月と寝台 -2-
知らない筈なのに、どうすれば良いのか、分かっていた。
試していくほどに、己の正しさを確信していく。
働きかけてやれば、必ず応えて、裏切らない。
そういう仕組みに、なっている。
パズルを解くときと、同じだ。
脳の全てを、それのために集中する。
何もかもを解き明かして到達する、その頂点を目指して、手探りで突き進む。
次第に募る、高揚感を帯びながら。
解放を求める、熱に身を委ねながら。
ただ、目の前にあるのは、解いてくれといって切なくねだる、パズルにほかならなかった。生粋のソルヴァーである少年にとって、それは、何ら考える余地なく、解放してやる対象であって、そこにこれ以上のシンプルな原理はない。
──俺は、パズルを解く。
その宣言こそが、大門カイトという少年を構成する中核だった。
嫌い、憎みながらも、離れられない。裏切られ、傷つけられながらも、性懲りもなくまた、近づいてしまう。解かずには、いられない。触れずには、いられない。
そんな自分は、本物の馬鹿なのだと、カイトはよく承知していた。なまじパズルの気持ちが分かってしまうから、こういうことになる。自分のことのように感じて、堪らなくもどかしい気持ちになって、ついつい手を出してしまう。気付かない振りを装うことなど、とうてい出来ない。振り払おうとしても、どこまでも絡みついて、それは脳を支配するのだ。神経が、それを解く快感を既に記憶して、身体の隅々まで刻みつけてしまっている。抗うことなく、上りつめていくことしか、出来ない──許されない。
解いてやる。
すべて、暴いてやる。
奥底まで、見て、触れて、知ってやる。
これを解いた俺自身の名を、刻みつけるのだ。
征服の証を。
支配の証を。
そうされたいんだろう?
望んでいるんだろう?
解いて欲しいんだろう?
壊されたいんだろう?
「……っあ、ぁ…そんな、深く……っ」
手首を返して、刺激の方向性を少し変えてやるだけで、ルークは敏感に反応を返す。内部を探り立てるカイトの指は、着実にルークの弱点を学んで把握し、巧妙に焦燥を煽った。
「じょうず、だね……もう、覚えたの、……さすがだよ、カイト」
息を切らしながらも、うっとりと紡いで、ルークは切なげに腰を揺らす。二本の指を、内部でばらばらにうごめかせると、ルークはびくびくと身体を跳ねて応じた。
「あぅ、カイト……、カイトの、指…っん、感じる……」
首に掴まり直して、ルークは熱い溜息を吐いた。悩ましく喘いで、肩口に頬を擦り寄せる。いかにも気持ち良くて堪らないといったような、そんな態度に、カイトは僅かに眉をひそめた。
吐息交じりに歓喜を囁く、ルークが言葉通りに快楽に溺れているなどとは、カイトは思ってはいなかった。いくら、それらしいことを言って、甘やかな声をこぼそうとも、これでは誤魔化すことは出来ない。
自ら望んでおきながら、ルークのしなやかに伸びた脚は、ずっと、震えていた。快楽ではない──恐怖、あるいは、苦痛のゆえに。
嘘を吐くのが、ルークは下手だ。確かに少しは悦びを拾ってはいるのだろうが、それよりも、苦痛の方がずっと勝って、覆い尽してしまう。馬鹿な相手ならば騙されるかも知れないが、浅からぬ付き合いのある相手に、こんなことで隠し通せるとでも思ったのだろうか。
こぼれる声は、苦鳴といった方が正しく、きつく閉ざした瞳から、ルークは堪え切れない涙をぽろぽろと溢れさせていた。そんな哀れな姿にも、気付かぬ振りを装って、何ら構うことなしに、一方的な行為を強いる。
それだけ、ひどいことをされていながらも、ルークは決して、嫌だとも痛いとも言わなかった。このまま続けても、どうせ、ひどい結果にしかならないと、分からない筈もないだろうに、行為をやめようとはしなかった。何度も滑り落としては、また掴まろうとその細い腕を伸ばして、泣きながら、カイト、カイトと繰り返し、呼び続けていた。悲痛な訴えを内包した、その叫びに、耳を塞ぎたくとも、かなわない。そして、そんな声さえも、今はただ、カイトの内の熱を煽るばかりなのだった。
曲げたカイトの指先が、ある一点を突くと、ルークは上ずった声を上げて仰け反った。
「やっ、ぅ、うあ……!」
位置を確かめるように、指の腹で押し込んでやると、烈しく頭を振って、背中に爪を立ててくる。それを認めて、カイトは一旦、快楽の源泉から指を引いた。かわいそうなくらいに息を切らしているルークの背中を、宥めるように撫でてやる。それでも、固くしがみついた腕を、ルークは外そうとせずに、むしろ遠くなった快感を貪欲に追い求めるかのように、自ら腰を揺らす。
もどかしげに身を擦り寄せると、すすり泣くような声でもって、ルークは懇願した。
「カイト、カイト…ッ、挿れて、……も、我慢、できな、……」
「……やんねぇよ」
不意に、カイトはルークの内から指を引き抜いた。縋りついてくる薄い肩を無造作に押して、身体を離させる。あんなにしっかりとしがみついているように思えたのに、軽く突き飛ばされただけで、ルークの細い身体は簡単に離れた。
どうして、というように、ルークは淡青色の瞳を茫然と瞠ってカイトを見つめる。ぎりぎりまで弄んで追い詰められたところで、決定打を貰えぬまま突然に振り払われて、それは、途方に暮れて今にも泣き出しそうな表情だった。顔を背けて、沈黙を守るカイトに、ルークは縋るような視線を向けていたが、ふと俯いて、自嘲気味に小さく笑う。
「ごめ、……面倒、だものね。こんな、身体じゃ、……ごめんね」
伏せた瞳から、一つ、滴がこぼれ落ちる。嗚咽を堪えて、ルークは握り締めたシーツにぽとぽとと涙を落とし続けた。
その姿を、カイトは横目で眺めていたが、ふと溜息を吐くと、軽く背を起こした。無言のままに、両手を伸ばして、力なく俯くルークの頬を包み込む。静かに顔を上げさせ、何かといって問われる前に、唇を重ねて塞ぐ。
「ん、……ふ、ぅ」
優しく舌を絡めてやると、強張った細い肩から、少しずつ緊張が抜けていくのが分かる。促してやると、ルークもまた、ねだるように舌を差し出し、口腔をくすぐっていく。確かめるように、お互いに夢中になって、ぬめる柔肉を押し付け合った。熱を、唾液を、交換し、かき混ぜ、絡ませて、貪った。頬に、後頭部に、手を掛けあって、まるで、互いに首を絞め合っているような、眩暈のするほどの感覚にずぶずぶと溺れた。
向かい合って抱き合うような体勢をとると、カイトはルークの手を導いて、再び勃ち上がって解放を求める己の下腹へと添わせた。
「……カイト、好き……大好き……」
うっとりと吐息交じりに呟いて、ルークはカイトの胸にもたれた。身体を密着すると、カイトと自分自身のそれを互いに擦り付けながら、両手でもって愛撫を施す。挿入出来ない代わりに、せめて精一杯に奉仕しようというのだろう、ルークの手は器用に動いて、着実に快楽と焦燥を紡ぎ出していく。
その一心の愛撫に応えて、カイトはルークの脇を両手で支えるようにすると、ぷっくりと立ち上がった乳首を親指でもって探り当て、淫猥に揉み込んだ。小刻みに擦り、あるいは指の腹で押し上げてやる度に、ルークの身体は過敏な反応を返さずにはいられないらしく、その手元の仕事は度々乱れ、おろそかになるのだった。
「……ほら、ちゃんと続けろよ」
「だ、って……ん、ぁ、きもちい、……」
快楽の虜となって息喘ぐルークの、しっとりと汗ばむ脇腹から腰、臀部へと、カイトは手を伝い下ろし、その痩せた身体にあってしなやかな肉に覆われた尻を柔らかく揉み込んだ。先にたっぷりとクリームを塗り込められた秘所が、柔肉の擦れ合う度に、ぬちぬちと小さく音を立てる。誘い込まれるように、カイトはそこへ中指を潜り込ませた。ひくりと背を跳ね、息を呑むルークの反応に構わず、もう一本も捻じ込ませる。先程見出した箇所を、緩く突き上げ始めると、ルークはもう堪えられないといった風情で、切れ切れに喘いだ。
「ッア、あァ…ッ! カイ、ト、カイト……ッ!」
もどかしげに腰を揺らしながら、それでも律儀にも、手元は休めることなく、奉仕を続ける。互いに、最早、焦らすだの技巧を凝らすだのの余裕は失って、それは、ただひたすらに解放を求める単純な律動に収束した。
内奥をリズミカルに突き上げる、そのテンポが早まり、ルークの手つきもそれに連動するかたちで、共に上りつめていく。互いの乱れた呼吸が、こぼれる声が、速い鼓動が、入り混じって共鳴し、すべてを覆い尽くしていく。
「あぅ、ア、ッもう、……!」
上ずった声を上げて、ルークは仰け反ると、びくびくと身体を震わせた。悦楽の頂点が、華奢な全身を行き渡り、恐怖にも似たあまりに鮮烈な感覚に、声もなく目を瞑り、涙を落とす。その、淫猥にも無垢な姿を眺めながら、カイトもまた、ルークの下腹部に押し当てて精を放った。
解放の余韻が抜けると、もう、支えていられなくなったのだろう、ルークはかくりと首を折ると、ずるずるとカイトの胸にもたれながら崩れ落ちる。抱きとめてやることもせずに、カイトはその様子を淡々と見下ろした。脱げかけの制服をぐしゃぐしゃにして、シーツの上に力なく横たわり、薄い肩を上下してなんとか息を継いでいる、白い少年の惨めな姿を。
──結局、一度だって、名前は呼んでやらなかった。
これは、本物ではないからだ。本当のルークが、こんなところに、いるわけがない。こんなことを、するわけがない。
あんな、白くて、温かくて、綺麗だった子が。
俺のルークが、こんな。
本当の──本当の、ルーク。
それは、なんのことだ?
9年前、あの有刺鉄線の向こうに隔離されていた、幼い子どものことか?
自ら学園に迎えに来て、英国へ招いてくれた、あの少年のことか?
燃え盛る塔で決別を言い渡した、あのギヴァーのことか?
本当の、ルーク。
そんなもの──どこにいる。
どこにいるっていうんだ。
「……なんでだよ」
ぽつりとこぼして、カイトは力なく寝台に拳を打った。スプリングは衝撃を吸収して、ほんの僅かに軋むばかりで、何ら求める確かな感覚を返してはくれない。少年の内に、やりきれない思いが、ますます募っていく。
こんな風に、汚したかったんじゃない。
苛立ちを、ぶつけてやりたかったんじゃない。
どうして、こんな風にしか、出来ない。
解いたって、これでは、壊すのと同じことだ。
自分から、壊して、傷つけることしか、出来ない。
繰り返し、低く吐き出して、訴えたけれど、返事が返って来ることは一度もなかった。さっきまで、あんなに、カイトカイトと言って縋ってきたというのに、ルークはもう、一言も紡がずに横たわったまま、そのガラス玉めいた無感動な瞳で、じっとこちらを見つめるばかりだった。
シーツに拳を打ちつける、空しいだけの行為に疲れて、カイトが力なく枕元に背を預けたときだった。きし、と寝台を軋ませて、ルークは小さく身じろぐと、シーツに手をついた。何度も肘を折りながら、かろうじて上体を起こす。苦しげな息を吐きながら、こちらににじり寄って来る少年を、カイトは手を貸すこともなしに眺めやった。
触れるばかりに近づくと、ゆっくりと糸が切れて倒れ込むようにして、ルークはカイトに身体を寄せ、背中に腕を回した。
「カイト。パズルを、解いて。……君の、ために」
身体をもたれて、密着させながら、ルークが掠れた声で、耳元に囁く。場違いなほどに優しく、頭を抱え込むようにされても、突き放そうとは思わなかった。まるで、許容を超えた難解なパズルを解き明かした後のように、抗い難い倦怠感が、カイトの脳を、全身を、急速に覆う。温かく、柔らかな感触に包まれていくのを感じながら、視界が落ちていった。
□
視界を白く染め上げる眩しい陽光は、薄手のカーテンを通してなお鮮烈に、新しい朝の到来を教える。窓の外には、小鳥たちが愛らしくさえずり、木の実を啄ばみでもしているのだろうか、揺れる枝葉のシルエットが見て取れる。いたって平穏で、爽やかに澄んだ、一日の始まりの情景である。
寝台の上で、大門カイトは確かめるように、二、三度瞬きをしてそれを認めると、まだ包帯の取れない頭を気遣ってゆっくりと上体を起こした。その瞳が、何かを探すように、ゆっくりと室内を辿る。
しかし、いくら辺りを見回しても、おそるおそる身体を探ってみても、当然のことながら、何も痕跡は残っていなかった。全身に倦怠感があったが、ずっと続いている微熱のせいだろう。安堵するような、腑に落ちないようなすっきりしない心地でもって、カイトは一つ深呼吸をした。
おかしな夢だった。
現実だとすれば、とうてい、あり得ない。
なんて身勝手で、都合が良い。
自分の奥底の衝動が、こんなかたちで発露するとは、人間の脳というやつは、奇妙で得体が知れないものだとカイトは緩く首を振った。こんなものが、自分の心の奥底で望んでいることなのだとは、いくら精神分析の専門家に説かれようとも、とうてい、素直に認められそうになかった。
まだ、こんな風に、ルークに望んでいる。
こんな風に、想われたがっている。
なんて、滑稽で──惨めだろうか。
彼は、去ったのに。
決別を告げて、背を向けたのに。
それを受け容れることも出来ずに、こんな風にして、都合良い解釈でねじ曲げて、なんとか護ろうとしている。幼い頃の、かけがえのない、大切な思い出に、必死になってしがみついている。あんなこと、ルークがする筈がない、ルークが言う筈がない、何度自分に言い聞かせたか知れない。
だが、果たして、そんなことを言えるほどに、自分はあの少年のことを知っていたのかと、問われれば答えを返すことなど出来ないのだと、カイトはよく理解していた。ルークのことを、何も知らない。お互いに、たった一人の友達だった、9年前にしても、現在にしても、ルークのことは、殆ど知らない。知っているのは、彼の作るパズルだけで、それで十分なのだと、あたかもそれを通して、彼のすべてを理解したような気になっていた。
そんなことは──なかったのに。
裏切ったなどと、言えるほどに、彼のことを理解してなど──いなかったのに。
まるで、自分が被害者であるかのように。
夢の中で、ルークを穢して、自分を穢して、それで少しばかりの溜飲を下げる。
なんて──愚かだろう。
否、と頭を振って、カイトは自己嫌悪に陥りそうな思考を断ち切った。何も気にする必要などはない、所詮は夢ではないか。そこで何が起ころうとも、咎め立てされるいわれはないし、責任を負わねばならない理由だってない筈なのだ。いちいち、そんなことを気にしていては堪らない。今はまだ、目覚めた直後であるから、多少の残滓が絡みついているだけで、もう暫くもすれば、夢の記憶なんてものは、きれいに忘れることだろう。そうであることを願いつつ、カイトは気持ちを切り替えるべく、軽く背伸びをして肩を回した。
首をほぐしつつ、ふと、サイドテーブルに目を向ける。そこにあるのは、幼いころに両親から貰った、思い出の組み木パズルだ。あの塔で、トラップからこの身を救い、砕けてしまった。もう、パズルとしては用を為さないそれを、しかし捨てることも出来ずに、手の届く位置に置いている。
だが、カイトがそれをじっと見つめたのは、感傷的な思い出に浸るためではない。何かが、ほんの少しの違和感でもって、脳に引っ掛かったのだ。
なんだろうか──眉を寄せて、じっとその立体に目を凝らす。
「おっはよーカイト! よく眠れた? 気分どう? 今日も一日、元気にいきましょー!」
賑やかな口上と共に、勢いよく扉を開けて室内に足を踏み入れたのは、幼馴染の少女である。勝手知ったる態度でベッドサイドに歩み寄り、傍らの椅子に、肩から下ろした大きな荷物を置く。
「昨日あれから皆で買い物に行ったんだけどね、やっぱ外国は違うわ〜。なんていうの、センス? 空気? 素敵よねぇ。あれこれ買い込んじゃって大変だったんだから。荷物持ち……いや、ギャモン君が一緒で良かったわぁ。はい、これついでにおみやげ!」
カイトが何ら口を挟む隙も与えぬまま、暇つぶしの書籍だの、日本では見慣れぬ菓子だの、新鮮な果物だの、次から次へと取り出しては、周りに積んでいく。これでは、大荷物にもなろうというものだ。とても「ついで」のレベルではない。
いつにも増して、輝くばかりの笑顔を振りまき、大げさなほどにはしゃいでみせる彼女の態度が、主にこちらに対する優しい気遣いのゆえであることを、カイトは知っていた。ノノハ達が宿泊するホテルは、この病院とそう近い距離にあるわけではない。慣れない異国の地で、こんな早朝から、自分を見舞うために来てくれたのだと思うと、ただありがたく思うほかはなかった。
それとも彼女のことだから、案外、いつも通りに4時起きで辺りを走って、日課のトレーニングをこなし、ひと汗流してからやって来たのかも知れない。思うと、カイトは少しばかり気持ちがほぐれるのを感じた。
早速剥いてやろうというのか、リンゴを手にとって吟味している少女に、カイトはそういえば、と片手を上げてサイドテーブルを指した。
「……なぁ。これ、昨日からいじったか?」
「え? ううん、だって私、今来たところよ。まさか、寝てる間に勝手に入るなんてレディにあるまじき野蛮なこと、するわけないし」
「日本で毎朝うちに乗り込んで来てたのはなんなんだよ」
「それとこれは別よ」
平然として胸を張る幼馴染に、カイトは深々と溜息を吐いた。ともあれ、友人たちの誰も、昨夜以来ここへ戻っていないということは確かだろう。ならば、どこか胸に引っ掛かる違和感も、自分の気のせいとして片づけるのが妥当な筈だ。夜中に病院関係者の見回りがあったかも知れないが、それにしたって、こんなパズルの残骸に触れたりはしないだろう。
俯いて思考する少年と、組み木パズルとを、ノノハは不思議そうに交互に眺めていたが、ふと気付いたように首を傾げて、サイドテーブルへと顔を寄せた。んー、と口元に人差し指を当てた後、おもむろにパズルの残骸へと手を伸ばす。
「もしかして、これのこと?」
机上から、そっと取り上げたのは、爪の先ほどの小さな破片だった。組み木パズルのパーツの一つだろう、見たところは他の破片と同じで、特に変わった様子はない。顔の前に差し出して見せるノノハの意図が読めず、カイトは首をひねった。
「それがなんなんだよ」
「だから、これが気になったんでしょ? 一個多い、って」
少年の察しの悪さに、あきれたように腰に手を当てて、井藤ノノハ──「一度見たものは、忘れない」──常人外れの記憶力を誇る少女は言った。
「……一個、多い…?」
「なんだ、それで気にしてるのかと思ったのに。でも良かったね、これでパズル、元通りに出来るじゃない」
「……なにが?」
ぼんやりと首を傾げる、自分がまるでとんだ間抜けになった心地でもって、カイトは何か喜んでいるらしい幼馴染に問うた。どういうことか、うまく頭が働かないのは、なにも寝起きだからということではあるまい。
カイトにとって、パズルは、解くのが専門だ。壊れたパズルを直すというのは、似ているようでいて領域が全く異なり、それはパズルを作る行為の方に近い。ましてや、複雑な内部構造を特徴とする組み木パズルである。割れてしまったのを見て、残念だがこれはどうしようもない、と当たり前のようにして諦めてしまっていたのだ。
「だーかーらー。全部のパーツが揃ったって言ってるの! これがここ、これがこう、で、こっちが……ああ、接着剤ないかなあ、直せるのに…」
「お前、パズルは全然駄目って、」
あっけにとられて問う少年に、ノノハは手元のパズルを両手で慎重に支えてパーツを合わせながら、誇るでもなく当然のことのようにして応える。
「子どもの頃から、いっつもそれ持ってるカイト見てんのよ。覚えてるに決まってるでしょ──どの位置に、どんな木目が出ていたか。どの角が、どれだけ丸くなっていたか。どの面に、どんな小さな傷がついていたか。その通りに、戻すだけよ」
直しても、パズルを解くのは勘弁だけどね、と肩を竦めて、ノノハは笑った。つられたように、少年の僅かばかり、表情をほころばせる。
「本当お前、記憶力だけは良いんだよな」
「だけ、は余計よ」
結局、接着剤もなしに復元するのは諦めて、ノノハは組み木パズルをサイドテーブルにそっと戻した。先に取り上げた一つの破片を、何とはなしに指先でつつく。
「床に落ちてたの、病院の人が拾ってくれたのかもね」
「……そうだな」
優しい陽光に包まれた組み木パズルを、カイトは少しばかり、目を細めて見つめた。
組み木パズル。
あの日に交わした、最後の言葉。
果たされなかった約束。
届かなかった声。
砕けてしまって、もう、元には戻らない。
破片は残って、傷は残って、痛みは残る。
変わらないのは、自分たちがそこにいたという、記憶。
大切な、大切な友人との、約束の記憶。
「──ルーク」
口の中だけで呟いた、その声は、誰にも届くことなく、胸の奥へと解け消えていった。
カイトさんノリノリになってしまった。きっとこれが腕輪で開花した能力!
2012.01.15