愚者のパズル -2-
念のために確認しておくと、ビショップは別にルークの使用人でも何でもない。客観的にいえば、両者の関係は、組織における上司と部下、ただそれだけだ。仕事とプライベートの境界というものがないルークはともかく、ビショップとしては、本来ならば職務上、こんな面倒まで見てやる義務は全くない。
それでも、率先して身の回りの世話を焼いてやっているのだから、他人から見れば、物好きなことだとあきれられるか、無償奉仕の精神を褒められるか、そのいずれかといったところであろう。実際、彼の世話をする係の者を別に雇うことだって十分可能であるのに、それを提案せずに、自らが本来の業務に上乗せするかたちで、その役割を買って出ているのだから、ビショップとしても、相当に物好きであるという自覚はある。
この、コミュニケーションに少々の難のある少年にとって、見ず知らずの他人よりも、パズルという彼の根幹の部分で通じ合っている部下の方が、何かと日常のあれこれを伝えやすいだろうし、無用なトラブルも避けられるだろうという、一応の建前のようなものはないでもないが、やはりそれはルークのためというよりは、ただ単にビショップがそうしたいからそうしている、という方が、より実情に即した表現になるだろう。
人類とパズルの綿密な関係を紡ぎ続けてきた歴史の担い手、圧倒的な伝統と格式に裏打ちされた頭脳集団POG幹部ともなれば、自分で服を着替えることすらしないのかと、人は驚き、あるいは、それはあまりに時代錯誤的であるとして非難するかもしれない。一つ、誤解を解かねばならないのは、別段にルークは自分で着替えをしたことがないほど育ちの良い世間知らずな子どもというわけでもなければ、ビショップが過保護にルークを甘やかしているというわけでもないということだ。これはそういう、彼の浮世離れした側面を語るためのエピソードでも何でもない。情緒も感傷も何もなく、ただ単純に、そうする必要に迫られてそうしているというだけの、言ってしまえばつまらない話だ。
すなわち、ルークは、自分ひとりではその衣装を脱ぐことが出来ない。
着ることが出来ない。
風呂に入ることが出来ない。
階段を下りることが出来ない。
食事をすることが出来ない。
眠ることが出来ない。
起きることが出来ない。
パズルに関する以外の、人としての基本的な日常行為の大部分を、ルークは上手くこなすことが出来ない。単に経験がないから、不慣れだからといって、それは片付けられる問題ではない。実際、なんとか少しでも普通の日常生活を送れるよう、周囲の大人たちは手を尽くしたのであるが、結果として何を習得することも、上達することもなかったという。無理もない、彼は何かをするのが不慣れなのではなくて、そもそも、それをするための能力が、もっと言ってしまえば基本的な機能が、致命的に欠けているのだ。
下手というのではなく、不可能。
不足というのではなく、皆無。
それが、神の祝福を受けたとしか思えない稀有な頭脳を持つ少年の、パズルと自在に語らう能力を得た代償としての、欠落だ。果たして、それが納得のいく等価な交換条件であるのかどうか、ビショップには判断を下すことが出来ない。ましてや、それが生来のものではなく、人為的に造られた結果であるとなれば、なおのこと、複雑な思いを抱かずにはいられない。
これは、成功なのか──失敗なのか。
本物なのか──偽物なのか。
幸福なのか──不幸なのか。
ただ一つ言えるのは、そういう欠落を抱えたルークだからこそ、ビショップは惹かれたのだということだ。天才という言葉は好きではないし、そう呼ばれる人間に対して特別に興味を持っているわけでもないビショップが、こうして公私を捧げてルークに付き従う理由は、ただ一つしかない。この年若い少年の内包する矛盾に、欠落に、危うさに、抗い難く惹きつけられたからだ。
ルークが天才であるとは、ビショップは思っていない。彼はそのような言葉で表現される存在ではないと思う。のみならず、いかなる言葉によっても、この特異なる少年を修飾することは出来まい。
人としての領域を、超越するとともに、欠落した存在。万能にして、無力なる者。美しく、かつ、おぞましい者。生きていながら、死んでいる者。賢者にして、愚者。
とうてい、これが人間として素晴らしい理想の姿であるとは思えないし、何らかの信仰心を抱くに相応しい崇高さの欠片もない。誤解を恐れずに言えば、彼はただの出来損ないであって、異端であって、ひとりの「可哀想な子ども」でしかない。
完成することに、失敗し、超越することに、失敗し、壊れることにさえ、失敗した、あらゆる面で、中途半端な存在。それゆえに、ルークは好ましい。ルークは、そうでなくては──いけない。
身に纏う全てを取り去ると、未成熟な少年の肢体は見るからに頼りなく、誰かの庇護を必要とすることを否応なしに実感させられる。強く押したら簡単に崩れそうな、薄い肩を手のひらで緩やかに包んで、ビショップは主人をバスルームへといざなった。こんな風に肩を抱いて、寄り添って進むのは、もちろん、万が一にもルークが躓きでもしてその身を傷つけてしまわないようにである。なにしろ、今の彼の身を護るものは何もないのであるから、ほんの短い距離の移動とはいえ、油断はならない。その滑らかな白い肌に傷がついてしまうことは堪え難いし、運悪く頭を打ちでもしたら、笑い話では済まないことになる。
それとも、これはやはり、はたから見れば、甘やかしや過保護と何も違わないと言われてしまうだろうか。心の内で苦笑して、しかし、それならばそれでも別に構わないとビショップは思う。側近の身分にもかかわらず、こんなことを思うのも相当に不遜なことであるが、ビショップはルークに厳しくするよりは甘やかしたいし、冷たく突き放すよりは、あれこれ面倒をみてやりたいのだ。それが、上下関係はどうあれ年若い者に対する年長者のとるべき態度であると思うし、相手が確実にこちらの助けを必要としているとあれば、なおさらである。そういう風に、頼りにされるのは悪くない。
歩調を合わせてバスルームに向かいながら、腕の中の少年の儚い存在感に、ビショップは知らず、満たされていくものを感じていた。
壁一面に大きく取ったガラス窓から下界を望むバスルームは、殆ど執務室の延長といってよい無機質な造りで、これもまた、ルークにとっての仕事と私事の分かち難い関係を想起させるものである。不必要にも思えるほどの余裕ある空間に、ぽつりと設置されたバスタブとシャワー装置は、無駄な装飾などない至って簡素なもので、洗練されているというよりは、無愛想といった方が適切であろう。POGジャパン総責任者のこの少年には、浴室に財とこだわりを注ぎ込んでプライベートなリラックス空間を演出するという趣味はないらしい。
常に側に控える者があって、場合によってはそこで仕事の相談をするくらいであるから、そんなバスルームではそもそもプライベートもリラックスもあったものではないだろうという声が聞こえてきそうであるが、良くも悪くも、ルークは他者の存在などに左右されるような繊細な神経の持ち主ではない。案外、適度なサイズのバスタブに浸かって、窓の外の見事な夕焼けを眺めるだけで、特別な演出も何もなくとも、彼の心は十分に満ち足りているということなのかもしれない。
足を滑らせないよう、気をつけるようにと定型的な注意を促しつつ、ビショップはルークに手を貸してバスタブの縁をまたがせた。不安定な体勢を持ち直すように、ぎゅ、と縋りついてくる仕草が微笑ましい。その身が完全に浴槽の中に納まるのを見届けてから、ようやく手を離す。ここまで来れば、ひとまず任務は完了である。一礼すると、静かに身を引いて、ビショップは浴室の隅に佇んだ。
服を脱ぐことも、部屋を移動して風呂に入ることも、ひとりでは出来ないこの少年は、タッチパネルに触れてシャワーを操作することと、バスタブに栓をして湯を溜めることについては、問題なく自分の力でこなすことが出来る。それが、パズルと同じく、指先の動作のみで完了出来る行為であり、パズルのように、こうすれば必ずこうなるという明瞭な規則の下にある仕組みだからだ。
こう操作すれば水が出て、こう操作すれば止まり、こう操作すれば熱くなり、こう操作すれば冷たくなり、こう操作すれば強くなり、こう操作すれば弱くなり、こう操作すれば栓が閉まり、逃げ道がなくなるから、湯が溜まる。そういうことを、いちいち仕組みとして論理的に納得しなければ、ルークは指一本、動かすことが出来ない。茫然として、立ち尽くしてしまう。
パズル以外、文字通り、何も出来ない子ども──彼をこのPOGの敷地内から安易に外に出すことが出来ないのも、ひとりきりにさせておけないのも、それが理由だ。今のところ、そうした局面の訪れる予定のないことが幸いであるが、しかし、それがいつまでも続けられるものとも思えない。柔らかな水音を立ててシャワーを浴びる少年の、頼りなく痩せた背中が夕陽に照らされるのを、ビショップは目を細めて見つめた。
夕刻に限らず、ルークはよく風呂に入る。その頻度というのが、また尋常ではない。執務中、普通であれば少し休憩といって一服するのと同じような感覚で、身体を洗い流し、湯に浸す。別段に、こういう場合よくあるような、汚れを過剰に気にするがゆえの行為というわけではないらしく、毎回念入りに皮膚を擦って洗浄するといった反復行動もみられないから、いわゆる潔癖症とは違うのであるが、それでも十分に強迫的であるといってよい。汚れた、不快であると、思っていないのにも関わらず、日に何度もシャワーを浴びずにはいられないというのは、心療クリニックの門をくぐる動機としては十分だ。
とはいえ、それをもってビショップは、この少年を異常と断じ、改めさせようとは思わない。それで業務に支障があるわけでも、誰に迷惑を掛けるわけでも、社会的に問題があるわけでもない以上、彼がそうしたいという意思は尊重されてしかるべきだと考えるからだ。着せたばかりの衣装をまた脱がせ、何度も入浴を手伝わされるくらいのことは、気にするほどの大した手間ではない。肩まで湯に浸かって、満足げに目を閉じるルークの姿を見れば、彼にそんな歳相応の無邪気な表情をさせるためならばいくら労力を割いても構わないという気持ちにさせられる。
などというと、それは少々、献身の度が過ぎているのではないかといって、良識ある人々からは諌められそうなことであるが、ビショップ当人としては、自分は別にこの年下の少年に心酔しているわけではないし、自己犠牲的な献身を捧げたいと思っているわけでもないということを冷静に承知している。
譬えて言うならば、ビショップがルークに向けるそれは、人が自ら飼育する犬猫に対して抱く思いと似たようなものだ。あれこれの世話をして、居心地良いようにしてやり、うまく機嫌を取り、満足げな様子を見ては喜びを覚える。やっていることだけをみれば、人間が動物の下僕に成り下がったようなものであるが──自らそう称する者も中にはいるが──しかし、実際のところはそうではないと、誰もが知っている。
飼い主がペットに尽くすのは、あくまでも、明瞭な主従関係が、絶対の上下関係が、前提としてそこにあるからだ。その上で、上位の者は、下位の者に対して、あたかも主従が逆転したかの行動をとることが出来る。擬似的行為、シミュレーションであり、遊びだ。
あれこれの世話をしてやるのは、そうしなければ相手が満足に生きていけないからであり、そうすることで飼い主は、己の優位性を確認する。与える側であり、施す側であり、憐れむ側である、己を定義する。何が楽しいといって、人というのは、自分の能力を、影響力を、偉大さを、分かりやすく実感することが大好きだ。生き物を飼ったことがあれば、一度は思ったことがあるのではないだろうか、「こんなことで喜ぶなんて、こいつはなんて単純なのだろう」と。そして、その愚かさを、哀れさを、浅ましさを、愛おしいとは感じないだろうか。
自分の抱く思いは、つまり、そういうことであるのだとビショップは解釈する。もちろん、あえて口に出して主張はしないが、特別に隠し立てしようとも思わない。そんな思いで見ていることを、本人に知られたところで、何も困った事態にはなるまいと思うからだ。
否、もしかすると既に、ルークはビショップのそういう眼差しに気付いているのかもしれない。気付いても、特に何を思うでもなく、変わらぬ日々を続けているのかもしれない。いずれにしても、仮にもPOG幹部を愛玩動物扱いするという、彼の熱烈な信奉者が聞けば間違いなく滅多刺しにされそうなこの思いを、ビショップは改めるつもりはない。既に強固に組み上がってしまった認識である、今更どこを改めようとしたところで、改められるものではあるまい。
結論付けて、ビショップは直立の態勢を解くと、バスタブへと足を向けた。ほぼ同時に、湯に浸かっていたルークが身を起こして、水音と共に立ち上がる。やれやれ、こんな風に、彼が湯から上がるタイミングを精確すぎるほど精確に読んでしまうものだから、周囲の人々からも奇異の目で見られることになるのだと、ビショップは我ながら可笑しく思いながら、少年の濡れた身体を包むための柔らかなタオルを、豊富に用意されたストックの中から取り上げて広げた。片腕でそれを抱えつつ、もう片手でもって、彼がバスタブから出るのを手伝う。ここへ向かうとき、抱いた肩は温度を感じさせず冷ややかであったが、今は握った指先までも温かい。そんな当たり前のことを、まるで小さな発見であるかのように感じながら、ビショップは少年のしなやかな足先がゆっくりと床につくのを見守った。
ぽたぽたと滴を落としながら、無事に両足を床につけて立たせたところで、一度手を離し、清潔なタオルを両手に広げる。あとはそれを包み込むように背中から掛け、丁寧に全身の水滴を拭ってやれば──しかし、今まさに細い肩にそれを掛けようとしたとき、真っ白なタオルはビショップの手の中から離れた。より精確にいえば、ビショップの手が、掴んでいたタオルを瞬間的に、指を開いて離した。
ばさり、という音とともに、ほんの僅かに宙を泳いだバスタオルは、重力に従って、濡れた床に広がり落ちる。ああ、折角の新しいタオルを無駄にしてしまったと、普通ならば嘆くところであろうが、今この場には、そんなことを気にする者は誰もいなかった。
タオルを肩に掛けてやろうと、繋いでいた手を離した、その僅かな合間を、そんな筈もないのに、まるで何者かに狙い澄まされたかのようだった。突っ立っていたルークの上体が、ぐらりと傾いで、足元がふらついたと思ったときには、糸が切れたように力を失った四肢は、既にその身体を支える役割を放棄している。あっけなくバランスを崩すや、物理法則に従って、為すすべなくバスルームの冷ややかな床にその膝を、腕を、肩を、頭を、続けざまにしたたかに打ちつけ、衝撃に、白い皮膚の下の血管が無残に破れて赤黒く染まる──悪夢のような光景を幻視しながら、そうなる直前、ビショップはなんとか両腕でルークを抱き留めることに成功した。
とはいえ、なにしろ突然のことであったために、タオルは放り出してしまったし、相当に無理のある体勢で腕を伸ばしてしまったものだから、結局ビショップはバランスを失って、腕の中にルークを護りながら、濡れた床に膝をつくことになった。演劇の一場面のようなスマートさには程遠い、反射だけの行動であったが、ともかく少年の無事を見て取って、ビショップは安堵の息を吐いた。万が一、彼に怪我などを負わせようものなら、いったい何のために四六時中、側に控えているのだか分からない。周囲から受ける叱責はまだしも、何より、自分自身が決して、己のミスを許せないだろう。そうならなかったことには、純粋に、信じてもいない主なる天への感謝を捧げるほかはない。
未だ髪から水滴を滴らせる、風呂上がりの人間を抱き締めたとなれば、そして床に膝をついたとなれば、当然衣服は無事とはいかないが、この場面でそんなことを気にするような人間は人間とは呼べまい。一応、まだ血も涙もある情緒深い人間のつもりでいるビショップは、むしろ、そのままバスルームの床に腰を下ろすことにして、力ない少年の身体を己にもたれさせる。濡れそぼった銀髪をゆっくり撫でながら、耳元で小さく名を呼ぶと、ルークはひくりと首を竦めて反応を返した。医者を呼びますか、と続けて問うと、無言のままに、緩く首を振る。伏せた面から表情はうかがえないが、吐く息は深く、悩ましい。腕の中の少年の、その弱々しい姿に、ビショップは痛ましげに眉を寄せると、背中を抱く腕に僅か力を込めた。
落ち着き払った物腰、若者らしからぬ丁重で優雅な振る舞いに定評があり、慌てるところも走るところも見た者はいないと噂されるビショップであるが、本人としては、人が目の前で前触れなく倒れたとあればもちろん驚くし、慌てもするだろうし、場合によっては助けを求めるために走るかもしれないと思っている。それでは、他ならぬPOGジャパン総責任者たる少年が倒れたというのに、何を呑気にしているのかと問われれば、答えは簡単だ。
何事も、最初は驚くようなことであっても、何度も繰り返されれば、次第に慣れて当たり前になっていく。こんな風にルークが眩暈を起こすのは、風呂上がりというシチュエーションはともかくとして、決して珍しいことではないのだ。頭脳労働に特化した、地位ある者の特権として、殆どの時間を椅子に座って過ごすルークだから、気付き難いのであるが、同年代の一般的な少年たちと同じ日常生活を送っていたならば、年中、しゃがみ込んだり倒れたりするはめになっていただろうことは間違いない。
それほど頻繁に眩暈を起こすというならば、普通は健康上の問題を疑うことだろう。重篤な病の前触れということもあるのだ、原因としての身体疾患をつきとめ、何らかの対処が求められることは間違いない。しかし、ルークの場合、自ら医者を呼ぶのを拒んだように、これを身体上の問題であるとは捉えていない。より精確にいえば、眩暈というのは便宜上の表現であって、実際に彼の身を襲っているのは、それでは言い表せない、もっと違うものである。
ルークを襲うのは、思考だ。
これも本人が断片的に口にした数少ない言葉と、状況からの類推に過ぎないのであるが、今のところビショップはそう解釈している。意思に関係なく、強烈な思考の波が襲い、制御できずに溢れ出し、膨大な情報量と圧倒的な熱量でもって荒れ狂い、すべて巻き込んで、窒息する──そういうことが、この少年の頭の中では時折、起こる。
彼以外の人間には、それがいかなる苦痛であるのか、どうあっても理解しようがないのであるが、細部に目を瞑ってあえて似た状況を挙げるとすれば、それは例えば、地上250メートルから飛び降りた瞬間の人間の心情を想像するときの感覚に近しいのではないかと思う。それくらいの高さのビル、あるいは塔にでも上って下界を一望したことのある人間ならば誰しも、ここから落ちたらどうなるだろうかと考え、うすら寒くなった経験があるのではなかろうか。飛び降りと聞けば、その記憶が呼び起こされ、己の知識と照らし合わせてみるに、その実行者はいかなる恐怖を味わったものかと考えて、足が竦むことだろう。それ以上に具体的な想像を働かせることを打ち切って、ああ嫌だ恐ろしい、と思考を振り払いは、しないだろうか。そうやって、人は普通、考え続けていたらどうなってしまうか分からないような恐ろしい、強いストレスを生む思考を拒否し、己の意思で遮断することが出来る。
それでは──それが出来なくなってしまった人間は、どうなるだろう。
飛び降りた人間の、最後に足場を蹴った瞬間から、全身で着地するまでの、全ての過程を、逐一想像して追体験することを、己の意思で止めることが出来ずに紡ぎ続けてしまうとしたら──どうなるだろう。
とても、堪えられまい。常人の感覚であれば──常人の脳であれば。
パズルに関して、誰も寄せ付けぬ驚嘆すべき処理能力を誇るルークの脳は、大いなる財宝であり、祝福であると同時に、彼自身に向けられた剣であり、呪いである。どちらかだけを選ぶことは出来ずに、本人の意思に関わらず、その両方を、受け容れることしか叶わなかった。
否、そんな感傷的な表現で誤魔化すことをせずに、はっきりと言ってしまえば、副作用、あるいは、後遺症といった方が適切だろうか。いずれにしても、一つだけ確かなことは、下手に人間の脳をいじろうなんていうことを、暇に飽かせたどこかの誰かが思いつきさえしなければ、少なくともルークは、こんな風に眩暈に苦しまされることもなかったし、日常生活にいちいち支障をきたすことも、なかった筈ということだ。
間違いなく自分のものであると確信できる筆頭としての、この思考、この頭脳。それが、突如として乱れ、為すすべなく蹂躙され、犯し尽くされる──その苦痛は、いかばかりであろうか。誰に訴えることも、救いを求めることも出来ず、ただ独りで堪えるほかはない。薄暗い執務室の、椅子の肘掛けに縋りついて、声もなく側頭部を押さえる様子は、いつもビショップの胸を小さく締めつける。
出来ることならば、助けてやりたい。しかし、それは不可能だ。そのための具体的な技術を、ビショップは備えてはいないし、それに何より、たとえその方法があったとしても、実行に移すことは出来まい。こんな風に、壊れそうなまでに苦しませてでも、彼には──彼の頭脳には、崇高なるPOG幹部の椅子に就いていて貰わねばならないからだ。黄金比の脳こそを至上の財として追い求め続けてきた組織は、決して、上等の駒である彼を手放そうとはしないだろう。
それに、周囲の状況が許さないという、消極的な理由ばかりではない。本人の意思というものが、そこには確実に絡んでいる。仮に救いの手が差し伸べられたとして、そもそもルーク自身、救済を拒む筈だ。自分には、ここの他に居場所のないことを、この年若い少年はよく理解している。酷なことであるが、一歩外の世界へと出て、パズルの支配するルールの下から自由になれば、途端に彼は、何の役にも立たない存在に成り下がる。ルークがここにいることを、ここでその能力を発揮することを、誰よりも望んでいるのが、彼自身なのだ。