人類の星の時間 -1-






人影も絶えた深夜の学内は、昼間の喧騒が嘘のように、ひっそりと静まり返っていた。
かつて城塞として機能していた歴史を窺わせる、重厚なる校舎の威容を、月明かりが青白く照らし出す。事情を知らぬ者が見れば、廃墟、という印象を、まずは抱いたことであろう。数百年前と変わらぬ姿で、大地に深い陰影を穿つ堅牢な外壁は、何者の侵入も拒むように、静謐の学び舎を守護していた。
昼間となれば、行き交う生徒たちで賑わう中庭も、今は、どこからかフクロウの囀りが聞こえるばかりである。眺める者もいない白亜の噴水は、柔らかく月光を反射し、石畳を打つ涼やかな水音を奏で続ける。
その静寂を、僅かに波立たせる者があった。
「──明日、『外』から、二人の人間がやってくる」
低く潜められた声は、まだ年若い響きを有している。くぐもって聞こえるのは、マスクでも装着しているのだろうか。白亜の噴水の脇に佇む、その姿は、漆黒の影に包まれ、いつ夜の闇に溶け消えてもおかしくはない様相を呈していた。
声は続ける。
「他校の生徒だ。奴らは間違いなく、注目されるだろうが……良いか、リバーシ。お前は、奴らに近づくんじゃない」
影は、何者かに語りかけているらしかった。しかし、親しく呼び掛ける相手の姿は、どこにも見当たらない。当然、相手からの返答も無い。ただ、流れ落ちる規則的な水音が響くばかりである。
しかし、影はどこからか、相手の反応を知ったようだった。それが、意に沿わぬ返事であったのか、やや語調を強くする。
「お前のためだ。いいから、言う通りにしろ。……そうだ、普段通りに、大人しく、目立たないようにしていればいい。なにも難しいことはないだろう?」
声の後半には、優しくなだめるような響きが加わっていた。それで、どうやら、話の相手は納得したらしかった。それでいい、と影は頷く。
「俺か? 俺はいいんだよ。いくら、あのクロスフィールド学院の生徒といっても、俺に敵う奴なんていない。『本物』である、俺には。……それは、お前が一番よく知っている筈だぜ、リバーシ」
暫しの間を置いて、声は、押し殺した笑みをこぼす。
「そうだ。まあ、折角だし、少し遊ばせて貰うぜ……予行演習だ」
言ってから、影は、自分が少し喋りすぎたことに気付いたらしい。追及を拒むように、やや早口で紡ぐ。
「何でもない、気にするな。お前は何も心配しなくていい。俺が、お前を、守ってやるからな……それじゃ、また遊ぼうぜ」
言い残して、影は、ふっと溶けるようにして姿をくらませた。後には、白亜の噴水が、先刻と変わることなく、石畳に豊かな水流を注ぎ落としていた。



澄んだ青空から降り注ぐ陽光が、学び舎を爽やかな光に包んでいた。
古城を改築した校舎に足を踏み入れた客人を、まず出迎えるのは、吹き抜けの大階段である。広大な敷地を活かし、たっぷりと余裕をもたせた構造は、周囲を森と山々に囲まれた立地条件ならではの利点である。振り仰げば、吸い込まれそうに高い天井に、壮麗な絵画が描かれているのを見出すことが出来る。
黄金の指輪を高々と掲げ、勝利の喜びを表現する、血塗られた怪物殺しの英雄──この地に伝わる、古代叙事詩(サーガ)の一場面である。初めて目にした者は、誰しも、この大作に目を奪われずにはいられぬであろう。
しかし、その前の通路を行き交う生徒たちは、誰も足を止めるどころか、顔を上げて仰ぎ見ることすらしない。彼らにとって、その絵画は、今や代わり映えのしない日常風景の一部でしかなかった。まして、今は、それよりも強烈に、生徒たちの興味関心を引く存在が、学内に現れたところである。茫として天井を眺めている場合ではない。
表向きは関心を示さずに、しかし、さりげなく視線を遣っては、生徒同士、声を潜めて囁き合う。
「なんだって、部外者が、こんなところに……」
「クロスフィールド学院の生徒だ。見学に来たらしいぜ」
「あれが、学院の……」
少年少女たちの注目を集めていたのは、二人連れの少年であった。周囲の生徒たちの制服とは、異なる衣服を纏っている。それでなくとも、彼らは周囲の子どもたちからは、一種浮いた雰囲気を醸し出していた。
一名は、針金細工めいた、長身痩躯の少年。肩の辺りで切り揃えた髪の撫でる面立ちは、黙って真面目な顔をしていれば、それなりに知的に整って見えたことだろう。しかし、フレームの太い色付き眼鏡の下で、愉快げに目を細める、にやついた表情と、長い手足をもてあますような姿勢の悪さが、もって生まれた素材を台無しにしていた。一目見ただけで、どこか得体の知れぬ、不気味な印象を与える少年である。
対して、もう一名は、これもまた、別の意味で人目を惹く容姿の少年であった。ふわりと巻いた白金の髪と、青空を映し込んだような、澄んだ瞳。やや幼さを残した顔立ちは、あどけない愛らしさと、少年らしい凛々しさを兼ね備え、まっすぐに前を見つめている。背丈は、もう一人の少年よりいささか低いが、均整のとれた細身を、仕立ての良い濃紺のテイルコートに包んだ優雅な立ち姿は、女子生徒たちの感嘆を誘うには十分であった。
その二人連れは、周囲からの視線をものともせずに、ゆったりと辺りを眺めながら、校舎を見学しているらしかった。

「──あは。注目されてるねぇ、俺たち」
周囲からの探るような視線を、心地良く肌に感じながら、ピノクルは小声で囁いた。
「そりゃあね。見ただろう、あの城壁。隔離政策は、我らが母校以上のようだよ」
言って、フリーセルは軽く肩を竦めてみせる。立地条件のみならず、徹底的な情報統制によって、秘密主義を貫く学園である。本来であれば、他校の生徒を城門の内に招き入れるなど、考えられぬ事態であろう──本来であれば。
校舎に掲げられた、卵型のエンブレムを仰いで、ピノクルは唇を歪めた。
「私立サーガランド学園──北欧の僻地という、外界から隔絶した環境下で、パズルを活用した特色ある教育を行なう、全寮制教育施設。歴史は100余年とまだ浅いが、近年、相次ぐ著名人の輩出によって躍進し、新興の名門校として注目を集めている。徹底した秘密主義にもかかわらず、世界各国からの入学希望者が後を絶たない──で、俺たちは、はるばるイギリスから、ライバル校の見学に来たと、」
頭の中に入っているデータを、少年はすらすらと諳んじる。ここまでは、誰にでも入手可能な基本情報だ。それから、今度は、ぐっと声を潜めて続ける。
「……そういう設定、だったっけ」
隣の少年にのみ聞こえるように、ぎりぎりまで音量を落として、ピノクルは呟いた。確認のかたちを取ってはいるが、勿論、本当に忘れているわけではない。自分たちが、クロスフィールド学院の使者を装うという、愉快で皮肉な状況を、同行者と分かち合いたいというだけのことであった。
「本当、面白い『任務』を持ってくるね……彼」
こちらもまた、小さく囁いて、フリーセルは愉快げに微笑した。彼らが、こうして他校を訪れたのは、編入希望の見学のためでもなければ、スパイの真似事をするためでもない。それは、話だけ聞けば、なんとも奇妙な『任務』であった。

「今回、皆様には、2つのグループに分かれて行動していただきます」
事の始まりは、世話役を通じて伝えられた、そんな『お言葉』であった。眼鏡の青年は、革張りの手帳を片手に、慇懃な態度でそう告げた。5人の少年少女を前に、落ち着き払った声で、任務の詳細を説明する。
「一方は、オルペウス・オーダー北欧支部にて進行中の計画を見学、多少のお手伝いをしていただきます。こちらが3名。残りの2名は、レプリカ・リング製造拠点の一つ、サーガランド学園の視察。なんでも、生徒たちと遊んでやって欲しいとか」
いかがなさいますか──との問いを、青年は無事に言い終えることが出来なかった。それより先に、あどけない少女の声が、上から被せられている。
「私、学園のほうにしますわ! 当然、お姉さまも一緒ですわよね?」
「え? ええ、そうね、メランコリィ」
決まりですわ、と少女は早くも、ミゼルカの腕を取ってはしゃいでいる。面倒なことは嫌い、楽しければそれで良い、という彼女にとって、任務の二択は、考えるまでもない問題であったことだろう。これで楽が出来ると、鼻歌でも歌い出しそうな少女に、ホイストは恭しく、一言を付け加える。
「なお、学園は、一番近い村からでも、車で3時間の距離にございます」
「さっ……3時間…!? 村!?」
世話役の一言で、はしゃいでいたメランコリィの表情が凍りつく。
「周囲は、緑豊かな自然に囲まれ、見渡す限りの、森と山々……外界の低俗な娯楽から隔離された、堅牢なる学び舎にて、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ。メラ様」
青年の紡ぎ出す言葉に、いよいよ、メランコリィは声を失った。勝手に名前を省略して呼ぶなと怒るのも忘れて、可憐な唇をわななかせる。固まっている少女をよそに、ホイストは残りの少年たちに向き直った。
「それでは、フリーセル様、ダウト様、ピノクル様は、北欧支部のほうへ。お手伝い以外の時間は、街でご自由にお過ごしください。そうそう、丁度、近隣に先ごろオープンしたての大型ショッピングモールが」
「わ、私やっぱり、そちらが良いですわ! さっきのは、なし!」
ホイストの説明を遮って、少女が小さな身体を割り込ませる。続いて、「あ……それなら、私も」と、ミゼルカが控え目に挙手した。
ころころと意見を変える女性陣を前に、苦々しく眉を寄せたのはダウトである。
「……まったく。時間を無駄にしてくれる」
「まあまあ。ダウトは? どっちが良いの?」
とりなすように問うピノクルに、ダウトは迷うことなく答える。
「どちらだろうと構わん。どこにあろうと、私は騎士として、クロンダイク様のご意思に従うまでだ」
「はあ……」
徹頭徹尾、生真面目な学友を、半ばあきれたような目で見遣ってから、ピノクルは少女たちへ向き直った。表情には、軽薄な笑みが浮かんでいる。
「じゃ、俺はお嬢様がたのお供といこうかなぁ。両手に花とは、嬉しい限りだねぇ。ふふ、どうぞよろしく」
「嫌ですわ! それなら、田舎の学校のほうが、まだまし!」
嫌悪感を隠そうともせずに、追い払うように片手を振り回しながら、少女は甲高い声でわめく。その反応が面白いのだろう、わざとやっているとしか思えない態度で、ピノクルはますます、メランコリィの神経を逆撫でする。事態に収拾がつかなくなるかと思われた、そのときだった。
「……僕は、サーガランド学園が良いな」
ぽつりと呟いたのは、それまでずっと口を閉ざしていたフリーセルである。思わぬ人物の、思わぬ発言に、言い争っていた他のメンバーも一瞬、言葉を途切れさせる。室内を、静寂が満たした。
一言のみの希望を述べて、後はもう何も言うべきことはないとでもいうように、フリーセルは黙り込む。何故そちらを選ぶのか、誰と一緒が良いのか、そんなことは、はじめから話すつもりのなさそうな様子であった。
「じゃ、俺も」
メランコリィをからかって遊んでいたピノクルは、あっさりと身を引いて、フリーセルの側に立った。決まりだな、とダウトが重々しく呟く。少年たちの遣り取りを、口を挟むことなく静かに見つめていたホイストも、小さく頷いた。
眼鏡の奥の瞳を細めて、ホイストは、少年少女たちをゆっくりと見回す。
「事が円満に納まりまして、なによりです。それでは、メランコリィ様、ミゼルカ様、ダウト様は、北欧支部へ。フリーセル様、ピノクル様は、サーガランド学園へ。皆さまのご活躍を、お祈りしております」
慇懃に言葉を紡ぎながら、少年らには見えぬよう、ホイストはさりげなく、手帳に目を落とした。開いた紙面に、整った筆跡による文字列が読み取れる。
北欧支部──メランコリィ、ミゼルカ、ダウト
サーガランド学園──フリーセル、ピノクル
そこには、たった今決めたばかりの筈のグループ編成が、既に数日前から、書き込まれていた。眼鏡の青年は、僅かに唇の端を上げる。
「すべては──クロンダイク様の、ご意思のままに」
静かに告げられた一言でもって、会合はお開きとなった。

そんな任務を帯びて、フリーセルとピノクルは、この学園に足を踏み入れたのだった。サーガランド学園は、既に秘密裏にオルペウス・オーダーの傘下に入っている──より精確に言うならば、実験場として、活用されている。外部に対する秘密主義も、同じ組織内の人間に対しては、その限りではない。先ほども、レプリカ・リング開発班を率いる有能なるリーダーにして、対外的には学園長の椅子に座する女性、レスティに挨拶を済ませてきたところであった。
「うちの生徒たちと、沢山、遊んであげてね」
と、彼女は含みを持たせた物言いでもって、唇の端を吊り上げた。こちらと、今頃ダウトたちが北欧支部で果たしている筈の「お手伝い」と、果たしてどちらが面倒だっただろう、と思いを馳せながら、二人は学園長室を辞去し、学内を散策している。
「やぁ、可愛い子が一杯だねぇ。色素が薄くて、儚げな子って、俺、好みだなぁ。白金の髪、蒼い瞳、白い肌、薔薇色の頬……うん、北欧、実に素晴らしい」
「君、さっきまでレスティ先生にアプローチしていたよね……」
どこまでも軽薄で移り気な同行者を、あきれたように横目で見遣りつつ、フリーセルは廊下を歩んだ。さて、それでは、いつ始めるか──頭の中でタイミングを練っていた、そのときだった。
「──とっとと解けよ、クズ!」
不意に響いた怒声に、フリーセルは足を止めた。前方にある教室の扉が、開け放たれている。声は、そちらから聞こえたようだった。
顔を見合わせると、何とはなしに、彼らはそちらへ足を向けた。教室内からは、詰るような言葉が、続けざまに聞こえる。扉の脇に身を隠して、フリーセルたちは、室内の様子を窺った。
後ろの方の席で、臆病そうな少年が、巨体の少年とその取り巻きに囲まれて、何らかの無理強いをされているのが目に入る。ちらりと見えたところによると、どうやら、パズルの勝負を強いられているらしい。駄目だよ、出来ないよ、勘弁して、などと、獲物の少年は懇願しているが、相手に慈悲の心はないらしい。無理やりにペンを握らせ、哀れな少年の胸にパズルを押し付ける。いよいよ逃げ場を失って、少年は、己の運命を悟ったのだろう、力なく肩を落とす。
「こんなの、解けない……降参だよ」
言って、何かを握った片手を差し出す。少年の手の中から、それを素早くむしり取ると、不良連中は歓声を上げた。
「さすが、スリザーさん!」
「お見事です!」
追従する取り巻きたちの中央で、スリザーと呼ばれた少年は、耳障りな笑声を上げている。不良たちが勝利の美酒に酔っている間に、獲物の少年は、そっとその輪を抜け出ようとした。だが、何を思ったか、彼らの注意が逸れている、教室の前扉ではなく、後扉の方へと進路を取ってしまった。案の定、逃げるより前に、目ざとく見つけられてしまう。
「残念だったなあ、リバーシ。折角、授業でコツコツ、点数稼いでいたのによ」
少年の前に立ちはだかったスリザーは、相手を馬鹿にしきった態度で鼻を鳴らした。青褪めて震えている少年の肩を、乱暴に叩く。
「まあ、安心しな。お前の『星』は、俺様が有意義に使ってやるからな」
また、貯まった頃に遊ぼうぜ、と言い残して、スリザーは取り巻きと共に、悠然と立ち去った。
事態の推移を見つめていたフリーセルは、被害者の少年から視線を切って、辺りを軽く見回した。周囲では幾人もの生徒たちが、何事もなかったかのように行き交い、教職員の姿も見える。それだけの人間がいながら、廊下の中央を占拠し、げらげらと笑いながら徒党を組んで立ち去る不良グループを、咎める者は一人もいなかった。確認して、フリーセルは小さく呟く。
「なるほど……表向きは、生徒同士の私闘を禁じているが、実態は黙認、というところか。どうせ、罰則なんてないんだろう。むしろ、推奨しているとさえいえる」
「まあねえ。じゃなきゃ、こんな争いのタネをばらまくような真似、しないさ」
くく、とピノクルは喉の奥で笑った。訳知り顔で、軽く片手を広げてみせる。
「子どもっていうのは、経済的に自立していない代わりに、代替品で『金儲け』の喜びを知る。あれだね、カードやコインのコレクションとか。沢山持ってる奴ほど偉いっていう、シンプルな構図」
ピノクルの解説に、フリーセルは軽く頷く。彼は優美なテイルコートを探ると、中から何かを取り出した。握った拳を開くと、中から現れたのは、まばゆいばかりの黄金の粒──『星』である。数は、20ほどであろうか。その中から、フリーセルは一つを取り上げて、光にかざした。『星』は、正にその名に相応しく、陽光を反射してきらきらと輝く。
「……まして、ここの『星』は擬似通貨。その遣り取りは、学園生活のあらゆる場面で、関わってくるわけだ」
黄金の一粒に匹敵するともいわれる、ちっぽけな欠片を、フリーセルは目を細めて見つめた。暫し、そうして矯めつ眇めつしてから、腕を下ろす。
それから、些細なことなのだが、といった様子で、少年は同行者に向き直って問うた。
「さて、どうして僕たちは、見学に参上しただけだというのに、『星』を貸与されたのだろうね? 1人あたり、20個も」
「そりゃあ、決まってる。これを使って、ここにいる子たちと遊んでやってよ、っていう、レスティ先生からのメッセージさ」
「彼らとゲーム、か……」
周囲でこちらの様子を窺っている生徒たちを、フリーセルは、ゆっくりと頭を回して一瞥した。この学友が、いったい何を考えているか、悟ったのだろう、ピノクルは可笑しそうに肩を揺らす。
「まあ、この中に、俺たちと遊べるような子は、一人だっていないと思うんだけどねぇ」
「なっ……!」
ピノクルの、さりげなくも十分に毒を含んだ台詞を受けて、これまで息を潜めていた生徒たちが、にわかに気色ばむ。部外者にいかなる態度を取ったものかと、決めかねて困惑していた当初とは、空気が一変する。今や、クロスフィールド学院からの使者を取り囲む空気は、剣呑なものでしかなかった。
自分の発言が引き金であったことを、分かっているのかいないのか、ピノクルは大げさに肩を竦めてみせる。
「おお、怖」
「君が余計なことを言うからだよ、ピノクル」
この状況下で、未だに飄々とした態度を取り続ける学友を、フリーセルは軽くたしなめた。しかし、その彼も、周囲の生徒に非礼を詫びることはしない。むしろ、悠然たる微笑を浮かべている。
「ご覧。どうやら、ただでは通して貰えなさそうだ。彼らと遊んでやらないと、ね」
「やれやれ。じゃ、さっさと済ませるとしますか」
教師に黒板掃除を命じられた程度の気安さでもって、二人は周囲からの敵意に応じる。外界から隔離された環境下で、一心にパズルの腕を磨き続けるエリートたちを前にして、微塵も物怖じしない。それは、英国が誇る名門クロスフィールド学院の生徒としての、矜持の表れであろうか。あるいは──
「さあ──頑張ってみてよ」
誰にともなく呼び掛けて、フリーセルは高々と片手を挙げた。天を指し、太陽を手中に収めんとするかのような、その気迫に、周囲の生徒らは一瞬、気圧されたようだった。それでも、逃げ出すことはせずに、いっそうに敵対の意思を固める。彼らの覚悟の表情を前に、フリーセルは不敵に笑んだ。
「レッツ・プレイアップ」
細く整った指先が、軽やかな音を立てて、戦いの開幕を告げた。



両手に一杯の『星』を、じゃらじゃらと弄びながら、ピノクルは嘆かわしげに首を振った。
「どうすんのフリーセル、こんなに『星』巻き上げて。部外者の俺たちじゃ、使い道ないよ」
「メランコリィたちにお土産かなにか、買っていけばいい。それでも余るなら、屋上からでもばらまけば? 天の恩寵だ。きっと、面白いことになるよ」
その光景を想像したのか、ふふ、とフリーセルは笑声をこぼした。校舎を離れ、可憐な花々が守るひっそりとした庭園の一角で、二人はベンチに腰掛けていた。
フリーセルたちは、忠実に任務を実行した。すなわち、学園の生徒と「遊んで」やったのだ。それは、ここに到着するなり、レスティ学園長からも、直々に依頼されたことであった。『星』の入手は、本来の目的ではなく、二人はどうでも良いと思っていたが、熱くなった生徒たちが、自ら賭けると言い出した。プライドと損得勘定の相乗効果で、ゲームは加熱する一方であった。その結果が、この両手から溢れんばかりの『星』である。
小さく息を吐いて、フリーセルは呟く。
「彼らを、より上等な駒に育て上げるための、外部刺激、か。どうだろうね、ピノクル。僕たちのところまで這い上がってきそうな、手応えのある子は、いたのかな」
「いやぁ、全然。Aランクだなんだといっても、あれじゃあね……ただ、きっかけにはなったと思うよ。もっと強くなりたい、力が欲しい、って思うきっかけに。そこへ、リングを差し出してやれば──」
いちころじゃないの、とピノクルはおどけて片目を瞑った。それについては、フリーセルも同意見だった。
いずれ、日本での作戦においては、類似のシチュエーションでのリング拡散計画が実行に移されるだろう。今回は、その予行演習といった意味合いもある。誰にでも装着可能なレプリカ・リングとはいえ、その真価を発揮するためには、やはり、持ち主の意思が大きく関わってくる。
リングを、個人に合わせるのではない。むしろ、その逆である。いかにして、人間を、リングに適合させるか──元々話術に長けたピノクルは、早くも、そのテクニックを体得しつつあった。頼もしいことだ、とフリーセルは微かに目を細める。
「さて、任務も無事に完了したことだし……折角だから、学内施設を見学させて貰おうかな」
「あ、それなら、面白そうなところがあるよ。『鏡屋敷』っていうやつ」
場所は確か、とピノクルは地図を広げた。横から、フリーセルもそれを覗き込んでいたが、ふと、何かに気付いたように顔を上げる。
「ん……」
咄嗟に、少年は後ろを振り返った。背後に広がるのは、学園の有する広大な森林の、鬱蒼たる緑である。それらの合間に、素早く視線を走らせる。
学友の異変に気付いて、ピノクルも、地図から顔を上げた。
「どうしたの、フリーセル」
「……いや。行こうか」
濃紺のコートを翻して、フリーセルは、庭園のベンチを後にした。
「……」
その後ろ姿を、大樹に身を隠した漆黒の影は、息を潜めて見つめていた。






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