saihate no henkyo >> 地球へ…小説



単純接触効果 プライマリ / Sugito Tatsuki






-1-








彼の寝室の入り口から続く、闇に浮かぶような一筋の道を歩く。目指す柔らかな乳白光、その下に彼は待つ。これからの行為に妨げとなるマントと白の上衣は既に外し、身体に密着する黒の上下だけを身に纏っている。(ソルジャー)を彼たらしめる記号が取り払われ、そうしているとあたかも自分の配下で働く若者たちと変わりない様で、いつもながら奇妙な感覚を得る。

以前、彼がいつも通りのあの格好のままで行為を始めた時、自分の不手際で――その純白の衣装に、彼の血液が伝い落ちて台無しにしてしまったことがあった。決して拭い去ることの叶わぬ赤い飛沫が布地に浸透していく様は、その価値とされる神聖さを損なわせてしまった、取り返しのつかぬ己の罪を証しするように、鮮烈なイメージとして強く記憶に焼き付けられた。
その反省から、以降彼には、特別な装飾の施された地位ある者として纏う衣装は外した上、離して置いておいてもらうことにしている。本心を言うのならば――彼はあの衣を纏う姿が一番美しいから、そのままで触れさせて欲しい。華奢な身体を隙無く包み護る重ねられた衣服の間に手を差し入れ、探り、触れる、目的を達するまでの過程の長さと障害の度合いに比例して、得られるカタルシスは大きいものとなる。

思い耽るうちに彼のもとへ至る。互いに無言のままに、自分は携えて来たキャリングケースをサイドテーブルに置いた。彼は自分が訪れる頃合いも目的も承知しているし、この後の展開についても今更何を言わずとも良い。ただ、思念すら交わさずにいるのは、彼が少なからず気乗りしないという消極的意思表示であるが、この場面に限ってはその思いは尊重されない。彼はあくまで自分に身を任せる、逆らってはならない、とそれがここでの行為の際のルールだからだ。

「――失礼致します」

寝台の端に腰掛けた彼に向かい合って立ち、背をかがめて、両手でその頬を包むように触れると、無意識にか彼は僅かに顔を上げる。彼はいかなる時、いかなる者に対しても臆することなく、相手がいたたまれなくなる程まっすぐに目を合わせるから――こんな場合であっても例外ではない――至近距離で見つめ合う形となる。 部下たる者があたかもある行為の意図をもって、ベッドサイドで主君の顔を上げさせる――傍から見れば危険な図だ。勝手に浮かぶ邪な想像を追い払うよう努める。

ともすれば暫しこのまま、視覚と触覚で間近に彼を捉えていたいが、不審に思われることは間違いないので、名残惜しいながらも本来の目的に移る。
頤から頬にかけて沿えていた両手をやや下方にずらし、薬指と小指が丁度首筋を辿るように、後頭部へとすべらせる。彼は目を伏せる。このまま抱き込んでしまいたい欲求に駆られるのを踏み止まるのは容易ではなかった。やや癖のある柔らかな髪を撫でる。その感触の中、異質として捉える冷たく無機的な硬質の手触り――補聴器に指をかける。
大仰なそれは彼が要する特殊な機構を備えるために、どうしても小型化に限界があり、外耳の形状に沿って装着する一般的な機器のようにはいかず、その重量を支えるためオーバーヘッドバンド方式で固定している。彼は管理と調整のために不可欠な時間を除いて、殆どいつもこれをつけ放しにする。加速的に聴力を失うのではないかと、人々からの懸念の声もあるが、彼は自らに残された感覚を常に捉えていたいと、あくまで己の信念に従う。

クランプ圧に対してやや力を込めた指先でもって、髪を挟んでしまわぬよう注意しつつ、それなりに重量のある機器をずらし、頭から外すため持ち上げる。指をすべり掠めていく髪がくすぐる柔らかな感覚が離れていくのがどこか残念だ。彼の色、すなわち我々の象徴たる色、色相と彩度を持たぬ色、白を基調としたそれを静かにサイドテーブルに置く。
一連の動作は毎回繰り返す儀式だ。自分で出来る、といつ言われるかと思っていたが、何故か今まで特に何も言われなかったので――多分、自分がこの一時に特別な感情を抱くことに気付かれている――これが慣例となっている。すなわち自分が彼のもとを訪れ、その補聴器を外すところから始める。

それを外された彼はどこか落ち着かぬ感覚を得ているようだ。当然だろう、身体を休める間さえ頭部を圧迫するそれを外さないのだから、正に身体の一部といって良い。常日頃、覆い守られている部位をさらす違和感は拭えないだろう。そして、彼の世界は途端に静寂に包まれる。感覚が失われることで自身が希薄に感じられ、現実感を手放してしまうことを何より恐れる彼にとって、だからきっと、聴覚刺激を受容出来ないこの状態は心に少なからず不安要素を生じさせるのだろう。
早くしろと、言語化されない思念が伝わる。その様がどうにも愛しく感じられ、表情が緩みそうになる自分を戒める。彼にとって事は重大なのだ、こんな思い――伝わってしまって、あの瞳に睨みつけられるのも悪くはないが――空想していると、彼に呆れた目を遣られた。どうやらまた、見通されてしまったらしい。

彼の隣に並んで腰を下ろす。沈み込んだ寝台が小さく軋み音をたてた。彼の視線は足元辺りに落とされている。瞬きのたび目立つ長い睫の影が落ちるその面に、やや伸びた前髪が表情を隠すようにかかる。憂いに沈むようなその静かな横顔は、どうしようもなく庇護欲をかき立てる。心臓がどれほど鼓動を激しくしようとも彼にその音が聞こえてしまうことはないのが救いだ――尤も、思考を読まれては何の意味もないが。

髪の間からのぞく彼の耳に触れる。ぱさぱさとかかる色素を持たぬ髪を払い、探るように首筋へと連なるその形をなぞると、反射的に首をすくめた彼に『動かないで下さい』とあくまで感情を排した思念で告げる。彼は言葉を返しこそしなかったが、代わりに両手で強くシーツを握った。毎回決まりきった行為なのに、いつも初回のような過敏な反応を示すものだから、つい余計なことまでしたくなってしまう。何せ彼に堂々と触れることを許される貴重な機会なのだ。

彼は、触れたいと思わせる。
色素の欠落が生んだ汚れなき白は触れることを禁忌と感じさせるが、同時に透明な瞳はその奥に流れる血潮を生々しくもそのままに映すから、その強烈な対比がもたらす効果は見る者の情動を乱してやまない。自分もまた、そのようにして心奪われた者の一人だ。

髪に指を差し入れて梳く。触れるか触れないかで耳朶の裏を撫でる。首筋にまで指を伝わせる。彼は身を固くして懸命に自制に努めるけれど、どうしても過剰に反応して肩を震わせてしまう。それでも好き勝手にさせて貰っていると、我慢の限界に達したらしい。
執拗に刺激を与える指から逃れ、情動の乱れを払うように頭を振ると、こちらに向き直り、その射抜くような瞳をつきつける。透明な瞳の表面は濡れて潤み、一層その映す赤を輝かせている。何よりも雄弁に彼の生理的状態を物語るその様に、ああ、どうやらかなり昂らせてしまったみたいだ、と思う。

『もういい、自分でする』

彼の情動のにじんだ思念の声が響く。彼は身体を休ませている時の他は基本的に声帯を用いたコミュニケーションを行なうが、補聴器を外されると発声の勝手が掴み辛いらしく、専ら思念のやりとりを行なうことになる。
非活動的で物静かそうに見えてその実、直情的なところのある彼の手が、それをよこせとキャリングケースに伸ばされるが、手が届く前に自分が頭より高く持ち上げてしまったため、ただ空を切るに終わった。まるで子どもから物を取り上げるようだ、と内心思うが、そんな非礼ともいえる扱いを受けた当の本人は気付いていないらしく、不満気ながらも諦めて元の体勢に戻った。

『はっきり言わせていただくと、私はあなたよりは器用です』
『解っている、だから早く済ませてくれ』

他人にはこの役目を代わりたくないし、彼自身に任せたくもない。別に独占欲からだけで思うのではなくて、彼は少々、自分自身のことについては杜撰なところがあるからだ。




[ next→ ]















back