽きてしまって、それでもママの手前、捨てるわけにもいかず、仕方なく我慢して食べ続けたこと。スプーンをコンプリートする前に、もうその陽気なキャラクターを目にするのさえ嫌になってしまったこと。
「……そうしたわけで、思わぬ再会を果たした今こそ、あの時の無念を晴らすべく、大人買いをしてやったということだ」
おかげで今度はスプーン全種コンプした、と瞳を輝かせて嬉しそうに語るソルジャー・シンは、周囲の者にとっては矢張り異様に見えることに変わりなかったが、トォニィは、へえそうか、と納得した様子を見せた。
でもスプーン目当てなら、わざわざジョミー自らシリアルを空けることはないんじゃないかと小さな疑問がよぎったが、きっと食料は大事にしないといけないという教えの実践なのだろうなと思い、少年はその場を後にした。
ソルジャー・シンは待ち遠しく皿をかき混ぜた。
底のほうに沈んでいたラズベリーが浮上する。
つまらない思い出話を喋っている間に大分柔らかくなったようだ。
こんなものに何よりも高揚を覚える。
理由は明らかだった。
赤が、あの赤が、まるごと食べられる。
果たされなかった約束の、これは代償行為なのだ。
彼は、約束してくれていた。
彼を、全て、くれると言ってくれた。
欲しくて欲しくて仕方ない、それを2つ、自分にくれると、確かに約束してくれた。
だから、楽しみに待っていたのだ。
彼は僕のものだと言ってくれた。
彼だって本当は、それを僕にくれたかったのだ。
僕だって、可能ならそれを探して、拾い上げに行きたかった。
ソルジャー・シンはシリアルをスプーンの底でがしがしと押し潰した。
それから、乾燥ラズベリーごと口に放り込んで、奥歯で噛み潰した。
水分を含んで柔らかくなったそれは、僅かに芯を残して、簡単に砕けた。
甘酸っぱい香りが広がる。
ざらついた感触が、喉を下って落ちていった。
自分に取り込んで、その瞬間、途方もない優越感で恍惚に満たされ、心が跳ねる。
ああ、そうだ、これが、
欲しくて欲しくて、
独占したかったのだ。
皆で分けることは出来ないから、だったらどうしても自分だけが手に入れてしまいたかった。
そうして良い権利があると思った。
代わりはない、
右の一つと、
左の一つと、
それだけなのだ。
誰かにとられてしまわないうちに、
どこかへ行ってしまわないように、
絶対にとっておけるために、
いつでも一緒に過ごせるように、
眺めて触れて味わって、愛せるように、
好きなのだ、
なくては耐えられない。
『何がです? ソルジャー』
我らが指導者の微かにこぼした、どこか切迫感ある思いを捉えて、リオは問うた。
ソルジャー・シンは全くよく気が付く優秀な側近を見遣ると、決まっているだろうと言わんばかりに答えた。
「──もちろん、
ラズベリーシリアルが、だ」
[ あなたを食いたかった。 ]
2007.08.11
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