単純接触効果 セカンダリ / Sugito Tatsuki
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ソルジャー・ブルーは、嗚咽を上げるジョミーの背中に置いた手を、覚束ない動きで上下させて、宥めるようにその名を呼ぶ。彼の声は囁き程度の音量に過ぎない。けれどジョミーの鼓膜は、耳元にかかる彼の息遣いさえ逃すまいとして全て捉えようとする。他の音が邪魔だ、とジョミーは苛立った。彼が自分の名を呼んでくれているのに、雑音に妨げられてしまう。
自分自身の激しい鼓動が、
堪えきれない嗚咽が、
頭部の動脈を血液の流れる音が、
轟音だ、うるさい、黙れ、止まってしまえ、
彼の声だけ、聴かせてくれ!
「駄目だ、ジョミー」
自らの血流さえ止めかねないジョミーの暴挙を、ソルジャー・ブルーは静かに、かつ厳しく制止した。
「僕は、君が僕をどうしようと構わないと言ったけれど、君が君自身を損なうような真似をするのは認めない」
明確な言葉に、ジョミーはますます辛くなった。彼が、根底にある理由はどうあれ、ジョミーを大切にしてくれるのは、多分、嬉しいことだと思う。けれど、ジョミーにとっては、自分自身なんかよりずっと、比べ物にならないくらいにソルジャー・ブルーが大切なのに、その彼は、それでは駄目だと言うのだ。そして、彼の言うことを聞いて従ったところで、定められた結末を変えることなど、叶うべくもない。
そんなことを言うなら、とジョミーは震える声で告げた。
「僕をひとりにしないで」
決して叶うことのないと知る望みを、しかし、口にせずにはいられなかった。どうしようもないことと知っていても、割り切ることなんて出来なかった。身勝手を言っても良いじゃないかと思った。
「ひとり? それは違う、皆がいる。君の仲間たちが、君を助け、支えとなる」
「そうじゃない!」
そんな答えが欲しいのではなかった。こちらの気持ちなど明らかに分かっている筈なのに、どうして今度ははぐらかすような物言いをするのだ、とジョミーは思った。
「だって、あなたがいない!」
勢いよく身を起こしたジョミーは、泣きはらした目で己の下のソルジャー・ブルーを睨みつける。ジョミーの目からとめどなく溢れる涙が頬をつたい、粒となって落ちていく。
「……いる」
正面からじっとジョミーを見据えて、ソルジャー・ブルーは告げた。
「君が僕の思いを継いでくれるのなら、僕がいたことを覚えていてくれるなら、──決して君を、ひとりにしない」
彼はぎこちなく腕を持ち上げ、ジョミーの頬に触れ涙を拭おうとしたが、思うように力の入らない腕は僅かに寝台から浮かすだけが精一杯で、残念そうに苦笑した。
「……そんなの詭弁だ」
ジョミーは当然、彼のその言い分に納得出来なかった。
「そんなもの、夢見がちな戯言だ、記憶の中で生きるなんて、誤魔化しだ」
言うと、ソルジャー・ブルーはあっさり「そうだ」と肯定した。
「だが、現実を変えられない以上、適応して生きていくために、認識の方を改めるべきだ。少しでも楽になれる」
出来事と認知との話を持ち出してそう言われたところで、今やジョミーは、楽になりたいなんて思っていないのだった。考え方を変える──それはすなわち、ジョミーにとって、己を偽ることに他ならない。それくらいなら、ずっと彼を思って、生きるほどに悩み苦しんで足掻く方が良いと思った。
しかし、ソルジャー・ブルーは言葉を続けた。
だまされてくれ、と。
「君が終わらない(限り、僕もまた、終わらない(」
──ああ、そうなのだ。
ジョミーは納得はしなかった。けれど理解した。彼の思いのあるところを解った。
死が恐ろしくないわけがない。切なる願いが叶わず逝くのを悔やまないわけがない。彼は、けれどもとても心穏やかだ──確かに、信じているからだ。そうである(と、知っているからだ。彼の願いを、彼に代わって、叶える者の未来あることを、それは、まだ決して終わっていないことを、信じているのだ。
「ジョミー、覚えておくと良い。信じる対象は、何も絶対的に"正しい"ことである必要はない。そうである(と思えば──それが信念だ」
ジョミーは思った。
あなたの望みを、拒める筈もない。
あなたがそう(あれと僕に望むなら、僕は、そうして生きないといけない。
あなたが言うなら、だまされよう。
その夢想的な言葉を、僕は、信じよう。
ソルジャー・ブルーは、ジョミーが答えを得たとみて微笑すると、先にその涙を拭おうとして出来なかった、己の力なく投げ出された腕を見遣って言った。
「君に触れることを、僕に許してくれないか」
ジョミーは無言のまま、ソルジャー・ブルーの腕をとる。そのまま引き寄せると、手のひらを自分の頬に当てて沿わせる。ただの末端の痙攣か、それとも意識的なものなのかは分からないけれど、その指が少し動く感覚を得て、ジョミーは確かに触れられているのだと実感した。肌の重なる感覚がとても心地よく、手のひらに頬を摺り寄せる。
「もう少し近くへ」
言われるままにジョミーは姿勢を倒していく。ソルジャー・ブルーは僅かに首を傾げる。自然に行なわれた動作は、その瞳が最も鮮明に像を捉えられるよう角度をなすのだとジョミーは知っていた。ジョミーは、自分が彼を見つめて触れるばかりでなく、彼もまた、自分の目を覗きこみ、ちゃんと触れたいと欲してくれることが初めて確かに分かって、それがこの上なく嬉しく思った。
「瞳を見るだけで充分だ。思念を読まなくとも、瞳孔の大きさに心は表れてしまう」
瞳孔の大きさの変化は光量の調節により起こる──すなわち明るい場で小さく、暗い場なら大きく──そしてその他に、対象への関心の程度も量れるのだとソルジャー・ブルーは言った。
そう言われると本当なのかと気になって、ジョミーは問うた。
「僕の瞳孔、今、どうなってる?」
「開いている。大きな黒い瞳だ」
ソルジャー・ブルーの指が、慈しむようにジョミーの目元を撫でる。
「より多く光を得ようと、より多くを感じ取ろうとする心と同じだけ、開いて、見つめようとしている──外界を、僕を、そして──君自身を」
ジョミーの脳裏に、自分自身の姿が映る。見つめる赤の瞳と、己の瞳が、交錯して映りこむ。
──何が見えている?
『君の瞳だ、ジョミー』
己の内に起こる声に、ジョミーは知った。
ジョミーを読んでいるソルジャー・ブルーを、また、ジョミーが読んでいる。
心の表層が入り混じるのは、偽りの情動に流される感覚とは違い、穏やかで、心地よく、そして僅かに空虚だった。
──君の瞳を見たい。
彼の思念だ、とジョミーは分かった。
声が静かに自身の内に広がり、浸透する。
──何てまっすぐだろう。縮小し、また拡大する瞳孔が、ありのままの君を表している。
ジョミーはソルジャー・ブルーを通して己の瞳を知った。大きな緑の目が、その表層を覆う涙液の流れも、黒の瞳孔が光を求めて拡大しているのも明らかにしてしまうことを見てとった。
「何だ、これならあなたは全部分かってしまうじゃないか、僕のことなんて」
言うとジョミーは更に顔を寄せる。その意図を受け取って、ソルジャー・ブルーは可笑しそうに言った。
「また、嫌がらせかい?」
「そうだ。こんなに僕を見てとってしまうなんて、あなたはひどい人だから」
だから、嫌がらせしてやる、とジョミーは言った。
本当は違う。ジョミーは内心で思った。今度は、あなたに触れたいから、するんだ。
さっきのことは感触も覚えていない。それどころでなく気が昂っていたのだ──だからこそ思い切ったことが出来たのかも知れない。
今度は、もっと、ちゃんとしてやる──"嫌がらせ"を。
唇も触れ合わせて、そうしたら、もっと心の内が見えるのだろうかとジョミーは思った。もっと見れば良いと思った。彼が、決してその瞳では見ることの叶わない世界を、自分の目を通して見られれば良い。
ジョミーの想起する記憶の情景を捉えて、ソルジャー・ブルーはその在りように感嘆した。
──ああ、これが君の見る世界。
輝かしく、光に満ちた世界。
陽光の下では、何と色彩の豊かなことだろう。
君はその場に全く相応しい。
その声を受けて、ジョミーは思った。
伝えたかった、彼もまた、陽光を、輝く世界を、確かに立つ大地を、得る権利があると。
あなたの瞳は、きっと誰よりも、地球の姿を純粋に映し出すだろう。
何にも染まらぬ透明な瞳の、その奥に、あなたは、はっきりと捉えるのだ。
あの美しい青、
あなたの地球を!
End.
気ままに書き連ねていったらあまり話に一貫性がなくなりました。
とりあえず二人がいちゃついていて甘ければ良いのだという主題があった気がします。
2007.05.24-06.28