Quebra Cabeca/ケベラ・カベッサ






静まり返った住宅区域を、満月は煌々と照らし出していた。

繁華街を離れて佇む、慎ましやかな集合住宅は、足を踏み入れてみるとますます、こじんまりとして感じられた。外廊下には、画一的な鉄扉が並び、無味乾燥な景観を作り出している。その一番端の扉を前に、俺は盛大な溜息を吐いた。溜息を一つ吐くと幸せが一つ云々というが、これが嘆かずにいられるというものだろうか。
だいたい、真夜中の呼び出しなんて、ろくでもないことに決まっている。クリエイティブな活動における脳のパフォーマンス向上のため、規則正しい生活をモットーとする俺である。今日も夕食後、小遣い稼ぎの「副業」──覆面作家としての新作パズル制作に集中して取り組み、ほどよく頭を使ったところで、妹と団欒のひとときを持ち、日付の変わる前には、明日に備えて床に就いたのだ。実に理想的な生活態度である。
その安眠を、よくも妨害しやがって──何度目になるか分からない悪態を吐きながら、しかしそれでも、ここまでバイクを飛ばして来てしまったのは、ほかならぬノノハの頼みであったからだ。端末越しの彼女の声は、相当に切迫していた。どうやら、あのパズルバカが、また何かやらかしたらしい。ちんたら事情を聴くよりも、とっとと出向いてしまった方が話が早いと俺は判断し、愛車に飛び乗ったというわけだ。
こんな夜更けに手間取らせやがって、もしつまんねぇことだったら、迷惑料として一発はたいてやる。否、俺とノノハの二人分だから、二発にしてやろうか。俺は忌々しく、迷惑野郎の家のインターホンを押した。扉はすぐに開いて、出迎えてくれたのはノノハである。
「ギャモンくん、早く、こっち!」
ノノハは俺の腕をむんずと掴んで、家の中へと引っ張り込む。どうやら、事態は一刻を争うらしい。つんのめりながら、俺はなんとか玄関にブーツを脱ぎ捨て、狭苦しいワンルームの室内へと踏み込んだ。
「……っ」
そこで目にした光景に、俺は思わず、声を詰まらせた。床に散らばった雑多なパズルや、俺にとっても馴染み深い某パズル雑誌の山に対して、狼狽したのではない。部屋の主の頭の中をそのまま表すように、パズルに埋め尽くされた殺風景な室内は、大門カイトという奴を知る者にとっては、何も驚くに値しない。
しかし、それでも、俺は声を失った──立ち尽くさざるを、得なかった。
「……カイト、」
呼び掛けたつもりが、弱々しく声を掠れさせた俺を、誰も責められまい。床の上に倒れ伏し、苦しげに呻く学友を目の前にして、どうして平静を保っていられるだろうか。
「く、ぅ…っ、あぁ、……!」
カイトは乱れた息を継ぎ、無造作に頭をかきむしった。怯えたように、あるいは、恐れるように、激しく首を振る。それこそ、あの忌まわしい腕輪の強制的な干渉を受けていたときと同じように──俺は咄嗟に、奴の腕に目を走らせた。そのどこにも、黄金の輝きが認められないことに、少しばかり安堵する。
「カイト、しっかりして! ほら、ギャモンくん、来てくれたよ!」
呻くカイトの脇に腰を下ろしたノノハは、その肩を叩いて甲斐甲斐しく呼び掛ける。彼女の声が耳に届いたのだろう、カイトの頭が、ぴくりと反応するのが分かった。
「う……ギャモンか、」
はぁ、と息を切らしながら、奴は辛うじて床に腕をつき、頭を起こした。上手く力が入らないのか、顔を上げるのもやっと、といった様子だ。ノノハが脇から支えてやらねば、簡単にくずおれてしまうだろう。心なしか、顔も血の気が引いている。
おい、無理すんなよ、と俺は奴の傍らに膝をついた。ふらつく肩を、とりあえず抱き支えてやる。
「いったい、どうしたってんだ──とにかく、病院に連絡、」
「そうじゃねえ──そんなんじゃねぇんだ、」
俺の台詞を遮って、カイトは頭を振った。いったい、何だというのだ──俺は固唾をのんで、奴の次の言葉を待った。カイトは縋るように、俺の腕を掴んでくる。そして、真剣な眼差しでこちらを見上げ、ぐ、と顔を寄せると、まるでこの世の終わりとでもいうような声で、
「俺の頭が、パズルなんだ!」
奴は、そう叫んだのだった。

「……カイト、」
俺は、ふっと笑った。普段であれば身内にしか見せぬ、慈悲深く穏やかな微笑である。イメージとしては、あのPOGのスカしたおっさんを思い浮かべて貰えれば良い。
そして、次の瞬間には、俺は寝言をほざく馬鹿野郎のうぜぇ腕を振り払い、躊躇いなく突き放した。うわ、とバカイトは尻もちをつくが、知ったことではない。やれやれと俺は首を振った。
「ああ、そうかそうか、そいつはいつものことだ。良かったな」
そして俺は、人騒がせ野郎を置いてさっさと踵を返し、愛する妹の待つ我が家へ帰り、今宵の不愉快な一件を脳内から消し去り、何事もなかったかのように安らな気持ちで平和裏に夢の世界へ旅立とうとしたが、その計画は残念ながら、初期段階で挫折した。横合いから伸びた強靭な腕が、有無を言わせぬ圧倒的な力でもって、荒々しく俺の襟首を掴んだからだ。
「ギャモンくん、ふざけてる場合じゃないの! 真面目に聞いて!」
片手で俺の首を絞め上げながら怒鳴ったのは、言うまでもなく、ノノハである。驚くべき方向からの、驚くべき叱咤といえよう。いったい、こいつの発言の、どこをどう真面目に聞けというのか。ふざけるなと言いたいのは、こちらの方だ。
しかし、抵抗をしたところで、力ずくで言うことを聞かせられるであろう未来は分かり切っている。どころか、そろそろ酸欠の危機で、俺の輝く未来が真っ暗に閉ざされそうである。脳にとって、酸欠は文字通り、命取りだ。聡明な俺は、早々に両手を上げて、息喘ぎながら降参の意を表明したのだった。
「……で、なんだ。とっとと説明しやがれよ」
結局、こうして床にあぐらをかき、話を聴く態勢に入ってしまう。基本的に、面倒見の良い俺である。諦めて自分の運命を受け容れたともいう。これも、惚れた弱みというやつか。ノノハにな。あくまでも、ノノハのためにだからな。
ともかく、俺の協力が仰げるらしいということは、抜き差しならぬ状況にあると思しきバカイトの脳みそにも、理解出来たのだろう。あいつは改めて、自分の頭を指差しながら、俺にこう訴えた。
「俺の頭が、パズルになっちまったんだよ! ほら、あっちこっちに、ピースが散らばってるだろ。拾い集めて、朝までに元に戻さねぇと!」



俺が聞いた事情をまとめると、つまり、こういうことだ。

今日の夜も、カイトはひとり、お気に入りのパズル解放に熱中していた。誰にも邪魔されずに、パズルに向き合い、対話し、慈しむ、憩いのひとときである。解き終えたパズルを前に、奴は恍惚とした解放感を味わっていた。
今日も一日、よく解いた。充実の一日だった。そのまま、眠りに就こうとしたとき、あいつは、ふと空腹を覚えたらしい。脳を使いすぎたのだろう。頭だって肉体の一部だから、使えばそれだけエネルギーを消費し、疲労が蓄積する。高度な頭脳労働の代償として、燃料補給を求めるのは当然だ。
しかしあいにく、奴の狭苦しい家には、非常食の類はなかった。ノノハの家にたかりに行くには、時間も遅い。
それで、あいつはふと、窓辺のサボテンに目を留めた。ルークの奴が、世界を廻る旅とやらのお土産で、南米から持ち帰ってきたものだ。僕だと思って大事にしてね、だそうだ。どんな土産だよ。あいつの趣味がよく分からない。
ともかく、カイトはそれを喜んで受け取り、窓辺に置いて大切に、かどうかは知らないが、育てていた。否、育てていた、というほど積極的に働きかけていたとは思えない。あのパズルバカが、甲斐甲斐しく植物を育てるなんて様子は、これっぽっちも想像できない。だからこそ、多少の水やりを怠っても何とかなる、強い生命力を誇るサボテンだ。これであれば、あいつでも世話できるだろうと、ルークもそういう考えであったに違いない。
棘に覆われた肉厚のサボテンを、カイトはぼんやりと眺め、腹減ったなぁと思った。確か、サボテンのステーキって料理あったなぁ、と、かつてファイ・ブレイン候補と見做された奴の頭脳は、思い出さなくても良い知識を思い出した。よし、食うか、と奴は決めた。
バカじゃねぇのか。なにが、よし、食うか、だ。そんな得体の知れねぇもん、食ってんじゃねぇよ。バカか。バカなのか。バカとしか言いようがない。
それだから、こんなことになったのではないか。しかし、今更、過去の過ちをどうこう言っても遅い。やってしまったことは、もう、取り返しがつかないのだ。
こういうときだけは驚くべき行動力で、バカイトは友人から貰ったサボテンを豪快に収穫すると、表皮を剥き、適当に輪切りにして、みずみずしい果肉をフライパンで焼いた。描写するだけで眩暈がしてくるのは気のせいか。そして、良い具合に焼き色のついたところで、いただきますとばかりに齧りつき──その結果が、これだ。

「俺の頭……俺のピース……」
うわ言を吐きながら、頭を抱えて床に這いつくばり、ありもしないパズルのピースを探し求める馬鹿野郎を尻目に、俺は盛大な溜息を吐いた。
「要するに、ラリって妙な幻覚、見ちまってると。ったく、面倒かけさせやがるぜ……おいノノハ、ルークの奴に連絡は?」
「ま、まだ……」
「俺が聞いてやる。ちょっと待ってろ」
言って、俺は携帯端末を耳にあてがった。曲がりなりにも、一度は幹部待遇で組織に迎え入れられた身である。頭脳集団POGジャパン総責任者と、それなりの繋がりを、今なお有している。
短い呼び出し音の後、相手はほどなくして、回線を開いた。
『おや、これは珍しい。どうしたんだい、ツンツン頭くん。急に僕の声を聞きたくなるなんて、なにかセンチメンタルなことでもあったのかい』
「悪いが、与太話に付き合ってる暇はねぇんだよ。訊きたいことがあってな」
俺は手短に、現状を説明した。お前の変な土産のせいだ、と暗に棘を含ませつつ。サボテンだけにな。棘に気付いたかどうかは知らないが、ルークは申し訳なさそうな声で応じた。
『それは、災難だね……あのサボテンに、そんな作用があったとは』
「お前の土産だろ。責任取って貰うぜ。とりあえず、こっち来い」
何の役に立つかは分からないが、一応、奴も同じく、元・腕輪持ちである。その聡明な頭脳とやらから、見事な解決策をひねり出して貰おうじゃねぇか。
ルークの奴のことだ、俺は当然、よしきたとばかりにすっ飛んでくるものと予想した。夜更けとはいえ、大事な友人の一大事を放っておくルークではない。しかし、返ってきたのは、意外な答えであった。
『残念ながら、それは難しいな』
ルークの奴は、困ったように、そう呟いたのだ。どういうことだ、と俺は問うた。回線の向こうで、深々と溜息を吐く音が聞こえる。
『実は、ちょうどこちらでも、不肖の側近がサボテンソテーを食べてしまったところなんだ。同じように、自分がパズルになってしまったといって騒いでいてね……彼のパズルを解いてやらないことには、僕はどうやら、離して貰えない』
なんということだ。いかなる運命のいたずらか、向こうでも同じ災難に見舞われているらしい。ルーク様、どうか私のピースを集めてください、と世にも哀れな嗚咽交じりの青年の声が、微かに聞こえる。
「そうか……それなら仕方ねぇ。お互い、頑張ろうぜ」
『うん。カイトをよろしく頼むよ』
共に困難に立ち向かう同士めいた絆を感じつつ、俺は通話を切った。それにしても、あいつらはいったい、何を思ってサボテンをソテーにしたのだろう。カイトのように、食い物に困って、ということではあるまい。あの頭脳集団は、そこまで貧窮してはいない筈だ。知的好奇心、というやつだろうか。満月の神秘のパワーによって、プチ狂気が芽生えてしまったのだろうか。とはいえ、被害者が側近の方であっただけ、まだましかも知れない。毒見の習慣も、こういうときには役に立つ。
あちらも大変であることに変わりは無いが、ルークなら、ひとりでも上手く対処出来ることだろう。二人で仲良く、ピースを集めてくれ。
「ギャモンくん……」
見れば、ノノハがハシバミ色の瞳を揺らして、不安げにこちらを見つめている。俺は大げさに肩を竦めてやった。
「まったく、手が掛かる野郎だ。時給は高いぜ」
俺は腕まくりをして、床に四つん這いになった。どんな小さな欠片も見逃さない、探索の姿勢である。勿論、フローリングにパズルのピースなんて落ちてやいない。バカイトの頭の欠片が床に散らばっていた日には、話がR指定になってしまう。だから、床の木目に目を凝らすのも、単に気分の問題だ。俺はとことん、こいつに付き合ってやることにしたのだ。
しかし、カイトの心境としては、俺なんぞに借りを作るのは、まっぴらごめんなのだろう。もしかしたら、馬鹿にされたと思ったのかも知れない。ふん、とばかりにそっぽを向く。
「別に、お前の手なんて借りなくたって、俺はひとりで解いてみせるぜ」
などと、可愛げのないことを言いやがる。奴の憎まれ口を、は、と俺は一笑に付してやった。
「何言ってんだ。バラバラのピースになっちまったその頭で、パズルが出来るもんかよ」
痛いところを突かれたのだろう、カイトは押し黙った。援護射撃とばかりに、ノノハが続ける。
「そうだよ、手伝って貰いなよ。私じゃ話にならない、ギャモン君を呼べ、って言ったのカイトじゃない」
「よ、余計なこと言うな!」
慌てた様子で吠えるカイトであるが、既に遅い。なるほど、俺をここに呼び立てたのは、ノノハの独断ではなく、カイトのリクエストであったらしい。奴としても、自分の頭がバラバラに弾け飛んでしまって、相当に焦っていたのだろう。そんな緊急事態において、ご指名を受けたというのは、誇っても良いことなのかも知れない。こいつの中で、咄嗟に思い浮かぶ有力ソルヴァーランキングの上位に、俺様が位置しているということの証左だからだ。
そうして、いざというときに頼りにされるのは、悪い気がしない。なんて、口に出して言ったら、そんなんじゃねぇ勘違いすんなといってまたギャーギャー喚かれるのだろうから、賢明な俺はそっと胸の内に留めておいた。何事もなかったかのように、真面目な顔を拵える。
「で、どっから手ぇつけんだ」
無駄な言い争いをしている場合ではない、というのは、バカイトにも理解出来たらしい。そうだな、と奴は思案顔で腕を組んだ。いつも、パズルに挑戦するときと同じ、妥協を知らぬ真剣な表情だ。難しそうに眉を寄せながら、こめかみの辺りを、人差し指でつつく。
「まずは、ここに嵌るピースがねぇと……」
そうか。そういうことなら、と俺は辺りを見回した。それから、いかにも今気付いたというように、床の上の一点に目を留める。俺は、そこから注意深く、何かを拾い上げる動作をした。何かとは何か──勿論、そこには何も落ちてはいない。はたから見れば、下手なパントマイムでしかないだろう。そうして摘み上げた、目に見えないパズルのピースを、俺はカイトの奴に差し出してやった。
「こいつか?」
「それだ! さすがだぜ、ギャモン!」
屈託のない笑顔で、カイトは歓声を上げた。それから、はっと我に返った様子で、「い、いまのはまぁ、簡単だったぜ。わざと解かせてやったんだ」などと負け惜しみを言う。素直じゃねぇ奴だ。からかってやりたいが、そんなことをして遊んでいる暇はない。
「とにかく、早くやっつけちまおうぜ」
「お、おう」
パズルタイムの──始まりだ。
胸の内で宣言して、俺たちは、この奇妙なパズルの解放に取りかかった。



雑誌の山を引っ繰り返す。ベッドの下に腕を突っ込む。枕を振る。
「ほらよ、あったぜ」
「おう、嵌めてくれ」
その調子で、俺は次々にピースを「発見」しては、カイトの頭に嵌め込んでいってやった。何も、考えなしにほいほいとやっていたわけではない。幻覚とはいえ、カイトにとっては、立派なパズルなのだ。いきなり全部のピースが集まるわけではないし、そう簡単に解き終わるわけがない。ということに、奴の認識の上では、なっている。
だから、適度に悩み苦しみながら、時間を掛けて、俺は部屋中に散らばったピースを集める演技をしなくてはならなかった。あまりすぐに見つけてしまうと、「そいつはダミーだ」などという、意味不明な理屈によって、やり直しをさせられる羽目になる。面倒くせぇ野郎だ。
当然、もう嵌っているピースをもう一度「発見」するなどというヘマをやらかすわけにはいかない。カイトの頭の中にしか存在しないパズルの全体図と現状を、俺も共有することを求められる。幻覚に付き合うのも、一筋縄ではいかないのだ。厄介な脳内パズルを編み出しやがって。こいつ、解くだけじゃなくて案外、作る方もいけるよな、と俺は妙な感心を覚えた。
カイトは相変わらず、片手を頭に押し当てながら、枕や毛布をひっくり返している。頭痛を堪えている、というわけではなくて、折角嵌め込んでやった頭の欠片が、またばらばらに崩れてしまわないようにと押さえているらしい。慎重に頭を支えながら、奴は探索行動を続けていたが、
「うっ……これは…!」
そう呻くや、がくりと膝を折った。くそ、と舌打ちをして、おさまりの悪い黒髪を、忌々しげにかきむしる。
「ど、どうしたの、カイト…?」
「今度はなんだってんだ…!」
いったい何事かと、俺は思わず、身構えた。ここまでの解法に、何か致命的なミスでも発見したのだろうか。否、そんな筈はない──こいつはバカだが、ことパズルに関しては、軽率なことをする奴ではない。それでは、何が起こったのか──その謎に答えるように、カイトは叫ぶ。
「パズルのルールが変わったんだ!」
「なっ……!?」
途端に、場の空気に緊張が走った。俺は思わず、生唾を飲み下す。ルール変更──それは本来、パズルとは相容れない、イレギュラーな事態だ。厳密に定められたルールに則って為される問題解決こそが、パズルである。制限を課すからこそ、問題は成立する。いかに、シンプルかつ緻密なルールのもとにパズルを生み出すか、それがギヴァーの腕の見せ所である。
ルールとは、パズルの根幹をなすものであるからして、一度、動き出したパズルには、制作者であろうとも、一切の手出しは叶わない。それが、常識である。
しかし──時として、パズルは常識を超える。
そう、このパズルバカの頭に、常識の二文字は、存在しないのだった。極めて単純明快なルールのもとに成立する、ただのジグソーパズルと思って、なめてかかると痛い目をみる。
固唾を呑んで見守る、俺とノノハの前で、カイトは勢いよく、部屋の片隅を指差した。
「いいか、そこの銀河パズル警察ポリキューブのフィギュアと、ぺろりんぽろりんのぬいぐるみ、あいつらの視線が向いている方向は通れねえ! 気をつけろ!」
「……はっ。上等だぜ!」
面白い──丁度、こんなんじゃ手ぬるすぎるぜと感じていたところだ。処理能力を持て余した俺の脳は、もっと働かせてくれといって喚き立てる。カイトの野郎だって、それは同じだ。難解であればあるほど、見えなければ見えないほど、苦しければ苦しいほど、燃え上がる。それこそ、頭がばらばらになりそうな強烈な問題を、俺たちは、探し求めずにはいられないのだ。
いつしか俺は夢中になって、奴のパズルを解いていた。荒唐無稽なことをやっているのは、重々承知の上である。しかし、難題を解き明かしたときの、あの圧倒的な高揚感──それを前にすれば、何もかも些細なことだ。この熱狂に、誰も水を差すことは出来ない。
ああ、俺もパズルバカだな、と苦笑して、フィギュアの視線を避けつつ匍匐前進する。そして、ベッドの下に隠れていた「カイトの脳の欠片」を拾い上げた。
「頑張って、二人とも!」
ノノハのエールも心強い。彼女は、自分では何も役に立てないと言っていたが、そんなことはないのだ。そこに立っていてくれるだけで、俺はやる気をみなぎらせる。ノノハの頼みでなければ、俺は今この場にはいなかっただろうし、こうしてパズルに勤しむこともなかったのだ。彼女の存在は、それだけ大きい。おそらくは、カイトにとっても、そうであるのと同じように。
朝までに丸く収まったら、礼といって、ノノハスイーツをご馳走してくれるだろうか。そのためにも、事は全力であたらねばならない。
「遅れるなよ、バカイト!」
「そっちこそ! ついてこれるか、アホギャモン!」
競い合うようにして、俺とあいつは、この緻密なパズルを1ピースずつ、埋めていったのだった。極めて順調だった──だから、俺は忘れていた。
パズルとは、最後の一手で、思わぬ牙を剥く存在であることを。解けそうなのに、もう少しのところで解けない、その絶妙な仕掛けを施すことこそ、制作者としての腕の見せ所であることを。
サム・ロイドの「解けない15パズル問題」は、まさにその典型であるといえよう。1から15の数字が振られたパネルを、4×4のスペース内で並べ替えるというスライドパズルだ。彼は、隣り合った14と15のパネルさえ入れ替えれば完成する状態の15パズルを提示した。一見、両者を入れ替えればいいだけの簡単な問題──しかし、解放に成功した者はいなかった。人々は、このパズルに夢中となり、懸賞金は跳ね上がった。今となっては、この問題は決して解けないことが、数学的手法によって明らかになっている。
解けそうで、解けない──それこそ、人を魅了してやまぬ、パズルの力であるのかも知れない。
バカイトの奴は、その辺りも、ちゃんと分かっていたということだ。



「足りねぇ……あと1ピースだけなのに」
俺たちは、少々、焦りを覚え始めていた。順調にパズルを組み立てて、いよいよ、カイトの頭は元通りのかたちを取り戻そうとしていた。しかし、最後の最後、たった一つのピースが、部屋のどこを探しても見つからないのだ。
「外に出ちまったのか?」
「いや、俺は頭が爆発してから、一歩もこの部屋を出てねぇ。絶対、どこかにある筈なんだ……」
狭い部屋だ、家具も何もひっくり返して探したところで、たかが知れている。それでも、最後のひと欠片は、見つからなかった。
ひとつでもピースが欠けていては、パズルは完成したとはいえない。それまで、どれだけ完成に近づいていたとしても、不完全という意味では、バラバラの初期状態と何ら、価値は変わりない。
成功か、失敗か。勝利か、敗北か。0か、1か。パズルは、残酷なまでに厳然と、両者を区別する。
疲弊と焦燥を滲ませるカイトの横顔を見て、俺はもどかしく拳を握り締めた。
もう、いいじゃねぇか。お前の頭は、そこにあんだよ。はじめから、バラバラのピースになんて、なっちゃいねぇんだよ。
ありもしないパズルに苦しむなんて──馬鹿げた話が、あるものか。これ以上は、とても、見ていられない。
目を覚ませ、と俺は奴の肩を掴みかけて、しかし、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。俺の手をすり抜けて、カイトが床に這いつくばったからだ。もう一度、探すぞ、と呟く声が聞こえた。
「俺に解けねぇパズルはねぇ」
家具と家具の狭い隙間に、苦労して腕を突っ込みながら、自分自身に言い聞かせるように、カイトはそう、口にした。これまで何度となく、その台詞は聞いてきた。この自信過剰野郎、自惚れるなよ、お前にも解けねぇパズルを俺様が作ってやるよ、と俺はその度に、闘志を燃え上がらせたものだ。
そうだ──そうだったのだ。俺の背筋を、戦慄めいたものが駆け上る。
たとえサボテンの見せた幻覚であろうとも、これはカイトにとって、立派なパズルなのだ。真剣に挑むべき、戦いなのだ。途中で放り出すなんて選択肢は、存在しない。

解けないパズルはない──解けるまで、パズルをやめない。

それが、奴の意思だ。馬鹿で、生意気で、無神経で、危なっかしくて弱っちい、そのくせ驚くほどに強固な、カイトを支える信念だ。そう、あいつはいつだって、こう言う──
「俺は──パズルを、解く」
静かな、しかし、確固たる宣言だった。奴の腕に、今や、黄金のリングは嵌っていない。それは、俺との決闘のさなか、粉々に砕け散ったのだ。しかし、俺の眼は、その輝きを幻視していた。眩いばかりの光から、俺は目を逸らさずに、しかと見据えた。
こいつが、その気ならば──俺は、付き合ってやるだけだ。何故だか、胸は清々しく、活力に満ちていた。カイトに倣って、よし、と俺も机の下に頭を突っ込んだ。
「けどよ、実際問題、どうする気だ? さんざん探しまわって、この上、どっか死角なんて、」
そこで、奴の動きが、ぴたりと止まる。どうしたというのだろうか。音もなく、奴は立ち上がった。
「……あるじゃねぇか。ひとつだけ」
言って、カイトは狭い部屋の一方に顔を向けた。促されるまま、俺もそちらに目を遣る。
「え? わ、私?」
視線の先に立っていたのは、これまで固唾をのんで俺達の戦いを見守っていたノノハだった。突然に注目を浴びて、何が何だか分からないのだろう。自分の顔を指差して、はてなと首を傾げる。
そんな彼女の前に、カイトはゆっくりと進み出ると、目を瞬いている彼女の手を取った。おい、どさくさに紛れて、何してやがるんだ。その手を離せ。
「カ、カイト……」
幼馴染の、いつになく真剣な表情を前に、ノノハも動揺気味である。その頬が、微かに紅潮しているのは、俺の気のせいか。見間違いだな、きっと。そういうことにしておこう。
すっかり蚊帳の外に追いやられた俺が歯噛みする間にも、カイトはあたかも誓いの指輪を贈るかのような手つきでもって、ノノハの手を優しく握る。手のひらと手のひらが、引かれ合うようにして重なる様子は、悔しいが、ぴったりと息が合っているとしかいいようがない。
そうしておいて、カイトはおもむろに口を開いた。
「──解けた」
彼女の手のひらから、カイトは、何かを拾い上げた。何も摘んではいない、その指先に、俺は最後の1ピースを見た。迷いのない所作で、カイトはそれを、自分の頭のてっぺんに持っていく──最後の空白を、埋めるために。無駄のない、きれいな動きをしやがる指先を、俺はぼんやりと眺めた。
──ああ。解きやがった。こいつは、本当に──
「俺に解けねぇパズルは、ねぇんだよ。たとえそれが、自分の頭だろうとな」
そんな格好つけた台詞を吐いて、次の瞬間には、奴の身体は、ぐらりと大きく傾いでいた。俺は咄嗟に、その腕を掴んだが、引き摺られるかたちでもってバランスを崩し、二人してベッドに倒れ込む。
「ってぇ、なんだよ、バカイト」
頭をさすりながら、俺は顔を起こした。いつもであれば、すぐさま返って来る生意気な言葉が、何故か聞こえない。見れば、相手は俺の腕の中で、力なく顔を伏せていた。おい、と声を掛けようとして、俺は言葉を呑み込んだ。安らかな寝息が聞こえてきたからだ。何の悩みもなさそうな能天気な表情を晒して、奴は深い眠りに落ちていた。
「あらら。夜中にはしゃいだもんだから、疲れちゃったのね」
寝顔を覗き込んで、ノノハはやれやれといったように微笑んだ。幼馴染の一大事を目の前にして、彼女も疲労していない筈もないだろうに、その表情は、ただただ優しかった。
「じゃあ、私も帰るね。お疲れ、ギャモン君!」
また明日、と彼女は笑顔とともに立ち去った。
まったく──迷惑な野郎だぜ、と俺は一晩中付き合わされたクソみてぇなパズルそのものであるところの、バカイトの頭を無造作に撫でた。ずっとそのまま、寝ていやがれ。
起こさないよう、静かに姿勢を入れ替えて、寝台を降りる。最後に、掛け布を直してやってから、俺はそっと足音を潜めて、部屋を後にした。



後のPOGの調査によると、そのサボテンからは、幻覚症状を誘発する成分は、特に検出されなかったそうだ。そんなバカな。カイトとあのおっさんと、サボテンステーキを食べた二人ともが同じ幻覚を見たのは、それでは、どういうわけなのか。
「パズルに特化した頭脳ならではの、特殊な反応が引き起こされたのかも。これは興味深いよ」
天才テラスと称される学食の一角に陣取ったキュービックは、新たな謎を前にした挑戦者の面持ちで、大仰な端末を叩いた。事の次第を聞いたこいつは、何故自分もその場に呼んでくれなかったのかと、ひどく機嫌を損ねていたが、どうやら前向きな思考にシフトしたらしい。溢れる知的好奇心に輝くばかりの瞳を、研究対象であるところのカイトに向けて、にっこりと微笑む。
「今度、サボテンパーティーするときは絶対、僕も呼んでよね。腕によりをかけて、データ取らせて貰うよ」
「二度と食わねぇよ」
そのカイトは、自分でも今回の一件を不覚だったと思っているのだろう、もう触れないでくれと言わんばかりに、つれない態度である。いったい、サボテンで幻覚を見てしまったのが不覚なのか、それとも、脳みそパズルをひとりで解けなかったのが不覚なのか、それは俺の知るところではない。
「……なんだったんだろうな、本当」
俺はぽつりと独りごちた。別に、誰に答えを求めたわけでもないが、隣の席の奴は、しっかりそれを聞いていたらしい。ご苦労だったね、と上から目線の労いの言葉を掛けてきたのは、今日もちゃっかりと、お決まりのメンバーに交じって茶を啜っていたルークである。彼は一つ息を吐くと、訳知り顔で言った。
「これも、サボテンが見せてくれた、一夜の夢……かな」
「夢っつーか悪夢だったぜ。きれいにまとめてんじゃねぇよ」
聞けばあの夜、ルークの方もそれなりの苦労を要したらしい。忠実なる側近は、幻覚によって、敬愛する主人を己のピースであると思い込み、一晩中抱き締めて離さなかったそうだ。それ、本当に幻覚の作用なのかよ。実はシラフだったんじゃねぇのか。真相は不明である。そっちの面白エピソードも聞きたいような、なにやら聞くのが恐ろしいような、微妙なところだ。おっさん、幻覚にかこつけて何するか分かったもんじゃねぇよ。
「うん。僕の衣服の中に、ピースが隠れているかも知れないといって、全部脱がされてしまったよ。頭から爪先まで、丹念に確かめられた」
「やめてくれ。大人を信じられなくなる」
やはり、聞くのではなかった。触るな危険。そのビショップは、大事を取って、現在休養中とのことだ。反省期間、あるいは謹慎中といった方が適切ではないか、という感想は、俺の胸の内だけに留めておいた。いつも後ろに影のように控えている側近から解放されて、心なしか、ルークははしゃぎ気味である。
「カイトのパズル──否、パズルのカイト、というべきかな。僕も見たかったな……そうだ、頭だけといわず、今からでも全身の型を取って、立体ジグソーパズルとして商品化しようよ。そうだな、そのままじゃ簡単すぎるから、僕の全身パズルも作って、ピースを混ぜてしまうのはどうだろう。きっと素敵だよ」
「ああ、俺でよけりゃ、いくらでも協力するぜ。完成したらやらせろよ、ルーク」
あっちはあっちで、なにやら不穏な相談である。ほいほい乗ってんじゃねぇよバカイト。冷静に考えてキモ過ぎるだろ、その内臓パズル。お前はそれでいいのかよ。パズルなら何でも良いってか。へらへら無防備に笑いやがって、くそ。
「……やれやれだぜ」
まったく、つきあってらんねぇ。ソファに深々ともたれて、俺は天を仰いだ。一つ、胸に浮かんだ単語を呟く。
「……Quebra Cabeca(ケベラ・カベッサ)」
直訳で、ブレイク・ヘッド。「難問」「パズル」を意味するポルトガル語だ。まさしく、今回の状況におあつらえ向きではないか。頭蓋が破裂するパズルなんて、そうそうお目に掛かれるものではない。
まったく、こいつといると、おかしなものばかりに巡り会う。そして、それをなかなか、悪くないと感じている自分がいる。
今回の一件をもとに、ひとつ新作パズルでも考案してみるか、と覆面パズル作家・地堂刹としての俺は思った。頭の中には、早くも、かたちとなるのを待ち望むアイデアが溢れ出している。パズルプリンスの読者アンケート、11号連続首位の座は固い。誇らしい兄を持ったといって喜ぶ妹の顔が、また見られるだろう。それに、覆面作家様の正体も知らずに、さすが良いパズルを作るぜといって瞳を輝かせる、バカイトの姿も。憧れの先生のネタ提供者が、実は自分であったと知ったら、奴はどう思うだろう。
あいつに、ひと泡吹かせてやる日が楽しみだぜ──そんなことを考えていたら、表情にも出てしまっていたらしい。
「にやついてんじゃねぇよ、キモギャモン」
「んだとてめぇ!」
それが、恩人に対してとる態度か。やはり一発、殴っておくべきだった。否、今からでも遅くはないぜ。歯ぁ食いしばりやがれ、この野郎。
いきり立つ俺に対して、まぁまぁ、と仲裁に入ったのはルークである。
「君は緑でも眺めて、少し心を落ち着かせたほうが良いね。サボテンなら、いまPOGで元気に繁殖中だから、良かったら今度、ひとつ持って行ってくれたまえよ」
「要らねぇし! つぅか殖やすなよ!」
「ああ、それとも、もしかしてカイトと僕の等身大パズル化計画が羨ましいのかな? ごめんよ、仲間外れにしたつもりはなかったんだ。ただ、君なら体格的に、ビショップとセットにしたほうが」
「ねぇよ! 想像させんな!」
前言撤回だ。なにが、なかなか悪くない、だ。十二分に悪いだろうが。こいつらといると、本当に──ろくでもない。何がむかつくといって、厄介事ばかり仕出かす、はた迷惑な連中の中にあって、俺は驚くべきことに、席を立とうとはちっとも思わないことだ。椅子を蹴って立ち去ることは簡単なのに、俺はそうしたいとは微塵も思わない。
ギャーギャー喚いて、腹を立てて、ふてくされて、そうして今日も、ここにいる。当たり前のようにして、明日もきっと、そうしている。まったく、笑い話じゃねぇか。

──愉快なこと、この上ないぜ。
死んでも漏らすつもりはねぇ胸の内で、俺は思った。




[ end. ]
















ルークの南米旅行の話はこのあたりに→POG世界パズル遺産〜天空の都市篇〜
2013.2.3

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