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彼の両手の中で / Sugito Tatsuki









そして、僕の両手の中で。(...........)



-4-








この手を軽く握っては開くごとに思い出す。薄闇に伸ばした手は、掴むものなく、空しく宙をきるだけだが、手のひらに刻まれた感覚の記憶は、いつも色褪せず再生できる。両手の中に捉えた、あの感覚だ。
今にして思えば、僕は決意を固めたといっても脆弱なものに過ぎず、心から憶病を完全に拭い去れてはいなかった。正直なところでは、あなたに委ねられるのが恐かったのだ。あなたが偉大であればあるほど、重圧に押し潰されそうになる。あなたを受け継ぐ僕は、あなたの崇高さと同時に不完全な弱さも認めなくてはいけない。僕はあなたよりも先を目指さなくてはならない。あなたを超えこそすれ、あなたに頼ることは許されない。一番に縋りたくて頼りたくて重荷を分け合いたいあなたに突き放されて、そしてあなたを否定しなくてはいけない。

あなたに見守られていることが当たり前だった、あの頃の僕は、それが終わってしまうことを恐れた。あなたに庇護される僕は継続するものではなくて、ある結果へ向けた通過点上の一時的な存在だ。与えられた制限付きの時間は途切れることなくこぼれ落ちていく。あなたの用意した場所に生き続けることは許されない。そう遠くなく、儚い僕の世界は反転し砕け散り、瓦礫の中から新たな世界を築かなくてはならない。その時は確実に訪れる。刻一刻と結末へ迫る、定められた流れに逆らえない。
僕の世界を司る絶対者として欠くことの出来ない、あなたを自らの選択によって貶めなくてはならない。それがあなたの望みであり、託された最初の課題だ。僕はそうしてもう一度、己の意思で生まれなくてはいけない。進むために。脚を踏み出すために。分かっている。それでも、僕はまだどこかで、非情な現実を受け容れることを拒んでいた。

どうしてこんなひどい目に遭わなくてはいけないと、幾度となく煩悶した。やるせない思いをぶつけたい。けれど、あなたを責めることは出来ない。あなたは悪くない。僕は最善の道をとらなくてはならない。それでも、理解していても、割り切れない未熟な心は、課せられた務めを頑なに嫌がるのだ。あなたを否定したくないといって拒むのだ。いつまでも僕の隣で理解してくれと懇願するのだ。
あなたを失いたくない。僕に委ねて、もう用はないといって消えないでくれ。あなたの世界で生きていたいのだ。かたちづくられて、堅く護られて、優しく覆われた、あなたの世界に這入って、ずっとあなたと共にありたい。あなたはいずれ滅びるものではなくて、永遠に僕を包み護るものであって欲しい。心を許し、身を委ねて安らげる場所であって欲しい。

僕は叫んだ。なりふり構わず、大声で叫んだ。

いやだ、いやだ、あなたを失うのはいやだ。
あなたが簡単に損なわれるものであるのがいやだ。
あなたの首に簡単に手をかけられるのがいやだ。
委ねないでくれ、無防備にさらけ出さないでくれ、崩れ落ちそうに儚い姿を見せないでくれ。
見たくない、そんなもの! 
あなたはどこまでも超越者であって、何によっても損なわれないのだ。そうでなくてはいけない。あなたは人々を従えるのであって、誰に縋ることもない。あなたは僕の柱でなくてはならない。僕はあなたの命じた通りに動く、それだけのものでいい。あなたは全能者だ。その甘い幻想に浸っていたい。望ましい虚構の世界を内から閉ざしたい。

身勝手で切実な、この願いが叶っていたら、多分、心の平穏を得ることは出来た筈だ。けれど、そんな絶対的信仰に似た愛なんてものは、自分の中では生まれるところが壊れて、とうに働かなくなっているのだろう。刻み込まれた、機械(マザー)への信仰を打ち砕いて放棄した、その時から。何を信じることも、縋ることも、許されないように。安寧の中に留まって眠ることは叶わず、温もりを振り払い、踏みつけて立ち上がり、灼けつく道を切り拓かねばならない。
どこかで急かす声がするのだ。彼の両手の中で生まれたら、巣立たねばならないと。より大きなものとなって、この両手の中に彼を収められるくらいに。

あなたを愛することが出来たらよかった。
あなたを無心に敬い、大切に思い、信じて守り続けることが出来たらよかった。
これはそんな思いではない。
どうして、あなたは、ただ愛すべきものではなかったのだ。
あなたが完全なものであったならば、その幻想に身を委ねることが出来た。不安も恐れも抱く必要なく、愛することが出来た筈だ。あなたが不完全で、限りあるものだと、認めることを、僕は拒み続けていた。認めてしまうのが、恐かった。あなたに頼らず自分の足で立つことの、意志を持って選択することの、この身に降りかかる責務の重さに、怯えて躊躇っていたのだ。

あなたは絶対者でも救い主でも、何でもないというのに。頭では分かっていても、僕は受け容れることが出来なかった。
あなたに手をかけた。僕を裏切ったといって、やり場のない衝動をぶつけた。か細い首を無造作に掴んで揺さぶった。

嘘だと言って欲しい。あなたは容易く手にかけられるものではなくて、何によっても損なわれないものだと教えて、安心させて欲しい。あなたの首を絞めるなんて、到底不可能な一笑に付すべき妄想だと、分からせてくれ。僕は必死で、最後の儚い望みに縋りつこうとした。

僕は本当は理解していた。縋りついた望みは叶う筈もないと、分かっていた。僕はあなたの首を絞めることが出来るし、そうしなくてはならない。あなたを否定しなければ、僕が否定されてしまう。生きる意味を失くしてしまう。あなたの首に手をかけたのは、死への恐怖からだった。切迫した現状で生まれた、生きたいという率直な叫びだった。僕は生きたい。けれど、あなたを失うのも嫌だ。どちらかを選び取ることは叶わず、身動きも出来ずに、やり場のない衝動だけぶつけた結果だった。結局、達成することは出来ずに、答えは曖昧なままで、しかし一つだけ分かったことがある。――こうなるしか、ないのだ。行き着く先が、これまで目を背けていた結末が、はっきりと見えてしまった。拒む間もなく、納得して、受け容れてしまった。僕は、初めからこうなって当たり前の、こうなるように予定された、こうなるべきものだということを。
あなたを失うためにこそ、僕は生まれた。
あなたを失って、僕は生きる。
あなたに託されたもの、委ねられたもの、あなたの全てを抱いて、ひとつもこぼさずに。

あなたの首を絞めたかったのではない。憎悪の先の行為として、あなたを縊り殺したかったわけではない。一番大事なあなたの首を、喰らいたいくらいに愛していたのだ。

あなたの唇が切れる前に。
あなたの頬が汚れる前に。
あなたの瞳が破れる前に。

あなたの首が、砕け散る前に。

あなたを手に入れたかった。そのための表現手段を他に知らなかった。
あなたを失って、手放してしまった。けれど、全て失くしたわけではない。ここにある。あなたを愛した手。あなたを絞めつけた手。この両手の中に、確かに残っている。僕の中に、あなたがある。それで十分だ。
自分の首を両手で包み、頬から耳元へ、髪を分け、愛しいあなたから受け継いだそれに触れる。指先が記憶を思い出して、懐かしい安らぎに心が満ちる。
今この時から、この首が、あなたの首だ。ここにあなたがいる。
ああ、僕はようやく、あなたを手に入れた。

頸部にかかる補聴器の重みを感じながら、ソルジャー・シンは目を閉じた。





End.




















若きジョミの葛藤&自立。青少年の発達段階みたいになりました。

2008.07.06-07.26


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