貯金ちゃんと送金おっさん(プレビュー)









■送金おっさんの話

俺の話をしよう。名もなき、ひとりのおっさんの話だ。
冴えない中年男の話など、興味がある人間はいないかも知れない。おっさんは、ただのおっさんであって、それ以上でもそれ以下でもないかも知れない。
しかし、俺は、この話をしなければいけない。それは、俺がどのようにして、この俺になったかという、俺の存在、そのものに関わる話だからだ。
というと、あまりに壮大すぎるだろうか。実際のところ、それは、俺の半生を振り返るわけでもなく、劇的な事件に関与するわけでもない。ほんの小さな、たったひとつの出会いを語るだけのことだ。人によっては、指先ひとつで繋がり、また離れる、そんな程度の、細い細い糸であるにすぎない。
だが、俺にとって、その出会いは、人生そのものを変えるものだった。あの出会いがなければ、今の俺はいない。
俺はこの年齢になって、初めて、あんな喜びに満たされることになり、また、あんな苦しみに突き落とされることになった。色恋にうつつをぬかしていた、若造の頃にだって、これほどの激情にかき乱されることはなかった。
俺は自分の内に、小さく、か弱いものを包み守って、優しく温めることを欲する、無償の慈しみの情があることを、初めて知った。そして、はらわたが捻じ切れそうなほどに、見知らぬ誰かに嫉妬することを、初めて知った。
俺はもう、何かに燃え上がるような情熱を失って、枯れているものとばかり思っていたが、そうではなかった。自分でさえも知らなかったものが、次々と呼び起こされ、目覚めていったのだ。
俺は、生まれ変わったのだとさえいえる。
あの出会いがなければ、どれほど平坦で、平凡な人生を歩んでいたことかと思う。それでも、俺はそこそこに満足していただろうが、こんな生き方を知ってしまった今、二度と元に戻りたいとは思わない。のたうちまわるほどの苦悩に苛まれもしたものの、それで得られたものは、補って余りあるからだ。

そろそろ、その出会いの話を始めようと思う。先ほども述べたように、俺は冴えない凡庸なおっさんだ。その暮らしぶりに、特筆すべきところは見当たらない。
家族はいない。一応、定職には就いていて、倉庫から倉庫へ、一筆書きのルートで定時に荷運びをするという役割を、ここ十年ほど担っている。日々、適当に稼いで、味気ない飯を食い、寝る。その繰り返しだ。楽しみといえば、一週間の終わりに、同僚たちと酒を飲みながら、だらだらと愚痴を垂れることくらいだろうか。
何の目的意識もなく、何の見通しもなく、俺はただ、惰性で毎日をやり過ごし、気付けば、ここまで来てしまった。そして、これからも、なんとなく、このまま続けていくのだろうと思っていた。続けて、そして、終わるだけだ。
何を成すこともなく。何を残すこともなく。
そんな生き方を、幸せであると思ったことはないが、別に、これといって不満も持っていなかった。自分は、こんなところに納まっているような器ではないとして、奮起するほどの若さも、意志も、とうに失って久しい。
否、一度だって、俺がそんな気概に満ちていたことはなかった。なんだかんだと言ったところで、俺には、この程度がお似合いなのだと、随分と昔から、分かっていた。

そんなときに、俺は、貯金ちゃんに出会った。

貯金ちゃんは、いつも腹を空かせていた。貯金ちゃんには、親がいない。まだ幼いのに、自分の力で、食い扶持を稼ぐことを強いられている。そういう子どもは他にもいて、貯金ちゃんは幼馴染と一緒に、毎日、農作業を頑張っているのだった。
朝は七時に目覚める。お腹がくぅくぅと鳴って、それで目が覚めるのだ。昨日の残りの、ひからびたパンの欠片を齧っただけで、とうてい腹は満たされないまま、働きに出る。大人に交じって、雑草を刈り取り、石を拾い、畑を耕し、土を運ぶ。
貯金ちゃんは男の子だが、まだ幼く、身体も小さくて非力だ。その上、ろくな栄養も摂れずに痩せ細って、いつも腹を空かせている。そんなことで、重労働が勤まる筈もない。たいした役にも立たない貯金ちゃんは、なかなかお金を稼ぐことが出来ない。それで、ますます、腹を空かせる。働いた分だけ、食える、というのが、ここでのルールだからだ。
なけなしの小銭を持って、闇市に出掛けた貯金ちゃんは、そこでお肉を見つける。自分の稼ぎでは、とても口に入れることは叶わない、高級品だ。お肉のほかにも、みずみずしく新鮮な野菜や、焼きたての匂いも香ばしい、柔らかそうな白いパンに、噛めば凝縮された甘い甘い汁が滲み出るだろう、干し葡萄や無花果もある。
それらに目を奪われかけながらも、貯金ちゃんは小さな手の中の硬貨を握り締め、俯いて足早に通り抜ける。そして、端のほうの薄暗い一角で、硬く焼き締められたライ麦パンを買う。水に浸して柔らかくしなければ、とても歯が立たないそれは、最も安価に腹を膨らませることが出来る、効率的な食物だった。
それを、貯金ちゃんは大事に胸に抱える。何日もかけて、これを大事に少しずつ食べては働き、食べては働く。貯金ちゃんの毎日は、その繰り返しだ。

こうした日々の暮らしぶりを、知ったように語る俺であるが、実は、貯金ちゃんと直截に会ったことはない。それなのに、貯金ちゃんの生活を詳細に把握できているのは、貯金ちゃんが、作業の合間に時間を見つけては、今日の暮らしぶりをツイートしてくれるからだ。
俺は貯金ちゃんと、ツイッター上で出会った。人づてに貯金ちゃんのことを知り、そのツイートを見て、すぐさまフォローしたのだ。こんなに苦しい生活をしているのに、こんなに健気な子がいる、という事実に、俺は強く胸を打たれた。
貯金ちゃんは、こんな暮らしから逃げ出したいと泣くこともなければ、悲惨な状況を嘆き、どうして自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないのかと喚くこともない。ただ、毎日、友人たちと共に生きて、この苦境を乗り切り、自立した生活を送れることを目標に、自分に出来ることを考え、黙々と働いている。
その労働は、なんて尊いものだろうかと俺は思った。日々、何の目標もなく、ただ惰性で、与えられた作業をこなし、賃金を得ては、くだらない浪費をする、そんな自分の暮らしが、恥ずかしくなった。貯金ちゃんが、俺の目を開かせ、新たな目覚めをもたらしたのだ。

さて、俺が心を奪われた、この子がなぜ、貯金ちゃん、という名前で呼ばれているのか、俺は説明しなければいけない。
貯金ちゃんは、前にも言ったとおり、毎日農作業をして、生活費を稼いでいる。しかし、ひ弱な貯金ちゃんは、思うようにお金を稼ぐことが出来ない。幼馴染と助け合うにしても、貯金ちゃんは、彼らに迷惑を掛けることをよしとせず、足手まといとなる自分を嘆いている。
体力が必要な仕事ではなく、自分に出来る、何か他の方法で、お金を稼ぎたい。そう思った貯金ちゃんは考えた。そして、あるアイデアが生まれた。それが、俺が貯金ちゃんと出会うきっかけともなった、あのツイッターアカウントである。
ツイッターを通して、貯金ちゃんは、ひもじい思いをしている現状を、ありのままに発信する。それを受けて、俺は、貯金ちゃんが最も必要としているものを送ることが出来る。その仕組みはこうだ。俺が貯金ちゃんに、

「@貯金ちゃん つ【1000】」

というリプライを送る。すると、自動的に、俺の口座から千円が、貯金ちゃんの口座に入金される。会ったこともなく、住んでいる場所も知らない貯金ちゃんに、俺はめでたく、千円を渡すことが出来るのである。
詳しい仕組みは、俺には分からないが、とにかく、そういうことが出来るらしい。貯金ちゃん自身が、定期ツイートでそう説明しているし、実際に俺の口座を確認してみると、それだけの金が引かれているから、確かなことだ。
技術の進歩とは、実に素晴らしい。ツイッターのおかげで、俺は貯金ちゃんに出逢うことが出来たし、お金を送ることも出来るのだ。ツイッターのシンボルである、あの青い鳥は、まさに幸福の青い鳥だ。心からの感謝を捧げたい。
このツイッターアカウント名に、「貯金」の二文字が入っていることから、親しみを込めて、貯金ちゃんは皆から、貯金ちゃんと呼ばれている。他にはなかなかいない、ユニークな呼び名であると思う。
その名のとおり、貯金ちゃんは日々、貰ったお金を貯めている。無駄遣いをすることもなく、必要なものを必要なだけ、買い求めるということを知っている。貯金ちゃんは、幼い外見ながら、聡明な頭を持っているから、大人と交渉することだって出来る。そもそも、こんな風に、不特定多数に援助を募るアカウントを運用している時点で、貯金ちゃんは、かなり頭が回る子だということが分かるだろう。
貯金ちゃんは、礼儀正しい子なので、お金を貰うと、ちゃんとリプライでお礼を返してくれる。これで何を買うつもりなのか、用途も生真面目に教えてくれる。貯金ちゃんが、いくらあれば十分な食事が出来るのか、それは、日頃のツイートにしっかりと目を通していれば分かることだ。
俺は毎日、貯金ちゃんがお腹一杯になれるように、お金を渡す。貯金ちゃんは喜んでお礼を言う。日常ツイートの合間に、俺宛ての感謝のリプライが綴られているのを見るのは、なんとも嬉しいものである。

こんな風に、貧しい子を援助していると、ともすれば、俺が博愛精神に満ちた、立派な人間か何かのように思われるかも知れないが、それは誤解である。俺は、特別に子どもが好きというわけではない。むしろ、苦手ですらあった。
奴らは、きゃあきゃあとうるさいし、すぐ泣き喚くし、跳ね回ってぐしゃぐしゃになって汚いし、柔らかく未成熟な手足は、簡単にもげてしまいそうで、見ていて落ち着かない心地にさせられる。行動に一貫性がないし、気まぐれで、何を考えているのだか分からない。誰が好きこのんで、得体の知れないものに近付こうと思うだろうか。
群れた子どもらが街中を元気に走り回っているのを見ても、邪魔だとしか感じないし、ぶつかられた日には、舌打ちをせずにはいられない。そいつが転んで、泣き出したりした日には最悪だ。なぜか、こちらが悪人のような扱いを受けることになる。冴えないおっさんはいつも、汚れ役を背負わされるのだ。
だから、なるべく関わり合いにならないようにと、子どもからは距離を取り、ときには方向転換することもあるが、そうしながらも、どうして俺のほうが遠慮しなければいけないのだ、と腹立たしく思っている。こんなものを、世の人々は、どうしてかわいがれるのか、いつも疑問だった。
そんな俺が、まさか、十歳かそこらの小さな子に入れ込むことになるなど、人生とは分からないものである。お前は貯金ちゃんと実際に会ったことがないから、都合の良い理想を描いて酔っているだけだと、笑われるだろうか。
しかし俺は、もし貯金ちゃんが二人の幼馴染と一緒に、手を繋いで道を歩いていたら、歩調を緩めて、それを暖かく見守ることだろう。邪魔だ、どけ、などと吐き捨てることは、間違ってもしない。むしろ、彼らがそうして、心ない大人に傷つけられることのないようにと、彼らを庇い守ろうとするだろう。そうして、つかの間だけでも、貯金ちゃんを一番近くで見つめたい。
ふわふわと揺れる柔らかな髪、きらめく大きな瞳、高く澄んだ笑い声、軽やかに動く細い手足。そのひとつひとつが、俺の内に、静かな喜びを生起させる。穢れを知らない、真っ白なそのありようは、今さっき、空の上から舞い降りてきたところだと言われても、疑いもしないだろう。
貯金ちゃんと接するようになってから、俺は、子どもを見掛けても、以前のように苦々しい気持ちになることがなくなった。貯金ちゃんも、あの子たちくらいの年頃だろうかと、そう思うと、幼い子どもたちが、なんとも愛おしく思えてくる。
狭い階段を、とことこと一段ずつ下りていく子どもの後ろで、以前の俺であれば、苛立たしく足踏みをしたか、これみよがしに脇を抜けただろうが、今は、その小さな手足が懸命に動いている様子を眺めて楽しむだけの、心の余裕というものがある。
先日、ちょうどそういうことがあって、俺は根気よく、前を行く子どものリズムに合わせて、ゆっくりと階段を下りた。そうして、無事に階段を下り終えた子どもは、こちらを振り返って、ありがとうございました、と笑顔で言った。俺も、笑って、手を振った。
なんだ、俺にも出来るじゃないか、と思った。誰かに優しくすること。それが、何も難しくはないということ。それを教えてくれたのは、貯金ちゃんだった。

ある日、貯金ちゃんは転んで、ズボンのおしりに穴を開けてしまった。繕うにしても、針と糸が必要だ。そんなささやかなものさえ、貯金ちゃんの暮らしでは、簡単には手に入らない。
このままでは、貯金ちゃんは、おしりの破けたズボンで、農作業をしなければいけなくなる。俺は今すぐにでも、貯金ちゃんの元へ赴き、この両手を差し出して、その小さなおしりを隠してあげたくなった。しかし、いくら手元の食料を貯金ちゃんに持っていってあげたいと思っても、それが出来ないのと同じように、俺は貯金ちゃんに直截に手を貸してやることは出来ない。
俺はすぐさま、貯金ちゃんに、ズボンを繕うためのお金を渡した。貯金ちゃんは、喜んでそれを受け取った。これで、友達の分のパンが買える、と言う。
てっきり、真っ先に買うのは、針と糸であるとばかり思っていた俺には、貯金ちゃんの返事は、予想外のものであった。そうじゃないよ、食べ物も大事だけど、まずは貯金ちゃんのおしりを隠さないといけないよ、と言ってやりたかったが、貯金ちゃんは、すっかりパンのことで頭が一杯らしく、こちらの話を聞いていないようだった。
自分のおしりよりも、友達のパンの心配をする、貯金ちゃんは、なんて心優しい子だろうか。俺は感銘を受けるのと同時に、なんだか心配になってきた。貯金ちゃんは、もう少し、自分を大事にするということを知ったほうが良いと思う。
そうでなければ、もしこの先、もっとお金が必要になったとき、貯金ちゃんは、越えてはいけない一線を越えてしまうのではなかろうか。一切れのパンを得るために、自らの尊厳を切り売りするようなことに、手を染めてしまうかも知れない。
今はまだ幼いから、その方法を思いつかないだけで、そのうち、悪い大人に唆されて、効率のよい稼ぎ方を覚えてしまうかも知れない。そうしたら、こんな風にツイッターで小銭を稼ぐなんて、ばからしくて、やっていられなくなるだろう。
今でさえ、心ない人々に、貯金ちゃんは、わざとおしりを破ったのではないかと疑われている。破れたズボンから、おしりを見せて、お金を貰っているのだとして、あさましい、と軽蔑されている。断じて、そのようなことはないというのに。
あの純真な貯金ちゃんが、そんな卑しい方法を思いつくわけがないではないか。あさましい、と思う奴らこそ、考えが汚れていて、あさましいこと、この上ない。貯金ちゃんのおしりが見たいのに、見ることが出来ない悔しさから、奴らは、そんなことを言っているのだ。
哀れな連中だとは思うが、つまり、そうやって貯金ちゃんをよこしまな目で見る輩というのは、どこにでも存在するということだ。小金を持った誰かが、いつ、貯金ちゃんに「商談」を持ちかけることか知れない。
貯金ちゃんは、いつでも周りから狙われている。けだものの群れに放り込まれた、子羊も同然なのだ。
空腹に耐えかねた貯金ちゃんが、そんな商売に身を落とすさまを想像して、俺は頭を抱えた。いくらお腹が一杯になるとしても、貯金ちゃんがそんな風に、時間単位で何者かに買われるなんて、痛ましく、許し難いことだと思った。
しかし、俺は、貯金ちゃんのそんな選択に、口を出すことは出来ないのだ。出来るのは、せめて、毎日のパンに困ることのないよう、援助してやることだけだ。
どうか、自分自身を大事にして欲しい。そんな思いを込めて、俺は貯金ちゃんに、少し多めに食費を渡した。ありがとう、とお礼を言う貯金ちゃんの無垢な姿に、俺は安堵する。このままの貯金ちゃんでいてくれることを、願うのだった。




[ to be continued... ]
















SPARK10新刊『貯金ちゃんと送金おっさん』プレビュー(→offline
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2015.10.3

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