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転生語『邂逅』 / Sugito Tatsuki








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「……これは、また、」
茫然と呟くことしか出来なかった僕はいかにも間抜けだが、それも仕方のないことだといえる。いったい誰が、この状況で何か気の利いたことを言えるだろうか。それほどまでに、予想外だった。はっきり言って、異世界だった。何しろ、扉の向こうのその空間は、天井から壁から調度品から、ことによると光や空気や温湿度に至るまで、全てがことごとく、青かったからだ。海中にあって、水面の揺らめく陽光に映し出されたような、青のグラデーション。窓の一つもない地下だから、自然光が射しているように見えるのも、照明の効果だろう。
「カラオケルームみたいだよね」
「……ああ」
実のところ、もっと先に連想するものがあるのだが、それを口に出さない程度にはジョミーにも分別が備わっているらしかった。
「むしろ、休憩3時間6000円〜のホテルみたいだよね」
「何で言っちゃうんだ! そこは胸に留めておいて欲しかった!」
「ライティングは重要だね。赤い照明は性欲を刺激するよ。逆に青は鎮静効果があるから、一般人は燃えられないかも知れないな。僕は全然平気だけど」
確かに、足を踏み入れた時こそ異様な状況に戸惑ったが、これはこれで落ち着くものなのかも知れない。揺らめく光の加減は、水槽の中を思い出す。あるいは、母なる海。生まれた場所へ、回帰する感覚。地底という、海からも空からも隔絶された部屋の主は、ここに小さな理想郷を築いているのかも知れない。
「……さて、起きているかな」
歩を進めるジョミーに続く。リフトを降りた正面の通路は、やがて扉もなしに、広い空間へ行きあたった。天井が高い。部屋の中央だけが乳白色の光に包まれ、周囲は藍色の闇に沈んでいる。全容は測り知れない。
入口付近に立ち止まって、辺りを見渡す僕を置いて、ジョミーは静かに部屋の中央へと歩み寄る。数歩もしないうちに、その足が止まったのは、静謐な空気の中に息づく気配を感じたのだろうか。呼ばれでもしたかのように、ふと顔を上げた姿勢で留まる、一瞬の静寂を見事に捉えて──
「おかえり。ジョミー」
声は、発せられた。
「──ブルー」
ジョミーの唇が動いて、その名を呼ぶ。目的の人物の登場というのに、僕は、落ち着き払った声の主よりも、ジョミーの方に気をとられていた。──どうしてか、一瞬彼が、泣きそうな顔をしたから。悲哀とも、安堵ともつかぬ泣き笑い。それは瞬き一回の間に、すっかりかき消えてしまったけれど、決して見間違いなどではなかった。
そんな表情を、向ける先に──何があるのか。
部屋の中心に据えられたのは、時代錯誤的に大仰な天蓋付きの寝台だ。重なり合った薄い幕が下りて、この立ち位置からは声の主の姿が窺い知れない。どこか緊張を覚えつつ、二、三歩踏み出して移動する。瞬きもせず、一点を見つめて立ち尽くしたままの、ジョミーの隣へと。
その、視線の先を、ゆっくりと追って──僕は再び、眩暈の感覚に襲われた。どうやら、この部屋に入った瞬間から、別世界に飛ばされてしまったらしい。壁一枚隔てた向こうに、いつもの日常があるとは考え難い。常識はずれなものばかりだ──室内のモノも、そして、その主も。
寝台の中は、およそ白かった。何もかもが青に染まる空間で、そこだけが淡い乳白光を纏っているかのようだった。ことごとく色彩が欠落し、陰影だけしかない。どうしたらこのようになるのだろう。白い──漠然とそのイメージを捉え、次いで詳細を認識しかけた、僕の視界はそこで唐突に遮られた。
「──見るな!」
怒気をはらんだ声とともに、容赦ない肘打ちが鳩尾を急襲したのだ。
「…………!」
完全な不意打ちに、声もなく膝を折って蹲る。むしろ息が出来ない。違った意味で視界が真っ白になる。あれ、目が熱いけどこれって涙? 泣いているのは僕? へえ、ここの床って石畳だったんだ……せめて絨毯だったら良かったな……。
僕が床面の硬く冷たい感触を十分に味わっている間に、ジョミーは寝台の方へ駆け寄っていった。こちらには目もくれず、薄情な輩だ。いや、あの肘打ちの時点で既に分かっていたことだけれど。
ばさばさと忙しい音がするのは、シーツを整え直しているのだろう。寝台の上の身体を包み護って、他人に見えないように。非難めいた口調で、「駄目じゃないか、今日は来るって言ったのに……」などと呟いているのが聞こえる。それには同意するところだ。部屋の主は、およそ客人を出迎える意識がないものと思われる姿であった。
先程、僅かな間に視認した情報は、腹に喰らった一撃のショックでいくらか飛んでしまっているが、それでも一度、鮮烈な印象で目に焼きついたものは忘れない。色彩が存在しない、あの寝台の上に、──それ(..)は居た。
一見して、人形が投げ出されているのかと思った。乱れたシーツの合間に、埋もれるようにして横たわった、それを最初はヒトとして認識出来ないくらい──肢体もまた非現実的に白かった。シーツと絡んだしなやかな脚が、だいぶ見えていた気がする。それも思考停止する原因だったのだが、見た限り、衣服を纏っていなかった。代わりに、おびただしい量の包帯が、腕といい脚といい、無秩序に巻きついて肌を覆う。だから、実質の露出はさほど多くなかったかも知れない。皮膚も包帯もシーツも同じ色だから、判断は難しいところだが。ともかく、あちこちに包帯を巻きつけて、その人物は身体を投げ出していた。
そのような格好でありながら、陰鬱や悲愴の感が薄いのは、汚れの一点もないからだろう。包帯もシーツも清潔で、それらに包まれた本人も、作り物めいて体温を感じさせない。髪まで色素が抜けきって、本当にこれは血が通っているのだろうかと疑わしく思えたほどだ──ただ、一点を見るまでは。
白い寝台の上に、唯一の色彩があった。離れて立った位置からでも、それは明瞭に認識することが出来た。寝乱れた髪の下、眼帯に隠されていない方の、片目。その瞳を目にした瞬間、これは人形ではなく、紛れもないヒトなのだと確信を得た。生命の証、根源の色。赤色には情動の興奮効果があると、ジョミーが言っていたのはこの部屋に入った時だったか。白い中、一点だけの色が、抗い難く注意を引きつける。
こちらを気だるく見遣った、それ(..)の──いや、彼の瞳は、今まさに巡り流れる、温かな血液を透かし見せていた。
──実在、したのか。
まるで直接、心に這入り込まれたかのような、一瞬の交錯で、そんな感想が脳裏を過ぎった。
……うん、だいぶ認識出来ているじゃないか。回想で確認している間に、腹の鈍い痛みも治まってきたようだ。あの、寝台に横たわる包帯の彼が、ジョミーの言う恋人であって、『ブルー』ということだろう。一見して明らかだった。虚言の多い奴の言うことだから、本当にいるのか、半信半疑ではあったのだが、それ以外に考えられない。
ジョミーは彼を、青いバラのような、と形容していたが、どうなのだろう、(ブルー)なのは部屋であって、本人ではない気がする。よほど青い色が好きなのか、自分には持たない色に憧れでもしているのか。名前を教えてくれない彼に名付けたのはジョミーだから、二人して青に思い入れがあるということか。
複雑な事情は測り知れないが、少なくとも、ジョミーが彼をブルーと呼びたくなった気持ちは分かる。部屋の件がなくとも、彼は確かに、ブルーと呼ぶ以外に考えられない。僕にとっても、何故か大事なことのように感じられる名前だ。彼のことなど、何も知らないというのに、不思議なことだ。ジョミーが年上専門と自称しているから、多分ブルーは僕たちよりいくつか年上なのだろうな、という程度のことしか分からない。正体不明とはこのことだ。こんなところに来ちゃって良かったのかなあ、と今更ながら少々不安になる。
「こんなところで、いいかな」
ふう、と一息を吐いて、ジョミーは言った。その声につられて、僕はようやく床から立ち上がった。違和感の抜けない腹を押さえつつ、寝台に顔を向ける。ジョミーの働きのおかげだろう、先程の怠惰で退廃的な様相とは異なり、今度はきちんと整えられた寝台で、ブルーは行儀良く半身を起こしていた。シーツを引き上げて下半身を隠しているから、目のやり場に困ることもない。ジョミーはその傍らに立って、甲斐甲斐しく包帯など巻き直している。
さて、どうしたものかと手持無沙汰にしていると、ブルーと目が合った。彼は何度か瞬きをして、それから目を眇めて、最後に不可解げに軽く首を傾げた。それだけかけて、見慣れぬ人間の侵入に気付いたということらしい。思慮が深いのか、思考が遅いのか、評価に困る反応だ。
「ジョミー、彼は?」
「ああ、気にしないでください。ただのクズですから。床に落ちていた汚らわしいゴミが気紛れに立ち上がっただけのことです。何ということもありません」
言われると思った! 絶対に言われると思ったが、本当に言われた! 
空気扱いされなかっただけ、まだましだと考えるべきか。空気か、クズか、どちらをとるか。二者択一。難しい問題だ。
しかし、次に待っていたのは、意外な反応だった。
「……そういう言い方は良くない」
ブルーは眉を顰めて言った。ジョミーと親密な関係にあるというからには、まともな社会人としてのマナーなど端から期待していなかったのだが、どうやらこの程度の良識はあるらしい。僕にとっては歓迎すべきことだ。
「でも……」
納得がいかない様子のジョミーを、ブルーは静かな声で窘める。
「いいかい。この世に『ただの』クズなんてものはないよ。クズはクズとしてクズなりに、存在する理由がある。たとえ目に見えず誰にも気付かれないほど些細でちっぽけなものだとしても、無意味なんてことはない。がんばって探せば、きっと何らかの意義が見出せる筈だ。その上でもやはり、無価値で無様でどうしようもない、手の施しようもないまでに救い難く、つまらないものだという風に感じられたとしても、それは仕方のないことだとして、受け容れる寛大な心を、忘れてはいけないと思わないか」
「はい…その通りでした!」
ためになる良いお話を聞いて、素直に瞳を輝かせるジョミー。とてもそういう感動的な気持ちになれないのは、僕が悪いのか。遠まわしな嫌がらせを受けているのは気のせいか。二人して悪質ないじめを働いてはいないか。どうなんだ。
「……あ、っ……」
僕の疑念が通じたわけでもあるまいが、小さく声をもらすと、ブルーの上体が、ぐらりと傾ぐ。自立を放棄して、崩れるように倒れ込む──寸前、滑るようにして、ジョミーの両腕がのばされる。華奢な身体を、ジョミーは慣れた動作で抱きとめた。寝台に片膝を乗り上げて重心を保ち、丁重に、かつ、しっかりと支える。文句のつけようがない、スムーズな動作だった。こんな繊細な動きが出来る奴だったのか、と少しばかり驚きを覚える。今朝がた、僕の腕を悪意を込めて無造作に掴んでいた奴のやることとは思えない。
貧血だろうか、目を閉ざしたブルーは力なく、ジョミーの腕に身を任せて、か細い呼吸を継ぐ。全身包帯だけに、苦しげなその様子は、見る者の胸を痛々しく締めつけた。その髪をそっと撫でながら、ジョミーは囁く。
「ブルー、大丈夫? 無理しないで、何か僕に出来ることがあったら……」
真摯な思い遣りに満ちた声をかけられて、ブルーはゆっくりと瞼を上げた。眩しそうにジョミーを見つめ、掠れがちな声を紡ぐ。
「心配は、……要らない。君がいてくれるだけでいい、僕は十分だ……これ以上、望むことは何もないよ。ただ、そうだね、君がそこまで言ってくれるのなら、無下にするのも逆に申し訳ないだろう。僕は、本当に、君と一緒にいられるだけで、他に何も要らないし、形がないと愛を信じられないなんてこともないし、君をとても大事に思っているけれど、ちょっと角のコンビニでハーゲンダッツ・ドルチェシリーズの新作を買ってきてくれないか」
「はい、喜んで! ブルーベリーチーズケーキですね!」
「ああ、それと、すまないが今、手持ちが心許ないんだ。君にこんなことまで願い出るのはとても心苦しいのだが……分かって欲しい」
「勿論、僕の財布から出しますよ! 当たり前でしょう、僕の身体も、財布も、あなたのものなんです。あなたが好きにしていいに決まっています。だからそんな顔しないで……すぐに戻ります」
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ。ついでにミニカップの抹茶ラテとショコラクラシックも貰えたらなお嬉しい。10分以内に頼む……では、行くがいい」
パシリだ。
いや、見方によっては確かに、情熱的に身体を求めていると言えなくもないが……かなり違う意味で。
背中を支えて、そっと寝台にもたれさせながら、ジョミーはブルーに言い含める。
「それじゃあ、もしこの男に変なことをされそうになったら、容赦なく撃っちゃって良いから。何もアヤマチがないことを祈っています。ああ、時間がない。じゃあ行ってきます!」
最後に振り向きざま、僕に指をつきつけて、「ベッドの半径1m以内に立ち入ったら、明日はないものと思え」と言い残すと、ジョミーはリフト方面へ通路を走り去っていった。
そして、広すぎる室内には、図らずも初対面同士が残されることになる。たいへんに気まずい状況だ。僕にどうしろというんだ。いや、どうもこうも、何もしないけれどね! 命惜しいし! 
「……さて」
呟くと、ブルーは寝台の上から僕を睨めつけた。
「クズを招いた覚えはないのだが……私を目覚めさせる者、お前は誰だ?」
寝起きだったらしい。頭の回転が鈍いわけだ。しかし、ジョミーが去った途端、その態度の変わりようはどうなんだ。赤い片目が据わっている。視線を、逸らすことを──許さない。
射抜かれかけるところを、僕はなんとか防ぎきった。
「誰だもなにも、そっちが会いたがったのでは。僕はジョミーの、……」
言いかけて、僕は口ごもった。なんだろう。知り合い? 遠すぎるか。でも友達じゃないよな。むしろ敵の方が近そうだ。暫し迷って、結局、
「……サッカー仲間のようなものだ」
ということに落ち着いた。微妙だ。ともかく、それでブルーは事情を把握したらしい。
「ああ、なるほど。そうだな、会いたがったのは僕だ。ジョミーがとても親しみを覚えているらしい相手がどんな男なのか、気になったから」
親しみ、か。遠慮がないというなら確かにそうだが、仲が良いとはとても言えないから、複雑な心境だ。
ブルーは感慨深げに続ける。
「サッカー仲間ということなら、君のことはこれから、『蹴球の男』とでも呼べばいいだろうな」
「なんだか一文字が惜しいことになっている!」
「ともかく、そんなところに立っていないで、もっと近くへ来るといい」
手招きするブルー。先の脅しを受けている僕としては、どうしたものか、戸惑わざるを得ない。
「いや……ジョミーもああ言っていたし、あらぬ疑いをかけられたくないし、これ以上は」
「あの子だって本気ではないだろう。僕がいいと言うのだから問題ない。……少々耳が遠いもので、距離があると疲れるんだ。それでも来てくれないか」
じっと見つめられて、そう言われては、従うのが筋というものだろう。本人がいいと言うのだから、いいよね。多分ジョミーは本気なのだと思うけれど、後でちゃんととりなしてくれるよね。
1mの誓約を犯して、僕は寝台のすぐ傍らに立った。ブルーは物珍しげに、こちらを上から下まで詳細に眺める。
「腹を庇っているようだが、痛むのか? なんならここに寝るといい」
身体をずらして寝台にスペースを空けようとしてくれるところを、これはさすがに辞退する。確かに寝心地のよさそうなベッドではあるが、この誘いに乗ってしまったら、色々な意味で人生が終わる気がする。
しかし、「痛むのか?」などと、先程の容赦ない暴力シーンを目にしておいて、よく他人事のように(実際に他人事ではあるのだが)言えるものだ。もしかして、肘打ちの決定的瞬間を、見ていなかったというのだろうか。視線は確かにこちらを捉えていた筈なのに。よほど寝惚けていたに違いない。
なお納得がいかないというように、ブルーは眉を顰める。
「けれど、辛そうだ。食あたりか?」
「いや、サッカー仲間の某Jくんによる物理的暴力の結果だ」
「そうか、ジョミーが……」
思うところがあるらしく、俯くブルー。
「あの子は手が早いところがあるから」
直情的だものな。ブルーはしみじみと目を閉じる。
「僕のときもそうだった。気付いたらベッドに押し倒され、あれよあれよという間に衣服を剥かれてしまった」
「何の話だ!」
手が早いってそっちの意味か! そういう手出しは、誓ってされていない! 
「腹痛を起こしてしまうなんて、ちゃんと後始末をしなかったのだね。初心者にはありがちなことだ」
わけの分からないことを言って、ブルーは独り、うんうんと頷く。少しは人の話を聞いてくれ。
というか、いきなり添い寝の許可とか、なんだこの異様なまでの距離なしは。彼にはパーソナルスペースという概念がないのか。恥じらいとかないのか。ないんだろうな。客人の前でいきなりあの格好だものな。
「初対面で、みっともない姿を見せたのは、すまなかったと思うよ」
思考を読まれていた。人の心に簡単に侵入しないで欲しい。
ブルーは物憂げに首を振る。
「昼夜を問わず、寝てばかりで、良くないことだと思う。目覚めてもなかなか頭が働かない。早く糖分を摂取出来ればいいのだが」
そのためのハーゲンダッツか。わざわざ買いに行かせなくても、マルチパック・ブルー辺りを常備しておけば良さそうなものだが、この部屋には冷凍庫がないらしい。しかしアイスを食べて寝てばかりの生活で、ヒトは健康的にやっていけるものなのだろうか。それ以前に、この異空間の主に対して「健康的」という形容ほど似合わないものはないような気もする。強く押したら壊れそうな、頼りない身体だ。寝台から自力で下りることが出来るのかどうかも怪しい。
その細い腰で、自重を支えられるのか。折れそうな腕は、満足に力が入るのか。考えながら何気なく見つめていると、ブルーは躊躇いがちに口を開いた。
「そんなに、……見ないでくれないか」
消え入りそうな声。隠すように、自らの肩を抱いて俯く。伏せた睫を震わせ、恥辱に耐えて身を竦め、……あれ、気付かぬ間に、一方的に視姦したことにされている? 待ってくれ、誤解だ。そんな反応はやめて欲しい。じろじろと見てしまって、不躾だったのならば、もう視線を外すから。距離なしなのに視線には敏感なのか。対応が難しいじゃないか。
困惑していると、ブルーは小さく笑った。今度はなんだ。
「……こんな風に、肌を舐めるような熱い視線を浴びるのは久しぶりだ。僕の何がそんなに君の琴線に触れるのか、参考までに教えてくれないか」
照れられてしまった。嬉しいらしい。熱い視線というよりは、痛ましい思いでニュートラルな視線を送っていたつもりだったのだが。ノンバーバル・コミュニケーションだって受け取り方次第で多様な解釈を生むことに変わりはないといえ、よほど自らの魅力に自信があるらしい。そして何の参考にするつもりだ。
「最近の若者の性的嗜好を把握しておきたいんだ」
「別に萌えてはいないよ! 参考にならないと思うよ!」
包帯で寝たきりの姿に萌えるなど、不謹慎に過ぎるだろう。寝台とその主は、怖いくらいに白い調和を保っているが、彼だって好きで包帯やシーツが似合うわけでもあるまい。
ブルーは訝しげに首を傾げる。
「なに? これでは物足りないというのか……君もマニアだな。では、どうすればいい、プラグスーツか? ナキネズミ耳つき補聴器か? 全裸に白衣か?」
「誰がオプション付けて欲しいなんて言った! どれも却下だ!」
勝手に妙な嗜好を認定されては堪らない。懲りた様子もなく、ブルーは、「そうか。君は萌えない性質なのだな。萌えないゴミ。実につまらないことだ」と独りごちる。つまらなくて悪かったな。ここは怒るべきところなのかも知れないが、それはそれで「見くびるな。僕は綾波に萌える!」と宣言することになっても困るので、ぐっと堪える。
というか、そんなに萌えて欲しいのか……? よくよく把握しきれない相手だ。
「では、何か気になることでもあるのかな。話してみたまえ。相談に乗ろう」
改めてこちらに向き直ると、ブルーはまっすぐに僕を見つめて言った。
気になること。目の前の人物について、それはいちいち挙げるのも面倒なほどにありすぎる。しかし、本名も明かさない相手に対して、出自など尋ねてみたところで、多分無意味だろう。
暫し思いを馳せて、結局僕は、気付かぬ振りをするのも不自然だろうということで、誰しもの注意を真っ先に引くであろう、その外見上の特徴について問うことにした。どういう身体事情なのか分からなければ、対話するにも躊躇いが先立ってしまう。見たところ、包帯の量からして重傷っぽいが、仕草や表情に怪我人ならではの特徴は表れていない、不可解な様相だ。どう扱ったものか、判断し難い。
ならば直接尋ねようと、僕は出来るだけ非礼にならないように問うた。
「……その、格好とか」
「ああ、気遣いは不要だ。別に怪我をしているわけではないんだ。仮装、いわゆるコスプレというやつだ」
日常的に、包帯コス。どうなんだそれ。今まで、怪我人への配慮として、一歩引いた大人しめの姿勢をとっていた僕であるが、それを通り越して、一気に引いた。その反応に気付いてか、ブルーは付け加える。
「勘違いしないで欲しい。何も僕がそういう嗜好を持っているわけではない」
そうなのか。それは良かった。趣味でやっているのだったらどうしようかと思ったところだ。さすがにそこまでは極めていないらしい。安心する。
そうだ、勝手に誤解してはいけない。きっと何か正当な理由あってのことなのだろう。僕は浅学にして、包帯コスをしなければいけない、もっともな事情というのが一つも思いつかないが。
ブルーは平然として続けた。
「僕の趣味ではなくて、ジョミーの趣味だ」
「…………」
「こういう格好が萌えるとか、燃えるとか、なんとか。彼が喜ぶと僕も嬉しいから、協力している」
「若いうちからそういう色ものプレイに走るのはどうかと思うよ!」
倦怠期に入ってマンネリを解消するためにするものだろう、そういうのは。二人して楽しんでいるのだから、どちら側の趣味でも同じことだ。出来れば、もう少し一般的なところにしておいて欲しかったが。こういう格好を嗜好するというのは、何か心の底に根深いものがありそうで、どう扱ったものか悩ましい。
「こう、包帯が解けたりしていると、」
言いつつ、ブルーは腕を持ち上げた。細い手首から肘に緩く包帯が絡んでいる。もう片手でそれを軽く撫でて、気だるく呟く。
「……欲情してこないか?」
「そんなこと訊かれても!」
伏し目がちに溜息混じりに切なく呟く台詞では、少なくともない。
「やれやれ。無粋な男だ。それではいったい、君はどんなコスプレが好みだというんだ」
「コスプレから離れてくれ!」
「コスプレ・プレイか。略さずコスチューム・プレイ・プレイというと、プレイが二回登場するためか、とてもアクロバティックでドラスティックでバイタリティに溢れた活動を展開しているプレイのように感じられないか」
「プレイプレイと連呼しないでくれ。ゲシュタルト崩壊しそうだ」
「PSPというのはプレイ・ソルジャーズ・プレイ(ソルジャーごっこ)の略と聞いたが、本当か?」
「その面白い新説を提唱した奴の顔が是非とも見たいな」
「10分もすれば戻ってくると思うよ」
……いつの間にか、いつもの調子になっている。とても初対面と思えない。これも、距離なしな相手の言動のゆえだろうか。巻き込まれるようにして、一気に距離を縮めてしまった気がする。
顔合わせを命じられてから、事前に様々な想像を働かせて、あらゆる事態をシミュレートし、緊張して身構えて、とうとう出会った、ブルーは、こういう人間だった。
絶対に、影響を受けている。そう確信した。
同じ14歳の少年として、あれが平均的であるとは思いたくない、過激な発言が次々と飛び出すジョミーの精神構造は、明らかに、ブルーの影響を受けている。これほど濃厚な人間の傍にいれば、気付かぬうちに染まるのも当然だろう。
自らを指導者と称し、暴君の如き振る舞いをするジョミーであるが、それならば、彼にとってブルーは──ただ一人、前に立って己を導く、指標なのかも知れない。
導かれた結果、ああいう人格が形成されてしまったのは、少々問題だと思うけれど。人生の師はよく選んだほうがいい。












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