贖罪の部屋 3
──どれほど経っただろう。いつの間にか、アルミンの声が、聞こえなくなっていた。そろそろと瞼を上げて、ジャンは、自分の両手の中に囚われた細い手首を見つめた。アルミンの両腕は、とうに、力を失って、だらりと投げ出されていた。おそるおそる、力を緩めても、ぴくりとも動かなかった。もう、あの震えは、止まっていた。
「気絶しちまったか。折角、顔に掛けてやったのに」
兵士の声に、見れば、アルミンの身体は、腕と同様に、すっかり力が抜けてしまっていた。震えることも、縮こまることもない。ぐったりと横向けた顔は、乱れた金髪が落ちかかって、表情が見えない。さらさらときらめいていた筈の髪は、何かの液体で濡れて、べっとりと頬に張り付いていた。
「……っ」
思わず、ジャンは身を乗り出していた。肩を揺すろうとして、しかし、伸ばし掛けたところで、手を止める。この手で、お前はアルミンに対して、何をしたかといって、糾弾する声が聞こえる。アルミンの苦痛を、悲鳴を、絶望を、押さえ込んで握り潰した、この両手で、今更、触れることなど、出来る筈もなかった。代わりに、懸命に呼び掛ける。
「っ……アルミン、……おい、アルミン、」
呼び掛けに反応して、肩が小さく震える。意識はあるらしいことが知れて、ジャンは胸の内で安堵の息を吐いた。見ていると、濡れた唇が、微かに動く。何かの言葉のかたちに開いて、しかし、音を紡ぐことはなく、力ない吐息がこぼれ落ちる。
何を、言おうとしている──うわごとか、それとも──引き寄せられるようにして、背を屈め、ジャンは耳の神経を集中させた。はぁ、とアルミンは深く息を吐いて、そしてもう一度、同じ形に、唇を動かした。
「……エレ、ン」
紡ぐ声は掠れて、今にも、かき消えてしまいそうだった。しかし、聞き間違えようもなく、はっきりと、耳を打った。ジャンは、思わず瞠目する。身体を起こすことも出来ずに、細い息を継ぎながら、アルミンは、彼にとって特別な友人の名を呼んだ。その意味を、ジャンが審議するより早く、憲兵の耳障りな笑声が思考を遮る。
「エレン、だってよ。聞いたか? こいつは傑作だ」
「あの巨人の坊主か。そんな仲だったとはな」
一人が、アルミンの顔を、無造作に上向けさせる。苦鳴をもらすアルミンを、面白がるように揺さぶって、男は下卑た笑いを浮かべる。
「お前、巨人と交わったのか。さぞかし、ぶっといので悦ばせて貰ったんだろ。壊れずに済んで、良かったなぁ」
「そりゃあ、並の人間相手じゃあ、満足出来ねぇってもんだ」
違う、とジャンは叫びたかった。彼らは、幼馴染の親友同士であって、何ら、兵士どもの想像するような、いかがわしい関係にはない。確かに、いつも必要以上に、べたべたとつるんでいるように見えるが、それも、幼い日に故郷と家族を失った、強烈な体験を共有し、同じ志を抱いていればこその、強い絆のゆえである。そんな彼らの関係を、下卑た想像で汚されたくはなかった。訓練兵時代のいざこざはともかく、今となっては、二人はともに、かけがえのない、ジャンの仲間だからだ。こんなかたちで、二人を侮辱されるのは、耐え難かった。
今、アルミンがエレンの名を口にしたのだって、そう深い意味はない筈だ。そうに決まっている。もしも、男どもの言う通りなのだとしたら、という万が一の可能性を、ジャンは、懸命に頭から振り払った。ともすれば、それを想像してしまいかねない自分を、分かっていたから、頑なに拒絶した。それだけは、超えてはならない、一線であると思った。
その間にも、一人の兵士が、ふと思い立ったように口を開く。
「なあ、巨人とやっちまうなんて、こいつは、人類に対する重大な反逆じゃないか? 黙って見過ごすわけには、いかねぇよなあ」
煙草を咥えた男の一言に、仲間たちは、すぐさま意図を察したようだった。ぐったりと倒れ伏すアルミンを、一人が抱き起こし、背後から膝の上に抱える。
「ほらよ、よく見えるだろ?」
男は、膝の上に乗せたアルミンの脚を掴み、大きく左右に開かせる。濡れ光る小さな秘所があらわになり、つぷ、と中から何かが滴り落ちるのが見えた。力ない少年の哀れな姿を、男どもは、愉悦の表情で眺めまわした。
「アルミンちゃん、ちょっと身体がきれいすぎるね。もっと、男の子らしくしてあげるよ」
男は指先に煙草を挟むと、自然な所作でもって、それをアルミンの内股へと導いた。しなやかな白い大腿に、男は優しげに、赤々とした火をなすりつけかけ──しかし、次の瞬間、室内に響いたのは、アルミンの甲高い悲鳴ではなかった。その代わりに、上がったのは、鈍い打撃音と、くぐもった呻き声である。
「っ、てぇ……!」
苦鳴をもらす男の手が、煙草を取り落とす。それは、アルミンの皮膚を焦がすことなく、そのまま床へと転がった。男は暫し、何が起こったのか理解出来ない様子で、煙草を取り落とした片手を押さえていたが、ようやく頭が回転し始めたのだろう。みるみるうちに、顔を紅潮させる。
「……てめぇ、何しやがる!」
射殺すばかりにジャンを睨めつけ、男は忌々しげに怒鳴った。ここからというときに、横合いから手首を蹴り飛ばされたとあれば、それも当然であろう。絶対的優位から、一方的に獲物どもをいたぶり、愉悦の頂点にあったところで、よりによって、軽視していた獲物の一匹から反撃を受けたのだ。弄んでいたネズミに指先を噛まれるにも似た屈辱は、選民意識の塊である憲兵にとっては、とうてい、耐え難いものであるに違いない。
「っは……こっちの台詞だ、…」
仲間の肌が焼かれる間一髪のところで、男の手を蹴り飛ばしたジャンは、皮肉げに唇を歪めてみせた。それは、挑発としては、この上なく効果を発揮した。一瞬にして、標的を完全に移行した兵士の膝蹴りが、腹にめりこむ。ぐ、とジャンは苦悶して床に崩れ落ちた。蹲りかけたところで、髪を掴まれ、無理矢理に顔を上げさせられる。
「いい度胸だ……死にたいか?」
低く呟くや、男はジャンの顎下に、銃口を押し当てた。ごり、と骨が鳴った。不思議と、ジャンの胸に、恐ろしいという思いはなかった。撃ちたければ、撃てば良い、と思った。己の行動に、何ら、後悔する点はなかった。我ながら、馬鹿なことをしたものだとは思うが、黙って見過ごすよりは、ずっと良い。そんな風にして、人間性を捨ててまで、この場をやり過ごしたところで、いったい、何が残るというのか。奥歯を噛み締めて、ジャンは覚悟を固めた。がちり、と重い振動が、銃身から顎に伝達した。
「やめておけ、後々面倒なことになる」
そこで、兵士のひとりが止めに入っていなければ、あるいは、その場でジャンの頭は吹き飛んでいたかも知れなかった。仲間に諌められた兵士は、それでもまだ、治まらぬというように、銃を下ろそうとはしない。
「しかし、……」
「こういう奴には──丁度良い『仕置き』があるだろう?」
意味深げな仲間の言葉に、兵士は、口にしかけた文句を押し止めた。憎々しげにジャンを睨めつけ、それから、唇を歪めてせせら笑う。
「……は。命拾いしたな」
手垢のついた捨て台詞とともに、男は銃口を引き戻した。ひとまず、難は逃れたといって良いだろう。限界まで張り詰めていたジャンの緊張の糸が、ふっと緩む。その瞬間を、狙っていたのだろう。兵士は素早く銃身を反転させ、台座を振り下ろす。狙いを違うことなく、それはジャンの鳩尾を強打した。
「ぐ、っあ……!」
腹にめり込む一撃に、肺腑から残らず空気を吐き出して、ジャンはその場にくず折れた。内臓の潰れたような鈍痛に、声もなく身を縮める。まともに息継ぎすら出来ない。じわり、とこめかみに汗が滲んだ。床の上で、びく、びくと全身を痙攣させる、哀れな獲物を見下ろす兵士どもの、愉悦の視線を感じた。
こんな程度の痛み、なんてことはない──ジャンは懸命に、己に言い聞かせた。殺されはしない、ということは、既に分かっている。奴らにしても、それくらいの自制心はある。大事にならない範囲内で、精々、憂さ晴らしに腹を蹴られる程度のことだ。苦痛でないといえば嘘になるが、衝撃を逃がす術は心得ている。堪えられる──ここは堪えて、後々、こいつらに、しかるべき報いを与えてやる。痛みにかき乱される頭で、ジャンは己を鼓舞した。
だが、ジャンは見過ごしていた。外傷を残さずに、苦痛と屈辱を与える方法は、腹を殴るだけではないということを。目の前で、アルミンが何をされたかということを。この上なく有効な、口封じの方法を。その一部始終を、ジャンは見ていたというのに、自分が標的となる可能性については、最初から除外していた。
兵士の言う、「きつい仕置き」が何であるのか。容易には屈服しない、脅しにも怯えない、痛みに耐える覚悟がある、そういう相手の自尊心を打ち砕くのに、効果的な方法が、何であるのか。その意味を、ジャンに理解させたのは、頭上から降る高圧的な声であった。
「おい、ズボンを下ろせ」
「っ……」
ジャンは低く呻いた。身体を動かすことが出来ない。動かせたところで、そんな命令に、黙って従えるわけがなかった。舌打ちをすると、兵士は、脱力したジャンの上体を引き上げた。脇腹に痛みが走り、ジャンは苦鳴を堪えた。羽交い締めにされたと思うと、ベルトに手を掛けられる。
「役立たずでも、せめて、これくらいは愉しませてくれねぇとな」
瞬間、ジャンは男の意図を悟った。忌まわしい、男どもの滾る欲望と、それに貫かれ、哀れに息喘ぐアルミンの姿が、一瞬にして、脳裏を駆け巡った。喉が勝手に、ひきつった音をもらす。
「ひ、っ……」
まさか、自分もあんな目に──恐怖と嫌悪感に、身が一気に縮み上がった。
嫌だ、と胸の内で叫んだ。男に組み敷かれ、内奥を犯される、そんな屈辱を受けるくらいならば、死んだ方がましだった。たとえ銃口をつきつけられようと、死ぬ気で抵抗するしかないと思った。アルミンのように、大人しく股を開くことなんて、出来るわけがなかった。
アルミンのようには──いかない。あいつと俺は違うのだ、とジャンは奥歯を噛み締めた。
兵士どもも言っていた、アルミンはこういう行為に慣れている、と。上手くやり過ごす術も心得ているのだろうし、本人も、男どもの欲望の対象になることについて、諦めがついている筈だ。だから、平気でいられる。普通ならば、死んだ方がましに思えるようなことをされても、アルミンは、堪えられる。最初から、小さくて弱い奴だから、へし折られるような矜持もなく、何をされたところで、これ以上、屈辱を感じることもないのだ。
あるいは──本人もそう、嫌がってもいないのかも知れない。アルミンは最初から、抵抗らしい抵抗もしなかったではないか。そして、乱暴に犯されながら、気持ち良い、と言って喘いでいた。あれは、脅されたからというだけではなく、正直な感想だったのではないか。アルミンは、明らかに興奮していた。こういう行為に、慣れていて、好きなのだ。そうでなかったら、無理強いの行為で快感を覚える筈がない。そうだ、とジャンは恐慌に支配された思考で結論付けた。
男どもの慰み者になるために生まれてきたような、そんな奴と、自分を一緒にされては、たまらない。やるなら、こいつだけにしてくれ、と言いたかった。抱かれ慣れているこいつと違って、自分は真っ当な男としての誇りがある。それだけは、何としても、守らなければならない。
アルミンのせいだ、と思った。こいつが、容易く身体を開くから──こちらにまで、火の粉が降りかかってきたではないか。どうして、こんなおぞましい行為に、自分が巻き込まれなくてはならない。どうして、ここに留まることを望んでしまったのかと、ジャンは過去の己を殴り倒したい気分になった。こんな目に遭うくらいなら、格好をつけずに、逃げ出しておくのだった。アルミンを差し出しておけば、憲兵どもも、きっと見逃してくれただろう。
どうする、どうすれば自分を助けることが出来るかと、ジャンは懸命に思考を廻らせようとした。しかし、むやみに心臓が鳴るばかりで、ちっとも頭が働かない。
声もなく、血の気を引かせるジャンが、何に怯えていることか、兵士どもには容易に想像がついたのだろう。哀れな醜態を、にやついて見下ろす。
「安心しろ、誰もお前を犯りゃしない──それより、」
ぐ、とジャンの頭を掴んで、憲兵は無造作に揺さぶった。顔を近寄せて、愉快気に告げる。
「お前、エレンとやらの影武者だったな。背格好と顔つきが似ている、とか。どうだ、ひとつ、こっちの方も似てるのかどうか、試してみるってのは」
「な、ん……」
男の提案を、ジャンは、すぐには理解することが出来なかった。茫然とするジャンの目の前で、おい、起きろ、と兵士は躊躇いなく、アルミンの頬を張った。小さく呻いて、アルミンは瞼を震わせる。
「ほら、交代だ。しっかりやれよ」
「っ……う、」
交代──自分が、誰との交代で、何をさせられようとしているのか。ジャンは、否応なしに、理解させられた。
自分が尻を差し出すのではないということが分かって、まず抱いたのは、安堵だった。最悪の想像をしていただけに、良かった、と心から思った。その代わりとして告げられたのは、とうてい、受け容れ難い提案であったが、それでも、まだましだ、と思ってしまう自分がいることを、ジャンは否定出来なかった。どうせ、アルミンの中は、もう汚されている。もう一人分、増えたところで、さしたる変わりはあるまい。圧し掛かる罪は軽い。そう、思ってしまった。これで、許されるのならばと、思ってしまった。下腹部が、熱く疼くのを感じた。
最低だ、と思った。最低の下衆野郎だ──自分は。
自分の身が危ういかと思われたとき、アルミンに対して、何を思ったか。自分の身かわいさに、どれだけ、アルミンを貶めたことか。思い返すだけで、ジャンは、胸が抉られるようだった。どうして、あのような、胸糞悪い、身勝手な理屈を振り翳せたものかと、吐き気が込み上げる。もしも、同じことを他の誰かが口走ったとしたら、その場で殴り倒してやるところだ。
混乱していたのだから仕方が無い、本心ではなかったといって、なかったことには出来ない。あれが、ジャンの包み隠さぬ、正直な本心だったのだ。己の内にあった、忌まわしいものを、掘り起こして見せつけられたようで、愕然とした。アルミンがどれだけの苦痛を受けたことか、ジャンはその細い手首を掴みながら、一番近くで感じていた筈だった。汚されていくアルミンの姿に、身が切られるような思いがした筈だった。仲間なのだから、相手の痛みを自分の痛みとして感じるのは、当然のことだと思った。
しかし、それらは、まやかしに過ぎなかった。アルミンの痛みは、屈辱は、所詮、アルミンのものでしかない。ジャンのものではない。自分は少しだって、アルミンの痛みを理解ってなどいなかったのだと、ジャンは思った。いざとなれば、簡単に切り捨て、貶める。それが、分かってしまった。
忌まわしい、恥ずべきものは、自分だと思った。仲間に対して、そんな風に思ってしまえるなんて、周囲の下衆野郎どもと、何も変わらない。お前は最低の人間であると、眼前に、突きつけられたようだった。
それを、なんとか否定しようと、ジャンは躍起になった。違う、自分はそんな人間ではない──それを、行動で示さねばならない。首を振って、懸命に抗う。
「っざけんな、んなこと……出来るわけ、」
「それにしては、こちらはもう、準備万端のようだが」
ライフルの尖端が、ぐり、と下腹部を探る。ぐ、とジャンは息を詰まらせた。
「やめろ、っ離せ、離せ……!」
「初めてなんだろ。こっちは、やりたくて堪らねぇって主張してるぜ」
嘲笑に、かっと頭に血を上らせて、ジャンは叫んだ。
「しねぇよ! お前らとは違う……!」
そうだ、こいつらとは違う──この腐りきった連中と、自分は違う。決して、同類にはならない。その一線だけは、越えてはならない。違う、違うと、ジャンは胸の内で繰り返した。
頑なな抵抗に痺れを切らしたか、兵士の一人が、苛立たしげに舌打ちをする。
「おい、自分の立場が分かってるのか? それとも──調教が必要か」
「っぐ……っ」
ジャンは息を詰まらせた。熱を抱いた下腹部を、ブーツの踵で踏み躙られたのだ。声にならない声をもらして、その場に蹲る。情けねぇなあ、と哂う兵士の声が聞こえた。頭蓋はどくどくと脈打ち、目元が熱くなる。痛みのためか、屈辱のためか、それとも──認めたくはないが、興奮のためか。
「ジャン、……」
己の名を呼ぶ、か細い声に、ジャンははっとして顔を上げた。いつの間にか、ぼんやりと目を開けたアルミンが、寝台の上から、こちらを見つめていた。そればかりか、ぎこちなく、両腕を広げてみせる。
「……来て、」
無抵抗の意思を示すように、四肢から力を抜いて、アルミンは一言、そう告げた。何を言っている──信じ難い思いで、ジャンは呻く。
「……アルミン、」
「挿れて……奥、まで、欲しい……、もう、辛いよ、……」
途切れがちに訴えながら、その言葉を証するように、細い指が、そろそろと自身の下腹部を伝い下りる。男どもに弄ばれ、どろどろになって濡れ光るその箇所を、アルミンは、ぐ、と指先で押し広げた。生々しい肉色が覗いて、ジャンは思わず、唾を呑み下していた。心臓が、大きく鳴った。
「ほら……見て、こんなに、」
閉ざされた内奥へと、細い指が、ゆっくり潜り込む。アルミンは、高く喘いだ。
「っ、あぁ……! エレン、エレ、……っ」
身を捩り、抗うように首を振りながら、アルミンは、己の内奥へと、柔肉をかき分け、指を埋め込んでいく。兵士の一人が、ひゅう、と口笛を吹いた。男たちの視線を浴びながら、自分自身を犯す──その異様な光景から、ジャンは目を逸らすことが出来なかった。
「や、……ぁん、もっと……気持ち、い……」
憑かれたように、リズミカルに指を前後しながら、エレン、エレンと、切なく呼び求める。くちゅ、くちゅと、自分自身の身体を使って、アルミンがそんな行儀の悪い音を立てていることを、ジャンは信じられなかった。あんな卑猥な動きをするものが、アルミンの指であるわけがないと思った。あんな風にエレンを呼ぶのが、アルミンの声であるわけがないと思った。そうであって、良い筈がなかった。
「……やめろ、……っやめてくれ、アルミン……」
声を震わせる、ジャンの懇願は、届かない。呼吸と指の動きは、連動して次第に速まり、腰が淫猥に揺れ動き始める。
「あっ、あぁ……もっと、奥、ん…足りな、……っ」
「ほら、物足りないって言ってるぜ。さっさと突っ込んでやれよ、かわいそうだろ」
囃し立てる兵士の声が、遠い。胸の内で叫ぶ。やめてくれ、やめてくれ──ふらりと、ジャンは立ち上がっていた。足を引きずるようにして、寝台へと近づいていく。
「はっ、ぁん、エレ、──」
自分で自分を慰める、アルミンの手首を、ジャンは、無言で掴んだ。ずるりと、引き抜いてやると、アルミンは、あ、と小さく声をもらした。
──もう、やめてくれ。
心の中で呟いて、ジャンは寝台の上に膝立ちとなった。しなやかに引き締まった、アルミンの細い両脚を抱え上げる。さんざん弄ばれた秘所は、赤く腫れ上がり、粘着質な滴を滴らせている。そこへ、ジャンは己の欲望の尖端をあてがった。小さく、息を呑む音が聞こえた。
「あ、ぅ……っ、ジャン、……っ」
応えて、名を呼んでやることは、出来なかった。代わりに、蕩けた柔肉を押し広げ、少しずつ、腰を沈める。アルミンの中は、熱く湿って、ジャンを歓待した。しっかりと咥え込もうというように、切なく尖端を締めつけてくる。包み込まれている、と感じたら、もう、堪えられなかった。閉ざされた内奥へ、ず、と突き入れる。びく、とアルミンの下肢が震える。
「っう、…! 待っ、て……ジャン、っ……」
「おい、違うだろ。こいつは、『エレン』だ」
見物する兵士からの悪趣味な指示に、アルミンは、一度、ぐ、と唇を噛んだ。きつく目を閉じ、顔を背ける。僅かの逡巡の後、薄く開いた唇は、震える息を吐き出した。
「……エレ、…エレン、大きっ……ひ、ぐ……」
嗚咽交じりに、アルミンは、ふるふると首を揺らす。押し開かれた両脚は、かわいそうになるくらいに、小刻みに震えている。そうさせているのは、ジャン自身だ。このまま進めば、間違いなく、もっとひどいことになる。どうする──今ならば、まだ、引き返せるのではないか。アルミンのきつく瞑った目元から、ぽろぽろとこぼれ落ちる滴が、ジャンの内に躊躇いを生じせしめた。そうしている間にも、アルミンの中は、固く締まって、奥への侵入を拒む。どうしたら、この先を拓けるのか、ジャンには分からなかった。急かされるように、むやみにアルミンの腰を揺すり立てる。
「くそ、……入らねぇ、」
「っあ、だ、め……待って、まだ……ゆっく、り、……っ」
眉を寄せて苦悶しながらも、アルミンは、何とか呼吸を整えようとしているらしかった。誘っておきながら、準備が出来ていないとは、どういうことかと、ジャンは憤りを覚えた。強引に押し進めようとすれば、小さな身体が怯えたようにひくりと震え、ジャンを咎める。退くことも進むことも出来ずに、ジャンは立ち往生した。
進めなくなったジャンを、見物していた男たちは、怖気づいたかといって失笑する。
「さっさと全部、挿れちまえよ」
「びびってんじゃねぇの。なんせ、初めてだからなぁ」
かっ、とジャンは頭に血が上るのが分かった。馬鹿にしやがって──屈辱を噛み締めながら、ぐ、と腰を引き寄せた。
「っざけんな、……!」
「く、ぅあ……! ぁ、ぐ……っ」
最早、躊躇うことなく、無理やりに突き入れた。入るかどうか、分からなかったが、力ずくで、押し込んでやった。自分の下で、細い身体が跳ね上がり、抗うように身を捩るのが分かった。それでも、止めてやることは出来なかった。そんなことをすれば、また、何を言って嘲られるか分からない。臆病者のそしりを受けるのは、ごめんだった。きつい圧迫感を覚えながら、ジャンは焦燥のままに、ぎこちなく、腰を揺すり始めた。
「っう、ぁ……は、そんな、だめ、あぅ……っ」
深く突き入れるタイミングで、アルミンは悲鳴めいた声をこぼし、折れてしまいそうに背を反らす。揺さぶられる度に、閉ざした目元からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。兵士の一人が、手を伸ばして、無造作に金髪の頭を掴む。
「ほら、啼いてばっかいねぇで、何とか言えよ。どうなんだ、『エレン』の味は」
「っう……エレ、……エレ、ン……」
伏せていた瞼が震え、辛うじて、青灰色の瞳が開かれる。虚ろに中空を見上げて、アルミンは、切れ切れに紡ぐ。
「っは、硬、い……っう、奥、まで……僕の中、這入って、……一杯に、なっちゃう……っ」
「はは。良かったな、腹一杯にして貰え」
アルミンの感想が気に入ったのか、兵士は上機嫌で、アルミンの髪をかき混ぜた。その手で、触れるな、とジャンは憎々しい思いを抱いた。アルミンにしてもそうだ、そんな奴に触れさせるな、そんな奴の質問に答えるな、と胸の内で叫んだ。今、アルミンの相手をしているのは、自分なのだ。他の奴に構っている暇など、ない筈ではないか。それを、思い知らせてやらなくてはならない。
衝き動かされるままに、ジャンは、苛烈にアルミンを攻め立てた。突き上げてやる度に、アルミンは、嗚咽めいた上ずった声をもらす。
「だ、めぇ……っそこ、感じちゃ、う……っあ、エレン、エレ、…」
アルミンが、突き崩されていく。ジャン自身が、容赦なく、突き崩していく。
熱く蕩ける柔肉が、ジャンを切なく締めつけ、奥へといざなう。その熱が、汗ばむ肌の匂いが、上ずった喘ぎが、理性を侵していく。
守ってやりたかった。小さくて、弱いものを、圧倒的な暴力から、守りたかった。
あの柔らかな髪に触れるのが、好きだった。心地良い手触りだし、丁度手を置きやすい位置にあるから、ぽんぽんと、何度か撫でてみたことがある。アルミンは、不思議そうに、何か用か、と言ってこちらを見上げる。子ども扱いするなといって怒るでもない、その生真面目な反応が、面白かった。
小さな肩を抱いて、倒れないよう支えてやるのが、好きだった。立体機動の着地、斬撃からの体勢の立て直しが、アルミンは不得手で、傍から見るとあきれるほどであったが、なんだかんだといって、ジャンは気付けば手を貸してやっていた。腕を回して抱き支えてやると、アルミンがいかに薄く頼りない身体をしているかが分かる。手を貸してやるつもりが、加減を間違えば、逆に痛めることになってしまうかも知れない、とさえ思えた。傷つけないように、丁寧に触れなくてはいけないのだ、と思った。それは、面倒であるというよりも、そういうものがこの手の中にあって、自分に任されていることを、嬉しいと感じた。この手で守ってやれるものがあるのだと分かって、満足だった。
「ふ、ぁう……エレ、深い……っ」
シーツに広がる、乱れた金髪が、ぱさぱさと鳴る。細い肩が、びく、びくと跳ねて強張る。大きく仰け反った背中は、折れてしまいそうだ。そうさせているのは、ジャン自身に他ならない。大切にしたかったものを、守りたかったものを、自ら引き裂き、ぐしゃぐしゃに汚して、叩き捨てる。
無理だったのだ。何かを守ってやろうだなんて、はじめから、思い上がりに過ぎなかった。そんな力も、覚悟も、とうてい、足りなかった。小さくて弱いものを、守ってやるのではなく──喰らうことしか、出来ない。
「ひ、ぁう…っ、ひどく、して、も……っと、……っ」
突き上げる度に、耳の奥で、ぶち、ぶちと、何かの引き千切れる音が、聞こえた気がした。目の前に、白く、舞い落ちるものが、見えた気がした。
「い、ぃっ……気持ち、い、……っ」
悲痛な声を、アルミンは、上げかけては、途中で無理やり噛み殺すことを繰り返した。言われなくとも、分かっていた。痛い、痛いと、叫びそうになる度に、唇を噛んで、決してそれを口に出さないようにしているのだと、ジャンにも分かった。気持ちが良い、わけがない。初めての行為で、どうすれば楽にしてやれるのかも分からないまま、ただジャンは、己の欲望を満たそうとしている。そんな行為で、いったい、痛み以外の何を感じろというのか。苦痛に歪む表情が、こぼれ落ちる涙が、強張った四肢が、隠しようもなく、訴える。どうか、もう、やめてくれと、赦しを乞うている。
それでも、アルミンは、声に出して言ってしまったら、もう終わりだとでもいうように、頑なに口を閉ざす。自分の感じているものを、決して、悟らせまいとする。悦ぶ振りをして、悲鳴を覆い隠す。
「も、っと……あっ、あぁ、エレ、エレン…っ、すご、い……!」
だから、お前のせいだ、と、ジャンは焦燥のままに、アルミンの身体を揺さぶった。お前が、止めてくれないから。痛いと、言わないから。抵抗をしないから。だから、こんなことになっている。
アルミンが、やせ我慢をして、痛みを訴えないのは、プライドのためでも何でもない。それは、嫌になるほどに、単純な理由であると、ジャンは承知している。こんな状況で、アルミンは、仲間を気遣っているのだ。ジャンが、気が咎めることのないようにと、矜持を傷つけられないようにと、せめて、善がる振りをしてくれている。仲間思いで、生真面目なアルミンの、考えそうなことだった。ジャンを誘うように自涜をしてみせたのも、やはり、どうせ避けられないことならば、出来るだけ罪悪感を軽減してやろうと考えてのことだろう。こんな場面で、どうして、そんな風に自分を犠牲にして、他人のために振る舞えるのか、ジャンには分からなかった。
本当に──大馬鹿野郎だ。
アルミンの余計な気遣いも、それに何も応えることが出来ていない自分も、無性に苛立たしかった。自分を大事にしない──真っ先に、自分を捨てようとする、それがアルミンであると、分かっていながら、それを利用し尽くしてやろうとしている、己の浅ましさを見せつけられるようだった。
くそ、くそと、ジャンは続けざまに、苛立ちを叩きつけた。そんなことをしても、何にもならないことは分かっている。それでも、耐え難い熱と焦燥をぶつける先は、必要だった。どこかへ叩きつけて発散しなくては、押し潰されそうだった。組み敷いた小さな身体を、貪ることに夢中になって、もう、憲兵がどうのといったことは、頭の中にはなかった。
こいつを、喰らうのだ、と思った。より深く、突き入れられるようにと、腰を引き上げる。
青灰色の瞳を大きく瞠って、アルミンは、切迫した息を継いだ。
「深、い……っ、いや、こんなに、ぁう、だめ…あっ、どうしよ、こわい、やぅ……!」
怖い、と言いながら、アルミンの大腿は、切なくジャンを挟み込んで、引き寄せたがる。淫猥に腰を揺らして、ジャンのすべてを絞り取ろうとする。
「エレ、ン……っはやく、おねがい、」
熱に浮かされた瞳で、アルミンは、縋るようにジャンを見上げる。その唇が紡ぎ出すのは、もうやめてくれという哀願ではない。拙い舌遣いで、アルミンは、ねだるのだ。どうか、もっとひどく、最後まで、犯してくれといってねだる。
「エレン、の……出して、僕の、中に…っ、…欲し、い……」
エレン、エレンと、アルミンは嗚咽交じりに呼び求める。それは、歓喜の声を装って、懸命に助けを求める、悲痛な叫びにしか聞こえなかった。ただ一人の名前が、アルミンを唯一、絶望の淵で繋ぎとめている。
この期に及んで、ここにはいない幼馴染を、泣きながら呼び求めるアルミンが、ジャンは無性に腹立たしかった。その青灰色の瞳には、何も映ってはいない。圧し掛かるジャンも、周囲で見下ろす憲兵たちも、自分自身の無惨な姿も、アルミンには何も、見えていない。映っているのは、ここにはいない、ただ一人だけなのだ。エレンの存在がある限り、アルミンは、いかなる恥辱を受けようとも、持ち堪えられる。まじないのように、祈るように、その名を繰り返す。
それでは、自分の存在は何なのか。今、してやっていることは、何なのかと、ジャンは苛立ちを覚えた。アルミンがねだるから、ジャンは、与え続けてやっているのだ。それなのに、返って来るのは、他の男を呼ぶ切ない喘ぎばかりで、何ら顧みられることはない。
何より、腹立たしいのは、そんな状況だというのに、いっそうに煽り立てられている、低劣な自分自身だった。思うようにならなくて悔しいのならば、力ずくで、思うように従わせてやればいい。あいつの名も何も、分からなくなるくらいまで、アルミンを、めちゃくちゃにしてやりたいと欲する、己の衝動だった。
征服してやりたかった。屈服させてやりたかった。従属させてやりたかった。一個の人格を踏み躙り、尊厳を奪い、己の下に這い蹲らせるのは、何と心が躍ることだろう。
「……くそ、っ…!」
忌まわしい、こんな愚劣な欲求に衝き動かされてしまうのも、すべて、アルミンのせいだと思った。それ以外に、ジャンの頭は、何も考えることが出来なかった。
黙らせてやる、呼べなくさせてやる、分からなくさせてやる。ここにいるのは俺だ、あいつはいない。あいつは今頃、柔らかなベッドの上で、心地良い微風に包まれて、温かいパンとスープで腹を満たして、何ら心を煩わせることもなく、ミカサに見守られながら、穏やかに眠っている。いくら呼んだところで、届きはしない、お前を助けになんて、来やしない。それを教えてやるように、乱暴に叩きつけた。頼りなく細い身体は、面白いように跳ねて、ぐらぐらと揺れた。
「はっ、あぅ、あぁ! や、ぁう…!」
最早、エレンの名を呼ぶことも出来ずに、アルミンは嗚咽交じりの息を継ぐ。それで良い、とジャンはほのかな満足を覚えた。ぐ、と大腿に指を食い込ませる。高揚が、背筋を昇り詰めていく。すぐそこまで、圧倒的な解放が、近づいてきているのが分かる。
アルミンの唇が、最後に、小さくわなないた。
「……ジャン、」
吐息の中に、殆ど消え入りそうに微かな声で、そう、呼ばれたのが分かった。青灰色の瞳が、まっすぐに、こちらを捉えたのが、分かった。どくん、と心臓が鳴った。
次の瞬間には、ジャンはアルミンの中に、欲望を解き放っていた。あぁ、と思ったときには、もう、手遅れだった。もう、引き戻せない。取り戻せない。一緒に、何もかもが、自分の内から流れ出して、喪失した気がした。嘘のように、熱が引いていく。後に残ったのは、充足感などではなくて、何もかもが煩わしいほどの、気だるさだけだった。
「ああ、とうとう、やっちまったな。卒業、おめでとう」
ジャンの肩を気安く叩いて、憲兵はせせら笑う。
「これでお前も、共犯だ。団長殿には、報告出来ねぇなあ──一緒になって、仲間を犯っちまいました、なんてよ!」
「う、……ぁ、あ」
己の所業を見下ろして、ジャンは声にならない声をもらした。ずるり、と抱え上げていた脚を取り落とす。それは、重力に従って、とさりとシーツの上に落ちた。手放してみると、先ほどまでの自分が、どうしてあんなにも夢中になって、これを揺さぶっていたのか、分からなかった。
ぐったりと四肢を投げ出して、アルミンは、身じろぎひとつしなかった。背けた顔に、ぐしゃぐしゃになった金髪が落ちかかって、表情は読み取れない。急に恐ろしくなって、ジャンは、汗と体液にまみれたアルミンの身体から距離を取るように、腰を引いた。つられて、挿入していたものが、滑稽な姿で引き摺り出される。ひくり、とアルミンの下肢が震えた。咥え込んでいた箇所から、静かに伝い落ちるものを、ジャンは、愕然として見つめた。
「しっかり後始末していけよ、新兵」
男どもの嘲笑も、ろくに耳には入っていなかった。寝台の上で、茫然とするジャンと、力なく倒れ伏すアルミンを残して、憲兵たちは立ち去っていった。