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単純接触効果 オペラント / Sugito Tatsuki






-2-








初めのうちこそリオは、ソルジャーが確かめているのはリオがちゃんといる(......)ことかと思い、こんなにも近くでいつも彼を想っているのに、そうしなければ分からない程に自分の存在は彼にとって薄いものなのかと、悲しくなった。ここにいる、ここであなたを想っている、ちゃんとずっといる、どれ程強く思い訴えても、ソルジャーは受け取ってくれていないのだろうかと思った。その頃は、ソルジャーの心に留められることを何より必死で求めていたから、悔しくて仕方がなかった。

だから、リオはそれを行動で訴えることにした。ソルジャーと目を合わせることを拒んだのだ。寝台から半身を起こしたソルジャーが、促すようにリオ、と呼んで頬に触れても、俯いたままで、そして固く目を閉じた。思念で呼びかけられても聞くまいと、心を遮蔽した。幼い頃より周囲の思念を読み取る術を身につけていたリオにとって、音声化された言葉というものは内心を偽るための道具にすぎず、無意味で空虚なものでしかなかった。再度、ソルジャーに呼びかけられても、その声に流されまいと、リオはむしろ一層、態度を頑なにした。

だから、気付かなかった。

突然に腕を掴まれたと思ったら無造作に引かれ、予期出来なかった動きにリオは体勢を崩して勢いのままに前に倒れ込む。あ、と思った時にはもう、ソルジャーに抱き留められるかたちで寝台の柔らかな感触に埋もれていた。何が起こったのか、混乱するままに慌てて身体を起こそうとする前に、ソルジャーの腕がリオの背を回って肩を掴み、離れられぬよう固定する。リオの視界に入るのはどこまでも白、シーツの波とそれに広がるソルジャーのおさまりの悪い髪だけだ。
ソルジャーが、空いている片手でリオの手首を捉えると、引き寄せて、指を絡め手のひら同士が重なるようにする。リオは既に、心の遮蔽も忘れて、ソルジャーの行為の意図を得ようと思念を探ったが、その心はいつものように全く捉えどころがなく、判然としなかった。

リオの手のひらの下で、ソルジャーの指が動き、ある形をとって止まる。リオは思わず息を呑んだ。リオの指がぎこちなく曲がって、ソルジャーの手の作った形をなぞり、とらえる。するとソルジャーの指がまた動いて、違う形をとる。リオは手の全体でその形を探る。ソルジャーの指は滑らかに動いて次々に新しい形を作り、ときに手首を返して角度をつける。リオはそれに指を這わせ、シーツに押しつけるように密着させて形を追う。互いの表情も伺えぬまま、静寂の中に二人の指が絡まり、もつれ合う。もっと、もっとと、リオの指は性急にソルジャーを求めてやまない。

1つの文字に対して、1つの手の形をあてはめたコミュニケーションの手法である指文字は、視覚と聴覚のいずれか一方、あるいは両方に欠落を抱えた人々の間の会話における共通語である。リオは、この船に来て思念波による会話を習得して以来、使う機会もなくなっていたその指文字の記憶を鮮明に思い起こし、絡み合う指にのみ意識を集中する。 相手の指文字を見て読んだり、相手が触れて自分の指を読むことはあったけれど、リオは触覚だけでの指文字解読をやり慣れていたわけではないから、一文字も読み逃さないように必死でソルジャーの指の動きを追った。

『リオが必要だ 目を見て欲しい 目を見させて』

ソルジャーの指はそうメッセージを紡いでいた。リオは息を詰めて、ソルジャーが更に言葉を繋ぐのを待った。ソルジャーの指は暫し静止したと思うと、重ねられたリオの手を強く握った。これは何の意味だっただろう、自分が習ったものと違う体系の表現なのだろうか、とリオが思いを巡らせていると、ソルジャーの苦しげな息が耳元に捉えられる。リオの肩を掴んでいた手が外れ、背中から滑り落ちる。ここに至って、リオは自分がずっと、ソルジャーの腕に捉えられていたといえ、片手をついて身体を浮かせる配慮もなしにソルジャーに覆いかぶさり、その肺を圧迫していたことに気付いて、今度こそ慌てて身を起こした。
『ご、ごめんなさい……!』
胸を大きく上下させて切迫した呼吸を繰り返すソルジャーに、リオはこの場から逃げ去りたい程の申し訳なさと心苦しさを感じたけれど、ソルジャーにしっかりと手を握られていて逃亡は叶わなかった。呼吸の合間に、ソルジャーは言った。やっと、喋ってくれた、と。リオは思わず、ソルジャーの手を握り返していた。

リオは、スクールで自分に指文字を教えてくれた初老の先生のことを思い出していた。彼女は年若いうちに病によって視覚と聴覚を失いながらも児童発達心理・教育学に多大な功績を残した研究者だった。先生が作った一篇の詩を、リオは今でも思い出す。指文字で、また声に出して、先生が皆に読み聞かせてくれたその詩は、『手に触れさせて』という題で、作中に何度もこのフレーズが繰り返し登場した。リオは記憶を追う。細かい言い回しは忘れてしまったけれど、内容は忘れ得ない。出だしは確かこうだ──

眩しい陽の光の下ではないけれど
それを見るのは闇の中
それを聞くのは静寂の中
伝えて
私の手に
見えるから 聞こえるから
触れて
手に 触れさせて

──彼女は勿論ミュウではなかったから、闇と静寂に呑まれる子どもたちに、接触を通して思念を同調させ安心させる術は持たなかった筈だけれど、子どもたちは先生の手に触れて指文字でお話をすると、とても穏やかな心持ちになって柔らかな表情を見せるのだった。リオは、相手の心を読み取ってしまうことで、表面上の態度との落差をまざまざと見せつけられる経験を嫌というほど重ねてきたから、先生に触れることで何か嫌なものを見てしまったらと、最初は躊躇っていたものの、手を重ねてみたら他の子たちと同様、たちまちその優しさに包まれた。距離が近づくほどに相手の思いを敏感に感じ取る特殊能力を差し引いても、その時リオは、手に触れることこそが、温もりと共に思いを交わし、心を分かち合い優しさを伝える、何よりの手立てなのだと感じた。それは今も変わってはいない。

当たり前に通じ合うのではない、互いに伝え合いたい思いを以ってこそ、自分とは異なる存在としての他者を理解する。 言葉を、「伝えようとする意志」だとするならば、声よりも、思念波よりも、接触することがリオにとっての言葉の礎だ。 だから、ソルジャーが指文字で言葉を伝えてくれたのが嬉しくて、ああ、やっぱりソルジャーは分かってくれているのだと、リオはそれまで悩まされていた重苦しい思いから解放される自分を感じた。もしソルジャーが、リオに触れて、目を見ることでこんな風に安心出来るのだったら、それはリオにとっても喜びだ。望まれる限り、喜んでそれに応えよう。 そして、リオはソルジャーが大好きなのだと実感した。だから気付いたら、あなたが好きだ、と指文字で綴っていた。ソルジャーはそれを読んで、静かに頷いたから、リオは益々彼への思いが強くなるのを感じた。

ソルジャーは言った。リオが見てくれないと困る、確かめられなくなってしまう、と。何を、と彼は明言しなかったが、リオは、どうやら彼はリオの存在を確かめているのではなくて、そうではなくて、リオがちゃんといる(......)というのは前提であって、その上で彼は、目を見つめることで何か確かめているらしいと理解した。

ソルジャーは身を起こすと、シーツの上から、いつの間にか外れてしまっていたらしいリオの飾り紐を掬い上げた。そしてリオに、向かい合って座るようにと言った。リオは言われるままに寝台に片膝を乗り上げて座る。ソルジャーはリオの肩に手をかけ、顔を寄せ、髪を撫でる。それからリオの額に飾り紐を沿わせ、後頭部へと巡らせる。指の感触がくすぐったかったけれど、リオはソルジャーが手ずからそれを結んでくれようとしているのが嬉しくて、じっと大人しくしていた。ソルジャーは少し首を傾けて、いつになく真剣な眼差しで指を動かしているけれど、その瞳は生来、奥行きの認知を不得手とするために、なかなか上手く結ぶことが出来ず、悪戦苦闘する様子が間近で伺えて、リオは彼がそれを完成するのを辛抱強く待った。
何度目かの挑戦でようやくそれらしい蝶結びの形となって、ただその二つの輪の大きさといい余って垂らした分の長さといい、まるでアンバランスで、ソルジャーは、すまない、矢張り僕は細かいことには向いていない、と言った。だから、リオは、ソルジャーが自分のために苦手なことをやろうとしてくれたことこそが嬉しいのだと伝えたくて、いいえ、ありがとうございます、と言った。



このちょっとした、しかしリオにとって忘れ難く大切な出来事があってから、リオはずっと、最後にその瞳に陰が落ち瞼がゆっくりと下りる時まで、ソルジャー・ブルーを見つめ続けた。




End.




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ブルー大好きっ子代表リオ・ザ・イノセンスでした。ブルーもきっとリオが大好きです。
これが甘々両想いというものでしょうか。


2007.06.04-06.06


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