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きれいな水 / Sugito Tatsuki








-1-








きれいな水が、僕とあなたを繋いで、ひとつにする。
あなたが満たされるのは、いつだって僕のせいであって欲しい。
僕の差し出す、きれいな水は、他でもない、あなたのためだけにある。

優しい、偽りの幸せの中で、あなたの意識を失わせてやれたら、どれだけ良いだろう。あなたが悲しくなくて、苦しくもなくて、独りきりの寒くて寂しい思いを、もうしなくて済むように、僕はあなたに心安らげて眠って欲しい。そうでなくては、とても悲しい。かわいそうで、堪らなくて、仕方がない。あなたに、きれいな幸せを味わって貰うためなら、僕はいつまでもあなたに充足を捧げる。

僕はあなたを空にする。
あなたの悲しみも苦しみも何も皆、一度まとめて空にしてやる。
そして、作った空洞に、僕はゆっくり侵入する。あなたを満たし、埋めていく。自分で作った欠落だから、僕は何よりあなたを満たせる。少しも隙間なくかみ合って、僕たちは互いを一番完全にする方法を知っている。

空っぽになって、思考も朦朧とした曖昧なあなたに、僕は愛しさを注ぎ込む。欠落を、丁寧に埋めて、満たしていく。渇きを癒す、きれいな水を、あなたにあげたい。僕自身を、あなたに分けて与えたい。ひとつであるべき僕たちは、そうして互いを補える。

僕たちは互いを求めるように出来ているのだ。僕たちだけが、繋がるように出来ている。



あなたが細い息をこぼし、切なくシーツを握る様子が愛おしい。小さく開いた唇から、声が発せられることはなく、無言のままで頸が揺れ、瞼を下ろし眠りに落ちるかの無垢な表情は、とてもきれいだ。深く感じ入って浸ろうとする、あなたの内に充足が伝い広がるのを待つ。

ふと、あなたの喉が緩く反らされると、滑らかな頬を一筋の涙が伝う。
静かなあなたの、感じている証だ。 あなたは幸せで堪らないのだ。そして、その曖昧な多幸感に呑まれることが、少し恐い。身体を繋げるだけの簡単なことで成立してしまう、安易なまやかしの充足感に溺れる罪責意識にさらされる一方で、求めあう行為がこの上なく崇高で限りなく純粋な、喜ぶべき奇蹟であるようにも感じられる。

あなたは戸惑いの中、身体の上を優しく伝い走る甘い痺れに指先まで満たされ、潤う感覚に染まっていく。こぼれる涙はきっと、未だ知らぬ新たなものを得た幸福のゆえではない。込められたのは、もっと近しく、親しい緩やかな感情だ。それは、あなたの欠落が満たされ、ようやく安堵出来て、初めて流した涙なのだ。

あなたは、抱えた欠落にどうしようもなく焦がれ、求めて、叶わず、ずっと涙を落とす時は独りだった。あなたから引きちぎられて奪われた、癒えぬ空虚な傷痕は、あなたの殻を壊したままにして、閉ざされているべき繊細な心を剥き出しに、さらしてしまう。錆びてざらついた刃が、無防備なあなたを容赦なくなぶって、柔らかな箇所を傷つける。欠落は広がるばかりで、あなたを蝕み、食い荒らす。
あなたは飢え、渇き、苦悶する度に喉は嗄れ、動く度に皮膚は擦れて傷を負う。癒そうとしても、あなたが満ちて潤うためには、その瞳から溢れる小さな滴だけでは、とても足りないのだ。独りでは、安らぐどころか、せめて負った痛みを耐えるほかはない。

あなたは、あなたの欠落を満たす者を得て、繋がった時初めて、あるべき完全なものとなった喜びを知る。あなたの身体は感覚を取り戻し、温もりを思い出す。あたかも、生まれる前にたゆたった、太古の海に還り着いたかの、懐かしい感覚。その優しさに、あなたは咽び、少しずつ熱も重みも蕩けて混じり、身体を離れ浮遊するかの心地良さに意識を手放していく。

最も幸福なひとときを味わいながら、眠りに落ちるのは、何という充足の極みだろう。



僕はあなたの内に這入り、あなたは僕を受け容れる。最初はあなたに受け容れさせるだけで精一杯だった、かみ合う箇所が、温かく融けていきそうだ。繊細な内側に触れられる違和感に、あなたの少しばかりの抵抗はあったけれど、こうしてみればちゃんと合わさる。擦れて傷つかないよう、溢れた潤いが伝って隙間を埋めていくから、熱を抱く敏感なところを、この上なく密着して触れあわせられる。濡れた舌を絡めるよりずっと、温かく、柔らかく、強く、滑らかで、切ない。

苦しげな表情が薄れて、あなたの身体が僕になじんだことを教える。いよいよ僕は動き出そうと腰を引く。
「――あっ、ぁ……」
思わずこぼれる、吐息混じりの小さな声は、焦ったように切れ切れで、上ずっている。あなたは制止をかけるように頸を振るから、痛いのかも知れないと思い、僕は少し後退したところで動きを止めた。のばされたあなたの細い手が、僕の腕を掴んで縋りつく。じっとしているつもりだったけれど、あなたの腕が、そのまま強く身体を引き寄せようとするから、それに応じ、もう一度内奥まで這入り込む。
「っ……あぁ、……」
深く繋がると、あなたは感じ入った吐息をこぼし、僕の腕を掴み直した。動かないで欲しいのだなと、言葉がなくともよく分かった。痛いからではない。寂しいからだ。このまま、あなたはもう少し、ひとつでいることを味わいたいのだ。
あなたがゆっくり呼吸を繋ぐ。内側も外側も、あなたの微細な動きの全てが、愛しく明瞭に感じ取れる。あなたもきっと、同じものを感じているだろう。あなたと僕の異なるリズムが、引かれあって共鳴し、次第に交わり、重なっていく。一番近く重なって、熱を分け合い、息継ぎも、脈動までがひとつになる。

声もなく、あなたは目を閉じる。ただ、二人分の音に耳を澄ます、あなたの静けさがとても愛しい。憂いの払われた表情は、あらゆる束縛を離れた純潔の美を思わせて、その姿はどこまでも清らかだ。繊細な感覚を味わう時にあなたが見せる、一番無垢な、ありのままの姿が好きだ。儚いけれど、冷たくない、きれいで、思わず抱き締めたくなる。僕にとって、最早当たり前のように前提として存在するあなたが、本当は、どれほど貴重で素晴らしいものか、実感して沸き起こる感動のままに讃えたい。
あなたはこんなに温かく、こんなにしなやかだ。
あなたが呼吸を継いでいる。あなたが拍動を刻んでいる。
あなたが感じている、あなたが動いている、あなたがこうしていることが、言葉を失う程に嬉しいのだ。

静かな歓喜に心が震え、優しい思いが包み込む、この満たされた時を、ずっと留めておきたい。心地良い充足に浸り、ゆっくり沈みたい。潤いの中に身を遊ばせたい。穏やかに築かれた均衡を、突き崩してしまうのは勿体ない。そうして躊躇う思いもあるけれど、それ以上に、僕は堪らなくなる。

もっとあなたに這入り込みたい。
募る衝動に我慢出来ずに、とうとう動き始めてしまう。あなたを責め立て、息苦しく喘がせてしまう。あなたに、喪失と充足を交互に与え、激しい情動にさらしてやる。もどかしい欠乏の感覚が、繋がった時の満足を際立たせる。 けれど、そのためにあなたに寂しい欠落を思い知らせるなんて、まるで非情かも知れない。ひととき捉えた幸せが取り上げられて、もう二度と戻って来ないのではないかと、そんな不安を感じてしまっているのなら、あなたがかわいそうだ。
だからせめて、代わりに手のひらはずっと重ねていたい。汗に濡れても外れないよう、しっかり指を絡めて、繋げていよう。

大丈夫だ。離れない。どんなに動いても、引き裂かれても、別たれても、僕たちは、どうしたって、離れない。 あなたに僕の、きれいな水を差し出してあげよう。それは僕の一部、僕そのものだ。あなたと僕のきれいな水が、混じりあって浸透しきったら、もう決して、ばらばらにすることは、叶わないのだから。












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