Gift
それは、贈り物だった。
欠落した者にだけ、与えられる──贈り物。
幸運と誇るべきか、それとも、不運と嘆くべきか。
それを授かる権利が、君にはあった。
創造主は、仕事として人間を作ることもあれば、手遊びとして作ることもあるらしい。それでいえば、君は、遊びそのもので作られた、愛らしい人形だった。
この上なく完璧に整った器を、君ははじめから与えられていた。その身に欠けているところなど、なにひとつないのではないかと思わせるほどに、君は爪の先に至るまで精巧に構成されていた。
君の柔肌は新雪に似て、触れるのが躊躇われるほどに白く、一点の曇りもなく均質に整い、細い肢体は淡い月光を纏っているかのようで、若枝を思わせる伸びやかな脚は簡単に手折ってしまえそうでありながら、掴めばするりと抜け出してしまうしなやかな柔軟性に富んで、脊椎のきれいに浮かび上がる背中はどこまでもなめらかに仰け反り、とうてい硬質の骨格で構成されているとは思えない、接合部などという無粋なものの存在を伺わせることもない、その身体の芯に入っているのは、どこまでも自由に屈曲する、柔らかな針金なのだと言われたほうが、まだ納得できるほどで、一本の金属弦が優美な弧をかたちづくるように、君の背中は、あるいは腕は、脚は、末端に至るまで美しく連続的なカーブを描き、光も陰影も、君の前にはただ傅き服従するほかはなく、大いなる喜びをもって君の肢体を縁取り、際立たせ、描き出す、ただそれだけで、君は王侯に献上された極上の陶磁器にも並び立つ資格を有し、自然と息を潜めて手のひらを沿わせずにはいられなくさせる、薄い肩に落ちかかる長い髪は、冥暗をそのまま映し込んだかのような見事な漆黒で、いつも濡れたように艶めいて、冷ややかに流れ落ちるばかりの指通りは最上級の絹のごとく、君が首を傾げてみせるのに合わせて、白い肌を音もなく滑って愛撫し、ほつれて頬を撫でる一筋さえも、計算し尽くされたかのようにその危うい美を演出し、気だるげに髪を梳く繊細な指先の反らされた様子は、いかなる傑作の彫刻にも劣らぬ絶妙な造形を誇り、切り揃えられたまっすぐな黒髪の下に輝く大きな瞳は、息を呑むほどに強い黄金の光を宿して、何もかもを見透かすかの視線で一瞥しただけで、見る者を捉えて離さず、ときに無邪気に悪戯めいた幼い表情で見上げたかと思えば、ときに傲岸不遜な態度で挑発的に見下ろす、その捉えどころのなさで否応なく幻惑し、戦慄させ、翻弄する、つくりものめいて怜悧に整った面立ちは、常に悠然として、何をもってしてもかき乱されることなく、何に染まることも何に汚されることもなく、ただ純然たる愉悦がよく似合い、甘い声を紡ぐ可憐な唇は鮮やかな赤を透かして艶めき、押し開かれるのを待つ小さな花を想起させ、未成熟な柔肉の内奥に滴り始めた芳しい蜜を仄めかして誘い、扇情的に歪めた唇に底知れない微笑を刻む姿は、美しい、あるいは、おそろしいとしか形容のしようがないものだった。
その一方で、器に気を取られすぎたせいだろうか、創造主は人形の中身については、無頓着だった。そんなものは、必要ないとさえ、考えていたのかもしれない。ただ外面を丁寧に創り上げるだけで、もう気が済んで、満足して、飽きてしまったのだろう。人間であれば、器の中身に何を詰めて、機能させ、有意義な務めを果たさせるかも重要な要素であったかもしれないが、君はそういう基準からは、はじめから外されていた。君には、人間として果たすべき義務も、役割も、美徳も、そもそも期待されていなかったから、そのための機能や資質が与えられることもなかった。
遊びというのは、そういうわけだ。君は愛されるための存在ではなかった。愛されるためではなく、遊ばれるためにこそ、君は生み出された。君は創られた瞬間から、一度も満たされたことなく欠落していたし、欠落こそが、君という稀有な存在を確立していた。
完璧な器を持ちながら、致命的なまでに、君は不完全だった。君の中身は、がらんどうだった。自分が著しく欠落していることを、君は随分と前から、知っていた。君は自分が生まれ持ったものに自覚的であったし、それは、備え持たなかったものに意識的であることと同義だった。
しかし、それを埋め合わせたいとは、君は思わなかった。そうして人並みの何かになることができるとしても、それは君にとって、何ら魅力的な提案ではなかった。仮にそれでまともな人間のようになれたとして、その時点で、欠落という、それ自体が必要不可欠な構成要素を失った君は、もはや、君とはいえない存在に成り下がるからだ。
君は君でしかなかった。君は君以外の何かになりたいとは思わなかった。何になるつもりも、君はなかった。君は君というものですらなかった。だから、君をこうして君と呼ぶこと自体、あるいは君にとっては、不本意なことかもしれない。
君は自分の持つ価値と、その有効な使い方を、誰に教わるでもなく自然と理解していた。他者から注がれる無遠慮な視線が、いかなる意図を含んだものであるか、気付かずにいられるほど、君は鈍感ではなかったし、それに抗おうと思うほど、君は暗愚ではなかった。
しなやかに艶めく長い黒髪は、君の自慢だった。指通り良く流れ落ちるその髪と、しっとりときめ細かな白い柔肌が、君にとって、何より価値あるものだと、君は知っていた。いかに欠落していようとも、他に何も持たなくとも、それさえあれば、ひとりで生きていくには十分であると、知っていた。
薄暗い寝台の上で、求められるのは、それなりに整った面立ち以上に、肌で感じる触感の良さであり、扱いやすい身体であり、声と息遣いに表れる細やかで過敏な反応、あるいはその演技だった。そのどれもが、君の得意とするところだった。人間としては不十分で、不完全で、無価値だった君も、それゆえに、おもちゃとしては、そこそこに出来が良いらしかった。愛されることのない代わりに、遊ばれることならば、君は上手になる一方だった。金を払ってでも、君と遊びたがる大人は、いくらでもいた。一度でも、君を知った人間は、もう他の遊びでは満足することができないようだった。だから、君はたいていの場合、事が済んだ後、言い値よりも高い請求をしたが、不平を言う客はいなかった。
いくつもの手が、君の髪に指を差し入れ、掴み、梳いて、我が物のように弄んだ。染みついた煙草の匂いや、絡みつく体液の残滓を、君はその度に、丁寧に洗い落とした。やっときれいにしたところで、どうせまたすぐに汚されることは、承知の上だった。汚されるためにこそ、きれいでなくてはならないということを、君は知っていて、そのようにしていた。君の髪は、だから、いつも濡れたように艶やかで、君が少し首を傾げてみせるのに合わせて、しなやかに肩を滑り落ちては、それをかき上げてくれる新たな誰かの手指を待っていた。
君のやることなすことは、いちいち、誰かの気を引くらしかった。君を見る者は、君の些細な挙動に注目し、そこに都合の良い意味を付与したがった。君が指先を軽く反らす仕草だけで、相手はもう、君に釘付けにさせられてしまう。君がしなやかな背中を大きく反らせば反らすほど、相手は君に夢中になった。君が唇を与えさえすれば、死者さえも息を吹き返すのではないかと思われるほどに、相手は君の意のままになった。君にとって、それは実に容易いことだった。
君は糸で吊られたようにまっすぐに背筋を正し、その細い足先で、傲慢なまでに堂々と歩むこともできたが、どこまでもしなやかに身体を屈曲させることもできた。それこそ、糸が切れた人形のように、くしゃりと崩れ落ちることも、無理な格好で奉仕することも、慣れたものだった。
君の優美な立ち姿は、手折られるためにこそ存在するといってよかった。ひとりでいるときの、君の凛とした高潔な姿は、これと定めた誰かに寄り添うと、たちまち自立を失って崩れ、しなだれかかり、絡みついて締め上げる、誘惑と捕食の美しい蛇に変貌する。その毒はあまりに甘美だから、哀れな人々は自らすすんで、君に絡め取られたがりさえする。
君は相手に応じて、自分自身を一番効果的に見せて売りつける方法を、よく理解していた。君は爛れきった娼婦の色目で熱烈に誘うこともできたし、無垢な少女めいた振る舞いで初々しく震えてみせることもできたし、無反応の人形になることもできた。君は、君を見る人間の心の内が、手に取るように分かった。それを思い通りに操作するのは、簡単なことだった。子どもの人形遊びと、何も変わらなかった。そして、君は誰しもを魅了してやまない、素晴らしい人形の持ち主だった。君は両手の糸で君自身を自由に操ることができたし、それをもってすれば、他人を意のままにするのは容易かった。
君はいつも空虚だった。君の世界は、空っぽだった。すべて分かってしまう君にとって、この世界には、君の関心を引くものは、何ひとつとしてなかった。生々しい剥き出しの情動に、君は数多く触れてきたが、いくら肌を重ねても、熱を飲み込まされても、欲望を注ぎ込まれても、同じものを君の内に抱くことはなかった。何によっても、君は汚されることはなかったし、染められることはなかったし、刻まれることはなかった。
君は喜びを知らなかった。君は悲しみを知らなかった。君は恐れを知らなかった。君は怒りを知らなかった。君は憎しみを知らなかった。君は愛を知らなかった。君は絶望を知らなかった。君は死を知らなかった。君は善を知らなかった。君は悪を知らなかった。
君は痛みを知っていたが、それは、恐怖や屈辱といった感情に結びつくものではなかった。いくら痛めつけられても、君は怖くはなかったし、悲しくはなかったし、悔しくもなかったから、泣くことも嘆くこともしなかった。君にとって、痛みとは、これ以上すれば壊れる、という限界を知らせるためのシグナルであって、物理的な警告以上の意味を持つものではなかった。
君には何もなかった。すべてのものは、君の外側にあった。君はそれを眺め、かたちをなぞり、真似して演じることはできたが、自分のものにすることはできなかった。がらんどうの、真っ白な世界を、君は当たり前のものとして受け容れていた。
そんなとき、君は、神様に出逢った。
神様は眩しい光を背負っていて、力強く、君に手を差し伸べてくれた。
君はそれまで、神様というものを知らずにいた。初めて出逢ったのに、どうして神様だと分かったのか、それは君自身すら、説明できないだろう。しかし、神様に出逢って、君は初めて、君がいたところが、薄暗い闇に閉ざされていたことを知った。君をそこから連れ出して、がらんどうだった君の世界を変えてくれた存在を、神様という以外に何と呼べば良いのか、君は知らない。
君は初めて、誰かに関心を持つということを知った。何かを強烈に欲するということを知った。君に喜びをもたらしてくれるものを知った。
君は神様に自分のすべてを捧げたいと思った。君は君の神様を喜ばせたかった。それが君の喜びになった。
神様を一番喜ばせることができるのは君であることを、君は知っていた。君の神様は、本の中に出てくるそれとは違って、万能ではなかった。神様は、深く傷ついていた。神様は、孤独だった。神様は、退屈していた。だから君は、神様の助けになりたかった。君という存在によって、神様が満たされることを望んだ。あの日、君のもとに神様が現れたのは、そのためだったのだと思った。
君は神様の期待を裏切りたくなかったし、寂しい思いをさせたくなかったし、退屈させたくなかった。そのためになら、君は、どんなことをするのも構わなかった。
君は神様の一番のおもちゃでいたかった。人間として不完全な君が、神様に愛して貰えないことは、はじめから分かっていた。それでも良かった。神様が、君を求め、楽しく遊んでくれるならば、それで十分だった。神様に愛されていたら、できないようなことでも、おもちゃであれば、できることがあると思った。
だから、神様に愛されることを、君は望まなかった。何を与えて貰う必要もなかった。君は、君の神様が存在するだけで、もう十分に救われていた。神様から与えられるのではなく、何かをして貰うのではなく、君が神様に与えたかったし、何かをしてあげたかった。それで、君が何もかもを捧げ尽くした末に、粉々に砕け散り、切り刻まれ、焼き尽くされて、跡形もなくなってしまうとしても、構わなかった。神様の中で永遠に、ひとつになって生き続けられるのなら、何も躊躇うことはなかった。
君は、誰かから愛されるということを、ついに知らなかったが、君は君の神様を愛した。神様が変えてくれた、君の世界を愛した。神様が与えてくれた、君の生命を愛した。神様が生かしてくれた、君自身を愛した。
君は祈りを知らなかったが、ただひとつだけ、願うことがあった。
どうか、神様が、ずっと、ずっと、君の神様であり続けるように、と。
何も知らず、何も持たず、何にもなれない、君にとって、それだけが、ただひとつの望みであり、君が君であることの理由だった。
──ああ。
愛されることを知らなかった、君。
神様に手を差し伸べられなかった、君。
哀れなる、君。
私が、君を愛そう。
私が、君を語ろう。
私が、君を救済しよう。
君の望みを、叶えよう。
君の神様に、君を永遠に刻みつけよう。
そして──極上の贈り物を、君に上げよう。
別れの歌も、手向けの花も、捧げられることのないままに。
喪失した、この心臓の奥に、今も眠る君よ。
[ end. ]
一番愚かでかわいそうな子は、明智くんを神様だと思ってしまった二十面相少年なのかもしれない と思う18話でした。
2017.2.14