星の時間(プレビュー)
■馬の時間
今回も、初心者グループは、前回同様、列を作って馬を歩かせることとなった。最も緩慢な歩法である常歩が、それなりに様になってきたところで、今日は、次の段階を学ぶということだった。
十分に馬体が温まったとみて、教官が指示を飛ばす。
「それでは、少し走らせるとしよう。速歩(はやあし)、はじめ!」
言われるがままに、馬の腹を軽く蹴る。それを合図に、歩調が変わるのが分かった。
馬の背中が大きく上下し、スピードが上がる。鞍の上で、身体が弾むほどの上下運動に、アルミンは慌てて踏ん張った。数メートルをそうして進み、馬はもとの歩調に戻る。
ほんの数メートルのことだというのに、弾む度に鞍にぶつけた尻が、じわじわと痛んだ。トップスピードには未だ遠いとはいえ、体感的には、「走っている」と感じさせる速度である。これで長距離を走ったら、いったいどうなってしまうことかと、不安になる。
一旦、全体を止まらせて、教官は解説を始めた。
「この通り、速歩では上下運動が激しくなる。べったり座っていては、貴様らが尻をぶつけて痛い思いをするだけではなく、馬の負荷も大きくなる。今、馬が勝手に常歩に戻ったのは、疲れたからだ──一歩進むごとに、背中の大荷物が弾んで圧し掛かれば、疲れもする」
そういうことだったのかと、アルミンは申し訳ない心地にさせられた。尻が痛いなどと、泣きごとを言っている場合ではない。馬の方が、よほど負担が大きいのだ。
「そこで、馬の負担を軽減するために、乗り手は軽速歩(けいはやあし)、すなわち、タイミングを合わせて腰を浮かせ、下ろし、浮かせ、下ろす──これを繰り返す。立つ、座る、立つ、座る。このリズムだ。その場でやってみろ」
「た……立つ……?」
いとも容易げに、教官は軽速歩の手本を見せ、やってみろと言うが、ここは馬上である。馬に跨った状態から、どうして、立ち上がることが出来るだろうか。
両の足裏を支えるのは、細い鐙のみであって、それも動かぬよう固定されているわけではなく、鞍から吊り下げられている以上、前後左右に自由に揺れ動く。だからこそ、鐙を履いたまま、馬の腹を蹴ることもできるというものであるが、これのみを支えに立ち上がれとは、無理難題であろう。
しかし、見れば、アルミンの周りでは、さして乗馬経験のないはずの少年たちが、多少ぎこちなくも、指示された通りに馬上で腰を浮かせ、立つ、座る、のリズムを刻んでいる。
自分も早く、追いつかねば──焦りと共に、アルミンは足裏に力を込め、そろそろと腰を浮かせる。否、浮かせかけたところで、足が後ろに泳ぎ、前のめりに倒れる。もう一度、試してみるが、やはりバランスを崩して、前に倒れかかってしまう。
「アルレルト! 足の位置は、もっと前だ。足裏を地面と平行にしろ、手綱は低く腰の位置で持て、それから姿勢を正せ!」
「は、はい!」
指示されたことを、懸命に実践しようとするが、何か一つに神経を向けると、他がおろそかになってしまう。こんな複雑なことが、皆はどうして、簡単にできてしまうのだろう。生まれ持っての素質というものだろうか。
自分に、そういったものが欠けているということは、アルミンは重々承知している。欠けている分は、なんとかして、埋め合わせなくてはならない。
人一倍に、真剣に、意識的に、努力し、時間をかけて、繰り返し、身体に叩き込んで、己のものとしていく。それでようやく、人並みになれるのだ。他人を羨み、嘆いている暇はない。
教官の指示に従って、足の位置を前方へ調整する。今一度、立ち上がろうとして、しかし今度は、すぐに尻餅をついてしまった。位置が前すぎたのかもしれない。
少し後ろへずらして、また立ち上がる。前のめりに倒れる。前へ微調整して、立ち上がる。尻餅をつく。
何度、繰り返しても、前に倒れるか、後ろに倒れるかの違いだけで、真上に立ち上がるということが、どうしてもできない。
悪戦苦闘するアルミンをよそに、周りの仲間たちは、ひととおり、立つことと座ることの繰り返しを練習している。無様に尻餅をついている者など、誰もいない。集団の後方で、焦燥を募らせるアルミンに、更に追い討ちをかけるように、前方で発せられた非情な指示が、耳を打つ。
「よし、だいたい出来ているようだな。それでは、実際に速歩と合わせていくぞ」
教官の言葉に、待ってくれ、まだ出来ていないと、手を挙げる権利は、アルミンにはない。出来の悪い一人の訓練兵のために、教官は、指導の進度を緩めてはくれない。出来の悪い兵士に時間と労力を割いて、ようやく人並みにすることよりも、優秀な兵士の能力を更に引き出し、精鋭に鍛え上げることの方に重きが置かれるのは、当然のことである。
合図を受けて、馬は次々に走り出していく。各々の乗り手は、練習の甲斐あって、リズム良く腰を浮かせることで、見事に馬と協力している。その表情は、小さな達成感を滲ませて明るい。
ただ一人、残されたのはアルミンである。止まっている馬の上ですら、尻餅をついてばかりで、立ち上がることもままならないというのに、大きく上下運動する馬に合わせて、立ったり座ったりするなど、夢のまた夢だ。今はまだ、馬を走らせるわけにはいかない。
幸いというべきか何というべきか、自分だけが取り残されることに、アルミンは慣れている。こんなことで、いちいち落ち込むようなことはない。後で友人にコツを教わるなり、教官に補講の許しを得るなりしようと、次の手を考えていた、そのときだった。
「……ちょ、うわっ……!」
突然、馬が走り出した。勿論、アルミンは合図を出してはいない。以前にもこのようなことがあったが、あのときのように、無意識に馬の脇を挟み込んでいたというわけでもない。
上下に大きく揺れる馬の背で、なすすべなく身体を弾ませながら、アルミンは馬の性質を思い出す。前の馬の後を追って歩き、前の馬に合わせて走り出す──こういうことか、と思った。
ひとりで取り残されることに、アルミンは慣れているが、そんな事情は、馬には関係がない。背中の「荷物」が弾むのにも構わず、走り続ける。
結局、馬がようやく止まってくれたときには、アルミンはすっかり尻を痛くしていた。うまく反撞(はんどう)を抜くことの重要性を、図らずも、身をもって知ったかたちである。
その失態の一部始終は、当然のごとく、衆目にさらされていた。またあいつか、と、いくつものあきれた視線が突き刺さる。
「どうしようもなく、のろまなんだよな。あれじゃあ、馬がかわいそうだ」
「エレンの奴の膝にでも乗って、運んで貰った方が良いんじゃねぇの」
嫌でも耳に入ってくる、率直な評に、アルミンは力なく俯いた。自分でもその通りだと思うから、反発しようという気も起こらない。
ごめん、と無意識に呟いていた。こんな自分が、乗ってしまって、ごめん、と馬に詫びていた。
馬は、人間の感情を読み取る生き物である。騎手が自信のない、おどおどとした態度でいれば、馬も不安になる。だから、馬に乗るときは、自信と余裕を持った態度で接してやることが大事なのだと、馬学講習で教わった。
頭では分かっていても、今のアルミンでは、とうてい、そんな虚勢を張ることはできなかった。この情けない自分の有様も、馬に伝わってしまっているのだと思うと、アルミンはますます、いたたまれなくなるのだった。
いくら、馬の生態に関する知識を詰め込んで、複雑な馬装の手順を完璧に暗記したところで、合格点は貰えない。馬の世話係ではなく、一人前の兵士になりたいというならば、肝心なのは、乗馬の技術である。
「これができないようでは、お前はいつまでもそうやって、馬をのろのろ歩かせることしかできんぞ! 自分の足で歩いた方が、まだましだ!」
教官に叱咤されながら、アルミンは軽速歩への挑戦を繰り返したが、結果は相変わらずだった。
何度も繰り返しているうちに、偶然うまくいくことがある、といった程度で、まだ意識的に成功させるというには遠い。ようやく馬の個性を掴み掛けたと思ったところで、休憩のため、あてがわれる馬が変わると、また一からやり直しである。
本人の身体が軽く、馬の挙動の影響を受けやすいためか、アルミンにとって、個々の馬はそれぞれに、まったく異なる個性を持つように感じられた。反撞の大きな馬は、肢を踏み出すごとに上下する背の上で、ともすれば跳ね飛ばされそうになる。呼吸が合わず、いいように弄ばれているさまは、はたからみれば、さぞ滑稽なことだろう。
感度の良い馬は、僅かに脚に力を込めただけで、早々に歩き出す。逆に、腹を強めに蹴ってやらなくては、いつまで経っても動かない者もいる。
個性がある──生き物を相手取っているのだと、思い知らされる。馬は馬だとして、一括りにしていた考えを、改めねばなるまい。
未知の分野の事物について、どれも同じだと思ってしまうのは、まだ違いを認識できるだけの経験が不足しているからだ。深く付き合っていこうとするほどに、次第に、細かな差異が明らかになっていく。
繊細な構造を有する立体機動装置にしても、実は個性があり、よほどの緊急事態を除いては、他人と交換できるものではないという。新米の訓練兵にとっては、まだその微妙な個体差を認識するまでには至らないが、いずれ、身体で理解することになるだろう。
また、羽ペンや、鋏といった道具類は、同じ人間に使い込まれることによって、その手の癖が磨耗具合に反映され、主人に最も相応しい使い心地に最適化されていくという。
ゆえに、道具にこだわる種類の人々は、そういったモノを気軽に他人に貸与することはない。一度でも他人の手にわたってしまえば、長年「育て上げてきた」道具の個性が、失われてしまうからである。
そのような例を引くまでもなく、馬は個性的だ。一定の運動機能を備えるよう、品種改良され、同じ調教を受け、試験を通過して兵団の所属となったという点は共通しているが、逆にいえば、共通しているのはそれだけで、後は、個々の馬次第である。
そう考えてみると、馬も、それに跨る少年たちも、そう違いはないともいえる。若く、同じ教育を受け、一定の品質が保証されているという点だけが共通で、後は性格も、胸に抱いているものも、まるで一致しない、この個性豊かな少年たちと、何も変わるものではない。
それを承知していれば、馬への接し方は、単なる移動手段としてのそれではなく、自ずと、仲間の兵士に向けるのと同じ、信頼と親愛に根ざしたものとなるだろう。
仲間は、大切だ。そして、馬も同じくらいに、大切だ。
壁外に出れば──馬は、生命線だ。何を措いても、死守すべきものだ。共に戦い、互いを守る。同胞以外の、何物でもない。
互いに認め合う、本当の仲間に、ならなくてはいけないのだと、その思いだけを支えに、アルミンは挑戦を繰り返すのだった。
「軽速歩、今日もうまくいかなかった……」
深々と溜息を吐いて、アルミンは呟いた。出来の悪い者の定めとして、命じられた馬場の整備を終えて、用具を倉庫へ戻しに来たところである。
「鞍数をこなして、慣れるしかないだろ」
一緒に整備を手伝ってくれたエレンは、そう言ってアルミンを励ます。そうだよね、とアルミンは友人のもっともな言葉に頷いた。
ひたすらに、回数をこなす。それは、アルミンが不得手な格闘術や器械体操において、少しでも周囲に追いつくために、日々、実践していることだった。一日の訓練を終えた自由時間に、余暇を楽しむ少年たちを離れて、ひとり、壁を相手に倒立の練習をしたものだ。
「とはいえ、馬なしじゃあ、自主練のしようがないし……」
自由時間や休日に、馬を引き出して騎乗することを許されているのは、兵団の定める一定の試験を合格した、上級の訓練兵のみである。すっかり馬の扱いに熟練し、馬上からの立体機動すら可能とする、彼らに対してであれば、教官も信用して、外乗の許可を出そうというものだ。
「こいつ、とか、この子、とか言うんだよね、先輩たちは。それだけ、親しい間柄になっているってことだろうけど……あんなに大きくて、力強い生き物を、そんな風に呼ぶなんて、僕にはまだ、できそうにないよ」
アルミンにできるのは、せいぜい厩舎を訪ね、辺りの清掃をしつつ、馬の顔を眺めたり、少し撫でさせて貰うくらいである。動物との楽しい触れ合いというのであれば、それで良いが、およそ訓練になっているとは言い難い。
何か、もっと有効な手段はないものだろうか。倉庫に並ぶ、雑多な資材を眺め遣って、アルミンは思案した。
「鞍を借りてきて、椅子と組み合わせれば、練習用の装置が作れるかも……?」
「いや、そんな面倒なことしなくても、オレに良い案がある」
思い付きを呟くアルミンを遮って、エレンは口を挟むと、おもむろにその場に膝をついた。
何をするつもりだろうかと、アルミンが目を瞬いているうちに、彼は両手までついて、四つ這いになっている。そんな格好をしながら、エレンは平然とした面持ちで、アルミンを見上げて言う。
「オレが、馬の役をやってやるよ。ほら、乗れ」
「えっ……」
いきなり、何を言い出すのだろう。友人の突飛な行動は、さすがのアルミンにも、予想外であった。
馬乗りになる、というと、殴り合いのケンカのイメージしか湧かないが、エレンが言っているのは、そういうことではなく、背中に跨れということであるらしい。エレンが馬になる──馬になってどうするんだ、と言いたいところを、アルミンはかろうじて堪えた。
とにかく、いつまでも友人にこのような格好をさせておくわけにはいかない。どうか、立ってくれとアルミンは懇願したが、エレンは頑なにそれを拒む。乗ってみろ、の一点張りである。
こうなると、エレンが先に折れることはない。長い付き合いで、それは分かっていたことだが、アルミンとしても、仕方ないなと笑って済ませられることと、済ませられないことがある。
なんとかして、彼に思い直して貰う術を考えた方が良いのではないか。なおも躊躇うアルミンに、エレンはあきれたように言う。
「なに他人行儀にしてんだ。オレ相手なら、何も遠慮することないだろ」
何気なく発された、その一言が、アルミンの内で明瞭に響く。あれこれ考えていた言い訳が、あっさりと払い除けられるのを感じる。何も悩むことなどない、簡単なことじゃないかと、エレンの眼は語っていた。
まっすぐで力強く、裏表のない、その瞳は、故郷で共に過ごした、幼い日を思い起こさせる。あの頃から、変わることなく、共に在り続けている。そんなエレンの厚意を辞退することは、彼との間に育んできたものを、否定することだとアルミンは思った。
そうだ、アルミンにとって、エレンは他人などではない。普通であれば躊躇われることであっても、エレンが相手であれば、話は別だ。エレンだから、というだけの理由で、誰にも言えないような、二人だけの秘密の行為に及んだことも、一度や二度ではない。
エレンだから、構わないと、アルミンは思う。それならば、エレンの側も、同じなのだろうか。アルミンだから、構わないと、そう思ってくれているのだろうか。
誰かの前で四つ這いになり、あまつさえ、背中に跨らせるなど、常のエレンからは、およそ考えられない。そんなことをするくらいならば、死んだ方がましだとさえ、彼は言うだろう。
ほかならぬ、アルミンが相手であるから、エレンは特別に、こんなことをしてくれる。そう思うと、アルミンは、申し訳ないというのとは異なる感情を覚えた。
友人の優しさに甘えてしまうのは、あまり良いことだとは思わないが、エレンがここまでしてくれるということに、胸の奥が熱を帯びるのを、止められない。こみ上げるもので、声が震えるのに気付かれないよう、小さく呟く。
「それじゃあ……お願いするよ」
任せろ、とエレンは力強く請け負った。
四つ這いになったエレンの背中に、アルミンは手を置きながら、静かに跨る格好を取った。できるだけ友人の負担とならぬよう、そっと腰を下ろす。
衣服越しに、手のひらに伝わる背中の感触は硬く、よく鍛えられているとはいえ、未だ発展途上の少年の身である。ケガをさせては、何をやっているのだか分からない。本当に大丈夫なのか、重くないかと、繰り返し確認しながら、アルミンはようやく、エレンの背中に体重を預けた。
座り心地という意味では、お世辞にも快適とはいえない。肉の薄い身体同士が密着する感触は硬く、安定感に欠ける。それに、なにより──
「エレン……これ、すごく、恥ずかしい……」
■芋の時間
一日の訓練課程を修了し、夕食後、消灯までの自由時間のことだった。少年たちは、思い思いに談笑し、カードゲームに熱を上げ、あるいは黙々とストレッチし、講義の復習を行なっていた。
そんな平穏な時間を、出し抜けにかき乱したのは、意気揚々とした一声だった。
「芋リレーやろうぜ、芋リレー!」
声高に宣言し、部屋の中央に立ったのは、調子者の坊主頭である。見れば、高く掲げた片手に、拳大の芋を握り締めている。関心を引かれた一人が、少年たちを代表して問う。
「どうしたんだよ、それ? 厨房からくすねてきたのか?」
「芋女じゃねぇんだ、そんな馬鹿な真似はしねぇよ」
芋は生のもので、どうやら倉庫から運び出す際にこぼれ落ちたらしく、一個だけ転がっているのを見つけ、拾ってきたのだとコニーは説明した。
芋リレーと聞き、懐かしい、やってみようぜと、周囲の少年たちは、次第に乗り気になっていく。
寝床に座った格好で、エレンはその様子を眺め遣った。さして興味を引かれたわけではないが、隣で柔軟運動をしていた友人に問う。
「芋リレー……って、なんだ?」
「さぁ……」
訊かれたアルミンの方も、戸惑いの面持ちで首を傾げる。たいていのことは、アルミンに訊けばなんとかなるものだというのが、幼い頃からのエレンの信条であるが、もちろん、物知りの幼馴染とて、万物を知り尽くしているわけではない。
二人して顔に疑問符を浮かべていると、親切にも、言いだしっぺのコニーが割り込んできた。
「知らねぇのか? いいか、芋リレーってのはな……」
彼の説明を要約すると、こうである。
これは、人から人へ、一つの芋を受け渡していくゲームだ。ただし、手は使ってはならない。両手は、後ろに組んでおくこと。
手を使わずにどうするのかというと、顎と首との間に、芋を挟むのである。次の順番の者は、もちろん、顎をうまく使って、芋を受け取る。こうして、芋を受け渡していき、途中で落としてしまった者が敗者となる。
以上、一通りの説明を、ふんふんと頷きながら聞き終えたところで、エレンは口を開いた。
「で、なんで顎で挟む必要があるんだ? 普通に、手で運べばいいだろ」
「そういうゲームなんだよ! 空気読め!」
本気でコニーに怒られた。なかなかに珍しい体験である。ルールを伝授し終えた彼が、再び輪の中心へと戻っていったところで、エレンは天井を仰いだ。
「こういう遊びって、よく分からねぇよな……」
「うん……言われてみれば、他の子どもたちがやっているのを、見たような気もするけど……」
様々な奇妙なルールが存在する、それらの遊びというのは、年長の子どもから年下の子どもへ、一緒に遊びながら、自然と教え継がれていくものなのだろう。わざわざ意識するまでもなく、成長の過程で、当たり前のようにして経験し、覚えていく。
すなわち、幼いうちに、そのような交流の輪から外れてしまった、エレンやアルミンといった、はみだし者にとっては、知識を得る機会はないということである。
別段に、生きるために必須の知識というわけではない、ただのお遊びである。知らなかったとしても、何ら不都合の生じるものではない。しかし、有用性の問題ではなく、誰もが当然に知っていることを知らないという事実、そのものが、己の異質を実感させる。
群れて遊ぶ子どもたちの輪の中に、入らなかったことを。そうしているうちに、無邪気に遊ぶ故郷は、失われたことを。
感傷に囚われかけて、エレンは緩く首を振った。幼馴染の、柔らかな麦藁色の髪に目を向ける。それに、思慮深い穏やかさと、その奥に強い意志を宿した、青灰色の瞳。幼さを残した面立ちを眺めつつ、呟く。
「別に……あんな妙なゲームなんてしなくたって、楽しかったもんな。お前がいて、丘に行ったり、木に登ったり、話し合ったり……」
「そうだね。そんなことで、一日は終わってしまう。ゲームをしている時間も、惜しいくらい……」
言って、目を伏せるアルミンは、エレンと同じ記憶を蘇らせているのだろう。お互いの内に共有する、もう戻らない、懐かしい時間を、暫し黙って味わった。
そんな、子どもの頃にもしたことがない、芋リレーなる遊びを、この年齢になって、初めてやってみようという気は、エレンにもアルミンにもなかった。二人は、当然のように、仲間たちの輪には入らず、各々の作業を再開した。アルミンは柔軟運動の続きをし、エレンはそれを眺める。就寝前の、いつも通りの風景である。
そこへ、思わぬお呼びが掛かった。
「おい、そこのしけた面の二人。なに座ってんだ、お前らも入るんだよ」
「えぇ……?」
「面倒くせぇ……」
仲間に入れてやろうと誘われているのだから、存在を無視されるのに比べれば、普通はありがたいことなのだろうが、つい、正直な思いが口から出てしまった。こういうところが、昔から二人とも、集団行動ができないと言われている。
しかし、ここは訓練兵団、すなわち、集団行動が重んじられる場であり、寝食を共にする同期連中から、あまり孤立するというのはまずい。それくらいのことは、エレンも承知している。時には、歩み寄りも必要だと思える程度には、大人になったという自負がある。
「仕方ねぇ、行くか」
溜息と共に促すと、うん、とアルミンも立ち上がる。そうして、しぶしぶながら、二人は交流の輪の中に入ったのだった。
集まった者たちを見回して、コニーは満足げな笑みを浮かべると、いいか、と今一度念押しする。
「落とした奴は、罰ゲームな! 罰ゲーム……何にしようか?」
決めてなかったのかよ、とエレンは胸の内でだけ呟いておいた。周りからは、女装だの、食糧庫から肉をくすねてくるだのといった、意欲的な案が口々に挙がる。
隣のアルミンが、小声でエレンに耳打ちする。
「何で、あんなに盛り上がるんだろう……自分がやる羽目になるかもしれないのに……」
「まあ、あいつらもそのうち、それに気付くだろ。穏当なところに落ち着くだろうよ」
エレンの予想通り、協議の結果、罰ゲームは、調理当番の肩代わり十日間という、比較的穏やかなところに落ち着いた。罰の内容も決まったところで、コニーは一つ、咳払いをする。
「それじゃあ、宣誓とスタート合図は……ベルトルト!」
「えっ……僕……?」
突然の指名に、長身の同期は、びくりと肩を竦めた。図体に似合わぬ、心細げな面持ちで、どうして自分なのかとうろたえる。コニーのやることだから、特に深い意味はなく、たまたま目が合ったか何かの理由であろう、とエレンは推測した。頭一つ抜きん出ていると、こういうときに目を付けられやすいものだ。
そのベルトルトの肩に、励ますように力強く片手を置いたのは、同郷の友人である。助けを求めるような同胞の視線に、ライナーは頼もしく頷くと、ひそひそと何事かを耳打ちした。宣誓の文句を教授でもしているのだろう。頷きながら、それを聞くベルトルトの表情は、真剣そのものである。
伝達を終えたライナーに背中を押されて、彼は前へ歩み出た。コニーから芋を受け取り、それを高く掲げる。抜きん出た長身だけに、なかなかに様になる光景であった。
背筋を正し、彼は朗々と宣誓する。
「我々は、貴重な大地の恵みに感謝し、大いなる畏敬の念を持って、これを最後まで落とすことなく運ぶと、ここに誓う──それでは、始め!」
食物で遊ぶことに対しての言い訳も盛り込んで、いよいよ、芋リレーのスタートが切られたのだった。
[ to be continued... ]
C90新刊『星の時間』プレビュー(→offline)
2016.8.10