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彼の両手の中で / Sugito Tatsuki





何だってする、何でも、何でも。
だから、お願いだから、触れないで。
首を、絞めないで。
僕の首を絞めないでくれ(...........)! 



-1-








――どうしてこんな目に遭わなくてはいけない。

ジョミーは思った。全くもって、それは何の理由もなく呑み込まれるには、あまりにひどい事態であると言わざるを得ない。どうして自分なのか(.........)。事あるごとに抱く、鬱屈したその訴えが現状に生産的な働きかけをもたらした事例は過去に一つも挙げられないながら、ジョミーはまたしても事の理不尽さに憤った。

問いのかたちをとっているものの、目的は、誰に訴えをぶつけることでも、与えられる答えを待つことでもない。答えなど何だっていい。ただ、理由のないことが堪え難いのだ。特に理由がないこと、疑問を抱く余地のないこと、それはすなわち、自分は初めからこうなって当たり前の、こうなるように予定された、こうなるべきものだということを意味する。こんな目に遭うべきものとしての自分を受け入れ、諦念し、身を委ねるくらいなら、存在しないほうがましだ。ジョミーは思う。
求めるものは、こうなるように仕向けた元凶であり、引鉄だ。
それさえなければ、平穏な時を送れた筈の、何か。
無視し難い影響力で、横から道を捻じ曲げた、何か。
それは目に見えぬ大いなる天上の意思などという情緒的なものではない。答えはもっと現実に即した、短絡的でつまらないものだ。ヒトを動かすものは、様々なかたちをとっても、いずれヒトに遡る。

ジョミーは知っている。自分がこんな目に遭わなくてはならないのは、多分、ブルーのせいだ。多分、などと不確実で自信もなく決めつけては、愚か者の世迷言ととられても仕方がないかも知れない。口に出せばその途端、それは間違いだ、勘違いだ、八つ当たりだ、考え足らずだと各方面から集中非難を浴びるだろう予想は容易につく。
確かに、これが絶対の真実であると主張出来る客観的要素は何一つないし、端からジョミーはそのつもりもない。それどころか、多分ブルーのせいだ(.........)と思う推量の程度と同じくらいに、多分これは正しくないのだろう(..............)とも思っている。
しかし、これがいくら甘く採点しようとしてもどうしようもないくらいに誤った回答だというのなら、どこかに非の打ちどころない完璧な答えがちゃんと用意されているのだろうか。正しいだけの答えなど、実存するのだろうか。少なくともジョミーは、まだ乏しいこれまでの人生経験においてさえ、問いと答えが一対一の関係できれいに結ばれるなんて例はむしろ稀であることを実体験として知っている。
完全な正答は存在しない。誤答にしても、一度は答えとして提示されたということは、そこに正しいと信じるに値する何かが含まれていたということだ。その意味で、完全な誤答もまた、存在しない。誤りの中にも一分の真実が含まれるものである。確実で自信のある正当な真実だけで人は生きるものではない。人はもっと曖昧だ。同様に、人が生きる世界もずっと曖昧だ。信念や確信だって、主観に過ぎず、ただの勘違いかも知れない。そしてそれは悪いことではない。曖昧な世界に生きる者の拠り所は主観に他ならない。ジョミーが多分正しいと思えば、それは多分正しいのだ。

加えて、これは大変な一大事などではない。ただの些事だ。つまらない小さな不運だ。小さなことは軽視して良い。慎重に綿密な討議を重ねる必要はない。こう言うと、あるいは人は反発を覚えるかも知れない。物事に大きいも小さいも価値の高い低いもない、何事も軽んじてはならないと、非難するかも知れない。小さなことこそ留意して、丁寧に見つめるべきと諭すだろう。
だが、物事に格付けを行い優先順位を定める機能は、限りある生をより有意義に送るべく人に授けられた合理的な能力である。全ての情報を平等に摂取出来るほど、ヒトの時間は長くはないし、脳の容量は無尽蔵ではない。小さなことを小さなこととみなせずにいちいち疑い、検証して、結局それが思ったより少しばかり角ばった(....)小さなことだったと知ったところで、いったい何の役に立つだろう。彼はそれを見出す間に、いくつものより大きなことを掴み損ねたのだから。
取捨選択はあらゆる場面で必要とされる。例外的な例外を考慮に入れる非効率は冒さずに、小さなことは矢張りどうあっても小さなことでしかないとみなす。そこで初めて、思考を先へ進める自由が確保されるのだ。

従って、ジョミーは決めつけることにした。糾弾を向けるべき先はブルーの筈だ。ブルーのせいでこうなったのだから、当然、責任を負うのはブルーであるべきだ。ジョミーにとって、それは一番納得のいく説明だった。

しかし、その論を採用する前に、考えるべきことがある。事態を構成する主たる要素はジョミーとブルーの二者なのだから、ジョミーがブルーに原因を求めるのも自然である。それでは、ブルーの側にしてみればどうだろうか。
ジョミーはブルーが何を考えているのか知る由もないが、彼だって少なくともこんな目に遭うことを喜んで受け容れることはないだろう。どうしてこんな目に遭わなくてはならないのかと、ジョミーと同じ感想を抱くかも知れない。その時、ブルーは誰に原因を求めて責めるだろうか。ブルーをこんな目に遭わせる、元凶はジョミーだろうか。あるいは、二人して何か別の力に操られでもしているのだろうか。

――否、違う。ジョミーは確信を持って否定した。ブルーが糾弾すべきは、矢張りブルーに違いないのだ。確かに、ブルーをこんな目に遭わせるのは、直接的には紛れもなくジョミーだ。物理法則に従った物言いをするならば、それは間違いなく正しい。だが、行為は偶々かたちを持って現れた、結果の一部を切り取っただけのものに過ぎず、目に見えるものだけでその意味を論じるべきではない。結果に至るまでの経緯、そうせざるを得なかった原因は、十分に考慮されて然るべきである。
例えば、ジョミーの内に抱く行為への意思が、自ら生起したものではなく、ブルーによって否応なく芽生えさせられたものだとしたらどうだろうか。ジョミーに責任を追及しようとしたところで、ジョミーはブルーのせいでこんな目に遭っているのだから、結局のところ全てはブルーに跳ね返って収束する。こんな目に遭わなくてはならない哀れな自分を嘆く権利があるのは、ジョミーの方だけだ。ブルーは自らそうなることを仕組んだのだから、何も言う資格がない。

そう、ブルーは仕組んだのだ。自分の意思も行動も、何もかもは冷酷な支配者の手の内にあることを、ジョミーは知っている。何故こんな目に遭わなくてはならないのか、答えを持っている側はブルーであって、問いかけるべきはジョミーの方だ。区切られた構図は変動しない。ジョミーはブルーに訴えをぶつける。それがいかに一方的で理不尽な訴えかけであっても、咎められるいわれはないのだ。

――どうして叶えさせてくれない。

ジョミーの恐れる事態は、実際にはまだ生起したわけではない。ジョミーも、ブルーも、誰もまだひどい目に遭ってはいない。それは、幸いなことに、と言ってもいい状況だ。それでも、いずれ起こり得ることは確実に知れていて、迂回出来ずに遭うほかない、こんなひどい目(.......)の予兆が、未熟な心を悩ませて已まない。
それは、きっと起こってしまう。
ジョミーはそれを為してしまう。
そして、一つも望んだようにはならないということも、既に明白だ。ブルーは、叶えさせてくれない。よく分かっていて、ジョミーはもう、ブルーを責めているのか、それとも自分を責めているのか、区別がつかなかった。
叶えさせて欲しいと望む一方で、叶えられてはならないと己を律する。ジョミーは葛藤に囚われた。どうして、はじめから出来ないと分かりきっていることを、試みずにはいられないように、哀れな愚か者の衝動をかき立てるのだ。無邪気な子どもの好奇心とはわけが違う。いけない、それは達成されてはいけない。自らの犯した過ちを知ったところで、同一の場面は二度と再現されない。過誤を何の糧にする術もない。生み出すものなく、ただ失うだけの破滅的な行為だ。それは理に反する。
惹かれてはならないと、禁忌意識はより原初に近い階層から刻み込まれている筈だ。
志向してはならない。
夢想してはならない。
接触してはならない。
ジョミーは己の理不尽な衝動を押し止めて抑制を試みた。

けれど、そんな規範意識は少しの綻びからあえなく瓦解してしまった。ただ、何にも咎められず、それが達成出来る状況が与えられた、それだけのことで。



寝台に上がる。ただの作業でしかない動作に、情緒も何もない。たとえそこが、ジョミー自身の寝床でないとしても。許可も得ずに、ブルーの個人空間(パーソナル・スペース)に無遠慮に足を踏み入れているとしても。事あるごとに教えを乞いに訪ね、慣れ親しんだその場所の、冒されざる領域に初めて侵入した感慨も特に覚えず、ジョミーは清潔なシーツに膝をついた。常と変わりなく横たわる身体に跨り、静かに意識を沈めた面を見下ろす。

手のひらは、白い頬に沿えて両側から包み込むためにあつらえたかのようだ。ジョミーは実感した。引き寄せられるままにあてがえば、丁度具合が良い。暫しその姿勢で、瞼を下ろした無垢な表情を見つめる。目を閉じていると、内側に血が流れているかも分からないなとジョミーは感想を抱いた。
貴重な博物資料を扱う繊細な心持ちで、両手に収めた首を少しばかり上向けさせる。滑らかな皮膚の上を陰影が移ろい、無防備な喉もとが乳白光にさらされる。沿わせた指先で支える頭部の重みが、静物にかろうじて存在の実感を与えていた。
――この両手の中に、ブルーを有している。認識した途端、指先の感覚が生々しく変容して、心臓に達する。薄闇に抱かれて格調高い展示品に恭しく触れる態度を、ジョミーが保っていられたのは、そこまでだった。

後ろめたいだとか、やましいだとかの思いは、ジョミーの中で潰えて、欠片も存在しなかった。許してくれと、心の中で懺悔することもなかった。当たり前だ。それらは己の身に圧し掛かる罪責の意識を少しでも軽減するための浅ましい保身行為に他ならない。過ちを過ちと知って犯した方が、余程悪質ではないか。同じ結果を生むならば、やましい思いで怯えながら隠れてするよりも、明瞭な正しい意図に基づいた方がずっといい。自分の意図する行為の正当性以外、ジョミーの頭には浮かぶ余地もなかった。
行き着く先は、どうせ変えられないのだ。他に選択肢はなく、ならばこれが最善の道であると自分に言い聞かせて、あたかも望んだことであるかのように思い込んだ方がいい。たとえそれが、本心から出たのではない偽りであったとしても。後悔と疑念に塗れて自責に時間を費やすよりは、幾分か前向きだろう。ジョミーは思った。
僕が望んだことだ。ずっと望んでいたことなのだ。
最後に心で呟く。おもむろに、手のひらを伝い這わせて、そうしたらもう迷うことはなかった。



両手は、絡みついた細い首を簡単に絞めつけた。












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