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彼の両手の中で / Sugito Tatsuki





僕の首を絞めないでくれ。
僕の首を絞めないでくれ。
僕の首を絞めないでくれ。

僕の首を絞めないでくれ(...........)! 



-3-








意識を下降した深い眠りの中で、ブルーはジョミーの叫びを聞いていた。
あなたがいけない。そう言ってブルーを責める、声ならぬ声。直に突きつけられたそれは、煮えたぎる憤怒や凶暴な刃にあるべき、破滅的な攻撃衝動を欠落していた。剥き出しの牙を突き立てられたわけではない。傷つける意図を第一に持った、そんなものが迫れば、身構えて防御し、あるいは撥ね退けて討ち返すだろう。いずれにせよ、ブルーが防壁を巡らせて迎える限り、いかなる刃も、その奥底まで侵入して効果を発揮することは叶わない。
それはあくまでも、苛烈な悪意への対抗策としての防衛だ。元来、鋭敏なブルーの精神は容易に他者と共鳴する。その繊細すぎる神経にかかる負荷を軽減するためには、意図的な感覚の鈍麻が必要だった。ブルーは慎重に防壁を構築し、受け容れるものを選択する。ひとたび同調すれば破滅を呼ぶばかりの憎悪や悪意は、この関門を通過しない。

逆にいうなら、警戒を呼ばずにブルーの内に這入り込みさえすれば、無防備な中心に到達するのは容易い。ジョミーの叫びがそうだった。ブルーを動揺させ、憔悴させるほどの悪意や攻撃の意図など、ジョミーには縁遠い。だから、ジョミーの声も、思いも、ブルーは無条件に受容してしまった。それは確かに、兇刃ではなかった。傷つけるために振り翳されたものとは、全く違った。けれど、何ら警戒を呼ばないだけ、それは簡単に胸に迫り、意図せず致命的な効果を発揮し得る凶器であることに変わりはなかった。
鋭利な刃が、抵抗なくブルーに切り込んで、音もなく一直線に裂いて、きれいに拓いて、無防備な内部がさらされる。沿わされた薄い刃の冷たさまで、ブルーは確かに感じ取れるかのようだった。ジョミーの訴えを感じて、ブルーはひどく胸を痛めた。自分が否定されたからではない。そうではなく、叫ばざるを得ないまでに追い詰められたジョミーの在りようが、ブルーには痛々しくて身を切られるようだったのだ。頸にかかる圧迫とともに、ジョミーの混乱と葛藤は、明瞭なかたちでブルーに伝い知れた。

あなたなど要らない。あなたのせいだ。あなたのせいで、僕はひどい目に遭っている。
不要なものの存在が、生あるものをどれだけ圧迫し、阻害していることか。
何の役にも立たないではないか。
いないよりもずっと悪い。
あなたがいることがいけない。

あなたがいけないのだ。あなたが僕に首を絞めさせるからいけない。
僕はそんなことを望んだのではない。
あなたの首を絞めることは、自分の首に手をかけるも同じだ。そんな自罰行為は望まない。
嫌なのに、嫌だと言っているのに。
あなたの首を締めたくないと言って拒めば、あなたは僕の首を絞めてでもそれを強いる。
あなたに指先まで自由を奪われ、あなたに支配され、あなたの手に操られている。

あなたの両手の中で、僕は苦悶し息喘ぐ。
やめてくれ、こんなのは違う。
嫌だ、どうか放して。
赦してくれ。

何だってする、何でも、何でも。
だから、お願いだから、触れないで。
首を、絞めないで。

僕の首を絞めないでくれ(...........)! 

憎悪ではない。
ささやかな反逆――でもない。
今まさにブルーの首を絞めようと試みながら、ジョミーの意識を満たしていたのは、まるで攻撃欲にはほど遠かった。ジョミーのそれは、言うなれば、懇願。哀願。嘆きながらの悲痛な訴え。助けを求めて、必死に声を上げて叫ぶ。その首に手をかけながら、ジョミーはブルーに慈悲を乞うている。ブルーの奥底まで、叫びをぶつけている。それが分かって、しかしブルーは苦痛を取り除いてやることが出来ない。
ジョミーが苦しまなくてはならないのはブルーのせいだ。それは正しい。けれど、ブルーが望んでこうなったことを、今から変えてやることは出来ないのだ。たとえジョミーが、嫌だと言って拒もうとも。その切なる願いは、決して叶えられない。
――なんて身勝手なことだろうか。ジョミーにとっても、これはいずれ来る時のために必要な痛みなのだと、無情な考えを巡らすのは己の独りよがりに過ぎないことを、ブルーは自覚している。ジョミーに成長して欲しいのだって、ブルーの意図が達成出来るように、望ましいようにという前提条件がつく。その意味で、ブルーは自分の両手の中で都合良くジョミーを弄んでいることを否定出来ない。ジョミーの言う通り、全てはブルーのせいだ。行動を起こすことで、ジョミーは定められた現状からの脱却を試みた。それもまた――ブルーが望んだように。


昂った神経を鎮めるにはまだ少し時間が必要で、しかしながら幾ばくかの冷静を取り戻したジョミーは、緩慢な動作でブルーの上から身体を退けた。寝台からは下りずに、膝をついて傍らに留まる。見上げるブルーの瞳が、何かを問うているように感じたのだろうか。ジョミーはおもむろに口を開いた。

「僕に、こうするよう――あなたは、望んだ。どうして」

何を指示されたわけでも、促されたわけでもないのに、ブルーが望んだからこうなったと、ジョミーは疑うこともなく当然のこととして主張している。ともすれば、それは身勝手な責任転嫁とみなされるかも知れない。だが、この場合に限っては、間違っているといって非難されるいわれはない。それはブルー自身が一番よく知っている。ジョミーの言う通りだからだ。
ブルーは、ジョミーに己の首を絞めて欲しいと強く望んでいた。勿論、直接に告げたことはない。倫理に反する行為を促して、若い柔軟な心の健全な発育を阻害するのは本望ではない。その欲求は、様々にかたちを変えて、それとなくジョミーに伝え続けた。ジョミーはブルーが心の奥底に沈めた欲求のイメージを読み取ることは出来なかった筈だ。望まれたから為すと、事態はそう単純に運んだのではない。結果からいえば、偶々ジョミーがある手段を選んで、偶々それがブルーの欲求と合致していたということだ。

頸、か――ブルーは思った。
それは苦々しい過去を想起させる。首に巡らされた、重い枷。力を封じ、意識を奪い、この身を地に押さえ込む縛鎖。生命が、自分の外にある感覚。選択行動とは無関係に、ただ生を繋がれている状態。
あの時、自分が感じていた、理不尽な世界からの圧迫と抵抗、疑念と諦念、虚無と嘆息、それはまるで――まるで、今の――
ブルーはとりとめのない思考を打ち切った。代わりに、抑揚のない声を紡ぐ。

「いつも、実験を終えると。彼らは首輪をつけ直してくれた。両側から手のひらを這わせて、そのまま絞め殺してくれれば良かったのに」

不可解なことを口走って、寝惚けているとでも思ってくれればいい。ブルーはジョミーに現時点での理解を求めずに、自由な連想に浮かぶ断片だけを脈絡なく口にした。ジョミーは黙って聞いている。ブルーが先の問いに応じるまで待とうというのだろう。ブルーは内心で嘆息した。
どうして望んだのかとジョミーは言う。そんなことは、既に分かりきっていて、眼前に明示されていて、どこにも新たな価値など見出せないというのに。答えは一つしかない。決まっている。ブルーは応えた。

「嬉しいから。望んでいるから。そうされることを」

手を、差し伸べて欲しい。
その手を触れて、離れないように絡めて、しっかりと押しつけて欲しい。
そして、首を。
衰えて鈍い身体の中で唯一、感覚の残された最後の砦。生の証。そこで感じたい。
確かめさせて欲しいことがある。
何故望んだかなんて――どうだっていいことだ。望ましいから、望んだ。それが全てだ。

「僕が望んだから、こうなった。それだけのことでしかない」

ジョミーは矢張り何も言わなかった。ブルーもまた、それ以上の言葉を紡がなかった。
ブルーは敢えて、全てを口に出しはしなかった。その必要はないと判断したからだ。ジョミーに教えてやる必要はない。ブルーが本当は何を求めていて、そのせいでジョミーが葛藤することになったか。つまらないことで、気を煩わせる破目に陥ったか。首を絞めなくてはいけないのか。そんなことは知らなくていい。ブルーは思った。

首を、さらけ出すということ。その意味を知れば、間違いなくジョミーは混乱する。ブルーは決して、即物的な意味で、首を絞めてくれと欲したわけではないのだから。首は、象徴に過ぎない。
それは、相手に服従すること。身を委ねること。生命を明け渡すこと。
委ねる相手がいるということを。縋っていいのだということを。受け容れてくれる誰かのいるということを。確かめるのが、ブルーの望みだ。それはこれまでに一度も達成されたことがない。生命を委ねるに等しいそれは、軽々しく扱われるものではない。待ち望んで現れたジョミーにしても同じだ。託される者としての立場を頭で理解していても、ジョミーが受け取るには、少なくとも今は、重すぎる。それが実現されるのは、この首が機能を停止して、死へ向かい始めた、その瞬間であればいい。ブルーは思う。予定を早めることも、予行演習をすることもない。

――君は、いずれ、この首を拾ってくれるだろうか。それを望むのはあまりに傲慢だ。ブルーは思った。今はまだその時ではない。ブルーが現状で為すべきは、誰に預けることも出来ずに抱えた重すぎる責務を、いずれ委ねることになるだろうものとして暗にジョミーに示すだけだ。
ジョミーは少しずつ知らねばならない。ブルーは全能ではない。ブルーは絶対ではない。あちこち欠けて衰えたブルーは、新たな者の手によって消え去らなくてはならないことを、ジョミーは少しずつ、知っていかなくてはならない。幻想に満ちた虚構の理想世界を、ジョミーは自ら破壊して、ブルーの影のない自分自身の世界を、一から構築しなくてはならない。両手でブルーの首を絞めなくてはならない。その時、ジョミーは初めて、ブルーの両手の中から解放されるのだから。
庇護されるものから、庇護するものへ。導かれるものから、導くものへ。縋りついて頼っていたものを自らの意思で打ち破り、己の自由と責任を負う。自ら立つとは、そういうことだ。

縊り殺すつもりでこの首に手をかけるのならば、喜んで受け容れよう。ブルーは思う。どんな手段であっても、強靭な意志でブルーの打倒を図り、達成出来るのならば、それはとても頼もしいことだ。刃を向け、組み敷いて圧倒し、勝利して喰らえばいい。
だが、現実はそうではない。ジョミーはそんな野心に燃えた意志でもって行為に及んだのではない。自分独りでは決着がつけられない葛藤に陥っただけのことだ。ブルーの創り上げた世界の内にいたいと望む一方で、支配を受けて束縛されることに反発する。ブルーを手の届かない概念にしておきたいと望みながら、打倒して乗り越えるべきものとみなす。ブルーが存在した方が良い。ブルーがいるからいけない。首を絞めなくてはいけない。首を締めたくない。
定められた、果たすべき役割への期待に応えたい思いと、そのためにブルーを殺し(......)自分を殺さざるを得ない(...........)、残酷な結末への抵抗が、ジョミーの内で鬩ぎあう。ジョミーがこの首を絞めるごとに、同時に彼の首を絞めている。それがブルーは堪え難い。

かつて自分が拘束された首輪。あれと同じもので、ジョミーを束縛しているのだとブルーは自認する。今この時、ジョミーの首に何が廻っているか、ブルーは、はっきりと見てとれる。

君の手によって、僕は君の首を絞めている。












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