人類の星の時間 -3-
「──サーガランド学園、POGの手に落ちたってねぇ」
頬杖をついて、車窓を眺めつつ、ピノクルは呟いた。彼らがその知らせを受けたのは、学園を後にし、オルペウス・オーダー北欧支部にて数週間の調整プログラムを受けた後、一旦英国へと帰還する旅程の途上であった。その事実を知って、フリーセルたちがまず抱いた感想は、ああ、やはりな、というものであった。いかに外界から隔離された城塞学園とはいえ、裏であれだけ大掛かりな『実験』をしていては、勘付かれるのは時間の問題であっただろう。
組織としても、馬鹿ではないから、それを見越して、重要なデータの痕跡は残さなかった筈だ。POGがいくら捜索したところで、大した手がかりは得られまい。組織として、一つの拠点を奪取されたことは、確かに重く受け止めねばなるまいが、とはいえ、日本における今後の計画に支障をきたすものではない、というのが、一致した見解であった。
ピノクルの呟きに、フリーセルは同意して頷く。
「それにしても、僕たちの視察の後、間もなく、とはね。タイミングが良かったというか、悪かったというか……いずれにしても、あの鏡屋敷が健在のうちに視察出来たのは、大きな収穫だったよ」
「こんなことなら、勿体ぶらずに、デートにお誘いしておくべきだったなぁ……レスティ先生」
年上の美女に思いを馳せ、深い溜息を吐く同胞を、フリーセルは微笑ましく見つめた。ぽんと肩を叩いて、励ましの言葉を掛ける。
「新しい出逢いなら、これからいくらでもあるさ。海の向こうで、頑張りなよ」
学友からの珍しい励ましに、そうするよ、とピノクルは力なく笑んだ。
「ところでフリーセル。一つ、良いこと、教えてあげようか」
「なにかな」
「向こうの車両、」
立てた親指でもって、ピノクルは後方の車両を指してみせた。
「面白い奴が、乗ってるよ」
自然、そちらへ頭を巡らせて、ふぅん、とフリーセルは呟いた。列車の旅は長く、変わり映えのしない車窓は、さしたる暇潰しとはなり得ない。丁度、身体を動かしたいと思っていた頃合いでもある。フリーセルは、席を立って、ゆっくりと後部車両へ向かった。
いったい、何が待っているのか──不自然に思われない程度に、辺りを窺いながら、ゆっくりと歩を進める。若者、老人、旅行者、笑顔、寝顔、喜び、疲れ──ひとつひとつの座席に、視線を走らせる。
しかし結局、ピノクルの言う「面白い奴」というのは、見当たらなかった。あんな意味深げな物言いをするからには、一目でそれと分かる人物の筈であるが、フリーセルの視線の留まる相手はいなかった。ただ一組、若い男と、フリーセルと同年代ほどの少年の二人連れが、他の乗客からはやや浮いて見えたが、特別に気にするほどのものではない。
あいつ、また適当なこと言ってるんじゃないか、とフリーセルは小さく溜息を吐いた。そんな奴の言うことを、真に受けたのが間違いだったのかも知れない、と自省する。
それに──今、興味がある相手は、ただ一人だけだ。彼以外の人間に、注意を払っている暇はない。彼以外の人間を、視界に入れる余地はない。
通路を歩みながら、フリーセルは、胸元のペンダントを探った。
「いよいよ始まるよ……ママ」
何も得るところのないまま、座席へと戻ったフリーセルは、学友にささやかな苦言を呈した。
「誰もいなかったよ。適当なことを言わないでくれるかな、とんだ無駄足だ」
「あれ、おかしいな。俺のデータがミスってたかな。まあ、いいや」
大したことじゃないし、とピノクルは頭の後ろで腕を組んだ。そう、大したことはない──フリーセルが固執する、大門カイトとの果たされなかった約束、それの遠因となった存在が、今まさに自分たちと同じ列車に乗っていることなど、大した問題ではない。ピノクルは思った。
実際、半ば予想していた通り、フリーセルは、その少年の存在に気がつかなかった。ただでさえ人目を引く容姿をしている、あのPOG元・管理官──それを、フリーセルの脳は、どうでもいい風景の一部としてしか、認識しなかった。
フリーセルの目には、大門カイトしか、映らない。
それを確認して、ピノクルは密かに溜息を吐いた。同時に、決意を固める。フリーセルにとってのルークがそうであるように、おそらくは、大門カイトにとってのフリーセルもまた、「どうでもいい風景の一部」としてしか、認識されないだろう。きっと思い出す、思い出させる、とフリーセルは確信を持った面持ちで語っていたが、ピノクルにしてみれば、何故そうも相手を信じられるのかが不思議でならない。
彼は、思い出さないだろう。フリーセルが、どんなに、何度も語り掛けたとしても、思い出さない。彼が思い出すのを待つのは、不毛なことだ。あれだけ待ったのに、また、待っていないといけないなんて──フリーセルが、可哀想だ。
だから、そのときは──自分が。
大門カイトの目に、フリーセルしか、映らないようにしてやる。
「どうしたんだい、ピノクル。ぼうっとして」
「ん? ううん、ちょっとね。日本の女の子は可愛いかなぁ、って」
馬鹿だね、馬鹿だよ、と笑い合いながら、流れていく景色をずっと、眺めていた。
なぜあそこにフリーセルがいたのかを考えたらこうなりました。主従小説すばらしかったです。(終末の日の記述はマタイ24:29より)
2013.5.21