単純接触効果 セカンダリ / Sugito Tatsuki
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手をとり、待ち続けてもソルジャー・ブルーは目を開けない。ジョミーは自分の内で不安がつのるのを感じる。早く、目を開けてくれという思いを留め抑えきれない。
早く、そうでなければ、ちゃんと彼がここに繋ぎとめられていると分からなければ、──
ふと、ジョミーの捉えるソルジャー・ブルーの像がぼやける。目が──熱い。
──ああ、今、分かった。
恐いのだ。彼がそう遠くなく、ここから去っていってしまうのが、恐くて、悲しくて、とても苦しいのだ。
だから、今ちゃんと、命あることを確かめたい。けれど確かめたところで、安心できるのは一瞬だけで、すぐに、失うのがもっと恐ろしくなるだけだ。今、確かに生きているのに、何故、失われなくてはならないのかと、あまりの理不尽さに心を乱される。
漠然たる不安と焦燥は、彼を失ってしまった自分を予期して生じていたのだと知る。
自分の思いを認識したことで、ジョミーは途端に胸が押し潰されるほどの息苦しさに襲われる。
――嫌だ、嫌だ、どうしてあなたが!
あなたは生きなくてはだめだ、生きてくれなくては!
どうして――
『ジョミー、落ち着くんだ』
ソルジャー・ブルーの思念の声がはっきりと響く。ジョミーの混沌とした情動が、一瞬静まる。
『大丈夫、何も心配ない。恐れることはない』
乱れきった心を宥め、包み込む、彼の思い遣りに満ちた暖かな思念が伝わる。優しい声に、涙を堪えていたジョミーは心の穏やかさを取り戻していく。それにつれて、強張った身体も緊張を解き――
「――やめろ!」
しかし、その温もりを、ジョミーは強く頭を振って払いのけた。憤りのままに立ち上がり、未だ目を開けぬソルジャー・ブルーに対峙し、声を荒げて情動を叩きつける。
「僕に勝手に気持ちを流し込むな、そんなもので僕の思いを誤魔化すな! 何が心配ない、恐くないだ、僕は恐い、恐いんだ!」
心を委ねてしまえば、きっと悩むことも苦しむこともしなくて済む。
だがそれは己の内なる感情の放棄に他ならない。
偽りの情動に満たされた自分はもう、自分とは呼べない。
たとえネガティブな感情であろうと、自分の感じたままを受け容れる──そうしろと言ったのは彼自身だ。
『そう、自分で感じ、考え、行動することを忘れてはいけない。多くの者は与えられた安らぎに身を任せてしまうが――』
さすがだ、とソルジャー・ブルーは称賛の言葉を与えたが、ジョミーは少しも嬉しくなかった。
『君は自己を強く保ち続けている。正に
皆を導く者として相応しい』
ソルジャー・ブルーはあくまでも冷静で、淡々と言葉を紡ぐ。それをジョミーは、とても嫌だ(と思った。
「僕はまだ代行だ」
『君は良き指導者となる。僕と違って、皆の望みを果たして』
「嫌だ、先の話は!」
ジョミーは聞きたくない、と顔を背けた。自分が、行くあてなく惑う人々の唯一の指導者たるソルジャーとなる、それはつまり、それが意味するのは、彼が――
『僕はもうすぐ死ぬ』
ソルジャー・ブルーは何の情感も込めずに、ジョミーが一番聞きたくなくて避けたかったことを飾りのない言葉でつきつけた。
『僕が消え去り、そして君の道が始まる』
何とひどいことをする人だろうとジョミーは思った。
どうして彼に苦しめられる。どうして思うようにならない。
己の死すら、他者を動揺させておきながら平然と口にする。その態度が――嫌だ。 彼が、とても嫌だ、と思った。無性に腹が立った。
ソルジャー・ブルーは更に言葉を続けようとしたので、それにジョミーは神経を逆撫でされ、情動の赴くままに――一言で統合するなら、怒りに任せて動いた。
傷つける意図をもって振り上げた腕を、勢いのままに、彼の瞼を下ろした顔の、すぐ隣に打ち下ろす。耳の傍で空気を切る音が聞こえたためだろうか、衝撃と、反動に寝台が軋んだためだろうか、彼の睫が震える。すぐに頭に血が上り、感情を直に表出する、喧嘩っ早い性質を自認しているジョミーだが、無抵抗の相手に手を上げるのをかろうじて避ける程度には自制が効いていた。そもそも彼に暴力行為を働くなど、いかに逆上しようとも出来る筈もない。――だから、ジョミーが次に起こした行動は、"嫌がらせ"という認識が最も適していよう。
何も手を出せないでいるのは悔しくて、自分が彼に出来る嫌がらせといって、咄嗟にとった行為だった。ジョミーは寝台を殴った拳を開いて、そこを基点に重心を移動すると、もう片手でソルジャー・ブルーの頭を固定して、躊躇うことなく、唇に食らいつく。
彼がひどいことを言うせいで、自分が嫌な気持ちになった分、彼も気分を害すべきだと思った。そうでなければ、不公平だと思った。
この上なく侮辱的な行為に、彼がどんなに嫌そうな顔をするか、見たいと思ったけれど、つい目をつぶってしまったために叶わなかった。唇に感触を得たまま暫し間を置き、こんなものだろう、とゆっくり顔を離す。どうだ、と思いつつ目を開ければ――
「残念ながら、これは嫌がらせにはならない――最初に言っただろう、好きにして良いと」
いつの間にか開かれていた赤の瞳にぶつかる。既に視線を揺らがせていないソルジャー・ブルーの様子は、全く平静そのものであった。
――自分だけこんなに心を乱して、ひどく滑稽だとジョミーは思った。怒りを保つほどの気力も一気に萎えてしまって、とても呆れた。深く息を吐く。
ソルジャー・ブルーは、次はどうするのかと問うようにジョミーを見つめる。
――どうしたい。
怒りをぶつけても違う。
已まぬ不安が心を覆う。
ソルジャー・ブルーの肩に手をついて見下ろした体勢のまま、ジョミーが言葉を返すことも出来ずにいると、こちらをじっと見据える鮮やかな瞳が――ふと力を弱めた。緩慢に、瞼が下りていく。その様に、ジョミーは己の恐れを見出した。
「――待って!」
ジョミーは、この場では何故か衝動を制御出来ないでいる自分を認めた。彼に覆いかぶさるようにして腕をその背に回し、自分に押し付けてその身を強く抱く。それでも足りない、未だ不安で仕方がない、離れていってしまう、もっと、もっと捉えていなければと、一層腕に力を込めた。彼が苦しかろうと構わない、今はそんなことはどうだっていい、回した腕を離さないことが一番大事で、後は皆どれも一様に些細なことだ。そのまま、己の内に沸き起こる思いを言葉に乗せる。
「あなたに触れていないと、恐いんだ、
離れていってしまう。
あなたを留めておきたいのに、僕は何一つ出来ない。
こんなことをしたって、あなたを困らせるだけだ、
何も意味がない、分かっている。
けれど、だけど、嫌だ、嫌なんだ。
ずっとここにいて、もっと触れたい、
……行かないで、行かないで……」
彼を繋ぎとめたい。
彼を捉えていたい。
ジョミーは溢れる感情に思考を任せた。
はじめから、彼がいなければ良かった。確かめようとしても出来なくて、触れようとしても出来なくて、言葉も交わせない、そうであったなら、はじめから失われていたのなら、良かったのに。
すぐに奪われると決定づけられて彼に出逢い、どんどん減っていく許された僅かな時間の中で加速的に彼にひかれたのは――ひどい、あまりにひどすぎる。
――だって、僕はこれから、彼のいない宇宙で生きていくのだ。決して埋められぬ欠落を抱えて。
ジョミーはソルジャー・ブルーの肩に顔を埋めて嗚咽を上げる。
自分の下で彼が身じろぐのを感じる。見えはしないけれど、彼がゆっくりと緩慢な動作で腕を持ち上げようとしているのも、ぎこちない動きで、宥めるようにジョミーの髪に触れようと手を伸ばすのも、けれど目的を達することは出来なくて、首の辺りまで動かしたところで力を失い、重力に従ってがくりと落ちるのも、ジョミーは分かった。指が肩にかかって、ソルジャー・ブルーの腕は滑り落ちずにジョミーの背中に留まる。
ジョミーはその儚い重さを感じて、一層、堪らなくなった。
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