もしこの壁の中が一軒の遊園地だとしたら(プレビュー)
行き交う者もない街道を、馬を駆ってひた走る。薄い靄の向こうに、太陽が白く輝いている。その手前に、次第に姿を現しつつあるものがあった。
壁のシルエットではない。古城、風車、塔──既知の建造物の、いずれとも異なる。聳え立つものの輪郭に、目を凝らす。初めて目にする、それは、巨大な円環だった。静謐の中、天を衝くかのように、完全な姿で佇んでいる。
あれか。目的のものの片鱗を捉えて、エレンは口の中で呟いた。何が出てきても、驚くまいと心構えはしていたが、いざ実物を目にすると、己の目を疑いたくもなる。脇を見遣れば、並走する馬上のアルミンも、緊張の面持ちで、小さく頷く。間違いない。
あれが目的地──自分たちに課せられた任務の、調査対象だ。
「貴族連中から没収した、娯楽施設なんだけどね。街からは、少々離れている。使えるようであれば、市民のために開放したいんだ。とりあえず、下見として、君たちでひとっ走りして、調査してきてくれないかな?」
王政打倒後の慌ただしい日々も一段落したところで、エレンとアルミンを呼び出した上で、その任務を与えたのは、誰あろうハンジ分隊長であった。てっきり、新しい(分隊長曰く、素晴らしい)実験計画をお披露目されるものだとばかり思っていたエレンは、正直いって、拍子抜けした。こちらも、手伝い要員として呼ばれたものと思っていたらしいアルミンにしても、似たようなもので、思わぬことに、目を瞬く。
「調査、ですか……でしたら、もっと頭数を揃えて、手分けして、」
「いやいや、その必要はないよ。あまり大きな声では言えないが、これは、つまり、息抜きだと思ってくれていい。よく頑張ってくれている、君たちへのご褒美だ」
「ご褒美……」
二人して、顔を見合わせる。思い掛けない人から、思い掛けない言葉が飛び出した。その甘い響きに、何か裏があるのではないかと、ささやかな疑念が過ぎったが、上官の厚意に対して、かような疑いを抱くのは、非礼が過ぎるというものであろう。
隙あらば、巨人の能力の限界を調査したがる人だとばかり思っていたが、そうしてエレンを独占し、酷使することに、少なからず、申し訳ないという思いも抱いてくれているらしい。息抜きの機会を与えるのが、せめてもの罪滅ぼしといったところだろうか。この人に対する見方を、自分は少し改めた方が良いかも知れない、とエレンは思った。
こちらの思いを、知ってか知らずか、眼鏡を押し上げて、ハンジ分隊長は問う。
「それで──どうする?」
「──もちろん、行ってきます」
エレンの答えに、迷いはなかった。隣のアルミンも、それに同意する。そもそも、任務とあれば、断るという選択肢は存在しない。分隊長も、それを分かって、少年たちが気後れすることのないよう、このような切り出し方を選んだのだろう。頼んだよ、と言い残して去る後姿を見送りつつ、その思い遣りのほどに、エレンは深く感じ入った。
思い掛けないこととはいえ、実験続きで、心身共に参っていたエレンには、またとない「任務」だった。組む相手が、気心の知れた幼馴染とあれば、なおのことだ。隣の友人の肩を、エレンは軽く叩いた。
「よろしくな、アルミン」
「こちらこそ。どんな場所か、楽しみだね」
そうと決まればと、地図を片手に、早速、馬を駆って出発した。
貴族連中の娯楽施設だったという、その場所は、想像以上の威容を誇っていた。こんなものを隠し持っていたとは、たいしたものだ。
城塞と見まごうかの巨大な建造物は、一キロメートル手前からも視認できていた。選ばれし者のみに開かれた場所であることを示すように、堅牢な壁とゲートによって、周囲から隔絶されている。
「でかいな……オレたち二人で、ここの調査か」
ゲートを潜り、足を踏み入れる。その瞬間、壁の外側とは一転して、鮮やかな色彩が目に飛び込んだ。一瞬、サーカスのテントにでも、迷い込んでしまったのかと、エレンは己の目を疑った。普段、街中では決して見掛けることはないであろう、溢れるばかりの色彩と、奇妙な造形物が、無秩序に視界を埋め尽くしていた。
目の前に広がる、浮かれた光景を、理解できずに、エレンは立ち尽くした。隣で、あ、とアルミンが小さく声を上げる。
「エレン、ここって……遊園地だよ」
「遊園地……いつか言ってた、あれか」
久しく耳にすることのなかった言葉の響きが、懐かしい記憶を呼び起こす。いつの日か、二人で訪れることを約束した場所。当時は想像することもなかったかたちで、それが叶ってしまった。
改めて、一帯を、ぐるりと見渡す。子ども向けの遊具を集めた場所、という説明から、幼いエレンが思い描いていた素朴なイメージと、実際の遊園地とは、だいぶ様相を異にしていた。
巨大な船のオブジェや、聳え立つ塔、所狭しと並ぶ何頭もの木馬といった造形物が、賑やかに配されている。金銀をふんだんに用いた、輝くばかりの色彩が入り乱れ、まるで、祭りのパレードだ。そのひとつひとつを、二人は順に眺め、圧倒された。
「これは……すごいね……」
「ああ……」
とはいえ、見ている分には、それらは豪華な置物であるにすぎない。初めて目の当たりにした瞬間こそ、驚きに包まれたが、ずっと眺めていたいというものでもない。ただ、きらびやかな置物があるというだけで、わざわざ、人々がこぞって訪れようとするほどの場所とは思えなかった。
「見てるだけじゃ、何が楽しいんだか、分からねぇな……」
「うん。調査というからには、実際に、体験してみないと」
近くに落ちていた紙片を、アルミンは拾い上げて広げた。どうやら、園内の地図のようだ。ややこしい名前のついた遊具が、あちこちに点在しているらしい。
「僕たちが今いるのが、ここで……とりあえず、端から見ていこうか」
アルミンの道案内で、まずは敷地の南端に向かう。歩道はゆったりと広く、砂利と敷き石で美しく整備されており、よく手入れされた生垣に、噴水を備えた水路が目を楽しませる。
あちこちに、ベンチやテーブルセットが据えられ、食事を提供していたのだろう出店の形跡もある。訪れた者が、一日滞在しても不便がないだけの設備を整え、更には、飽きが来ることもないよう、工夫が凝らされていることが分かった。
この敷地内だけで、何ら不足なく、すべてが事足りる。これは、もう、一つの街といっても良いのではないかとエレンは思った。
そうしているうちに、目指す場所に辿りついたのだろう、アルミンが足を止める。
「まずは、あれなんかどうかな」
友人に指し示されるままに、エレンは、その遊具を見遣った。二、三度、瞬きをして、なんだこれは、と胸の内で呟く。
春の訪れと共に、一斉に咲き乱れる花々を思わせる、きらびやかな装飾を施された乗り物だった。中央の支柱から、地面と水平に放射状の棒が伸び、それぞれの先に、二、三人は並んで座れそうな座席が取りつけられている。
乗り物全体を覆う、テントのように円形に広がった屋根は、赤を基調として黄金に縁取られ、花の意匠の豪奢なステンドグラスが、いくつも嵌め込まれていた。王の馬車もかくやといった様相に、質実剛健を旨とする兵団組織での暮らしに慣れた身としては、ただただ、あっけにとられるばかりだ。
アルミンはといえば、乗り物の近くの案内板を見つめて、ふむふむと頷いている。
「なになに、『ブルームエクスプレス』……これの名前かな? どうやら、高速で動く乗り物みたいだ」
「この見た目は、速度重視とは思えないが……」
「乗ってみないと、分からないよ」
それもそうだと、ゲートを潜って、手近な座席に向かう。三人は座れそうなシートの内側にアルミン、外側にエレンが乗り込み、上がっていた手摺を手前に下ろす。きらびやかな乗り物に乗った自分たちが、外からどう見えるのか、知りたいようでもあり、知りたくないようでもあった。
いったい、こいつがどんな動きをするというのだろう。なにしろ、初めてのことだけに、油断はならない。隣の友人も、思いは同じようで、落ち着かない様子で身じろぐ。
「なんだか……少し、緊張するよ」
「大丈夫だろ。いざとなったら、こいつもある」
装着した立体機動装置を示して、エレンは友人を励ました。不安定な馬上からの立体機動さえ、自分たちは、既に会得している。この乗り物が、どんな予想外の動きを見せようとも、その技術をもってすれば、速やかなる離脱は可能である。
その言葉に、勇気を得たのだろうか、うん、とアルミンも頷いて、しっかりと手摺を握り締める。更に緊急事態とあれば、エレンは隣の友人を抱きかかえて脱出する算段もつけていたが、余計に不安を煽りそうなので、これは口にしないでおいた。
二人の準備が整うのを待っていたかのように、ベルが鳴り響き、乗り物はゆっくりと動き出した。前の座席に等間隔で続き、同じ軌跡をなぞる。支柱を中心に、円を描いて回転する乗り物らしい。さながら、横倒しになって回る、巨大な車輪だ。
「回転運動に加えて、床の起伏による上下運動も組み合わされている……それで、身体への負荷の具合が変化して、単調さを回避しているんだろう」
乗り物に揺られながら、アルミンは冷静に考察する。息抜きに近いとはいえ、一応は、これも分隊長直々に与えられた任務である以上、調査への使命感が第一にあるのだろう。詳しい分析はアルミンに任せることにして、エレンは流れていく景色を眺めた。軽快な音楽が、どこからか響いて、愉快な気分を誘った。
高速回転が売り物というのは、嘘ではなかったようで、はじめのうち、緩やかだった回転は、次第に速度を増していった。自然と、エレンは足を踏ん張り、手摺をきつく握り締めた。なるほど、子どもにとっては、これは少々、刺激が強いかも知れない。
などと思っていると、何かが、とん、と肩に当たる。あ、と小さな声が上がるのも聞こえた。
見れば、間を空けて内側に座っていたはずのアルミンが、いつの間にか、随分とこちら側まで寄ってきている。肩が触れ合い、そうしているうちに、腕が、大腿が、密着する。
相手がアルミンであるから、別に、重くはないが、少々、狭苦しい。折角、ゆったりとした座席なのだから、そんなに詰めることはあるまい。
「アルミン、そんなにひっつくなよ」
「ごめん、離れようとは、してるんだ、けど……っ」
申し訳なさそうに、アルミンは言うが、言葉に反して、身体は離れるどころか、更に、ぎゅっと押し付けてくる。友人の不可解な行動に、エレンは首を捻ったが、すぐに、ああと思い至る。
「もしかして、怖いのか? 手、繋ぐか?」
「ち、ちがっ……こ、これは遠心力のせいだよ!」
言っているそばから、乗り物は、ぐんとカーブし、ひゃあ、という声と共に、アルミンがもたれかかってくる。
なるほど、言われてみれば、エレンも座席の端に、身体が押し付けられている感覚がある。遠心力のせいで、内側にいたアルミンは座席を滑って、外側のエレンの方へと寄ってきてしまったらしい。これだけの速度が出ていれば、無理もあるまい。踏ん張って耐えろというのは、この細身の友人に対して、酷というものだ。
本人は不本意らしく、なおも、もぞもぞと懸命に身体を離そうと試みているが、それは無駄なあがきで、物理法則には逆らえない。あがけばあがくほど、ただエレンに身体を擦り寄せるに終わった。
「別に、いいぞ。そのまま、ひっついてろ」
友人の肩に手を回して、引き寄せる。うう、とアルミンは不服そうな声をもらしつつ、大人しく身を預けてきた。風になびく金髪が、頬を掠めて、くすぐったい。二人で一体となって、ぐるぐると振り回される感覚を味わった。
逆に座っていたら、圧し掛かって苦しい思いをさせてしまったかもしれないから、アルミンを内側に乗せておいたのは、正解だった。それに、ともすれば遠心力に負けて、アルミンは放り出されてしまうかも知れない。そうならないよう、ここで食いとめるのが、自分の役目だとエレンは思った。回した腕で、しっかりと、友人を抱き寄せた。
やがて、乗り物は速度を緩め、元の位置に停まった。随分と長い時間、乗っていたように感じるが、実際は五分にも満たないだろう。地面に降り立って、ふう、とアルミンは一息を吐く。
「だいたい、感じは分かったね。きれいに装飾された乗り物に乗って、揺れ動いたり、遠心力を感じたり……普段は味わえない感覚を楽しむ、ということかな。どう、エレンは楽しかった?」
「ああ。アルミンが寄ってきて、面白かったな」
「あ、あれは、油断していたからで……そんなつもりじゃ、……」
なおも、ごにょごにょと言い訳をしつつ、アルミンは顔を隠すようにして地図を広げた。さっさと新たな話題に移りたいのか、忙しく視線を走らせて、次なる調査対象を探しているらしい。
「この近くだと……『ピクシーカップ』っていうのが、気になるな。行ってみよう」
どういった理由で、アルミンがそれを選んだのかは、本人のみぞ知るところであるが、エレンも特に、異論はない。アルミンに任せておけば、効率よく園内を回って調査できることだろうと思う。
こっちだよ、と先導する友人に続いて、白いドーム屋根を目指した。
[ to be continued... ]
C88新刊『もしこの壁の中が一軒の遊園地だとしたら』プレビュー(→offline)
2015.08.15