優雅に叱責する聖職者






(中略)



子どもの世話、まして入浴の手助けなど、もちろんビショップには経験がなかった。退室すべきだろうかと迷いつつも、結局バスルームに残ったのは、この調子ではルークが、ひっそりと静かに溺れてしまってもおかしくないような気がしたからだった。その判断は、ある意味で正しかった。
湯に身体を浸して、白い少年は一向に動く気配をみせない。いつになったら身体を洗うのだろうかと、不思議に思い始めた頃だった。小さな水音とともに、その細い腕が持ち上がる。
気だるげに隣を見遣ったルークは、ぽたぽたと滴を落としながら、こちらへ両手を差し出す。

「洗って」

小首を傾げたルークは、甘えるでもなく、当たり前のことのように、そう言ってねだった。

「……はい」

他の選択肢など、はじめから存在しない。畏まりつつ、青年は両手を濡らした。
少年の浴室には、それらしいスポンジやタオルといった、身体を洗うための用具は見当たらなかった。ビショップはボディソープを手に取ると、両手の中で丹念に泡立てた。
きめ細かく泡立ったところで、少年の首から肩、腕へと、そっと手を滑らせていく。直截に皮膚を擦りつけるというよりは、泡を置いていくといった方が、より正しい表現になるだろう。
自分ごときの手が、この少年に触れるという、それがどれほど畏れ多いことであるか、ビショップは重々承知していた。直截に触れれば、その真っ白な純潔を汚してしまうような気がした。泡で包み込むようにして、ビショップは少年の全身を洗浄した。

目を閉じて力なく浴槽に身を預け、微動だにしないルークの姿は、それこそ等身大の人形のようだった。湯気にあてられて火照った肌の温もりも、しっとりとした感触も、白い肌のほのかな紅潮も、芸術作品としての完成度を高めるばかりで、生々しい存在感というものに欠ける。
たとえ皮膚を破ったところで、こぼれるのは赤黒い体液などではなくて、さらりとした透明な滴であるのが自然なように思われた。
「まるで、生きて呼吸をしているかのような、美しい人形」──それが、この少年を目の前にした、すべての者が抱くであろう感想だった。



ルークは、盤上を十字に支配する大駒(メジャー・ピース)。
ビショップは、盤上をX字に支配する小駒(マイナー・ピース)。
期せずして、自分たちの関係は白と黒のゲームになぞらえ得るものとなってしまった。まるで仕組まれたかのような、奇妙な展開を前に、ビショップは苦笑するほかなかった。
東方由来のそのゲームが中世ヨーロッパに広まった当初、チェスは賭け事と結びついた悪習として、聖職者には禁じられた忌まわしい遊技であった。一方で、職人が持てる技術の粋を集めて丹念に彫り上げた、高い芸術性を誇るその象牙の駒は、古より異国の珍品として教会の宝物庫に堂々と収められていたというのだから、おかしな話である。
いずれにしても、現在は中世ではなく、そして、ビショップは聖職者ではなかった。
その日以来、ビショップはルークにつき従う駒となった。日中は、ひたすらにパズル制作に執心するルークを、頃合いを見て休ませ、食事を促す。夜は風呂に入れ、寝かしつける。

ルークの制作するパズルは、同じギヴァーである筈のビショップが見ても、容易には理解出来ないほどに複雑怪奇であった。ことに、特異性が際立っていたのは、その記述方法である。
たとえば、ここに画用紙があるとする。そこに何らかの絵を描こうというとき、たいていの場合、大まかな構図を薄く下書きし、しかる後に、段階的に細部を書き込んで固めていくことだろう。全体のバランスを俯瞰しつつ、画用紙の上で、筆を握った手は何度も往復運動を繰り返す筈だ。

ルークの場合、それがない。
彼は右手にペンを握ると、下書きもなしにいきなり筆記を開始する。用紙の左上から右下まで、その手順はあくまでも一方通行であり、一度記した箇所に戻って書き足すことは決してない。
その筆跡は緻密そのものであり、最初から完成している。傍から見ている者には、これがいったい、いかなる全体のいかなる部分であるのか、描き始めた時点では何も掴むことが出来ない。ルークは必ず左上から描き始めるから、それがパズルの末端で、重要な箇所が下の方に位置する場合、半分まで描いてもまだ全体像が把握出来ないことも多々あった。
なんとも無茶苦茶な描き方であるが、そうして出来上がったパズルの設計図は、溜息が出るほどに美しく精緻な線で構成された、見事な一枚なのである。
おそらくは、ルークの眼には最初から、この全体図が視えている。彼はそれをただ、紙の上になぞって写し取っているのだろう。
左上から右下へと進むのは、それが右利きの人間にとって、最も効率的であるからだ。ペンを握る手は、必ず紙のまだ白い部分に着地しているから、乾いていないインクを擦って汚すこともないし、描いた部分に手が重なって邪魔することもない。

そういうことを、ルークは当たり前のようにしてやってみせる子どもだった。
これが──ファイ・ブレインの子ども。黄金の腕輪に選ばれし者。
その常人離れした能力のほどを間近に目にして、ビショップは心を震わせた。このような素晴らしい存在が、今ここに在る奇跡に感嘆した。そして、彼を生み出した、大いなる天の父──ピタゴラス伯爵の御業に酔いしれ、いっそうに畏敬の念を強めるのだった。

地上に堕ちた、天の御使い。
精巧なる純潔の人形。
難攻不落の白の塔。
だが、その印象は、そう経たぬうちに、大きく覆されることになる。

「やだ、やだぁ……っ、う、ああぁ! なんで、なんで、なんで!」

今まで聞いたこともない、悲痛な声を張り上げてチェスセットをなぎ倒し、這いつくばった床に拳を叩きつけるルークを前に、ビショップは茫然と立ち尽くした。
どうして、こんなことに──目の前にいるのが、あの崇高な白い少年に他ならないという事実が、思考を凍てつかせる。

「約束、したのに…っ、一緒って、言ったの、……!」

散らばったチェスピースを、少年は無造作に掴み取ると、力任せに床に投げつけた。ぱぁん、と派手な音が鳴るのを、ビショップはどこか遠くに聞いていた。

「やだ、いや、う……あ、ぁ!」

悲鳴を上げて、ルークは白金の髪をかきむしった。何かを振り払うように、がむしゃらに頭を振る。ここに至って、ビショップはようやく我に返った。おそるおそる一歩を踏み出したところで、金縛りの解けたように、現状が緊急事態であることを認識する。
忠実なる側近は、急いで幼い主人のもとに駆け寄った。無軌道に振り回された細い腕がぶつかるのを避けることもせずに、背後からその肩に手を掛ける。

「ルーク様、落ち着いてください……ルーク様、」
「やだ、やだあ!」

控えめな進言は、当然、聞き入れられる筈もなかった。肩に手を掛けたことも、落ち着かせるどころか、悪い方にしか作用しなかったといえる。
怯えたように、ルークは背を跳ねると、過剰なまでの反応で、ビショップの手を振り払った。それでも、なんとか手を差し伸べようとする側近の手は、容赦なく爪を立てて引っ掻く。触れるなと、その小さな全身で主張していることは明らかだった。
こうも拒絶されては、なすすべなく引き下がる方が正しい対処であったのかも知れない。しかし、ビショップにその選択肢はなかった。
駒を投げつけたり、床を殴ったり、頭に爪を立てたり、そんなことをしていては、ルーク自身が傷つくことになる。自分の見ている前でルークが疵を負うこと、それは、ビショップにとって、あってはならないことであった。
なるほど、このための拘束衣であったか──遅ればせながら、ようやく青年は、その衣装に取り付けられた頑丈な革ベルトの用途に思い至った。
だが、今更それを締めずにいたことを悔やんだところで遅い。それに、たとえこうなることが事前に分かっていたとしても、少年の細い手足を縛っておくことが、はたしてビショップに出来たかどうかは分からなかった。

全力で暴れる相手を、乱暴な力任せでなく、極力痛い思いをさせずに押さえ込むなど、武術の達人でもなければ、そう簡単なことではない。承知していながらも、青年はなんとかして、ルークの動きを封じようと努めた。振り払われ、殴られ、引っ掻かれながらも、手を差し伸べることはやめない。
無礼を承知で、とうとう少年の手首を掴み上げ、羽交い締めの格好にする。ひとまずこれで、腕は封じた。振り回した手をどこかへぶつけたり、爪を立てて頭をかきむしったりして、自分自身を傷つける心配はない。
ビショップは小さく安堵したが、それも束の間のことだった。自由を奪われると、ルークはよりいっそうに烈しい抵抗をみせた。

「なんで、なんで! 一緒に、っう、あ、あ…!」

泣き叫ぶ少年の大きく開いた口の中に、ビショップは咄嗟に己の指を押し込んだ。考える間もない、反射的な対処だった。
その直後、上下から閉ざされる歯列に、青年の指は容赦なく挟み込まれる。

「……っ」

眉を寄せて、青年は骨を砕かれんばかりの痛みに堪えた。たかが子どもとはいえ、人間に備わった咬噛力というものは、決して侮ってはならない。まして、錯乱して制御を失った相手ならば、なおさらである。
そんな危険に自ら手を突っ込んだ、ビショップの行為は、愚かな自殺行為にほかならないといって批判されるべきことであったかも知れない。
だが、ビショップは後悔などはしていなかった。たとえ、指を食いちぎられようとも、構わなかった。それでルークが、自らの舌を噛み切らずに済むのであれば、構わない。いくらでも、代わりに犠牲となろう。
咄嗟の判断は、どうやら間違いではなかった。自らの歯を損傷する危険もいとわずに、ルークは口腔に押し込まれたものを、力の限りに、ぎりぎりと噛み締める。これでは、柔らかな舌を引き裂くことなど、容易いものであろう。

「ん、っぅ、……う、ぅ……!」

くぐもった声を喉からもらして、ルークは忙しく頭を振った。咥えさせられたものを食いちぎらんばかりに、何度も何度も牙を突き立てる。
その間にも、がむしゃらに振り回される腕を、片手で苦労しつつ押さえ込みながら、ビショップは、このままではまずいということを直感していた。
そろそろ、口腔に突っ込んだ指先の感覚が痺れて失われつつある。ルークが自然と気を落ち着かせることを期待するのは、あまりに望みが薄い賭けだった。
ならば、とビショップは室内の一方向に視線を走らせた。あまり手荒な真似はしたくなかったのだが、仕方あるまい。
意思を固めると、噛ませた指はそのままに、ビショップは少年の腰に片腕を回して抱え上げた。手足をばたつかせて抵抗するのを無視させて貰いつつ、引き摺るようにして、目的の場所へと向かう。
手早く扉を開け、至った浴室で、ビショップは躊躇うことなく、シャワーのコックを全開にした。

「…………!」

勢いよく噴出した冷水を頭から浴びて、ルークはびくりと身体を跳ねた。嫌がるようにもがくが、腰にしっかりと回された腕は外れない。ずっとビショップの指を噛み締めていた口が大きく開き、酸素を求めて息喘ぐ。
少年の口腔から、感覚の失せた指をずるりと引き摺り出すと、ビショップは両腕ごと細い身体を抱きすくめた。抵抗を封じられ、それでも暫し、ルークはもがいていたが、全身がずぶ濡れになる頃には、すっかり大人しくなっていた。
落ち着いたというよりは、茫然自失といった方が精確であろう。少年の全身はすっかり力が抜けきって、ビショップの抱き支える腕がなければ、重く水を吸った衣装に引き摺られて、そのまま崩れ落ちてしまいかねなかった。
頃合いを見てシャワーを止めると、腕の中の濡れそぼった少年の姿を、ビショップは痛ましく見つめた。髪から、だらりと垂れた指先から、衣装の裾から、ぽたぽたと落ちる滴が床を叩く音だけが、室内に反響する。
ひどい無礼を働いてしまったことを、胸の内で詫びつつ、ビショップは少年の身体を静かに横抱きにした。空っぽの浴槽に入れてやり、ぐしゃぐしゃに濡れた衣装を脱がせる。
先ほどまでの暴れようが嘘であるかのように、ルークは従順だった。何一つ言葉を紡ぐことなく、ぼんやりと虚空を見つめ、側近の手に身を任せる。
手足を振りまわして抵抗されることに比べれば、それはとても扱いやすいことは事実であったが、かといって、ビショップは喜ばしい気分に浸ることは出来なかった。今のルークならば、口の中に指を入れられるどころか、首に両手を掛けて締め上げられたところで、身動きひとつ、瞬きひとつ、しないように思われた。そんな在りようが、歓迎すべきことであるとは、とても思えなかった。

衣装を脱がし終えると、ビショップは再び、シャワーに手を伸ばした。湯の温度と水勢を手のひらで確かめつつ調整し、力なく浴槽の中にもたれる少年の身体にシャワーヘッドを向ける。
柔らかく降り注ぐ温かな湯が、冷え切った白い身体を包み込んでいく。身じろぎひとつせずに、ルークはそれに身をさらした。
そちらに注意を払いながら、ビショップはルークのぐしゃぐしゃになった衣装と水浸しの床の後始末を行なった。暴れる少年を押さえ込んでいた彼自身、ずぶ濡れであることに変わりは無かったが、この場で着替えるわけにもいかず、衣装の上から軽く拭くだけにとどめた。
結局、十分に身体を温めた後、身体を拭かれ、寝台に運ばれ、寝かしつけられるまでの間、ルークは何も話さなかったし、その瞳は何も見つめてはいなかった。



翌日、伯爵の呼び出しを受けたとき、ビショップはいったい、何を言えば良いのか分からなかった。何を説明すべきであるのか、あるいは、説明を要求するべきであるのか。それさえも、昨日の一件については、判断がつかなかった。
しかし、結論からいえば、それはどちらも達成されなかった。何も問わずに、伯爵は青年を寝台に招いたからだ。
ビショップの顔や腕に残る、無数の痛々しい引っ掻き傷を確かめるように触れて、老人は深々と溜息を吐いた。

「あれにも困ったものだ。死んだように眠ったかと思えば、狂ったように暴れて手がつけられん。弦の壊れた楽器と同じよ。……今はただ、〈調和〉を待つばかりだ」

時折、伯爵がルークを寝所に呼びつけるのは、そのための「調律」を為しているとのことだった。
それ以上のことについて、伯爵は触れようとはしなかった。あの白い少年を招き寄せて、いったい、天蓋の下で何が行なわれていることか、それはビショップの知るところではない。
傷がいずれも浅く、心配のないことを確かめて、伯爵は窘めるように青年の頭に手を遣ると、鳶色の髪をかきまぜた。

「お前もお前だ。必要な場面以外は、縛って転がしておけと言うておろうが。それが最善だ──あれにとっても、お前にとってもな」

互いに疵をつけあうような真似だけはやめてくれと、老人は嘆かわしげに首を振って告げた。物憂げに瞳を伏せて、ビショップは曖昧に頷いてみせるのみだった。



いったい、ルークが何故あれほどの烈しい情動を暴走させたのか、その理由はビショップには分からなかったし、誰に問うことも出来なかった。問うたところで、あの特異なる少年の胸の内を、正しく理解し説明出来るような者がいるとは思えなかった。

ならば、理解など放棄して、ただ「そういうもの」だと割り切って、深入りせずに済ませる対処が、最も適切であったのかも知れない。伯爵の言う通りに、その拘束衣を活用し、パズルを制作するときには足を、歩かせるときには手を縛って自由を奪っておけば、対処は格段に楽になったことだろう。
しかし、ビショップにはそれが出来なかった。取り乱し、見るに堪えない姿を晒したルークに対して、青年は、期待を裏切ったといって幻滅することも、憤ることもなかった。むしろ、より興味を惹かれた。強烈に、惹きつけられた──圧倒された、といっても良いかも知れない。

ルークに、計り知れないものを感じた。
いったい、その内側に、何を秘めているのか。
冷たい殻に覆い隠して、どれだけの情動が渦巻いているのか。
どうして、こんなことになったのか。
分からない──そんなことは、一つも分からない。それでも、だからこそ、言えることがある。

ルークは、ただ一度の存在だ。
同じものを、二度と、創ることは出来ない。
奪われ、刻まれ、蝕まれ、その結果として、壊れることなくぎりぎりの境界を保って存在している、それがルークだ。
その存在そのものが奇跡としか思えない、神聖なまでに貴重な、たった一人だ。

おそらくは、ただ白く人形めいた生気のない少年というだけであれば、いくら伯爵直々のお墨付きがあろうとも、ビショップはここまでルークに心を奪われることはなかった筈だ。あくまでも淡々と、業務上の最低限の働きをこなすに留まっていたことだろう。
それは、初めて出逢ったときからいえることであった。あのとき、ルークの淡青色の瞳に一瞬過ぎった、苛烈な情動──その色に、ビショップは惹きつけられたのだ。この少年が、ただのお飾りの人形などではないということを、実感したのだ。

身勝手なことと知りながらも、少年の小さな胸の内に眠るものに、ビショップは思いを馳せずにはいられなかった。
あの少年は、何を求めているのだろうか。
あの少年は、何を奪われたのだろうか。
必死に手を伸ばし、泣き叫んで追い求める、その姿は、ビショップの内に古く苦い記憶を湧き起こらせた。ああして、自分もかつて、もがいていた──天の父からの愛を得るために。
どうして、あなたは私の側にいてくださらないのか。
どうして、あなたは私を救ってくださらないのか。
どうして、あなたは私をこんなにも苦しませるのか。
どうして、あなたは私をこのような苦難に遭わせるのか。
どうして、あなたは私をこのような苦痛に突き落とすのか。
どうして、あなたは私をこのような険しい路に向かわせるのか。
どうして、あなたは私を見放したのか。
どうして、あなたは私を愛してくださらないのか。
いつになったら、あなたは、その手で私を救い上げてくださるのか。
白い少年の叫びは、ビショップには、そういって悲痛な訴えをなしているように聞こえた。絶望の中で、決して掴むことの出来ない一点の光に向けて、何度も手を空振りさせているように見えた。

もちろん、特異なる頭脳を抱く選ばれし少年の心境を、一介の凡人ふぜいが推し量ろうなどと、出過ぎた真似であるにほかならない。身の程を知れといって、叱責されてしまうかも知れない。
それでも、ビショップは、あのようなルークの取り乱した姿を見て、痛ましく思わずにはいられなかった。己の尺度で他者を測る愚を知りつつも、その心の内に寄り添わずにはいられなかった。
それこそ、不敬であるとして非難を浴びることになろうが──ビショップには、ルークが哀しかった。必死に手を伸ばして求めてもかなわない、その嘆きを、自分のことのように感じて、痛かった。
慰めてやりたいと、身の程知らずにも、願ってしまった。

一方で、手の届かぬ崇高なものとして、平伏し讃美しながらも、同時に一方で、哀れな少年とみなして同情心を抱く。ビショップにとって、ルークは常に、その相容れぬ矛盾によって構成された存在だった。

何によっても汚されぬ、気高く美しい白の塔は、途方もなく欠落しきっていた。脆く、今にも崩れ落ちそうに綻びながら、なんとか危ういバランスの上に成り立っている。その欠落が、彼の非現実的な美をよりいっそうに高め、奇跡的な存在に至らしめる。ヒトとしての規格を外れ、ルークは「ルーク」として形を結んでいく。
その先には、いったい、何が待っているのか。最も強く、美しき存在──人類の究極の理想像、ファイ・ブレインが、ここに完成するのだろうか。
それは、なんて白く、麗しく──歪な塔になるだろう。



ルークの「発作」は、他人にはまったく分からないきっかけによって、前触れなく起こった。
初回の反省を踏まえて、ビショップは彼が舌を噛まぬよう、指を突っ込むのではなく、代わりに布を噛ませるというよりスマートな方法を会得した。暴れる少年の爪を避けつつ、上手く押さえ込む方法にも慣れた。
腕の中でもがく少年は、普段の希薄な在りようを埋め合わせるかのごとく、ビショップに強烈な存在感を与えるのだった。
ああ──生きている。
人形めいたルークの在りようから、つい忘れてしまいがちになる、そのことを、ビショップは小さな身体を押さえ込みながら実感する。
拘束衣を有効活用することなく、あくまでも自分の腕で、かき抱くように拘束する理由は、その実感を得たいがためであるのかも知れなかった。そのときだけは、ルークがここにいることが分かった。

ルークの思いを知りたい。その心を知りたい。願いを知りたい。そして、出来ることならばそれを、叶えさせてやりたい。
一方で聖なるものとして崇拝しながら、一方で無力な子どもとして庇護してやりたいと望む、それがいかに矛盾したことであるか、ビショップは承知していた。だが、ルークに関しては、不思議とそれが両立してしまうのだった。

──罪悪感。
自己満足の、罪滅ぼしに過ぎないのだと、そう言われては、何も返す言葉が無い。この白い少年の現状について、組織の一員として、ビショップは責任を負っているのだ。どの程度の重さであるか、それは分からない。分からないが、それは確実に青年の胸を噛んで、外れることがない。
かつて彼の父親は、極秘のプロジェクトに関わっていた。実験箱の中のシロネズミとは、あれは、いったい何を指していたのか。そして、子どもの扱いに関する彼の問いに、自分は、何と答えたか──そのようなことは、既にビショップは覚えてはいなかった。それでも、何か自分が、大きな過ちを犯したという感覚だけは、はっきりと息づいているのだった。

直截に、手を下していないとしても。
何も、知らなかったのだとしても。
罪は、それ自体として存在する。消し去ることも、軽くすることも出来ない。
──あるいは。
そうすることで、自分はこの少年と、何らかの細い繋がりを持ちたがっているのだろうかと、ビショップは自嘲した。




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完成版『優雅に叱責する聖職者』(A5/156p/ビショルク)は6/24φプチ発行予定です。(→offline

2012.06.21

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