ドールハウス(プレビュー)
これは、あるお人形たちのおはなしです。
■一番のプレゼント
森の中の小さなおうちに、アルミンという、ひとりのお人形の少年が暮らしていました。
おうちには、大きなソファとふかふかのベッドがあり、棚には、たくさんの本や、アルミンにぴったりのお洋服が収められています。お気に入りの服を着て、温かいお茶を飲みながら、大好きな本を読んで過ごすのが、アルミンのいつもの午後です。
そんなアルミンの手元を覗き込んだり、足に乗ったりしているのは、可愛いワンダミンたちです。金髪の男の子はワンダミン、黒髪の男の子はワンダエレン、女の子はワンダミカサといいます。
アルミンは、彼ら三人のお世話をしながら、一緒に暮らしています。小さいワンダミンたちは、組み体操をしたり、追い掛けっこをしたりと、やんちゃで、毎日がにぎやかです。
しかし、そんな日々の中で、アルミンはどこか、もの寂しさを感じていました。このおうちには、何かが足りないのです。
ここには、食べるものも、着るものも、眠る場所もあって、なにひとつ不自由はありません。甘いお菓子は、ひとりでは食べきれないほどですし、ティーカップは二つもあるので、うっかり割ってしまっても安心です。
十分に恵まれた暮らしをしているというのに、何かが足りないと思うなんて、わがままなことだと、アルミンも分かっています。それなのに、広いベッドでひとり眠るときや、大きなソファにからだを預けるとき、その空白はいっそうに、アルミンの胸に迫るのでした。
いったい、何が足りないのか、アルミンには分かりません。ただ、一度気になりだしてしまうと、何をしていても、心から楽しむことができないのです。それが、このところのアルミンの悩み事でした。
足元では、ワンダミンたちが三人仲良く遊んでいます。僕にも、こんな友達がいれば、悩みを相談することもできただろうにな、とアルミンは少しうらやましく思いました。
確かに、ワンダミンたちは、アルミンと一緒に暮らす、大切な家族です。しかし、彼らとアルミンは、からだの大きさがだいぶ違いますし、使う言葉も別のもので、お喋りをすることはできません。
アルミンはワンダミンを抱き上げますが、ワンダミンはアルミンを抱き締めてはくれません。アルミンはワンダミンに話し掛けますが、ワンダミンは首を傾げるばかりで、何も応えてはくれません。仲間と過ごすほうが楽しいのでしょう、そのうち、ワンダエレンたちのほうへと、戻っていってしまいます。
そんなことを考えつつ、お茶を注ごうと、立ち上がって一歩踏み出したところで、アルミンは、足元にいるワンダミンに気付かずに、蹴躓いてしまいました。
とっさのことに、受身も取れませんでした。すねを思い切りぶつけて、アルミンは声もなくうずくまります。必死に痛みを堪えていると、ワンダエレンが、心配そうに寄って来ました。
涙目になりながら、大丈夫だよ、とアルミンは笑ってみせました。それから、ごめんね、とワンダミンを撫でました。
少し蹴とばしてしまったのに、ワンダミンは泣くでもなく、平気そうな顔をしています。彼らは、よく背中に乗り合って、ピラミッドを作って遊んでいるくらいですから、からだは頑丈なのです。ぶつかって痛い思いをするのは、たいてい、アルミンのほうです。
小さな三人に寄り添われ、しくしくと痛むすねをさすりながら、アルミンは、僕と同じ人はどこかにいるのだろうか、と思いました。それから、お茶のおかわりを注ぎました。
このおいしいお茶を用意してくれたのは、「かみさま」です。「かみさま」は、アルミンの住むおうちや、着るものや、食べ物を用意してくれるのです。
「かみさま」はアルミンが心地良い暮らしを送れるようにしてくれる代わりに、ときどき、アルミンで遊びます。アルミンは「かみさま」のお人形なので、それは当たり前のことでした。
新しいお洋服に着替えさせられて、いろいろな格好をさせられている間、アルミンは、じっと大人しくしています。そうしているとき、アルミンの身体はアルミンのものではないので、なんだか頭もぼんやりとしてしまいます。「かみさま」の姿を見ることも、声を聞くこともできません。
暫くして、気がつくと、もとのとおりに、おうちで目が覚めます。「かみさま」に遊ばれている時間は、アルミンにとって、夢を見ているようなものでした。ただ、お洋服が変わっていたり、新しい食べ物や家具が増えていたりするので、「かみさま」が来てくれたということが分かるのでした。
ワンダミンにしても、「かみさま」にしても、アルミンとは違うものです。一緒にお茶をして、お喋りをする相手には、なれません。
壁に立て掛けた鏡に、アルミンはそっと指先を触れました。ひやりとした硬い感触が、アルミンを冷たく押し返します。
ひとつ溜息を吐くと、鏡の中の少年の哀しそうな顔から、アルミンは目を背けるのでした。
■
そうしているうちに、ワンダミンたちは、連れ立って、どこかへ出掛けていきました。背中には、大きなバスケットを乗せています。
今日は、アルミンのお誕生日です。かごを持ったワンダミンたちが、森でこっそり、お花や木の実を集めようとしてくれていることを、アルミンは知っています。
そんな彼らに、アルミンは、ケーキを焼いてあげようと考えています。そうして、皆でささやかなパーティーをする予定でした。
訪れてくるお客もいないので、それは、普段より少し豪華な食事になるというだけのことでしょう。たくさんの人たちにお祝いされる自分を、アルミンは思い描いてみようとしましたが、そもそもアルミンは、他の人というものを知らないので、うまくいきませんでした。自分には、ワンダミンたちがいてくれれば、それで十分だと思いました。
そんなアルミンには、ひとつだけ、胸の奥に仕舞った憧れがあります。それは、お誕生日に誰かから、お祝いのプレゼントを貰うということです。
アルミンには、プレゼントをくれるような人は、誰もいませんから、それは本の中のお話で知った習慣です。お祝いの言葉と一緒に、何かを贈られるのは、なんてわくわくとして、すてきなことだろうと思いました。
食べるものにも着るものにも、不自由していないアルミンですから、具体的に、何かを欲しいという気持ちになったことはありません。中身は、何でもいいのです。ただ、それがアルミンのために選ばれたプレゼントであるという、それだけで、贈り物は、かけがえのない宝物になるでしょう。
お誕生日は、特別な日ですから、何か特別なことが起こっても、不思議ではありません。それならばと、アルミンはひとつのお願い事を、胸の中で唱えました。それは、アルミンの、初めてのお願い事でした。
けれど、それは叶わないことだと、アルミンは知っていました。お願い事といっても、アルミンには、それを誰に言えばいいのかも分からないのです。
「かみさま」ならば、なんとかしてくれるのでしょうか。たとえ、そうだとしても、アルミンは「かみさま」に声を届ける方法を知りません。
だから、悲しくなる前に、そっと封じ込めました。気持ちを切り替えるように、ベッドの上で、お気に入りの本を捲り始めました。
次第に、うとうとと眠くなって、そのまま、身体を丸めて目を閉じました。
■
一方、ワンダミンたちは、ある場所へ向けて、森の中を一列になって進んでいました。アルミンのお誕生日のために、お花や木の実を集めようとしていたのは、嘘ではありませんが、本当の目的は、別にありました。
ワンダミンたちは、アルミンの様子がおかしいことに、気がついていました。
この頃のアルミンは、ぼんやりと窓の外を眺めては、物憂げに溜息をつくのです。どうしたのだろうかと、ワンダミンたちが近づいていくと、ふっと気付いて微笑んでくれますが、それも、どこか寂しげです。
いったい、アルミンは何が寂しいのでしょう。ワンダミンたちは考えました。
アルミンはワンダミンたちのお世話をして、可愛がってくれます。けれど、アルミンは、ワンダミンたちの遊びに加わることはできません。ワンダミンたちが仲良く遊んでいる間、アルミンはひとりぼっちです。アルミンは、きっと、それが寂しいのです。
とはいえ、ワンダミンたちには、どうすることもできません。アルミンとは、からだの大きさも、使う言葉も、違っているからです。
励まそうと思って、からだを摺り寄せても、アルミンは、よしよしと頭を撫でてくれるばかりで、励ますというよりは、ただ甘えているだけのようになってしまいます。
それならばと、ワンダミンたちは、ある計画を立てました。アルミンのお誕生日である、今日こそ、いよいよ、それを実行に移すときです。
おうちを後にして、暫く進んだところで、ワンダミンたちは、彼らだけの秘密の抜け道を使って、森の中ほどの開けた場所に出ました。きょろきょろと、辺りを見回します。そしてすぐに、ワンダミンは目的の相手を見つけました。
そこには、ひとりの黒髪の少年が佇んでいました。すらりとしたからだに、素朴な衣服を纏い、凛々しい顔立ちをした、お人形の少年です。
何をするでもなく、ぼんやりと木々を仰いでいた彼は、物音に気付いて、緑瞳をワンダミンたちに向けました。
「ん……なんだ、お前たち。また、来たのか」
少年はワンダミンたちに合わせてしゃがみこむと、順番に三人の頭を撫でました。アルミンとは違い、無造作な手つきではありましたが、ワンダミンたちは心地良く頭を揺らしました。
この前、散歩に出たときに、ワンダミンたちは偶然、この少年に出会ったのでした。アルミン以外の人間に会うのは初めてのことで、ワンダミンたちも、最初は警戒しました。
しかし、少年が悪い人ではないということは、小さいものたちに対する不器用な態度から、すぐに分かりました。少年も、最初は驚いたようでしたが、ワンダミンたちと遊ぶことで、退屈を紛らわせているようでした。
ワンダミンたちの背中を撫でてやりながら、少年は呟きます。
「お前たち、仲間がいて良いよな。オレは、気付いたらひとりでここにいて、どうすりゃいいんだか、途方に暮れちまってるんだ。何か、探してるもんが、あった気がするんだが……」
少年は難しげに眉を寄せ、頭をかきます。ワンダミンたちを見つめる、その表情は、アルミンのそれとよく似ていました。彼もまた、こんな場所にひとりぼっちで、寂しい思いをしているのでした。
そういえば、と少年は顔を上げます。
「お前たち、いつも、どこから来るんだ? 他にも、ここらに住んでる奴がいるのか?」
ワンダミンたちは、顔を見合わせ、そして、ひとつの合意に至りました。連れ立って、来た道を引き返します。なんだ、もう帰るのか、と少年はそれを見送ります。
しかし、ワンダミンたちは、途中で行進をやめ、振り返りました。皆で、じっと少年を見つめます。
「どうしたんだよ、お前ら……」
ワンダミンたちの行動に、少年は不思議そうに首を捻りました。どうしたんだ、と一歩、歩み寄ってきます。
少年が近づいてきた分だけ、ワンダミンたちは、先へ進みました。少年が足を止めると、ワンダミンたちも、足を止めます。それを何度か繰り返して、少年は呟きました。
「ついてこい、……っていうのか」
ワンダミンたちの意図は、無事に少年に伝わったようです。
こっちだよ、と先導するように、ワンダミンたちは少年を振り返りながら、森の中を進んでいきました。抜け道は、少年にはだいぶ狭いようでしたが、なんとか潜り抜け、ワンダミンたちの後を追います。
そして、ワンダミンたちは無事に、少年を目的の場所へと導きました。そこには、一軒の小さなおうちがありました。窓からは、温かな灯がこぼれています。
「家、が……」
to be continued...
■外の世界
[ 中略 ]
僕、おかしいのかもしれない、とアルミンが深刻そうな表情で告げたのは、それから間もなくのことでした。いったい、何事かと、エレンはワンダミンたちと遊ぶ手を止めて、問い質します。
アルミンは胸元で、小さな手を重ねて、きゅ、と握りました。
「エレンといると、ここが、温かくなる気がするんだ。それから、とくとく、音が聞こえてくる……」
そんなはずないのに、とアルミンは俯いて呟きます。青灰色の瞳が、戸惑いに揺れているのが、エレンにも分かりました。
「今もか?」
「うん……だんだん、速くなって、ちょっと苦しいくらい……」
それはいけないと、エレンはアルミンを促して、寝台に横たわらせました。アルミンは不安そうに、エレンを見上げます。エレンはお医者さんではないので、アルミンを調べたり、治したりすることはできませんが、少しでも、その不安を和らげてやりたいと思いました。
アルミンは、小さな両手を、胸元できつく握っています。その手を、エレンはひとまず外させて、代わりに、自分の手を置いてみました。
「あ……」
切なげに眉を寄せて、アルミンは微かな声をこぼします。それから、はっと気付いたように、急いで口元を覆いました。
「ご、ごめん……変な声、出ちゃって……」
「いや……痛かったのか? なら、触らないほうがいいか」
「ううん。痛いんじゃなくて、……分からないけど、このままが、いい……」
触って、とアルミンは吐息交じりに囁きます。言われたとおり、エレンは、なだらかな胸の中央に手を乗せました。
息苦しさが、少しでも和らぐように、ゆっくりとさすってやると、アルミンは伏せた睫を震わせ、細く溜息を吐きました。それから、ほろほろと涙をこぼします。
「どうした? やっぱり、嫌だったか?」
「違うよ、嫌じゃない……でも、分からなくて、こわいんだ。こんなの、知らない……」
エレンの手の上に、アルミンの細い手が、そっと重ねられます。いったい、何をこわがっているのか、それは、確かなものを求めて、縋るような手でした。嗚咽を堪えて、アルミンは途切れ途切れに紡ぎます。
「すごく熱い、のに……触っても、温かくなんて、ないだろ? とくとく、鳴る音も、もう、身体じゅうに響いているのに、外側からは、聞こえない……当たり前だよ、この胸は空っぽで、何も入っていないんだから。それなのに、どうして、こんな風になってしまうんだろう……」
ぎゅ、とアルミンの手が、重ねたエレンの手を握り締めます。
アルミンがこわがっているのは、自分自身でした。自分の身体が、自分のものではなくなってしまうような、正体の分からない心細さに、アルミンは、小さく指先を震わせているのです。何とかしてやりたいのに、何をしてやることもできずに、エレンはただ、手を重ね、胸をさすってやることしかできませんでした。
アルミンの言うとおり、衣服越しに感じるその胸は、温かくもなければ、脈打ってもいません。エレンと同じく、空っぽの手触りを感じるばかりです。
それでも、繰り返し撫でられることで、アルミンは少しずつ、落ち着いていったようでした。取り乱してしまったことを恥じるように、涙を拭って、顔を背けます。
「ごめん、変なこと言って……やっぱり、僕、おかしい……」
「お前がおかしいっていうなら、オレだってそうだ。触っても、熱くなんてないのに、何でだか、お前の言ってる意味が、分かるんだ。ここが、どうなっちまうか、オレも、知ってる……」
エレンはアルミンの上から手をどけると、空いた胸の中央に、おもむろに耳を押しつけました。思わぬことに、アルミンは、ひくりと身体を震わせます。
耳を押し当てる位置を少しずつ動かしながら、エレンは神経を研ぎ澄ませました。とくん、とくんと、規則正しい音が聞こえてきます。
ただ、それは、アルミンの胸から聞こえるのではありません。そこは、相変わらず、しんと静まり返っています。音は、エレン自身の胸の中心から、響いてくるのでした。やはりそうだ、とエレンは確信を得ます。
「お前に触って……オレも、変な感じになる。熱くなって、どくどく鳴って、息苦しい……お前が言ってるのも、これのことだろ?」
ほら、とエレンはアルミンの手を引き寄せ、胸元に押し当てさせました。遠慮がちに、アルミンは触れさせられた胸元を探ります。いくら探しても、そこに温もりを見出すことはできないはずです。
それから、エレンは寝台に上がり、アルミンに並んで横たわりました。聞いてみろよ、と胸を指します。アルミンは、もぞもぞと身じろいで、エレンの胸に、そっと耳を押し当てました。
「……聞こえない。けど、エレン、本当に……?」
「ああ。さっきから、鳴り続けてる。お前に触られて、ますます、うるさくなった」
「……心臓の、音。僕たちは、知らないはずなのに、それが聞こえる……」
何事かを思案するような面持ちで、アルミンは上体を起こし、膝を抱えました。エレンも起き上がり、寝台の上にあぐらをかきます。
こめかみに指を当てて、神妙な顔をしていたアルミンは、言葉にしながら考えをまとめるように、ゆっくりと語り掛けます。
「エレンは、初めて逢ったときから、僕の名前を知っていたよね。僕も、それを不思議には思わなかった」
「ああ……それを言うなら、お前だって、オレをちっとも警戒しなかっただろ。まるで、もとから知ってたみたいに」
いくら、ひとり暮らしで、友人を求めていたとはいえ、あれは、見ず知らずの人間に対する態度ではありませんでした。うん、とアルミンは頷き、眩しそうにエレンを見遣ります。
「初めて、エレンと逢ったとき……とても、懐かしい気持ちがしたんだ。やっと逢えた、と思った。知らないはずなのに……」
「オレだって同じだ。お前を見たとき、思い出した。オレは、アルミンを知ってたんだって」
そう、と呟いて、アルミンは暫く、何かを考え込んでいるようでした。それから、顔を上げて、ひとつひとつ、考えを確かめるように紡ぎます。
「僕たちは人形だ……ヒトをかたどったものだ。本物じゃないけど、よく似せて創られたものは、限りなく本物に近い性質を持つんじゃないかな。もしも、僕たちが、誰かに似せて創られたのなら、その元となったヒトの記憶の欠片が、僕たちの中にも、紛れ込んでいるかも知れない。お互いのことを知っていたのも、持っていないはずの心臓の音が聞こえるのも、きっと、そのせいだ」
はたして、そんなことが、あるものなのかどうか、エレンには分かりません。しかし、アルミンの言うように考えなければ、説明できないことがあるのも、確かでした。
「オレたちは……何を、知ってるんだ」
「……聴いてみよう」
自分の中に眠るものを、掬い上げて、光に透かすように、アルミンは瞼を下ろします。それに倣って、エレンも目を閉じました。作り出した暗闇の中、紡ぎ出される、アルミンの声に、耳を澄ませます。
「エレンは、……僕を、守ってくれた」
「……アルミンは、オレに世界を教えてくれた」
エレンは確かに、それを知っていました。言葉にすることで、より鮮明に、思い出します。知らないはずの、いつか、どこかでの記憶です。
瞼を少し開けてみると、アルミンもまた、エレンを見つめていました。お互いに、小さく頷き合うと、再び目を閉じて、続けます。
[ 中略 ]
森の収穫物は、多様でした。昨日までリンゴが生っていた樹に、今日はオレンジが生っています。足元には、昨日は見かけなかった、小さなヘビイチゴが、可愛らしく茂っていて、それも数日後には、そっくり別の植物に入れ替わっているのでした。
これは、服が新しくなっていたり、家具が増えていたりするのと同じように、かみさまの仕業のひとつでした。何にしても、いろいろなものが採れるのは、飽きることがなくて、良いものです。二人は、新しい森の恵みを見つけては、大事にそれを採集しました。
かごに入りきらない分は、アルミンが長いスカートの裾を広げて包み、持ち帰ります。ちょっと、はしたないけどね、とアルミンは苦笑いしますが、捲れ上がった裾から伸びる白い脚を見ているのは、エレン以外に誰もいないのですから、構いはしないでしょう。
今日は、いったい何を収穫できるだろうかと期待しつつ、エレンはかごを手に取り、友人に声を掛けました。
「散歩、行くだろ」
「うん」
いつものように応えて、アルミンは立ち上がりました。いいえ、立ち上がろうとして、腰を浮かせたときでした。ぐらり、とアルミンの身体が揺らぎました。
とすん、と音を立てて、小さなお尻が、再びソファに沈み込みます。あれ、と、自分でも何が起こったのか分からないといった顔で、アルミンは目を瞬いています。
「どうした?」
「ごめん、ちょっと……おかしいな、」
ソファに手をつき、アルミンは改めて、そろそろと身体を起こしました。中腰になったところで、細い膝が、かくりと折れます。前のめりに、崩れ落ちそうになる身体を、エレンは咄嗟に、抱き支えました。
「大丈夫か」
「あ……うん、平気だよ」
アルミンは目を伏せ、か細く答えました。とりあえず、エレンは友人の身体を支えて、ソファに座らせてやりました。申し訳なさそうな顔で、アルミンは俯きます。
「ごめん、面倒掛けて。近頃、ときどき……こう、なるんだ」
「どっか、具合でも悪いのか?」
「たいしたことじゃないよ。僕、そそっかしくて……ひとりで暮らしてたときから、しょっちゅう転んで、あちこちぶつけたりしていたから。慣れてるよ」
「そういう問題じゃねぇだろ」
こちらと目を合わそうとせずに、妙に早口で喋るアルミンを前にして、これは、何か隠し事をしている表情だと、エレンは直感しました。気付いてしまった以上、知らぬ振りはできません。
「何か、困ったことでもあるんなら、はっきり言ってくれよ。このままじゃ、心配だ」
「そんな……本当に、なんでもないから、」
「なんでもないかどうかは、オレが聞いてから決める。……教えろよ。オレたち、二人だけしかいないってのに、隠し事するのか?」
これでは、半ば脅しであるということは、エレンも自覚していました。それでも、アルミンが頑なにごまかそうとする以上、仕方のないことでした。
どう言ったものか、迷うように、アルミンは視線をさまよわせます。それから、何かを心に決めたように、真摯な面持ちで、エレンを見つめました。
「エレン、聞いて。エレンにも、関係あることだから……」
そう前置きをして、アルミンが語り始めた言葉のひとつひとつを、エレンはこの先も決して、忘れることはないでしょう。それは、あまりにも静かで、哀しい言葉でした。
自らの膝を包むように手を置いて、アルミンは淡々と紡ぎます。
「前にも、少し、言ったことだけど。僕の身体は、たくさん遊ばれたから……あちこち、関節が磨耗して、緩んでしまってる。特に脚の付け根と、膝はもう、思うように力が入らない……これは、良くなることはないんだ。たぶん、そのうち、自分の重さも支えられずに……立つことも、難しくなる」
アルミンの口から発せられる言葉の意味を、エレンは、すぐには理解できませんでした。受け容れることを、頭が拒んでいました。アルミンは、真面目な顔をして、何を言っているのでしょう。
アルミンの細い指が、膝の上で、きゅ、と握られます。それで、エレンは、はっと我に返りました。
「そんな、……何、言ってんだ? 冗談、だよな? そうなんだろ?」
そう、きっとこれは、アルミンなりの冗談なのです。そうに違いありません。驚かせやがって、と、エレンは引き攣った笑みを浮かべました。
「お前、オレが最初の頃、まだ関節が固くて、困ってるところ見てたから、そんな笑えねぇ冗談、思いついちまったんだよな。脚が緩んで、歩けなくなるだって? そんなこと、あるわけ、……」
縋るように、語り掛けるエレンの目の前で、ゆっくりと、アルミンは首を横に振りました。冗談などではないと、その仕草だけで、エレンは理解せざるを得ませんでした。
茫然と、声を失うエレンに、アルミンは静かに言い聞かせます。
「仕方ないよ。そういう風に、できているんだから。遊ばれるために創られた僕が、こんなになるまで、使って貰えた……喜ぶべきことだよ」
穏やかな微笑さえ浮かべて、アルミンはそんなことを言います。いったい、何が喜ぶべきことであるのか、エレンには、ちっとも共感できませんでした。ひりつく喉を、こくりと鳴らします。
「立てなく、なっちまうって、そうしたら……どうなるんだよ」
「……棒に括りつけて立たされるか、ずっと座らされてるか……いずれにしても、遊びにくくなってしまうことは、確かだね。自由にポーズをつけられる人形のほうが、いいに決まってる」
いわば、用済みだよ、とアルミンは平気な顔で、ひどい言葉を口にします。使い物にならなくなってしまったお人形の行く末を、エレンはおそるおそる問いました。
「……捨てられちまう、なんてこと、ねぇよな」
「そういう可能性もある」
「あってたまるか!」
壁を殴りつけて、エレンは叫びました。そんなエレンを、アルミンは相変わらず、静かに見つめています。
どうして、そんな風に淡々と、他人事のように、自分の運命を語れるのかと、エレンは思いました。こんな大切なことに対して、どうして、自分たちは、まるで正反対の反応をしているのだろうかと思いました。
こんなにも、二人の意見が真っ二つに割れるのは、初めてのことでした。当然、エレンは、折れるつもりはありませんでした。歩み寄るつもりさえ、ありません。間違っているのは、明らかに、アルミンのほうです。
しかし、そんなエレンを宥めるように、アルミンは紡ぎます。
「エレン。僕は、いいんだよ。こんなになるまで遊んで貰えて、僕は、恵まれていた。ちゃんと家も、服もあって、最後にエレンに逢うことさえできた。もう、十分だよ」
最後、という言葉が、アルミンの唇から紡がれて、エレンはますます、首が熱くなるのを感じました。
「諦めるっていうのか? 捨てられたら、もう、会えなくなっちまうのに、お前はそれでいいっていうのかよ!」
目を覚ませ、というように、エレンはアルミンの細い肩を掴んで揺さぶりました。アルミンに対して、こんな風に乱暴に振る舞うことは、初めてでした。
力任せに、がくがくと揺さぶられて、アルミンは小さく眉を寄せました。エレンの手の上に、咎めるように、よそよそしく手を重ねます。
「エレン……やめて」
「っ……」
それで、エレンは、自分の叫びが僅かにもアルミンには届かないということを、思い知らされました。エレンの言葉は、アルミンを素通りするばかりで、その静まり返った水面に、小さな波紋を立てることさえ、できませんでした。
エレンはのろのろと、掴んでいた肩から手を外しました。遠い、と感じました。ずっと寄り添っていたはずなのに、今のエレンには、アルミンが、少しも見えませんでした。力なく、ソファの端に腰を下ろします。
ソファの端と端に座った二人の間を、息苦しい沈黙が支配します。指先が触れ合うことも、視線が重なることも、ありません。二人でいるのに、どこまでも、ひとりぼっちでした。
どれくらいの時間が過ぎたでしょうか。ふと、アルミンは、顔を背けてうなだれます。
「……僕だって、嫌だよ」
ぽつりと、こぼれ落ちた声に、エレンは伏せていた顔を上げました。声は、消えてしまいそうに弱々しく、掠れていました。微かに震える息遣いは、溢れ出してしまいそうなものを、懸命に堪えているのだと、顔を見なくても分かりました。
[ 中略 ]
許して貰えたことに、ほっとしたのか、ザンネンミンの表情は、どこか和らいで見えました。良かったね、とアルミンはその頭を撫でてやっています。エレンも、仲直りのしるしに、ぽんぽんと軽く叩いてやりました。
「それで、外の世界ってのは、もう近いのか? こいつは、何て言ってる?」
「えっと、実はこの子も、外に行ったことはなくて……でも、ここから先は、行っちゃ駄目って、かみさまに言われてるらしい。だから、きっと、外の世界は──この先だよ」
「そうか」
ならば、それを信じるとしよう、とエレンは頷きました。ザンネンミンの背中から、アルミンを抱え下ろします。
ここからは、二人だけの旅です。ザンネンミンの移動速度は、確かに魅力的ではありますが、そのために彼を巻き込んで、危険な目に遭わせるわけにはいきません。
エレンはザンネンミンの後ろに回り込むと、もう一度、尻尾を強く引いてやりました。
「じゃあな」
手を離すと、ザンネンミンは勢いよく走り出します。やってきたほうへと、遠ざかっていく後姿を、二人で見送りました。
「……あ、曲がった」
「くるくる回ってる。嬉しそうだね」
あれが喜びの表現であるのかどうか、エレンには分かりません。うまく前に進めずに、困っているように見えなくもありませんが、アルミンがそう言うのなら、そうなのでしょう。
あのザンネンミンの気持ちがなんとなく分かるようだから、やはりお前に似てるんじゃないか、とエレンは胸の内で思いました。
「さて……行くか。あいつが言ってたのは、こっちのほう──」
改めて、歩き出そうとしたときでした。エレンの腕の中で、あ、とアルミンが呟きます。
「見て、エレン。僕たちが、落っこちてきた崖……あれは、テーブルだ」
なんだって、とエレンは背後を振り返ります。後方に聳え立つ巨木。いいえ、それは柱でした。天を貫く、巨大なテーブルの脚です。
離れて見ることで、初めて、その全容が知れました。首が痛くなるほど反らしてみると、頭上を覆い尽くすように広い天板と、その縁から微かに、木々の緑が垣間見えます。それは、空中の森でした。
「僕たち、あの上で暮らしてたんだ……」
アルミンが独りごちます。小さな家も、二人で散歩した森も、ひとつのテーブルの上の世界だったのです。外側から見れば、それは、とても小さな世界でした。
「そこから……外に、出てきたんだな。オレたちは」
外の世界は、あの家よりも、森よりも、ずっと何倍も広いという話は、本当でした。しかし、空があって太陽がある、本当の外の世界には、まだたどり着いていません。アルミンの憧れる、光に満ちた天空は、どこにあるのでしょう。
巨大な織物を踏み締めて、一歩ずつ慎重に進みます。アルミンも、好奇心を抑え難いらしく、忙しく辺りを見回しています。
「何もかも、ぜんぶが大きい……敷き布があって、テーブルがあって……これは、ソファかな。僕たちの家に、よく似てる。きっと、これが、かみさまの家なんだろう。かみさまは、この家に似せて、僕たちの家を創ったんだ……」
だとしたら、かみさまとやらは、どれほど大きいのでしょう。辺りのものは、エレンたちの何倍も大きくなっていました。
エレンの十数倍もありそうなテーブルと椅子。足首まで埋まってしまう、毛織物を敷いた床。途方もなく高く、最早、霞んで見えない天井。
その部屋は、二人の暮らした家にそっくりでしたが、ずっと大きく、重く、しっかりとしているように見えました。
「とにかく……見つかって、連れ戻されることだけ、気をつけねぇと」
「そうだね……この時間に、かみさまに遊ばれることはなかったから、大丈夫だとは思うけど」
[ to be continued... ]
HARU新刊『ドールハウス』プレビュー(→offline)
2015.03.11