空に鳥がいなくなった日(プレビュー)
炊事場を覗いてみると、サシャとコニーという、いささか不安を誘う取り合わせが、昼食の支度に勤しんでいた。
「よう。美味そうだな」
食欲をくすぐる匂いに引き寄せられるままに、炊事場に入る。すぐに気付いて、二人はこちらを振り向く。
「あっ、……おはようございます」
「おお、起きたか。もういいんだな」
コニーの言葉は、まるで、こちらが体調を崩して寝込みでもしていたかのようだ。もういいも何も、特に身体に不調はない。こいつがズレた発言をするのは、いつものことなので、気にしないことにする。
「お前らが食事当番、ってことは……」
「兵長は朝早くに、トロスト区に向かった。ジャンは薪割り。ミカサとヒストリアは、掃除に洗濯だな」
コニーはすらすらと挙げたが、そこに、一名、名前が入っていない。同じ班の人員を忘れてしまうとは、情けないことだとあきれながら、促す。
「それで、アルミンは?」
「……あ? 何言ってんだ、アルミンなら──」
怪訝そうに目を眇めたコニーが、その先に、何を続けようとしていたのか、知ることは出来なかった。それに被せるようにして、脇からサシャが飛び込んできたからだ。
「あああ、アルミンは! ちょっと用事で! ですよね!」
そんな必要もなかろうに、サシャは同期の肩を押しのけ、目一杯に声を張り上げる。何だよ、とコニーは肩を怒らせたが、サシャの表情から、何かに思い至ったらしい。ああ、とわざとらしく手を打つ。
「そうそう、そうだった! 用事でな、うん。なんだよエレン、忘れちまったのか? アルミンは、その、用事だよ、用事!」
やや声を上ずらせつつ、うんうんと力いっぱいに首肯する。忘れるも何も、そんな情報は初耳であるが、二対一では分が悪い。オレは首を捻る。
「……そうだったっけか?」
「そうなんだよ!」
間髪を入れずに、コニーは勢い込んで主張した。彼らの言葉を信用するならば、アルミンは所用で外出しているということらしい。そう言われてみれば、そんなような気もしてくる。
本人から、出掛ける前に、何か聞いていただろうか。よく覚えていない。頭がうまく働かないのは、まだ寝惚けているせいだろう。自分の頭を、軽く叩きつつ問う。
「用事って……買出しか?」
「さあ〜どうでしょう、私たちにはそこまでは……」
「俺、ちょっと野菜を調達に……」
サシャはあさっての方向を向いて、しきりに首を捻り、コニーはそそくさと厨房を後にした。どうも、話が要領を得ない。
「何だ? 妙な奴らだな……」
「そんなことはありませんよ! 何ですか、お芋が欲しいんですか? じゃあ、上げますよほら!」
湯気を上げる、頃合の芋を一つ掴み上げると、サシャは目の前に突き出した。やはりおかしい。こいつが、食物を無償で他人に分け与えるなど、普通であれば考え難いことだ。
とはいえ、その点を追及する前に、鼻先の芋から立ち上る香ばしい匂いの方へと、意識は引き寄せられてしまう。忘れていた空腹感が、途端にかき立てられて、収まりがつきそうにない。
結局、片手を差し出して、その半分を受け取っていた。もう半分はというと、これは当然の権利であるかのようにして、サシャが奪い去った。さすがに、一個まるまる腹に収めるつもりはないので、構いはしない。
噛り付いた芋は、たっぷりと熱を含んで、柔らかく解れていた。火傷をしないよう留意しつつ、ほろほろと崩れるそれを咀嚼する。噛み砕くほどににじみ出る甘みと、微かな塩気が口の中に広がって、優しく腹を満たした。
ついでに、水を一杯、貰いたいものだと思って見れば、サシャが居心地悪げに佇んでいた。いつの間にか、その手は空になっている。
もう、芋は食い尽くしたらしい。さすがに食い意地が張っていることだ。もしや、こちらの残りを欲しがっているのだろうかと思いつつ、オレはまだ残っている芋を齧った。
しかし、目を逸らしつつ、サシャが口にしたのは、施しの願い出ではなかった。率直な彼女にしては珍しく、躊躇いがちに紡ぐ。
「その、あまり、気を落とさないでくださいね……」
「……何のことだ?」
「いえいえいえ、気にしないでください! それじゃ、私は忙しいので!」
さあ、行った行ったと背中を押され、無理矢理に厨房から追い出された。結局、収穫は蒸かし芋の半分だけである。アルミンの用事とやらの件は、よく分からないままだ。あいつらに物を訊くだけ、無駄だったかも知れない。他の奴に訊いてみるとしよう。
[ 中略 ]
アルミンがいなくとも、太陽は昇るし、腹は減るし、洗濯物は出るし、兵長は帰ってくるし、掃除は命じられる。それが、自然の理というものだ。
オレは一心に塵を掃き、テーブルを拭き、窓を磨いた。休む間もなく、手を動かして、目の前のことだけに集中していれば、胸に引っ掛かる、掴みどころのない違和感に、気付かぬ振りを通すことが出来た。
そんな情けない動機から、熱心に掃除をしているとリヴァイ兵長に知られれば、心構えがなっていないとして教育的指導を受ける羽目になったかも知れない。あるいは、結果として部屋がきれいになるのであれば、オレの心中など、どうでもいいことだろうか。
「……こんなところか」
曇り一つなく磨き上げた窓に、己の姿を映して、よし、と頷く。少し休憩とばかりに、二階に上がろうとしたときだった。
「エレン。渡したいものがある」
そんな呼び掛けによって、足を止めさせたのは、ミカサだった。何だよ、と返すより前に、ミカサは手の中のものを差し出してきた。それが、予想外のものであったために、暫し、目を瞬く。
それは、人形だった。ミカサの組み合わせた両手から、腕と頭をちょこんと覗かせて、足は小さく揺れている。くたりとした布人形だ。
こいつに人形遊びの趣味はなかった筈だが、と思いつつ、ミカサの顔と人形を交互に見比べる。
「どうしたんだ、こんなの。屋根裏にでもあったのか?」
買ってきたわけではないだろうから、次にありそうな線を問うてみた。先人が残していったものを、掃除の途中で偶然、発見でもしたのだろう。チェスセットの先例もある。
ただ、そうだとしても、何故それをオレに見せるのか、動機が不明であることに変わりはない。とりあえずの情報共有のつもりだろうか。
ミカサは、少しばかり躊躇うようにした後で、小さく呟く。
「……作った」
返されたのは、想定にない返事であった。確認の意味で、問い返す。
「お前が?」
ミカサは黙って頷く。こんな玩具に興味など、ないものとばかり思っていたが、自分で作ってしまうとは、実は密かに趣味にしていたのだろうか。何でも器用にこなしてしまう優秀さは、手先の仕事にも発揮されるらしい。
先の戦闘の傷も癒えぬうちは、そう身体を動かすことは望ましくないから、日課のトレーニングに励むことが出来ない分、空き時間と情熱を注ぎ込んだのだろう。売り物としても十分に通用しそうな、その手作りの人形を、オレは改めて見つめた。
丁寧な刺繍で表現された、青いつぶらな瞳。微笑みの形に結んだ口元。見ていて、なんとなく安心する顔立ちだ。シャツとズボン、青い上着まで、ちゃんと作って着せてある。緻密な縫い目からは、人形に向けた、作り手の暖かな思い遣りを感じることが出来た。
麦藁色の毛糸を生やした頭部を、指先でつつく。
「どことなく、アルミンに似てるな」
「そのつもりで、作ったから」
「へぇ……」
不思議なことをするものである。友人をモデルに人形を作り、それを本人にではなく、また別の友人に渡す。その意図は何だろうか。
自分自身の人形を貰うのでは、恥ずかしさがあるだろうという、気遣いであろうか。作り手と、受け手と、モデルとで、幼馴染の三人それぞれにちゃんと役割が割り振られ、誰も仲間はずれにならないようにしたかったのだろうか。いずれにしても、彼女の行動は、時々、よく分からない。
こちらの内心をよそに、ミカサはほっと表情を緩めて、人形のアルミンの頬をくすぐる。
「ちゃんと、アルミンに見えるなら、……良かった」
「そんなに、出来映えが心配だったのか? よく出来てるじゃねぇか。アルミンに見せてやりてぇよ」
彼女の手の中から、人形を受け取って、オレは正直な感想を述べた。ミカサは押し黙る。作品を褒められて、気恥ずかしいのかも知れない。
アルミン本人がこの人形を見たら、何と言うか、見てみたいものだと思った。喜ぶだろうか、それとも、あいつはあまり自分の見た目が気に入っていないようだから、こんなに丸っこくない、などとぼやくだろうか。
そんな反応を示す本人と人形とを、並べて眺めてみたいものだ。やっぱり似ている、と確信を得られることだろう。
想像しながら、オレは人形の、くたりと下がる腕を摘んで引っ張っていたが、ふと疑問を口にする。
「でもよ……そのアルミンは、どうしちまったんだ? よく分からねぇけど、用事って、そんなにかかるもんなのか? もう随分と、会ってねぇ気がするぞ」
「……アルミンは、」
そこでミカサは、言いよどむ様子を見せた。何かを言いかけた唇を閉ざし、視線を外す。
「その……私にも、分からない」
「そうなのか? どこ行っちまったんだ……内密の呼び出しか……?」
オレは首を捻ったが、友人が秘密裏に呼び出されるような心当たりはない。
否、心当たりがあろうとなかろうと、自分たちは上官の一存で何処へでも馳せ参じる兵士である以上、それは何を保証するものでもない。上の人間の考えが、自分ごときに忖度出来る筈もないので、考えるのをやめた。
きっと、何らかの重要な任務に関する作戦会議にでも呼ばれていったのだ。そう結論づける。
「……エレンは」
「ん?」
「アルミンに、会いたいの?」
漆黒の瞳が、こちらをじっと見つめている。いまさら、何を言うのだろう。そんなことは、訊くまでもないことではないか。
あまり、皆の前で、会いたいなどと言うものではない──そんな、サシャの言葉を忘れたわけではないが、気心の知れた幼馴染が相手であれば、妙な遠慮は必要あるまい。オレはあきれ気味に応じる。
「は? 決まってるだろ。会いたいよ。あいつがいねぇと、落ち着かない」
お前もそうだろ、と促すと、ミカサは曖昧に頷いた。何を思って、こんなことを訊いてきたのかは知れないが、彼女はそれ以上、この話題を続けようとはしなかった。
人形を指し、とりあえず、それをアルミンと思ってくれと言い残して、ミカサは足早に立ち去った。オレも当初の目的通り、人形を片手に階段を上り、自分の寝台に腰を落ちつけた。
[ 中略 ]
アルミンさえ、ここにいてくれればと、ぼんやりと天井を見上げて思う。しかし、どうやらオレは、アルミンに会えないらしい。これまでに得られた情報を総合して、導き出されたのは、そんな素っ気ない結論だった。
「……会えない」
呟いてみても、その実感はなかった。
アルミンは、ここにいない。いつの間にか、オレの隣からいなくなっていた。それが、いつからのことだったのか、どうしても思い出せない。気付いたときには、もう、彼はいなくなっていた。
はじめのうちは、ただ一時的に、どこかへ出掛けているだけだと思っていた。アルミンの不在について、周りの誰も、何も言及しなかったからだ。きっと、すぐに戻ってくるものと思っていた。
日数が経つにつれて、その考えを改める必要に駆られ、ようやくオレは、アルミンがいなくなってしまった、ということを認めるにいたった。
だから、アルミンは、いきなり消えたのではなく、少しずつ、いなくなったのだ。ずっと一緒にいたものが、突然に消えれば、いくら何でも、気付かないわけがない。気付かない程度に少しずつ、アルミンは、いなくなった。
アルミンと、いつから会えずにいるのか、だから、オレにとってそれは、いつともいえずに曖昧なままだ。会えない理由も、分からない。最後にあいつの姿を見たのが、いつのことで、そのとき、どんな顔をしていたのか、もう思い出せない。
共に遊んだ幼い頃の無邪気な笑顔や、極寒の開拓地で見せた泣き顔、過酷な訓練に耐える横顔は、はっきりと思い出せるのに、最も間近な記憶だけ、欠落している。
ヒトならざるものの力を行使して、拳を振り上げた、これが、代償なのだろうか。こうやって、ヒトではなくなっていくのだろうか、となんとなく思った。
寝転がって、天井へと伸ばした腕の中で、無為に人形を弄ぶ。くいくいと小さな腕を曲げ伸ばししていると、知らず、溜息がもれた。
「……会いたい」
呟いた言葉は、どこへ届くこともなく、耳に響いて、消えた。繰り返したところで、決して、降り積もることはないのだと分かった。
[ 中略 ]
この中途半端に留め置かれた状況に、オレはそろそろ、堪えられなくなっていた。
アルミンが姿を消してから──精確には、アルミンがいないということを、オレがはっきりと認識してから──もう何日も経っている。その間、彼について、何ら音沙汰がない。さすがに、そのうちなんとかなる、時間が解決してくれるなどと、悠長なことを言ってはいられない。
その頃には、自分の中に、ある一つの仮定が固まりつつあった。考えるほどに、それは真実味を増していく。この状況に説明をつけるなら、最早、これしかないとさえ思えるのだった。
決して、愉快な仮定ではない。出来ることならば、アルミンがそのようなことになっているとは、思いたくはない。
しかし、もし、これを採用することで、状況に説明がつき、曖昧な不全感から解放されるというのならば、正直なところ、オレはそれに縋りたかった。それくらいに、思い詰めていた。
その仮定を、こいつらに、ぶつけてみるべきだろうか。厨房で、野菜を洗いながら、オレは隣に立つ同期らを見遣った。彼らはもう、アルミンに会いたがるオレの言動に、飽き飽きしていることだろう。身代わりの人形まで与えられる始末だ。大人しくしていろ、というメッセージが込められているのだろうことは、言われなくとも分かる。
だからといって、このままで良い筈がない。少々迷ったが、結局、幼馴染と隣り合ったタイミングで、オレは、それを口にしていた。
「なあ、オレ、考えたんだが……アルミンの奴、本当は、用事なんかじゃないんじゃねぇか」
芋を剥くミカサの手元が、ぴたりと止まる。彼女は戸惑うような表情で、こちらを向いた。こちらの発言内容を、理解しかねている、といった風情ではない。そうではなく、どう反応すれば良いか、決めあぐねているといった様子を感じた。
「……それじゃあ、何だっていうんだよ」
問いに応じたのは、ミカサではなく、鍋に湯を沸かしていたジャンだった。彼は、直截に答えを返すことはなく、目を眇めて、こちらに問い返した。まるで、オレがどこまで正答に近付いているか、試験するように。
「体壊して休養してる、とか……」
オレは、考えた中で最も有力と思われる推測を述べた。もし、そうだとすれば、何かをはぐらかすような、仲間たちの言動にも納得がいく。
おそらく、心配を掛けたくないから、といった理由で、アルミンは皆に口止めをしたのだ。だから、オレだけが、それを知らされていない。
知らされていないから、オレはアルミンの不在を不思議がるが、彼らからすれば、アルミンの苦境も知らずに何て呑気なことを言っているのかと、苛立たしくも感じられるだろう。考えてみると、それが正解であるような気がした。
「このところ、気の休まる暇もなかっただろ。……もしかすると、この前の戦闘で、どこか怪我でもしちまったんじゃ、」
「エレン。そんなことは、考えなくていい」
オレの台詞を遮って、ミカサは緩く首を振った。でもよ、と更に言い募るこちらを宥めるように、両肩に手を置く。
「……いいから。そんな心配は、要らない」
「……」
至近距離で、まっすぐに目を見据えられながら、そう言われて、オレは少々、たじろいだ。漆黒の瞳には、有無を言わせぬ気迫が込められていた。有力と思われた仮説を、どうやらオレは、捨てざるを得ないようだった。
こちらが黙ったのを確認して、ミカサは手を離す。ようやく、まともに呼吸が出来る気がした。掴まれた肩が、じわりと痛んだ。
「……休養だと? いったい、いつまで呑気なこと言ってやがるんだ」
ジャンは低く吐き捨てる。その言葉に、ミカサは表情を険しくしたが、彼は素知らぬ顔で、鍋の中身へと顔を向けた。それでもう、この話題は、なかったことにされた。
皮剥きを再開しつつも、とうてい、納得は出来なかった。ぶつ、ぶつ、と皮は短く千切れ、ちっとも上手く剥ぎ取れない。その隣で、ミカサはするすると鮮やかに薄皮を剥き取っている。くそ、と舌打ちして、オレはむやみに芋を抉り取りながら呟く。
「お前ら、何で平気なんだよ? おかしいだろ、あいつがいないってのに、心配じゃねぇのかよ?」
「……あのな、何度言ったら、分かるんだ? おかしいのは、俺たちじゃなく──」
語調を荒げて、ジャンが何を言おうとしたのか、知ることは出来なかった。そこで彼は、何かに気付いたように、口をつぐんだからだ。忌々しげに、視線を逸らす。上辺を取り繕うことのない正直者を自称する、いつものこいつらしからぬ態度だった。
何度も言った? そんな覚えはない。いったい、何を言っているのか、分からない。
「……何だよ? 何か、言いたいことがあるなら、」
「ねぇよ。お前に言うことなんて、一つも」
言っても無駄とばかりに、蔑みの込められた視線。否、違う。そこに込められていたのは、憐憫だった。それも、半ば、諦念に支配されていた。
そんな目で、どうして、見られなくてはいけない。いったい、何のつもりなのか。分からない。
言いたいことなど一つもないと、宣言した通り、ジャンはそれ以上何も言うことなく、料理が出来上がるまで、口を利くことはなかった。
[ 中略 ]
答えを返す代わりに、オレは、片手を隣に伸ばしていた。掴んだ肩は、頼りなく薄い。
慣れ親しんだ、アルミンのかたちに、指を沿わせる。身体をこちらに向けさせるが、アルミンは抗うように、顔を背けた。俯いた白い頬に、柔らかな髪が落ちかかる。
「アルミン」
こちらを向いてくれと、呼び掛けるが、アルミンは頑なに首を振る。麦藁色の髪が、ぱさぱさと鳴った。
宥めるように、もう片手も肩に掛けると、ひくりと強張る感触が伝い知れた。拒まれていることは分かっていたが、手を離すつもりはなかった。肉の薄い肩から、腕の方へと、ゆっくり滑らせる。
暫く、そうしていると、少しずつ、アルミンの強張りが解けていくのを感じた。捉えていた腕を離し、俯いた頬を包むように沿わせる。思ったよりも、そこは温かく、しっとりと濡れていた。
促してやると、アルミンは躊躇いがちに、面を上げた。濡れた頬に、幾筋かの金髪が張り付いている。目元を赤くして、アルミンは、泣いていた。潤んだ瞳が、ふるふると揺れて、透明な滴をこぼしては、また溢れさせる。指先で拭ってやっても、淡く色づいた頬は、すぐにまた濡れてしまうのだった。
温い滴を受け止めた指先を、口に含むと、濃厚な塩気を感じた。これは、たった今まで、アルミンの内側を流れていたものだ。アルミンの内にある、小さな海の透明な上澄みが、こぼれ落ちたものだ。
一粒も、逃したくはなかった。唇を寄せて、こぼれたばかりの滴を、舌先に受け止めた。頬の舌触りはなめらかで、くすぐるように舐め取ると、ん、とアルミンは小さく喉を震わせた。
その輪郭を、丁寧に辿りながら、オレは告げる。
「お前は、ここにいるだろ」
「う、ん……」
「これからだって、……そうだろ。お前は、ここにいる。ここに、いてくれ」
口の中が、塩辛い。それが、今ここにいるアルミンの存在を教える。誘われるように、首筋に顔を埋めた。深く呼吸すれば、懐かしい匂いに、包み込まれる。アルミンの滴を飲んだ分だけ、自分の中から、こぼれ落ちそうだった。
回した腕の中、収まりの良い身体の、頼りない厚みを確かめる。もっと、触りたかった。もっと、声を聞きたかった。
そうして、取り戻したかった。感じられずにいた分、それ以上に、アルミンが欲しかった。
「アルミン。オレ、もっと、……お前を、」
それ以上、何も言うことは出来ず、代わりに、きつく抱き締める。触れ合わせるだけでは、とても足りずに、不器用に身体を押し付けた。
密着した箇所は、互いの温もりが入り混じって、すぐに熱せられ、衣服越しにも、アルミンを直截に感じた。アルミンの鼓動が、鳴っている。胸郭が押し当てられ、繰り返す規則的な呼吸が分かる。息づいている、アルミンを、苦しいほどに感じる。
ちゃんと視える。感じられる。
もう二度と、見失わない。
きつく抱かれて、きっと、アルミンは息苦しい思いをしていることだろうと思う。しかし、腕を緩めることは、出来なかった。少しでも隙間を作れば、すり抜けてしまうような気がした。どこにも行かせたくはなかった。
[ to be continued... ]
壁博3新刊『空に鳥がいなくなった日』プレビュー(→offline)
*アルミンに会いたいエレンbot様の設定をお借りしております
2014.06.20