アンバースデー -5-
目元を覆う手を、そっと掴んで外させようとすると、ルークはいや、と小さく叫んで身をよじった。構わずそのまま引き剥がしてしまうことも出来たが、ビショップは無理強いをせずに、一旦力を抜いた。細い手首に指を添えたまま、静かに語りかける。
「……良いですよ。泣いて、良いですから。嫌がって、良いです。言うことを、ちゃんときけなくても、良いです。……あなたを罰する者は、もう、ここにはいません。ひどいことは、もう、されません。怖いことは、もう、ありません。私が、いますから──私が、あなたを護りますから」
言って、子どもにするように優しく、頭を撫でてやる。聞こえているのか、いないのかは定かではないが、ルークはもう、ごめんなさいと繰り返すのはやめて、小さく嗚咽をこぼすだけになった。
根気強く、そっと指を触れ合せてやっていると、細い手首から、次第に力が抜けていくのが分かった。ゆっくりと、その手が滑り落ちて、白い面があらわになる。紅潮した頬も、伏せた目元も、ぐしゃぐしゃに濡れてひどいものだ。その頬に、ビショップはそっと片手をあてがう。軽く上向かせると、ルークは促されるようにして、ぎこちなく側近を見上げた。少しばかり眩しそうに細められた淡青色の瞳は、潤って揺らめき、どこを見つめているのかも判然としない。
確かめるように、指先で頬を撫でながら、ビショップはその瞳に向けて告げた。
「……言ってください。愛している、と」
「あ、……い……?」
熱に浮かされた瞳で、ルークは繰り返そうとして、しかし上手く出来ずに、力の抜けた声をこぼす。苦笑して、ビショップはその薄く開いた唇を指先でなぞった。はあ、と熱い息をこぼして、ルークは瞼を下ろす。ビショップもまた目を閉じると、身体を寄せて、唇を重ね合わせた。もとより閉ざす気もないらしい柔肉の間へと、割り入って舐め上げる。
「……ん、っう、あ……」
深く、口腔内をかき回すと、ルークはすぐに息を切らして、切ない声をこぼす。それでも、なんとか応じようと、おずおずと舌を伸ばしてくるのが健気で可愛らしい。そんな少年を、ビショップは優しく導いて、柔らかな愛撫を与えた。
たっぷりと唾液を絡ませて離れると、ルークは濡れた唇と瞳でもって、戸惑うように側近の意を問う。
「なに、……わから、な……」
「……試しに言ってみれば、分かるかも知れませんよ」
どうしたらいいのか分からない、といった風に途方に暮れているらしいルークに、それだけ告げると、ビショップは再び、触れ足りないその胸元へと顔を伏せた。
「んぅ、う、……っふ、」
赤く色づいた乳首を、唇と舌で揉み込みながら、もう一方の尖端を爪の先でくすぐってやると、ルークは泣き出しそうな声でもって応じた。執拗に熱を煽るばかりの愛撫に、もう堪えられないとばかりに頭を振る。
「も、やだ……はやく、」
早く、解放へと導いてくれと、しゃくり上げながら哀願する、少年の胸元を責め立てながら、ビショップは何でもないことのように伝える。
「上手く言えたら、続きをして差し上げます」
ルークの得意な、「条件」と「報酬」の関係を、ビショップはあえて持ち出して言った。これならば、ルークでも理解出来る筈だった。こうでもしなければ、決して、ルークはその言葉を発することは出来ないだろう。
たとえ、それが何ら中身も意味も持たない、ただの音の羅列になろうとも構わない。ビショップはルークを導いて、それを口にさせてやりたかった。空虚であろうとも、滑稽であろうとも、それを声に出して伝達することをルークが覚えてくれれば、あるいは、その先の微かな光へと繋がる糸の一端を、手にすることが出来るのではないかと思った。
ルークの嗚咽めいた喘ぎの中に、その言葉が発せられる兆候を注意深く探しながら、ビショップは愛撫を続けた。何がそんなに難しいのか、おそらくは生まれて初めて口にするであろう言葉を、少年はなかなか紡ぐことが出来なかった。あるいは、それを発してしまうことで、自分自身の根底からの欠落と向き合わざるを得ないということを、どこかで理解していたのかも知れない。
少年の葛藤を、抵抗を、ビショップはひとつひとつ、手を掛けて引き剥がしていった。白い肢体を、丹念になぞって愛し、唇でもって慰める。腰骨を揉み込みつつ、臍の上に口づけたところで、とうとう、ルークの頑なな抵抗は限界に達したらしかった。喘ぐばかりであったその唇から、それまでとは異なる音の綴りがこぼれ落ちる。
「あ…ぃ、して……」
吐息に隠れてしまいそうに儚く、途切れ途切れに紡がれた声を、ビショップは確かに受け取って、執拗な愛撫の手を休めた。待ち望んでいた筈の言葉は、しかし、青年の内を温かな安堵で満たしてはくれなかった。ここまでして、哀れな少年を追い詰めて、求めた言葉を引き出したというのに、気分は少しも晴れやかではなかった。
「……承知いたしました」
静かに呟くと、ビショップは力の抜け切った少年の背中に腕を回して抱き起こし、己の胸にもたれさせた。
背骨を伝い下りて行き着いた窄まりに指先を押し当てると、ルークは躊躇いなく、ビショップの背中に腕を回してしがみついてくる。それは、シーツを手繰り寄せる動作と、意味するところは何も変わらない、安定を求めるただの反射的行動にすぎない。こんな、まともな判断能力も喪失してしまったような状態の相手に対して、その行動の意義を問うなど、愚かしいにもほどがある。
それでも──理解していても。
ビショップはいつも決まって、最後はルークが、自分の身体に縋りついてくるように仕向ける。抱き合うような体位を取って、あたかも、熱烈に愛し求めるかのような仕草を、少年に教え込んで、従わせる。それがいったい、どんな意味があって、何の役に立つというのか、明確な答えも持てないままに、ただ自分がそうしたいからというだけの理由で、続けてきた。こんなやり方で、今、ルークを慰めることにしても、その延長に過ぎないのだと言われれば、何も返す言葉を持たなかった。自嘲して、ビショップは震える少年の秘所に指先をねじ込んだ。
「っく、う……」
抑えきれない苦鳴をもらして身を強張らせるルークの背中を、宥めるようにさすってやりながら、熱のこもった柔肉を押し分けて指を進める。何度繰り返しても、慣れることがないのか、ルークは声にならない声でもって唇をわななかせ、眉を寄せて苦痛のほどを訴える。その様子を痛ましく見下ろすと、ビショップは一度、指を休めて少年の耳元に唇を寄せた。
耳朶を含むばかりの距離で、愛している、とビショップはルークの耳元に囁いた。愛している、愛していると、根気良く丁寧に言い聞かせながら、優しく肩を、背中を撫で、包み込むように抱き締める。触り心地の良い白金の髪を、そっとかきまぜると、ふる、とルークは小さく背中を震わせた。頑なに強張って侵入を拒んでいた身体が、次第に緊張を解いていく。
「……愛している」
「あ、ぁ……ん、」
吐息交じりの囁きと共に、巧妙な指先でもって、感じやすい秘所の入り口付近を捏ねられると、ルークはもう苦痛を訴えることはなかった。もっと、とねだるように身じろいで、熱い柔肉でビショップの指を切なく締めつける。
どうすれば、続きをして貰えるのか、解放へと導いて貰えるのか、暗示にでも掛けるように耳元に囁かれ続けた少年は、既に承知していた。その唇が、吐息とは違うかたちでもって、小さく動かされる。
「あい、して…、る……」
その言葉の意味も理解せずに、中身の抜け落ちた音の繋がりだけを、ルークは忙しい息の下、コピーして拙く繰り返した。彼がそれを口にする度に、ビショップは知り尽くしたその性感を擦り立ててやった。声を発することとご褒美との関係を、ルークはすぐに学んで、忠実なる側近に身体を擦り寄せると、情欲まみれの声でねだるように、あいしてる、あいしてると繰り返した。
「ぁ…あぅ、そこ、っ……」
内壁を擦り立てながら至った一点で、軽く指先を曲げてやると、ルークは微細な動きにも敏感に応じて、白い身体をびくびくと跳ねた。ビショップの背中に回した腕が、その度に外れかけては、またしがみつき直す。少し探られ、圧迫されるだけで、押し寄せる悦楽と焦燥感に、ルークは簡単に心身の支配権を手放してしまう。残るのは、圧倒的な渇望だけだ。濡れた唇は、喘ぎ交じりの忙しい息を継ぎながら、もつれる舌でうわ言めいた音の羅列を繰り返す。
「あっ、い、してる、あいして、あいして……!」
──ああ。
なんて空しい。ビショップは深く息を吐いた。
ルークが本当にその言葉を向けるべき相手は、自分などではないと、ビショップははじめから承知していた。
彼は、特別に選ばれた存在でも何でもない一人の部下のことなど、愛してはいないし、そんな者に愛されたくもないだろう。何の意味も生み出さない言葉を、こんな風に利用して、それは冒涜に近い行為であるようにさえ思える。
幼い頃に得られなかったものを、取り戻したがって、それが叶わないから、ルークはこんな安易な手段に走ってしまう。こんなかたちで、触れられることを悦んで、もっと、もっとと求めてしまう。その姿を痛々しく見つめながら、ビショップは知り尽くしたルークの弱みにつけいって、哀れな少年をいっそうに追い詰める。
仕方がないのだ、こうして相手をしてやらなければ、ルークは自分で自分を傷つける。そして、それでも足りなくなって、結局、別の誰かを求めるだけのことだ。そんな風に、他人に汚される姿を見なければならないのは、堪え難い。それくらいならば──自らこの手で、突き落としてやる。
その理屈がどれだけ自分本位で、ただ都合良く事態を捉えているだけの、何の解決も生み出さない戯言に過ぎないか、そんなことは嫌というほど承知している。だが、今はその是非を問う時ではない。せんない思考を振り払うように、ビショップはルークの中で、快楽の源泉に指先を強く押し込んだ。
「あ、ぁ────」
達する瞬間、ルークは焦燥のままに、ぐ、と強くビショップの背中にしがみつく。愛していると何度も言って、熱く抱擁して、しかし、両者の間で、それは何も意味を為さない。こうして強くビショップを求める、ルークの渇望を呼び起こし、吐き出させたところで、二人の間の関係性が変わることもなければ、何ら事態が好転するわけでもない。どこまでも自己満足に過ぎぬこんな行為は、ただ寝台の上で始まり、終わる、それだけだ。少年に応じるように、その背中を力強く抱いてやりながら、ビショップは自分自身を嘲った。
自然に求め合うでもない、実に不自然で一方的な、ぎこちない真似事。
偽物の思い、偽物の言葉。
そんなものに縋るしかない、自分たちは、いくら触れ合ったところで、満たされることなどはないのだと思った。本物ではない、ささやかな慰めに、僅かばかり心を委ねることしか、出来ないのだと思った。
昇り詰めて背筋を反らし、目を閉じて声もなく余韻にうち震えるルークの耳元に、ビショップは唇を寄せて、声を潜めた。
「私も、────。……ルーク」