saihate no henkyo >> 地球へ…小説



転生語『邂逅』 / Sugito Tatsuki








-1-








今日のサッカーは散々だった。限定的な言い方をしているのは、勿論それが限定的な出来事であったからで、普段からこのような事態が通例であるわけではない。サッカーを愛する僕にとっては痛恨の極みであり、悔やんでも悔やみきれないほどの、とんだ痴態であった。最終時限の授業で行われた試合であったが、僕は出力80パーセント減といった状態で、つまり居眠りしているのと変わらないスペックで、チームに貢献するどころか、立っているだけで足手まといだった。
それというのも、朝からずっと気がかりがあって、プレイに集中出来なかったのだ。言い訳がましいと思われるかも知れないが、出来事の純粋な理由は理由として挙げておかねばなるまい。穏やかな生活に、突如として乱入した厄介事──平和を愛する僕の心を乱すのには十分だ。
いっそ何もかも忘れて、思いきりボールと戯れるつもりでゲームに挑んだのだが、逆にサッカーの楽しみが厄介事の重さに喰われてしまう結果となった。注意力散漫でフィールドに立っても、ろくな働きは出来ないのだと、僕は今回の試合で痛感した。やはりサッカーは心身ともに万全の状態で挑むべきものだ。普段の僕を知る仲間たちからは、叱責されるのを通り越して、心配されたり慰められたりしてしまった。
「気にするな」「そういう時もあるよ」──ある意味で辛い扱いだ。
そうして心に傷を負い、深く沈んだ思いで下校の支度をする僕の目の前に現れたのは、場違いなまでに、嫌になるほど、颯爽とした空気を纏った輩だった。今の僕の気分にそぐわないことこの上ない。というか、いつだってそぐわないから、別段今回に限って対応が変わるわけではないけれど。このタイミングで現れるとは、嫌がらせとしか思えない。
そいつは当たり前のように僕の机に手をついて、馴れ馴れしく話しかけてくる。
「キース先輩。先程のサッカーの練習試合、拝見しましたよ。さすが先輩、お見事なプレイでした。ことごとく敵にパスを邪魔され、ボールを奪われ、フェイントにかけられ、踏んだり蹴ったりの目に遭いながらも冷静な判断力を失わず、後半はチームのために自ら身を引いてフィールドの隅に佇んでいた、あの雄姿。並大抵の人間には真似出来ません。僕は感動のあまり涙が溢れました。さすがはキース先輩です」
「そういうお前は、ただの天然な無神経ととればいいのか、それとも強烈な皮肉屋ととればいいのか?」
いずれにしても、僕にとっては有難い話ではない。どうしてこうも、厄介な奴に絡まれる体質なのだろうか。
気後れもせず上級生の教室に入り、笑顔で溌剌と人の心を抉るこいつは、何の因果か僕に狙いを定めて、やたらと接触してくる。同じ学校というだけで、特に個人的な関わりはない筈なのだが、そんなことは構わないらしい。既にこうして絡まれるのも日常となると、僕の意思にかかわらず、十分に親密な個人的関係があるといえるのかも知れない。それで何となく、僕にとって後輩代表みたいなものになっている。
その後輩は、相変わらず爽やかな笑顔で続ける。
「はは、先輩のユーモアは冴えてますね。きっと脳の回転率からして、凡人とは異なっているに違いありません。僕がどんなに頑張っても、対等に渡り合うなんて夢のまた夢、悲しいことですが、足元にも及ばないでしょう。僕はサッカーボールを羨みます。せめて僕も、先輩に足蹴にして貰えたらと夢想せずにはいられませんが、それどころか靴の裏に接吻させて貰えたらと思って身悶えますが、所詮は過ぎた願望です。先の例で言うならば、僕はただの熱烈な性衝動といったところですね」
「何故そんなに自虐的なんだ! 性格違うぞ!」
しかも笑えない自虐だ。ある程度の事実を言い当ててこそ、手法としての自虐は意味を為す。しかし、この後輩は、そのように自ら揶揄すべき点を何も持たない。特に、こいつの驚くべき学業成績については、学年を越えて噂に聞いている。厄介な奴ではあるが、優秀であることは疑いようがないのだ。
本来、堂々と自らの能力を誇っていい人間。誰の非難も受けつけない者。そういう奴が、どうして僕を相手に限定して自虐的態度を披露するのか、全くもって意味不明だ。ないがしろにも出来ないし、どう反応したものか、相当に疲れる。まだ挑戦的態度でもとられた方が扱いやすい。こんな苦労を強いられるとは、前世の業か何かだろうか。僕はいったい何をしたというんだ。
僕の言葉を受けて、後輩は感じ入ったように深く頷く。
「先輩は、僕が自虐をしていると考えて、案じてくださるのですね。先輩に要らぬ心配をかけてしまうなんて、僕はとんだ迷惑者です。恥ずかしいほどの未熟者です。いっそ、もっと恥ずかしいことをして、いやらしい言葉で辱めてくださいませんか」
「何が『いっそ』なのか全く不明な繋がりだな」
羞恥プレイが好みか? いじめられると燃えるのか? 
「いや……しかし、自虐的である限り、恥辱という概念には遠いな……プライドがあってこその屈辱だろう。もっと正当に自分の能力を評価してはどうだ」
何故か誠意あるアドバイスをくれてやっている僕。自分が不可解だ。後輩は腕を広げて感嘆する。
「先輩……僕は嬉しいです。こんな若輩者に対して『能力』『評価』なんて、勿体ない言葉。恐縮すぎて、いっそ快感に近い焦燥を覚えてしまいます。いいえ、勿論、先輩は僕を励ますために大げさにおっしゃったのでしょう。分かっています。それでも何ら喜びが薄れることはありません。先輩が僕を少しばかりでも、ここに小さく存在することだけでも、認めてやってもいいと、そうお考えであることの証だからです。たった一瞬でも、先輩の意識を僅かに引くことが出来て、これほどの幸福はありません。僕の努力も無意味ではなかったのですね。何も誇るべきところない凡人であるところの僕ですが、愚直で滑稽な努力に関しては定評があるのです」
「一層に自虐がひどくなった気がするが……そうだな、今後も励むといい」
そろそろ下校しなくてはいけない。無難にまとめたつもりの言葉をかけると、後輩は瞳を輝かせた。
「僕はいつも先輩を目標に励んでいます」
「それは結構なことだ」
「換言すると、いつも先輩の身体を目的に励んでいます」
「それは不健全だな!」
「いつか先輩に乗って励むのが野望なのです」
そんな頑張りは要らない。勘弁してくれ。僕の内なる声も知らず、後輩は心なしか頬を紅潮させて、気恥ずかしげに髪を弄った。
「出逢った時から、僕の心は先輩に奪われてしまいました。先輩から一時も目が離せないのです。寝ても覚めても、先輩のことで頭がいっぱいです。夜中になると、ああ今頃先輩はガラスケースの中で全裸で眠っているんだなあ、なんて煽情的なのだろう、と思いを馳せて興奮します」
「さすがに全裸ではないぞ!」
そんな丸見えの就寝は嫌だ。構わず、後輩はうっとりと自分の世界に浸りきっている。
「いやらしい妄想をして、眠れずに朝を迎えることもしばしばです。特に試験前などは、本来勉学の復習に充てるべき時間を淫靡な目的のために浪費しているという背徳的な罪悪感が更に高揚を誘い、禁忌を犯すことの甘美な誘惑と戯れる危うい駆け引きの感覚が、ぞくぞくするほど刺激的なのです。おかげで試験期間は慢性的に睡眠不足です。先輩も罪なお人ですね」
「頼むから普通に寝てくれ!」
そんなことのために、こいつが学業上の支障をきたしたらと思うと恐ろしい。僕は後輩思いの先輩なのだ。自分が妄想のオカズにされていることについてはまあ、他人の思考を検閲することが出来ない以上、実害さえなければ構わない──筈だが、その事実を今、知らされたことによって、既にセクシャル・ハラスメントに相当する実害が生じているといえなくもない。
後輩は一転して表情を曇らせると、小さく溜息を吐いた。
「けれど、悲しいことに、僕は重い思いで想いを重ねているのに、思うばかりでは先輩との関係は何も進展しないのです。かといって、直接の接触を増やすにも限度というものがあります。せめて同じ学年なら……僕のようなちっぽけな人間は、頑張ったところで、とても先輩の股間に手を触れることすら叶いません」
「そんなスキンシップは御免だ!」
「先輩が僕のためにマヌカ多めの自家製シナモンミルクを放出してくれる日はいつ訪れるのかと、切なく待ち望んでいます」
「残念ながら永遠に来ないだろうな」
「先輩と触れ合うことが出来るのならば、僕は拳で殴られたって構いません。無抵抗で受け容れるでしょう。さあ、公衆の面前で思い切り渾身の一撃を!」
「僕を陥れようとでもいうのか!」
「うふふ。考えただけで高揚します。先輩の熱く激しい情動の滾り。赴くままにぶつけられたら、悦びのあまり気を失ってしまうかも知れない。一緒にイキたい、ネバーランド……あぁ」
「身悶えするな!」
僕たちの不毛な掛けあいにも慣れたもので、隣の席で雑誌をめくりながら聞き流していた我が友人は、ここでとうとう口を挟んだ。
「あのなあ。間違われることが多いけど、キースはSじゃあないんだ。それどころか、前髪ぱっつん黒髪美女に虐げられるのが何よりの生きがいという、正真正銘のドMだぜ? 残念ながら、お前みたいなのが絡む余地はないよ」
サム。心の友よ。フォローになっていないことを指摘してやるべきだろうか。
後輩は一向に意に介した様子なく、「ふん」とせせら笑った。
「僕をそこらのMと一緒にされては困りますね。僕は明るく健康的なMをモットーとする進歩的少年ですよ。卑屈だったり粘着質だったりといった、これまでのMのイメージを払拭すべく、草の根活動を推進しているのです」
「僕の周囲はMばかりか!」
「おや、今の発言はなかなか意味深じゃありませんかキース先輩。そうです。人類は皆、潜在的なMなのです。Mこそヒトの進むべき未来の姿です。最終形態です」
「エイリアンみたいだな」
「すなわち進化の袋小路です」
「お先真っ暗っぽい!」
「そうしたわけで、今日は先輩のために一編の詩を捧げたいと思います」
宣言して、後輩は一つ咳払いをした。
「もし僕が鳥だったなら、先輩のところへ飛んでいくのに」
仮定法の例文だった。独創性の欠片もない。それなら僕だって出来る。
「もし僕が鳥だったなら、厄介な後輩から逃げていくのに」
「もし僕が先輩だったなら、可愛い後輩を快くベッドへ招き入れるのに」
「もし僕がお前だったなら、今すぐ自らの口を塞いでいるのに」
「先輩の唇で塞いでくれるんですか?」
「マヌカに埋もれてしまえ!」
後輩との楽しいコミュニケーションも、この辺りでいいだろう。本当にそろそろ行かなくてはならない。
「それじゃあ、僕は用事だからこれで。また明日、サム」
「はい、キース先輩さようなら。そう言っていただけると嬉しいです。明日もきっと来ますね」
「お前じゃない! 僕はサムに言ったんだ!」
「先輩が親しく呼んでくれるなら、僕はサムでもトムでも『お前』でも『後輩』でも何にでも改名します! どうぞお好きなように呼んでください!」
意気込む後輩を無視して、今度こそ傍らの親友に声をかける。
「悪いが、サム。こいつをちょっと押さえててくれ」
「合点承知」
「待ってください先輩! ええい放せ、放せ! こんなことで僕は負けませんよ! 一緒にめくるめく快楽と恍惚のネバーランドへ旅立ちましょう! 先輩! キースせんぱーい!」
二つ先の教室まで響きそうな声で名前を叫ばれるのに耳を塞ぎ、僕はその場を走り去った。後を任せて逃げてしまって申し訳ないが、我が親友のことだ、心配はない。うまくやってくれるだろう。ささやかな礼として、明日の昼食をおごることに決めた。
駆け足でグラウンドを横切る際、放課後サッカーの仲間に誘われるも、用事があるので丁重に断る。彼らは不満げに、「なんだよ、キースまで。困ったな、ジョミーもいないのに」と愚痴っていたが、それもその筈だ。これから僕の放課後を費やすことになる面倒事を持ってきたのは、他でもない、ジョミーなのだから。

今朝がたのことだ。新しい一日が始まる爽快な気分で教室へ向かう途中、僕は横あいから伸びた手に腕を掴まれ、有無を言わさず物陰へ連れ込まれた。すわ何事か、校舎内で犯罪発生か、貞操の危機かと身構えたが、見れば無礼者はよく知った顔だった。ジョミーは無言で、恨みがましく僕を睨みつけていた。掴まれた腕が痛い。これはやはり身の危険が迫っているのだろうか。心当たりは何もないのだが。
大声でも上げようかと思案していると、ジョミーはゆっくりと口を開いた。
「僕としては、たいへんに遺憾だ。不本意だ。嫌で嫌で仕方がない。そこを忘れるなよ」
低く、吐き捨てるように言うジョミー。そう言われても、何のことだかさっぱりだ。僕の混乱を無視して、ジョミーは深々と息を吐く。
「ああ、僕としたことが、とんだ失敗だった。ブルーの前で、こんな奴のことを、ついうっかり喋ってしまうなんて。悔やんでも悔やみきれない。ましてやブルーが、こいつに興味を持つなんて、まるで悪夢だ。この悪魔! 色ボケ! 魔性の男!」
……つまり、そういうことらしい。用件は、「今日の放課後、一緒にブルーに会いに行くこと」というシンプルなことだった。ジョミーはさんざん悪態をつきながらそれを僕に伝達すると、「まさか断らないよな」と確認のかたちの強要で締め括った。
「……でも、君としては僕を招きたくないのだろう。断られた方が嬉しいんじゃないか」
「勿論。だけど、ブルーと約束した。彼を悲しませるわけにはいかない。生死を問わず、連れて行くことになっている」
「断る余地がない!」
当然、承諾することとなったが、朝一番にそんな出来事があったせいで、放課後が近づくにつれて気もそぞろとなり、サッカーでの失態に至ったのであった。
ブルー。
ジョミーの特別な対象。
綾波系。
何が待ち受けているのか、戦慄さえ覚える。

走って向かった、学校近くの待ち合わせ場所では、既にジョミーが待機していた。
「あーあ、やっぱり来ちゃったよ。このまま失踪して行方知れずになってくれれば全てが丸く収まったのに。気が利かない奴だなあ」
人を呼びつけておいてその態度は何だ。突っ込むのも今更なので、我慢我慢。
「さて、それじゃあこれを」
言うと、ジョミーは僕の背後に回った。何かと思っていると、急に視界が塞がれる。
「え? 何だ?」
「君には暫く、箱男になって貰うよ」
どうやら、頭に紙箱を被せられたらしい。自分の足元しか見えない。外から見たらさぞ愉快なことになっているだろう。
「まさか、この格好で、家まで行くと?」
「うん。ブルーの居場所は企業秘密だ。間男予備軍にわざわざ道案内をしてやるほど、僕はお人よしではないよ」
どこか自慢げに言うジョミー。我ながら良いアイデアだ、とでも思っているのだろう。……抵抗は諦めた。もういいや、これなら顔が隠れているから、万が一クラスメイトに見られても、どうせ僕だって分からないし……ジョミーが連れているという時点でバレバレかも知れないけれど……。
「ああ、ところで放課後サッカーの連中が探していたぞ。なんでも、ジョミーはいつもすぐ下校して、なかなか捕まらないとか嘆いていた」
「彼らには悪いけれど、基本的に放課後はサッカーをしない主義なんでね。ほら、行くよ」
そうして、ジョミーに腕を引かれて、僕は慣れない目隠し状態のため何度も躓きかけながら、目的の場所へ向かった。箱を被せられただけといえ、周囲から隔絶して視界が遮られることは、たいへんに心細い。何の罰ゲームだこれ。
たっぷり30分ほど歩いただろうか。多分遠回りなど小細工をしているだろうから、現在地の見当はつかない。方向感覚を無効にするために、スイカ割りよろしく、何度かその場でぐるぐると回されたほどだ。念が入りすぎている。
視覚以外の情報から察するに、何らかの建物に入ったようだ。「階段を上れ」という非情な命令を受け、僕は僅かに見える足元に注意を払いながら、ゆっくりと進んでいった。
更に通路を歩いた先で、ジョミーは立ち止まり、僕もそれに倣う。続いて、モーター音と、両足から重力が抜ける浮遊感。どうやらリフトで下降しているらしい。となると、目的地はもうすぐだろう。そろそろ紙箱、取ってくれないだろうかと思っていると、ジョミーは「あ、忘れてた」と言って無造作にそれを取り払った。久々に周囲の視覚情報を得て、ほっと安堵する。
乗せられていたのは、やはり小型のリフトだった。周囲を見回して、特に変わった様子はない。ただし、操作盤にはスイッチの一つもなく、階数表示はただ一文字、「μ」のところが赤く点灯しているだけだ。意味が分からない。
事情を知る筈のジョミーは壁にもたれかかって目を閉じ、説明する気は全くないようだ。奇妙に閉塞した空間に不安を募らせていると、ふと浮遊感が治まり、両足の負荷が戻る。間もなく、扉が開くだろう。
ジョミーは扉の前に歩み出ると、小さく呟く。
「ここだ」
一言とともに、視界が開けた。













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