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Species-フラグメンツ- / Sugito Tatsuki






語られぬ話、
封じられた記憶、
記録されなかった言葉、
表層に浮かんでは深遠へ融ける、
その螺旋に刻み込まれた歴史だけが証で、
拾い集めた断片(フラグメンツ)が形成して
枝葉を伸ばすフラクタルの、
これはささやかな末端だ。



fragment-02



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いくつもの目に取り囲まれたブルーの内奥は、恐怖と嫌悪で満たされた。 自ら生起したのではない、それらは周囲より直接に流れ込んだ情動だ。 自集団を脅かす異能力を持つ存在を認めることを拒み、貶め、支配することで 己の優位を確保しようというのだろう。 絶え間なく注がれる好奇の視線に乗せられたその情動を、自らを防衛するために 受け流す、あるいは遮蔽するといった対抗策がとれるほどの適度な精神の感度の鈍さを、 ブルーはしかし、備え持っていなかった。 ブルーのきわめて鋭敏な神経は、己へ向けられたいかなる情動も、完全に遮断し拒絶するより早く、 はじめからはっきりとしたかたちで感じ取ってしまう。 無防備な柔肌に針のように突き刺さる情動は、一つ一つはまだ耐えられる程度であっても、蓄積し、 やがて身を貫くほどの禍々しい力をもって、ブルーの内側でうごめき、暴れまわる。 必死で逃れようと、張り巡らされた防壁を、それは削り取って、嘲笑うかのように浸蝕し、 ブルーの精神を荒らし食い尽くそうとする。 抗い、耐えるごとに、ブルーはより一層に傷を深め、その心はいつも新たな血を流す。

人目を引かざるを得ないブルーの容姿は、実験者たちの統制されるべき個人的情動を呼び起こし、 好奇の目で見られるに留まらぬ「例外的」扱いは次第にエスカレートしていった。 それでなくとも、最初の存在であり、『ブルー』と呼ばれ個体として他とは識別される特異な対象だ。 ──その名は当時、サイオン分析機器の仕様上、彼のサイオンパターンを可視光の波長に置換した際、 たまたま青色で表現されたという、そのためだけに由来するのではないと、ラボラトリでは 下卑た冗談が飽きず語られていた。

そんな者たちからの、情欲に満ちた思惑を、更には不当な行為を、 ブルーは、 集団の象徴とみなされて、また自らそうであろうとして、 ──一身に受け続けた。 暴行を受け辱められた身体も、 醜悪な情動に晒され汚された精神も、 抱いて生きなければならなかった。



識別されていたのは『ブルー』だけであった。 彼と、その他大勢とは、明らかに区別された。 必要を超えて個としてみなさぬよう、努めて心理的距離を保とうとする実験者の意図から、 被験体らは例えば囚人のようにナンバーで呼びかけられることもなかったし、 特定の担当者がつくということもなく、「実験」は多く、目隠しをした上で行われた。 それは被験体の統制というよりむしろ実験者側に起こり得る何らかの心理的効果の排除のために必要とされた条件であった。 忌むべき存在と解っていても、見た目が人間と変わらないから、 それも多くが幼い姿をしていたから、 マザーの絶対命令を理解していようとも、 ともすれば人間扱いしてしまう恐れがあった。 何しろこんな存在への対応など、過去に例がない。 階級や出身地、容姿による偏見や差別は未だ根絶されることなく、 今後の解決課題として人類社会に影を落とすという背景があるといえ、 これはもっと極端な──自分たちとは全く別種の、絶対の「敵」であるというのだ。 扱いに困惑するというのが多数派だろう。

その中でも、熱心にマザーの命に従おうと、矛盾と戦いつつ「研究」に励む者もいれば、 そうでない者もいた。 寄せ集めの集団は決して一枚岩ではなかったのだ。 例えば、被験体は厳密な条件統制下に置かねばならないという基本事項にも かかわらず、その個体──『ブルー』が、度々逸脱した扱いを受けていることは 誰もが知っていた。 結果に影響が出ると苦情を受けた、彼らの言い分はこうだ──
すなわち、マザーに求められし我々の従事すべき研究は、どうすれば Mを発見出来るか、どうすればそれを滅ぼせるか、それだけが目的であって、 その行動特徴やら生態やらを事細かに把握する必要などはない。 それは研究をお題目にした、単なるいち個人の趣味でしかない。 サイオン検出機器の目覚ましい性能向上から、その発見法はもう確立されたといって良く、今後生まれるMは 取りこぼすことなく迅速かつ確実に一匹ずつ潰されるだろう。 これまでの分の根絶手段としては、どうも一所に集めて星ごと破壊し滅ぼすというこの上なく確かな手段を とることになるらしいから、実はもう「実験」の必要はどこにもない。 つまり今、一見仕事熱心に見える者たちの行っていることは、データ収集など目的ではなく、 ──それを行うこと自体が目的だ。 やっていることは、各々の好みに応じて機器につなぐか肉とつなぐか、その楽しみ方の違いだけで、いい玩具であることは同じなのだ。 だから今更条件統制など、どうだっていいことだ。 剰余変数がいくつあろうと、その影響と対策について考察する必要はどこにもないのだから。 どうせもう捨てると決まった玩具を、手慰みに誰がどう使おうと、一向に構わない筈だと。


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捕虜に対する暴行を禁じた条約は、人類が已まぬ争いに明け暮れた古くより存在した。敵を支配下に置けば、当然虐げなければ気が済まないのが、戦場における人間の剥き出しの性だからだ。実際のところ、遵守されることは叶わなかったようだが、取り決めの存在しないよりは、形ばかりのそれでも、あったほうがまだ良いだろう。
なぜなら、そこには「罪」があるからだ。
人間(ヒト)人間(ヒト)が在るとき、そこには罪が成立する。
一方、我々の上には、いかなる罪もなされない。

「罪」の反義語(アントニム)は何であるかという命題に、ある者はそれを罰であるとし、またある者は神の愛と、あるいは無垢と、それから、そんなものは存在しないと問いの欠陥を指摘する者もあった。

私は思う。

罪の逆は――「信じること」だ。
確信すること、信仰すること、狂信すること、すなわち己の正当性を自明に知っている状態である。 罪を規定するのは律法でもなければ社会通念でもなく、ある者の内に「罪悪感」と呼ばれる情動の生起することで己の罪を知ることであると主体に還元するならば、信じる者の内に罪の意識は起こり得ない。
――たとえその目の前に、泣き叫ぶ罪の犠牲者があったとしても。

だから、絶対者の審判を信じ、我々の上に為された全てのことは、罪として数え上げられることはない。 実験動物扱い――いや、動物を被験体とする場合、その実験内容は詳細に吟味され、倫理委員会の許可なくしては実行出来ないという規定が大昔から存在している。むしろ人間相手の実験に対する公式規定の方が制定が後回しになったくらいだ。
正規の研究の対象ですらない、我々にはかほどの守られるべきささやかな権利すら保ち得ない。

存在自体を許されないのだ。
あってはならないモノに、――認められる権利などはない。



――『虐殺を生き延びた或る男の手記』より


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磁場発生装置を流用してのサイオンのキャンセルと、神経伝達物質の投与による思考の混濁化、またそれに伴う身体活動の沈滞ならびに運動の制限。 未知なる恐るべき化け物を相手どるには相応しい慎重さでもって、脅威たる異端の力は封じられた。

男たちは言った。 こうしてしまえばただの子どもだ、人間と変わりないじゃないか、と。 恐らくは深い考えなしに発せられた、だからこそ事の本質を突いた、正直な感想であろう。 その言葉を、ブルーは後に、長きにわたり忘れ難く記憶に留めることになる。 どこか意識の片隅で、人間とみなされていればこそ、このような情動を向けられるのだ。 これは「化け物」をいたぶり弄ぶための行為ではない。 気付いていないだろう、彼らがブルーを貶め、征服しようとすればする程、逆にブルーは 自らの人間の証明をより強固に抱く。
歪んだ構図が、限定された世界に成立していた。



ラボラトリの配属を間近に控えた学生たちが、前回提出したレポートでうっかり回帰直線を 結び忘れたままデータを送信してしまった失敗について、軽口を叩いて笑声をあげているのが、 仰向けて薄暗い天井を虚ろに見上げるブルーの右手の方から聞こえる。
複数人の顔面をそれぞれに識別して視認するために必要な機能を欠損し、 補うための特殊能力も今は封じられたブルーにとって、何人目だか分からない男が、 その力ない身を組み敷く。
男はブルーの耳元で、「君だけは助けてあげるよ」と、だから恨むなと、それが免罪符であるように 繰り返し繰り返し囁き、念入りに自由を奪った幼い身体に、それでも少し怯えつつ触れるのだった。 ――偽りの言葉に過ぎぬことが、思念を読むまでもなく、気弱な声から分かりきってしまうだろうと 想像出来ないわけでもないだろうに、敢えてそんなことを口にするのはきっと、罪悪感のゆえなどではなくて、 おぞましい「化け物」に情動を刺激されて手を出す愚かな自身への嫌悪を回避するための 便利な自己弁護なのだろうなと、ブルーは自分の上で息を乱して運動を反復する男に 身を押し拓かれながら、矢張りぼんやりと天井を眺めつつ思った。

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