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僕の両手の中で / Sugito Tatsuki







皮膚が、千切れるとき。
薄い皮膚を噛んで、力を込めて引っ張って、
端から引き千切れていく。
きれいに千切れない柔らかな肌は見苦しい。
剥がしたい。
丁寧に剥がしたい。
余すところなく剥がしたい。
裏側に付着したものも削ぎ落として。
いずれ腐敗するものは要らない。
それは思わず熱中してしまう単純作業だ。

-0-


あなたの足首は美術品のようだ。
白くしなやかな質感は目で楽しむにも十分であり、触れてみれば期待を裏切らず滑りのよいなめらかな肌、まるで熱はなく、しかし接触を拒絶する頑なな冷徹さとは異なり、柔肌の感触が温もりを想起させ、両手の内に収め、あるいは頬を寄せてみれば、ひやりとした中にも自ずと知れる微かな熱に、体温を分かちたいと切望させ、撫でてはそっと口づけ、慈しみ、薄い皮膚を余すところなく愛で、頼りない関節を包み、か細い足首を構成する精巧な骨格に感嘆し、しなやかな筋を辿って確かめ、軽く歯を立てて張りのある腱の弾力を実感し、あなたの美しい足首に焦がれる。

さて、そこで、あなたをどうして繋いでおこうかと思い耽る。無粋な枷の代わりにこの両手でもって、あなたを繋ぎとめなくてはならない。あなたを縛って、絞めつけて、愛しい思いを伝えてやらねばならない。
微笑ましく手でも繋ごうか。
指を絡ませようか。
それとも腕を掴んで押しつけようか。
逃げ道を奪うかのように脚を捉えてやろうか。

美しい大腿を裂いたら、多分、内には醜悪な血肉の塊が詰まって、こぼれ落ちて汚らわしいのではなくて、ずっと清涼な気がする。触れて探れば、冷たくしなやかで、心地良い弾力。そっと剥いだら、みずみずしい果実に似ているのだろうと思う。艶やかに溢れる雫は芳しく、仄かに甘い。薄く均質に乳白色をひいた皮膚の下には、喉を潤して心地良いものが隠し護られている。柔肌に頬を寄せれば、それと知れる。
首に詰まっているものは、それよりもっと刺激的だ。濃厚な味わいを含んだ果汁を収めてきれいに並んでいる。穢れなき真白な上質の台座に大事に据えられた、深紅の果実。底深い重厚の光を宿した、小さな宝玉。
歯を立てれば染み出す酸味と爽やかな甘味。極上の褒美のようで、違和感なく喉に受け容れる。身体に染み入り、新鮮に行き渡る感覚。歓喜の源泉。渇きを満たしていく。生命の中心、重心、結実。これが証だ。
躍動する赤い雫ひとつ。鮮やかに流動する液体が息づいている。
その、あなたの首。

あなたの首を絞めてあげよう。
それは、この上ない愛情のかたちだ。
至上の愛撫だ。

悦楽の痺れに神経が許容を超えて断ち切られるかというほど、首は生命と直結し、熱情と相乗する。
どくどくと流れ、荒れ狂う温かい体液は、衝動を発散する先を求めて暴れまわる。
あなたは内奥から立ち上って疼く焦燥に身悶えることだろう。
少しずつだ。
境界を踏み越えるか越えないかの危うい感覚を、飽きるほどに味わわせよう。
ちょうど側頭葉の上の辺りが、あなたのよく感じるところだと知っている。
だから焦らすように髪を梳いて、優しく撫でてやるのだ。

あなたの首をかすめるところから始めて、あなたの、そう、頼りなく、繊細で、しなやかな、愛しい首を、包み、撫でさすり、舐め上げ、甘噛みして、そうしてやっと、押さえ込み、口づけるように強く、絞めつけてあげよう。
あなたは声もなく歓喜に打ち震えて、至上の感覚に満たされるのだ。

愛しいあなたを、丁寧に扱い、傷つけないように、損なわないように、失わないように、首を愛してあげよう。
あなたの首を両手の内に収めたい、
しっかりと包み込みたい、
腕に抱きたい、
首、首、首、
あなたの、
この上なく、あなたの首! 
味わいたい、全ての器官で! 

だから、

あなたの首を、持たせてくれ。




-1-

ああ、なんという気分だろう。気分が良い。気分が良い。とてつもなく、気分が良い! 




あなたが望んでいることは何でも分かる。言葉の裏に隠された本当の意図を、僕だけは正しく読み取ることが出来る。
ジョミーはブルーのきれいな瞳を覗き込んだ。
時にはあなたに自覚がなくて、思わず否定したくなってしまうかも知れないけれど、恐れる必要はないのだ。僕はあなたをあなた自身よりもよく把握している。あなたが頑なに拒むのは、その事実をまだ理解出来ていないからで、いっそ可愛らしくさえある。けれど、その瞳だけは正直に、僕に歓喜を伝えるのだ。
「………………」
あなたは時々、心とは裏腹の言葉を口にして僕を戸惑わせるのが好きだ。やれ痛いだの嫌だのと、実際には思ってもいないのだろう。あなたは少しばかり僕を困らせて、気を引きたいだけなのだ。それがあなたの拙い愛情表現であることはよく知っている。
本当は痛くなんてないのに、あなたはそう言うことでしか僕を引き留められないと思っているから、嘘をついてしまうのだ。臆病なあなたは、僕のことも、自分自身のことも、信じられない。
「………………」
あなたが素直になれないのは、僕に対して気が引けるところがあるからかも知れない。あなたのために僕が阻害されたり、望ましくない影響を受けて変容することを、恐れているのかも知れない。あなたの立場上の不自由は知っているから、素直な思いを表に出せない悲しみも、ちゃんと僕は承知している。あなたが周りに巡らせた棘によって、僕を傷つけてしまうから躊躇っているというのなら、教えてあげよう、そんなもの、何てことはない。
僕が全部、取り去ってやるからだ。どんなに頑なに拒むとしても、一つ一つの余計なものを取り去って、邪魔なものを取り除いて、あなたを護るもの全てを丁寧に外してやろう。醜悪に歪んだ不快な棘など、全くあなたに不釣り合いだ。そんなものは必要ない。僕とあなたの間に、そんなもの、一つも必要ない。あなたは、無造作に手折られ摘み取られて枯れるしかない、可憐な野の花とは、違うのだから。針がなくては身を守れない、小さな獣とは、違うのだから。
殻も棘も失ってしまった剥き出しの柔らかなあなたは、僕が大切に扱えばいい。取り上げた手の内に優しく転がせばいい。僕があなたを支配するから、無力なあなたは僕を傷つける心配などしなくていいのだ。
あなたを傷つける誰にも決して触れさせなければいい。何なら、僕があなたを喰ってあげたって構わない。そうすれば、心配症の過ぎるあなたでも、きっと安心出来るだろう。

あなたを誰にも許さない。

あなたが悲しむのなら、僕はあなたの瞳を塞いであげよう。
あなたが苦しくないように、耳を覆ってやろう。
あなたが泣きださないように、唇を封じてあげよう。

ジョミーは確信していた。
ブルーに痛覚はない。彼の衰えた感覚神経は、もうずっと前から、身体の変調を知らせるシグナルの役目を放棄している。だからきっと、ブルーは痛くも苦しくもないのだ。首を押さえ込まれたところで、どうということもないのだ。ジョミーは思った。
僕は間違っていない。
悪いとは思わない。
あなたは痛い筈もないし、抗う筈もないのだ。
ジョミーは、ブルーに痛みはないとみなすことにした。ブルーが痛みを感じないものならば、ジョミーは確かめる必要がない。気を払うこともなく、ただ思うように触れて接すればいい。
あなたは痛みを感じない。あなたは何も感じない。
だから、何をしたって同じことだ。
それで問題ない。
ブルーは「痛い」と口にすることはない。もしそんなことがあったとしたら、それはジョミーの聞き間違いか、若しくはブルーが言い違えたのだ。感じていないことを訴える筈がない、という理由ではない。ジョミーが気にしていないのに、それを言うのが全く無意味だということだ。聞いてもいないことを言ってどうするというのだろう。ジョミーはそれで何をどうすることもないというのに。
どうだっていい。それなのに、何故そんな無意味なことをするのだろう。
「………………」
ジョミーは困惑を隠せなかった。
あなたは、そんな言葉、とうの昔に忘れた筈だ。
かつては封じた言葉。今は失くした言葉。
あなたが叫んでいたのは、思い出せないくらい、ずっと昔だ。それも声にして発するのはすぐにやめて、内側だけに閉じ込めた。誰にも伝えず、伝わらない言葉。意味を為さない言葉。
他者に伝達しないのならば、それは紡がれなかったのと同じだ。認識されないのならば、感じていないのと同じだ。思いが伝わらないのならば、何も主張しなかったのと同じだ。
伝えても、仕方ないから、あなたはやめたのだ。通じないのに、いくら叫んでも、徒労に過ぎない。誰にも聞き入れられない声を上げても、少しの役にも立ちはしない。
分かっている筈ではないか。

だから、ブルーは嘘をついている。ジョミーは思った。
痛い、痛いだなんて、嘘に決まっている。
あなたは痛みなど感じない。
感じたとして、訴える筈がない。
あなたはそんな無益なことはしない。
いくら訴えても、僕が行為を止めるわけもないのだから。
働きかけても無意味だと知っているから、あなたは懇願しないし、殆ど抵抗もしない。
実際、あなたが痛がって涙をこぼしたところで、僕としては、だから何だといったことだ。
痛い、ああそう、それが何なのか。
どうしてあなたが痛いから僕が遠慮しなくてはいけない。
あなたの不具合だらけの身体が今更軋んだところで別段に何の不都合もないではないか。
あなたはもしかすると勘違いをしているのかも知れない。
あなたの痛みが、僕の痛みでもあるかのように考えているのかも知れない。
そうだとしたら、それは誤りであると、優しく言い聞かせてやらなくてはいけないだろう。
心の理論に未熟な子どもを相手にするように、微笑ましい間違いを訂正してやらねばならない。
たとえあなたがどんなに痛がっても、僕は少しも痛くなどないのだ。
だから何も心配は要らない。
当然だろう、あなたは僕ではない。
あなたの痛みを僕が感じる理由などない。
長い間、思念波なんてものに頼ってきた弊害だろうか、あなたは自他の境界がよく分からなくなってきているのではないだろうか。
僕とあなたの神経が接続されていない以上、感覚の共有は物理的に不可能であるということすら、理解出来なくなるほどに。
だから、あなたが痛いからという身勝手な理由で、僕の行動を制限しようとするのは全く不合理だ。
どうしてあなたの我儘のために僕が我慢しなくてはいけない。
僕は少しも痛いわけでもないのに。

釈然としない状況に、ジョミーは不可解を通り越して、小さな苛立ちを覚えた。
あなたが意味のないことを口にしているというだけで苛々とする。あなたは僕にあなたをつまらないものだとみなして幻滅させたがっているのだろうか。うわ言めいた不合理な言葉を繰り返して、興醒めだとでも思わせたいのか。そんなに僕を嫌な気持ちにさせたいのか。
「………………」
またブルーが口を開く。

どうしてそんなことを言うんだ。
どうしてそんなことを言うんだ。
どうしてそんなことを言うんだ! 



-2-


あなたはひどい人だ。何か言っては僕を不快にさせ、何も言わなければ僕を困惑させる。それでも、いくら不合理で興醒めな言葉でも、無いよりはあった方がいいのだ。あなたがひどいことを言う方が、黙っているより、ずっといい。
あなたが黙っているから、そんなおかしなことを思うのだ。心が乱れるのだ。

起きろよ、とジョミーは思った。
静寂が苛立ちをかき立てる。
呼んでいるのに、何故応えないのか。
分かっている筈なのに、どうして無視するのか。
身じろぎさえしない無反応振りが一層に心をかき乱す。
これでは、埒が明かない。
無造作に細い肩を掴むと、ジョミーは焦燥に任せて揺さぶった。
起きろ、起きろ、起きろ、
力ない頸が揺れて、髪が乱れるにも構わず、
何度も繰り返し繰り返し、力任せに引き起こしては押し倒す。
反復する運動に昂った荒い呼吸を整えようとジョミーが手を離すと、支えを失った身体はそのまま寝台に沈んだ。
先程と何ら変化はない。
不条理だ、とジョミーは思った。
自分はこんなにも心苦しく、奥底が痛くて仕方がないというのに、どうして何もしてくれない。
慮って、助けてくれないのだ。

痛い、とジョミーは呟いた。
起きろと怒鳴って寝台を殴る代わりに、投げ出された腕に、あるいは肩に、縋りつく。しっかりと両手をかけて、しがみつきながら膝を折る。床も、寝台も、照明も、ブルーの身体も、どれもよそよそしく冷たい。
憐みを乞うように、悲痛な声を絞り出して囁く。
痛いのだ。
あなたのせいで、痛むのだ。
やめて欲しい。
苦しませないでくれ。
痛いと言っているじゃないか。
この苦痛を、あなたは分かっている筈なのだから、やめてくれ。
あなたは僕の心が読めるのだから、痛いのだって分かる筈だ。
僕が苦しんでいたら当然に助けを差し出すべきだ。
痛みを与えている者としての責任を持つべきだ。
痛いと言っているのに、沈黙を守るあなたは何て無慈悲なのか。
僕がこんなに痛いのに、あなたは何も感じないとでもいうのか。
いくら感覚が鈍っても、あなたは痛みを知っている筈だ。
この痛みが分かる筈だ。
あなたはあんなにも、痛いと言っていたではないか。

ああ、そうか。
ジョミーはふと気がついた。
あれは、あなたが痛かったのではない。
あなたは、僕の痛みを予期していたのだ。
痛い、痛いと、僕のこの痛みを代弁していたのだ。
それ以外に、あなたが痛みを感じる理由なんてないじゃないか。

そう思うと、何もかもが莫迦らしく思えて、徒労感だけが残った身体を、ジョミーはブルーの上に投げ出した。



あなたは縛られた結果、ぎりぎりと絞めつけられて、とうとう切断してしまっても構わないくらいに強く、僕に欲したのだ。全てを差し出して、最後にその首を、僕の手に委ねたのだ。
生命さえ拘束して欲しがった、あなたは結局、追い求めた感覚に触れることが出来ただろうか。
しかし、全部を縛られてしまったら、感覚さえ縛られてしまったら、いったい、その先に何を感じるのだろう。あなたが意識を失ったならば、本来あなたが感じる筈だったものは、どこへいくのだろう。
もしかしたら、案外あなたは、何も感じないこと(........)を求めていたのかも知れない。
だから、その分は僕が感じるのだ。あなたの代わりに僕が感じる。

あなたの身体も、
あなたの意思も、
あなたの感覚も、

あなたの全てを、摂取して、大事に護って、愛し続けることが出来るように。

僕の両手の中で。





End.















どうしようもない身勝手・勘違いジョミでした。

2008.07.23


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