キスト(プレビュー)









■キスト


昔々のお話です。
あるところに、お腹を空かせた子どもがいました。子どもには、親も家もなく、自分の食べる分は、自分で稼がなくてはなりませんでした。子どもは、一所懸命に働きましたが、あまり役に立たないので、貰えるパンはごく僅かでした。
子どもは、畑を耕したり、草を刈ったりする以外の方法で、その分を埋め合わさなくてはなりませんでした。そんな、人には言えない方法で、こっそりパンを手に入れては、お腹を満たすのでした。
その様子を、高い木の上から、じっと見つめていたのは、カラスたちです。真っ黒な翼を広げて、カラスたちは子どもの周りに舞い降りました。
囲まれた子どもは、かわいそうに、すっかり怯えて立ちすくみます。カラスたちは、子どもの周りを歩き回りながら、じっくりと吟味しました。
「死肉にも嘴を突っ込む俺達を、人は意地汚いと言うが──」
「こいつも同じじゃないか」
「こいつは、俺達の仲間だ」
「目印をつけておこう」
カラスは、子どもの唇の端の柔らかな部分を、その鋭い嘴で、代わる代わるつつきました。皮膚が破れ、血が滲んで、子どもは泣きました。
やがて、傷は塞がり、目には見えなくなりましたが、一度つけられた目印は、深く刻み込まれて、消えることはありません。その痕は、時々、赤く蘇って、口を開ける度にぴりぴりと痛んでは、子どもに思い出させるのでした。
自分が、カラスの仲間だということを。

(『カラスに目印をつけられた子どもの話』より)

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アルミンが最も苦労したのは、三度の食事に必ずといっていいほど鎮座している、硬く焼き締められたライ麦パンだった。大口を開けて、勢いよく齧りつき、力任せに食い千切って咀嚼する、同期たちの雄姿を、アルミンは羨ましそうに眺めていた。
その手元では、まるで、小鳥に餌を与えるような具合で、パンを細切れにしては、少しずつ口に運んでいる。行儀の良い振る舞いであるが、残念ながら、ここではそれが評価されることはない。当たり前のように大口を開けて、威勢よく丸齧りにしては、ご満悦のサシャが斜め前にいるせいで、その姿は、いかにも頼りなげに見えるのだった。
などと思っていると、奴は目敏くも、なかなか減らないアルミンの皿の中身に目をつけた。
「おや、アルミン。もうお腹いっぱいですか? 仕方ありませんね、食べ物は粗末にしてはいけません。ここは私が」
「私がじゃねぇよ」
恩着せがましい台詞と共に、皿が奪い取られかけるのを、かろうじて阻止して、エレンはそれをアルミンの前に戻した。
「ほら、さっさと食え。こいつにかっさらわれる前にな」
「なんですかエレン、人を盗人のように! 私はただ、アルミンがあまり食べられないようだから、手伝ってあげようとしただけです!」
まったくもって、余計な世話である。好きで小食になっているわけではないのだ。被害者面をして騒ぐサシャを、食事の済んだミカサが、実力行使で外へ引き摺っていく。これで、食い物を奪われる心配はしなくて済みそうだ。
とはいえ、悠長に食事を楽しむ時間が、自分たちに許されていないことは確かである。定められた食事時間が終わりを告げれば、途中であろうと何であろうと、速やかに席を立たねばならない。周りが着々と食器を空にしていく中、なかなかペースの上がらないアルミンを、エレンはやきもきしながら見守るのだった。
先ほどから、アルミンは、煮込みすぎて形を失いかけた、芋だの玉葱だのばかりを口に入れている。一口大というには、あまりに控えめな、残り物の欠片のようなものを、一つずつ拾っては、口に運ぶ。
そんなことでは、十分な栄養にならないだろう。あまり世話を焼くのは、友人を子ども扱いしているようで、良くないと理解しつつも、エレンは思わず、口を挟まずにはいられなかった。
「そんなんばっかじゃなく、牛蒡とか人参とか、もっと食わねぇと」
「うん……」
差し出された、根菜のオーブン焼きを、アルミンは少しの間、戸惑うように見つめていたが、促されて、のろのろと食器に手を伸ばした。ごろごろと不揃いに転がる根菜の一つをフォークに刺し、口元に寄せる。唇を、ゆっくりと開き──
痛、とアルミンは声には出さなかったが、小さく肩を跳ね、顔を顰めた。それで、エレンは、友人の痛みを悟った。
やってしまった、というように、アルミンはそろそろと、指先を口元に寄せる。見れば、その唇の端に亀裂状に走った傷が、鮮やかな赤を覗かせている。塞がりかけていた傷口が、また裂けてしまったのだと、エレンは遅れて気付いた。
なにも、拳ほどもある芋を、丸齧りにしようとしたのではない。根菜は、不恰好ではあるが、一応は一口大に切られている。これを食べるくらい、何でもないことのはずだった。少なくとも、エレンはそう思っていた。気が急くあまり、そんな希望的観測に頼って、アルミンに無理を強いてしまった。
小さな野菜の一欠片を食するためにも、上唇は下唇から離れなくてはならないし、そうなれば当然に、口角が上下方向に引っ張られる格好となり、そこに傷口があったならば、わざわざもう一度、それを広げているようなものだ。ほつれた布の端を掴んで、左右に少し力を込めれば、軋んだ音を立てて、真っ二つに裂けるのと、同じように。
「悪い、オレが無理に勧めたから、」
「平気だよ、こんなの」
アルミンは気丈に微笑み、ごろりと転がる人参を口に運ぶと、美味そうに咀嚼した。傷が裂けたことで、むしろ口を大きく開けやすくなったと言って、残りの野菜もまとめて頬張る。
そんな友人に、エレンは、何も言ってやることができなかった。アルミンがこうして、まともな食事をしてくれるのは、エレンも望んだことであったというのに、赤々とした傷を晒しながら口を動かす、その姿は、痛々しくてならなかった。
食べなくては治らないのに、食べる度に傷口をこじ開けなくてはならない。食べる度に、痛みに引き裂かれる──食べることで、傷つく。直観とは矛盾する現実が、そこにはあった。
食べることは、無条件に、望ましいことであるはずだった。食べることさえすれば、何もかもが良くなるはずだった。生きることは──喰らうことなのだから。
それがどうだ。まるで矛盾している。どうして、こうもうまくいかないものだろうかと、エレンは歯噛みした。
この友人は、ところどころで、こうして、うまくいかないことになる。アルミンが生きやすいように、この世界は、できていない。それは、もうずっと前から、分かっていたことだ。
ただ、ここにいるだけで、アルミンは傷ついていく。
だから、傷つかないように、守ってやらなければいけない。必死になって食事をかき込んでいる友人を、エレンは目を細めて見つめた。

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口を動かさねば立ち行かない行為は、日常生活において、食事場面ばかりではない。アルミンを守ってやるために、エレンが留意すべき行為は、もう一つあって、それは、場所も時間も問わないという点で、食事以上に厄介であった。
「エレン!」
自由時間を使った、有志による対人格闘術特練、その最中で、今まさに相手と組み合っていたエレンは、己の名を呼ぶ声に、弾かれたように顔を上げた。
至近距離で呼ばれたのではない。空耳とも思えるくらいに、遠く、微かな呼び声だった。それでも、高く澄んだ声は、聞き間違えようのない、幼馴染の友人のものだ。
それを認識するや、エレンは有無を言わせず、組み合った相手の足を払い、バランスを崩したところを、低い気合いと共に、地面に投げ倒した。打ち合わせにない、突然の攻撃に、それでも受身を取ってダメージを最小限に抑えたのは、さすが相手も志ある訓練兵である。
なんだよいきなり、と相手は呻きつつ、食ってかかるが、最早、その声はエレンには届いてはいなかった。不審がる声に、エレンは振り返りもせずに、走り出す。
先ほど、名前を呼ばれたと思しき方向へと、迷いなく進路をとって、加速する。蹴りつける地面の軋み、切り裂く風の音に紛れて、もう一度、今度はもう少し近い距離で、エレン、と呼ぶ声が聞こえた。
長く伸ばした、その声の上げ方は、呼ぶというよりは、探し求める、といったほうが適切だろうか。いずれにしても、急がなくては──探す側が探されてどうする、と悪態をつきながら、エレンは左右に視線を走らせた。
練兵場を突っ切ったところで、エレンは、辺りをきょろきょろと見回しながら、呑気に歩いている幼馴染を発見した。アルミン、と叫ぶと、向こうもこちらに気付いたようで、小走りに駆け寄って来る。
「エレン! 今日の当番、また忘れたでしょ。さっき、トーマスが、……」
咎めるような調子のアルミンの言葉は、走ってきた勢いそのままに、口元に押し当てられたエレンの手のひらによって封じられた。目を丸くしているアルミンの口を、しっかりと塞いだまま、エレンは乱れた呼吸を整えた。はぁ、と深く息を吐く。
「分かった……分かったから、そんな大声、出すんじゃねぇよ」
「ん、う……」
手を離してくれ、と言っているらしいアルミンの口を、エレンは、静かに解放した。申し訳なさそうな顔で、アルミンは俯く。
「ごめん、恥をかかせたね……」
「違う。あんなことしたら、傷が開いちまうだろ」
発する声が、大きければ大きいほど、口を大きく広げることになる。それはアルミンにとって、口角の薄皮を引き裂くのと同義だ。
これくらい平気だと、不満げなアルミンであったが、エレンの指先が患部を探ると、痛、と肩を竦めた。
「ほらな。できるだけ、喋らないほうが良い。どうしても必要なときは、小声でな。分かったか?」
分かった、と小さく唇を動かしてアルミンは応じる。これくらいの声なら、傷が開くことはないだろう。よし、とエレンは満足を覚えた。そのときは、これでもう心配ないとばかりに、思い込んでいた。

しかし、暫くすると、アルミンは約束事を忘れて、また口を開く。黙っていられずに、喋り出してしまう。そして、その度に、エレンに諌められることを繰り返した。
賢いアルミンが、どうして、こんな簡単な約束も守れないのか、エレンには分からなかった。アルミンにとっても、黙って口を噤んでいるのが、一番良いことだというのは、分かっているはずではないか。
このままでは、いつまで経っても傷が塞がらない。アルミンに、約束を守らせるためには──アルミンを、勝手に喋らせないためには、どうすればいいか。考えて、エレンは、一つの結論に至った。

演習後、一日酷使した立体機動装置を取り外し、各自の責任の下に手入れを施す。少年たちの手際は、今や慣れたものだ。
はじめのうち、振り回される一方であった装置を、次第に手懐け、使いこなし、相棒のような愛着を感じるに至る。己の命を預けるものであるから、という理由だけではない、特別な思い入れをもって、装置を扱うのだった。
分解したパーツを黙々と磨き上げつつ、エレンはさりげなく、アルミンの様子を伺った。演習では順位を下から数えたほうが早いアルミンであるが、立体機動装置の整備の腕前には、定評がある。
特に苦労せずに「飛べる」者というのは、ともすれば、感覚と経験則に頼って装置の調整を済ませてしまうが、そうではないアルミンは、すべてを理論に則って行なう。結果、常に安定した性能を引き出すことに成功している。その性能を、十分に活かすだけの技術が、使用者本人にないというのが、唯一、惜しまれるところである。
危うげのない手つきで工具を操り、アルミンは丁寧に装置の状態をチェックしている。そこへ、隣の作業台から、呼び声が掛かった。
「なあ、アルミン。ここなんだけどよ、……」
困り顔の同期に、なに、とアルミンが顔を上げて、応じようとしかける、その直前だった。
「待て。アルミンと話すなら、オレを通せ」
当然のごとく、エレンは両者の間に割り入って、そう宣告した。え、とアルミンは目を瞬く。声を掛けてきた同期の反応も、似たようなもので、あっけにとられた様子でエレンを見遣る。
「……なんだよ、エレン? なんで、アルミンに整備のチェックして貰うのに、エレンの許可が要るんだ?」
邪魔をされて気分が悪い、というのではなく、純粋に疑問である、というように、彼は訝しむ。当のアルミンも、戸惑いの様子で、エレンの腕に手を掛ける。
「あの、エレン……僕なら、いいよ、」
「お前は黙ってろ」
喋って良いかどうか、判断するのは、アルミンではない。それを決めるのは、エレンであるということを、分からせてやらなければならない。
エレンがこのような行動に出ることを、アルミンに事前に説明するのは省いてしまったが、別に、構いはしないだろう。事前の了解があろうとなかろうと、することは、一つだけだ。
いつになく強い友人の声に、アルミンは、何か言い掛けていた言葉を呑み込んだ。そうだ、それでいい。アルミンを黙らせることができて、エレンは満足だった。
「なんか、面倒なことになってるな……やっぱり、いいや。邪魔したな、アルミン」
二人を見比べて、何を思ったか、アルミンと話したがっていた同期は、そそくさと元の作業台へと戻っていった。
「あ、待っ……」
「いいだろ、構うなよ。もういいって言ってんだから」
引き留めようと、伸ばされかけたアルミンの手を、エレンは掴んで、下ろさせた。弾かれたように、アルミンは顔を上げ、まるで非難するような目をエレンに向ける。アルミンが何故、そんな目をするのか、エレンは分からなかった。アルミンは、更に、口を開きかけ──
「痛っ……!」
何かを訴えようとしかけた唇は、しかし、アルミン自身の手によって塞がれた。身を竦め、俯いて、アルミンは口元を押さえている。
「ほら、だから、喋るなって言ってるだろ。見せてみろ」
まだ痛そうに、きつく目を閉じているアルミンの顔を、エレンは上向けさせて、口元を覆う強張った手も外させた。見れば、予想通り、唇の端に裂けたような傷が入って、鮮やかな肉色を覗かせている。
「深いな……これで分かっただろ。うかつに喋ったら、痛い思いをするのは、お前なんだぞ」
「う、ぅ……」
そろそろと、アルミンは瞼を開けた。余程、痛かったのか、青灰色の瞳はすっかり潤んで、先ほど一瞬見せた、エレンを非難するかのような覇気は、どこにも感じられない。慰めるように、エレンは友人の背中を撫でてやった。
「オレだって……お前がケガしてるとこなんて、見たくない」
だから、分かってくれ、と伝えたかった。アルミンは何も応えなかったが、うなだれるようにして、小さく頷いた。

その後も、アルミンが声を掛けられる度に、エレンは、自分を窓口にするようにと主張した。何だこいつら、と奇異の目で見られることも、一向に構わなかった。
エレンとしては、このまま、アルミンの傷が癒えるまで続けていくつもりであったが、そのアルミンに、早々に泣きつかれてしまった。
「エレン……このシステム、やめようよ……」
喋る機会をことごとく取り上げられて、楽になったはずなのに、むしろ疲れ切った面持ちで、アルミンはエレンの方針に抗議した。効率が悪い、とでも言いたいのだろうか。
「仕方ねぇだろ。アルミンが、約束を忘れちまうから」
「もう、忘れないよ。大きな声は、出さないし、できるだけ黙ってる。だから……自由に、喋らせて。お願い……」
弱々しい声で懇願されると、エレンもさすがに、無下にしてやることはできなくなった。次に約束を破ることがあったら、問答無用でシステムを復活させることに同意させて、エレンはアルミンに会話の自由を許した。

この一件がこたえたのか、それからのアルミンは、約束通り、あまり口を動かさず、小声で喋ることを忘れなかった。そうなると、ただでさえ細い声が、更にか弱くなってしまう。それを補うように、アルミンは相手の肩を叩いたり、腕を引いたりして、注意を引くのだった。
前を行くエレンの腕を引き、耳元に唇を寄せて、エレン、と囁く。エレンは立ち止まり、どうした、とアルミンが話しやすいよう、少しばかり身を屈めて問う。二人以外には聞こえない、内緒話でもするかのような、その仕草が、周りからはどのように見えるか、アルミンはよく分かっていて、深々と溜息を吐いた。
「まるで、小さい子みたいだよ……」
「オレは構わねぇよ」
そう、構わない。あの頃のままで、アルミンは構わないのだ。自分自身、無力な子どもであることを嫌悪し、変わらねばならないと誓っておきながら、エレンは、それを友人にも適用しようとは思わなかった。
実際、アルミンは、幼い頃と同じように、治りの悪い口角の炎症に苛まれている。あの頃とは違う、といくら吠えたところで、変えられないものは、確かに存在する。
幼いアルミンは、何も否定されるべき対象ではなく、そうあり続けるものであっていい。アルミンが、自分で自分を守れるだけの力がないのであれば、その分、エレンが強くなればいい。そうして、守ってやればいいだけのことだと、エレンは思っていた。


■罪な蜜


撫でられたように、微かな感覚が、ゆっくりと身体を伝って、くすぐったい。同じ行為であっても、エレンにされていると思えば、何ということもなかった。それどころか、奇妙な安らぎさえ覚えるのだった。友人は、決してこのようなことをしないと、頭で分かっているからだろうか。
その一方で、アルミンは、エレンの体温も、重さも、しなやかな黒髪が肌をくすぐる感覚さえ、明瞭に感じることができた。友人にそんなことをされた経験はないはずなのに、アルミンの戸惑いをよそに、身体は従順に反応してみせるのだった。
あちこちを、撫でるように触られる感覚があって、くすぐったい。そうしているうちに、何かが、胸の中央に触れる。じわりと、温かく痺れるような感覚が、そこから波のように広がって、あ、とアルミンは息を呑んだ。
触れられた──違う。
舐められたのだ。なぜか、そうだと分かった。顔を埋めるエレンを、そのざらついた舌の感触を、ありありと思い描くことができた。
こんなところを舐めるなんて、と意識するや、その箇所が、小さく疼くのを感じた。それも、さほど嫌なものには感じられなかった。エレンのせいだからだ。これは、エレンがもたらしたものだと思うと、素直に受け容れることができた。
それから、エレンはアルミンの肘の内側、脇、耳元、首筋、鎖骨と、気まぐれに舌を這わせた。その度に、アルミンは、内なる水面を震わせる。静まり返っていた水面の、あちらこちらに、小石が投げ込まれ、休む間もなく、波紋を描く。その輪が重なり合って、共鳴し、また異なる余韻を生む。次第に、身体が熱せられていくのが分かる。
触れられるほどに、感覚は、より鋭敏になっていくようだった。はじめのうち、くすぐったかっただけの感覚が、小さな痺れを伴いはじめて、背筋が、指先が、無意識に跳ねる。呼吸が、速まる。エレンの舌が、アルミンの内から、何かを引き出し、呼び起こしていく。
エレンはどうして、こんなことをするのだろう。自分で考え出しておきながら、アルミンはそんな疑問を抱かずにはいられない。何にでも、整合性をつけたがる性質は、こんなときでも健在だ。しかし、ほどなくして、その答えも、自分で用意することができた。
舐めるのは、美味いからだ。エレンは、どちらかといえば、甘いものが好きだったなと思う。ならば、エレンの舌には、アルミンが甘く感じられるのだろう。舐め取らずにはいられない、蜜のように。
己の肌を、蜜が伝う様子を、アルミンは想像する。それが伝い落ちて、シーツを汚す前に、エレンの舌が受け止める。丁寧に、蜜の軌跡を辿って、舐め上げる。それが刺激となって、また新たな蜜が、盛んに滲み出る。きっと、そういう仕組みになっているのだと思うことにした。
「ぁ、ふ……」
胸の先端の柔らかな箇所を、エレンの舌が、ふにふにと揉み込む。他の箇所よりも、明瞭なくすぐったさに、アルミンは身を捩った。
アルミンがそこに特別に反応すると知って、エレンは繰り返し、舌を這わせた。くすぐったい違和感が、次第に熱を帯びたものに変質していく。
エレンの舌遣いが、押し上げて弾くようなものに変わったことで、アルミンは、そこがいつしか、硬く立ち上がっていることを認めた。募るもどかしさが、頂点に達したとき、先端からじわりと蜜が滲み出る。こぼれ落ちる前に、エレンの舌が、それを舐め取る。薄皮の襞の合間までも、舌先で広げて、丁寧に拭う。何も隠すことを許さない、その舌遣いに、アルミンの唇から、熱い吐息がこぼれる。
舌先で刺激されると、それに応じて、また蜜を滲ませてしまう。エレンが折角、拭ってくれたのに、だらしないことだと思うが、これでまた、彼を喜ばせることができるのであれば、それは望ましいことだった。喉の奥からも、蜜は湧き起こり、甘く悩ましい吐息となってこぼれ落ちる。
「ぁ……ん、」
小さく呻いて、頬をシーツに擦り付ける。とくん、とくんと、心臓が鳴る度に、じわりと痺れる感覚が、胸一杯に広がる。それは、奪われるほどに、より烈しく、とめどなく、湧き起こるのだった。
内側で熱く高まったものの、至る先は、胸の尖端で、もう堪えられないばかりに熟したところで、蜜となってとろりとこぼれ落ちる。敏感な箇所を伝う感覚に、アルミンは切ない息をこぼす。
ぷっくりと立ち上がった胸元に、エレンは交互に舌を這わせて、これを慰めた。エレンが片方にかまけていると、もう片方が、待ち侘びてたっぷりと蜜にまみれ、濃密な香りでもって、早く舐めて欲しいと誘う。
交互に与えられる悦びは、アルミンから湧き起こる蜜を、より甘く、濃厚に蕩かしていく。身体は、次第に仰け反っていく。どうか、もっと、啜ってくれというように。エレンをもてなし、喜ばせる。
あっては、ならないことだ。エレンに、こうされるのが──嬉しい、なんて。
気持ち良い、と自然に意識した瞬間、みるみる頬が熱くなった。違う、違うと、必死に否定しようとするが、抗うほどに、湧き起こるものが、アルミンを屈服させようと襲い掛かる。
「ひ、ぁん……っ」
これまでにない感覚に、アルミンはびくりと背を跳ねた。小さく膨れた胸の尖端を、エレンが前触れなく、口に含んだのだ。
柔らかく包み込まれ、上下から、やわやわと揉み込まれる。アルミンは声もなく仰け反り、蜜を溢れさせる。そのそばから、残らず舐め取られ、もっとよこせというように、舌先で突いて刺激される。
滲み出てくるのを待つのはもどかしいとばかりに、エレンは直に、そこを吸い上げる。ああ、とアルミンは堪らずに喘いだ。まるで、心臓に直に口づけられ、吸い上げられているようだった。
アルミンの内の熱と蜜が、強制的に引き出されていく。緩急をつけて、残らず絞り取られていく。それでも、まるで、エレンが飽きて離れてしまうのを引き留めようとするかのように、とめどなく、蜜は溢れ出るのだった。
この悦びを、どうして、知っているのだろう。分からないのに、確かにエレンを感じる。ひく、ひくと背を跳ねながら、どうにかなってしまいそうだ、と遠のく意識で思った。それほどに、強烈だった。ただ横たわって、身を任せているだけなのに、こんなにも鼓動が速い。
堪らずに、腕を差し出しかけては、思い留まって引き戻すことを、繰り返す。ここに、エレンはいないのだと、自分に言い聞かせる。
これは、自分で作り出した幻影だ。決して、触れられない。分かっていても、手を伸ばしてしまう。
エレンに触れたかった。抱き締めたいと思った。エレンはこんなに、アルミンに触れてくれるのに、そのエレンに触れられないのは、まるで不条理だと思った。
これは、本物のエレンではないのに。むなしい、一人遊びだというのに。そんなことを思ってしまうのも、相手がエレンだからだ。何も、考えられなくなっていく。
「エ、レ……もっと、……」
もっと、欲しいと、誰にともなく、せがんでいた。




[ to be continued... ]
















C89新刊『キスト』プレビュー(→offline

2015.12.26

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