Species-フラグメンツ- / Sugito Tatsuki
語られぬ話、
封じられた記憶、
記録されなかった言葉、
表層に浮かんでは深遠へ融ける、
その螺旋に刻み込まれた歴史だけが証で、
拾い集めた断片が形成して
枝葉を伸ばすフラクタルの、
これはささやかな末端だ。
fragment-09
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あまりに衝撃的な体験のゆえに、精神が崩壊の危機にさらされて働く自己防衛機能の作用によって、記憶が飛ぶというのはあり得る話だから、別段に気にも留めていなかった。――それが、意図をもって奪われたのだと、知るまでは。
あの日、あの星の最後の日、全ての哀れなる囚われ人は、自らの運命も知らず、ラボラトリ地下の巨大な牢獄に似た閉鎖区画に集められた。――そこまでは、はっきりと記憶している。
ただ、その後が分からない。
追想してみても、次の瞬間にはもう場面は切り替わって、開けた視界は既に、業火に巻かれ惨憺たる様相を呈した地上と、奪取した船、人々を先導する力強い彼の姿を捉えている。
きっと、あまりに目まぐるしい状況下で生存をかけた必死の働きをして、だから何も覚えていないのだ。
記憶を整理する暇さえなく、処理能力を超える膨大な情報にさらされて、だから思い出せないのだ。
大したことではない。
そう、疑いなく、信じ込んでいた。
自分は、必要なことは全て、覚えていると、
大事なことだけ、忘れずにいればいいのだと、
辛い記憶を重苦しくも抱えて生きているのだと、
少なからず、自負してさえいた。
何と愚かだろう。
自分は、自分の思うより、はるかに愚かで、あまりに――弱かったのだ。
耐え難いといって、過去に立脚することを拒み、記憶を手放して、苦悩を逃れ楽になりたいと願った、かつての愚かな己が惨めで、悔しく、しかし、完全に否定することは出来ずにいる。
記憶を封じて逃げることを禁じたならば、自分はきっと今、ここにいない。
彼の、ブルーの隣に立っていられる筈もない。
思い出す(のは、必然だったろうか。
完全に封じた筈なのに、
ずっと忘れていられたのに、
もう、どこにも逃れられなくなってから、
目を逸らすことも叶わず、抗う術なく、
受け容れるほかなくなってから、
どうしようもないのに、
思い出せ(と、
自らが深淵へと働きかけたのは。
けれど、どうしようもないのだ。
どうしようもない、思い出したところで、今更、
――どうしようもない。
罪は償えない。
何を差し出しても、自分は、ブルーに為した罪を赦されない。
罰は必然として、免れ得ない。
ブルーの視界に入ると思うだけで、
ブルーを視界に入れるだけで、
今すぐ死んでしまいたい程の痛みが走る。
記憶を取り戻したことで、本来ならもうずっと昔に受ける筈だったこの苦しみを知ったのならば、これはささやかな、己の罪の証なのだ。
遅れて訪れた断罪なのだ。耐える他ない。
それがせめてもの、出来る限りの、――償いなのだ。
――そう、己に言い聞かせて、都合良い逃げ道を用意する。
違う。
これは、償いなどではない。
決して、それに値するわけがない。
ただ罪の意識に耐えられない自分が用意した、甘く身勝手な解釈を持ち出しただけだ。
自分がこの程度、苦しんだところで、一体、彼に対する罪責が軽減されよう筈もない。
手を尽くす間もなく、あまりに脆く砕けてしまった、過去は、
そして、ただどうしても、ひたすらに大事に守りたかった、かけがえない存在は、最早、いくら手を尽くしても、修復することは叶わない。
閉塞した状況は、結局、ラボラトリであろうと、楽園であろうと、同じなのだった。
選ばれなかった未来は無い。
自分は、こうなってしまった自分しか存在しない。
それは既に定められたことであって、だから、正しい道など選べるわけがない。
それはいつだって、思い描く叶わなかった願望の上にだけある。
自分はただ、変わらずに、これまでそうであったように、同じように彼に仕え、
定められた役割を為しながら、心の内で、
決してそれ自体が罰などではない、已まぬ罪悪感に苛まれる。
それだけしかない。
何が出来る。
今更、ブルーに何を言えるというのだ。
罰してくれと、そしてしかる後に、赦しを与えて、救ってくれと、浅ましく請えるものか。
ブルーは全て知っている。
この愚かな弱者の、醜く汚れた在りようを、ブルーは全て承知して、その上で彼は、そんな者に役割を与え、ここに置いている。
だから、そのままに、望まれるままにある以外、自分にはないのだ。
分かり切ったことだ。
何に依っても、この世界は説明されない。
美しい解答は与えられない。
事象はあたかも理由なく唐突だ。
何にも規定を受けずに、はじめから、一つしか用意されていないだけだ。
ただ、一つの結末のために。
それが、我々の生きる世界だ。
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ブルーは、きっと、棄ててしまいたかったのだ。
あの星とともに、全て、棄ててしまいたかった。
覚えていること(を強要されて、当然のように求められて、それは彼の何より大事にした、仲間たちのためにこそ、拒むことは出来ず、自らに科し、
いつ終わるとも知れぬ生の続く限りずっと、ひとりきりで、非情な記憶を刻みつけられたその身を抱いて、ぼろぼろに食い荒らされたその精神を、保ち続けた。
棄ててしまいたかった筈だ。
あまりに酷い話ではないか。
彼だけは、その身の受けた全ての行為を、決して忘れることないよう、いかなる時も記憶の表層に留め置かねばならないなど――
他の者たちが、辛い記憶を早々に忘れて(、乗り越えて(、傷を癒して(、心安らげるために、代わってその苦しみを負わねばならないなど――
ブルーはそれが己の、――ソルジャー・ブルーの存在意義と規定している。
だから、忘れないように、薄れてしまわないように、いつでも鮮明に記憶を蘇らせられるように、ようやく痛みの和らいで塞がりかけた頃にまた傷口を、かきむしって、押し拓く。
そうして最早、じわじわとひどくなる一方の傷は修復不可能なまでに、とりかえしのつかないまでに、奥深くブルーを蝕んだ。
ブルーは言った。
傷は、見えなければ、無いのだと。
その通り、何も知らぬ他者が見れば、その美しい肢体には一つの傷も存在しない。
それならば、彼自身には――彼だけには、自分の抱く傷が、見えていたのだろう。
ことごとく汚され、傷を刻みつけられた、見るに堪えない、醜悪な己の姿が、見えていたのだろう。
いくら表面を元の通り、きれいにならして、無垢なる時のそれを取り戻しても、記憶のある限り、歪められた自己像まで元通りにすることは叶わない。
崇拝と敬愛の対象たるソルジャー・ブルーに向けられる他者の認知と、彼自身の自己概念は乖離するばかりで、ブルーはそうして、自分自身を、認識出来なくなってしまった。
更に不幸なことに、彼は誰より正確に己の置かれた状態を把握していた。
だから、何者にも気付かれぬよう、綿密に隠し通そうとした。
それが、彼の考えでは、大切な仲間たちを守るのに最善の術であったからだ。
もう崩れ落ちそうなのに、無理やりにかたち作って、保とうとしたのだ。
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傷痕は消して、もう存在しない筈なのに、忌まわしいばかりの感覚の記憶は深く刻み込まれて、神経から拭えない。
せめて上から、もっと烈しく、かき消す程の衝動で、奪い去ってやる他ない。
それがいつしか変容して、関連付けと解釈を探して、都合良く快楽に結びつけられたから、不合理と知りつつも、ブルーに求めて已まなくさせる。
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触れられない。
手をやれば遠ざかり、あるいは砕けて、何も残らず、何も得られない。
自分の範囲が掴めない。
外界が存在しない。
相対的に規定出来ず、認識出来ない。
こぼれてしまう。
捉える間もなく、自分が、
ほどけて、
流れ落ちて、
もう取り戻せない。
規定しなくてはいけないのに、
繋ぎとめられない、ままに、
――終わる。
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