Species-フラグメンツ- / Sugito Tatsuki
語られぬ話、
封じられた記憶、
記録されなかった言葉、
表層に浮かんでは深遠へ融ける、
その螺旋に刻み込まれた歴史だけが証で、
拾い集めた断片が形成して
枝葉を伸ばすフラクタルの、
これはささやかな末端だ。
fragment-16
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気付いた時には、もう遅かった。頭の割れそうな痛みも忘れるほどに、目の前でブルーの息喘ぎ悶える様に見入っていたハーレイは、まさか陵辱者たちの注意を自分が引いているとは思いもしなかった。いくつもの目が自分へ向けられていることに気付き、勘違いではないと認めさせられた瞬間、焦燥に駆られ、わけがわからぬ恐怖に陥る。
――何だ、何だっていうんだ!?
考えるだに恐ろしい、まさか、自分が新たな標的だというのか、どうして――何かの間違いだ、とハーレイは思った。今にも視線が外れることを信じ、願った。
祈りも空しく、男らの一人は非情にも、壁際に追い詰められて逃げ場なく震える者たちに迷いなくまっすぐに歩み寄り、ハーレイの目の前に立った。哀れなる標的を見下ろす態度はあくまで悠然としたものであった。
とてつもなく恐ろしい事態を予期して乱れきった頭には、ただ逃れることしか浮かばずに、ハーレイは後ずさろうと努めるも、身体は恐怖に固まって動かない。その腕は易々と男によって捉えられる。
あからさまに息を呑んでびくりと身を跳ねた、その図体に似合わず怯えきった小動物を連想させる哀れな反応を蔑んで男は言った。
「安心しろ、何もお前を取って喰いやしない。それどころか感謝されてもいいくらいだ」
特別においしい役をやろうっていうのだから、と続けた男の言葉の意味も分からず、強く腕を引かれて促されても、ハーレイは呆然と座り込んだままでいる他なかった。立ち上がることが出来ない。だめだ、従っては、いけない、引き返せなくなる――
しかし、痺れを切らした男が白衣からあの"護身用具"を覗かせて取り出そうとするのを見て、ハーレイは、
――それを見て、己の置かれた立場を、ただ一方的に虐げられて当然の存在たる無力な己を思い出した、ハーレイは、
――震える足で、よろめきながら、立ち上がった。
きっと、間違っている。
これは望ましくない行動だ、知っている。
けれど、そうせざるを得ない、今、この場において、自分は、
――刻み込まれた行動原理から、逃れられない。
そういうものなのだ、自分は、何一つ思い通りには出来ず、抗うことも忘れた。
とっくに諦めたのだ、逃れようなどと望みを持つのは、もうとっくに已めた筈だ。
ずっとそうだったじゃないか、
――ブルーと出逢うまで、そうしてきたじゃないか。
だから――戻るだけだ。
元の自分に、戻るだけだ。
ブルーが何か叫んでいる――何だろうか。
緩慢に立ち上がりはしたものの、一歩も踏み出せずにいる異端種に、男は大げさな溜息を吐いた。
「こんな小さい子に庇われて、恥ずかしいねお兄ちゃん? じゃあ魔法の文句をやるよ――これは実験だ(。な、出来るだろ」
学習された罰刺激としての電撃の効果は目覚ましく、ハーレイは最早、逆らう気も起こせなかった。引き返せない。拒否権など初めから存在せず、あるのは空しい抵抗だけだ。それも意味を為すことはなく、罰をその都度余計に受けることになるだけの、無駄な努力にすぎない。
言う通りにすれば、あの苦痛を、受けずに済むのだと、それだけがハーレイの意識を支配し、行動の基準を定めた。
うなだれて場の中心へ向かいのろのろと歩くMを促しながら、男は続けた。
「処分の前に、いい思いをさせてやろうじゃないか。我々人類はおぞましい異端種にだって寛大で憐み深い洗練された文明の誇り高き担い手なのだからな」
実験者たちの非道にして醜悪な思惑は、今やハーレイに直接に伝わって、詳細に理解することが出来た。強く背中を押されて、開けた場の中心に押し出される。周囲の男たちの、そして息を潜める同胞たちの、それぞれの感情が明瞭なまでに突き刺さって、ハーレイはそのいちいちに思考を囚われた。
どうした、さっさと始めろ、という声も遠く、見下ろしたブルーの細い身体はひどいありさまだった。
殴られたのか、面を背けて浅い息を継ぐ、乱れた髪に隠れた表情は読めないが、こちらに気付いてもいない程の憔悴しきった様子は明らかに知れる。仰向けた身体は力なく投げ出されたままで、白い腕は擦り傷だらけになって血を滲ませる。ぐしゃぐしゃになった上衣の裾から覗く剥き出しのか細い下肢は体液を伝わせて汚れ、力任せに掴まれた痕が肌にくっきりと刻まれている。
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声を発するつもりはなくて、ただの呼吸の動作だったのかも知れない。それ(の唇がまた、小さく開いて、濡れ光る舌先が覗くのをやけにゆっくりと捉えて、ハーレイは、腹の底から湧き起こる烈しい衝動のままに、幼い身体に圧しかかった。
心臓は激しく脈打っているのに、その瞬間、境界を踏み越えてしまった、その瞬間、送り出される血液の熱の全てが奪い去られて、己が冷え切った空洞となったかのようだった。
――このまま、止まってしまえばいいと、ぼんやりと思った。
乱暴に肩を掴まれ、床面に打ちつけられる衝撃が、覚醒を呼んだらしい。虚ろな赤の瞳が、一瞬にして焦点を取り戻し、見開かれる。瞬きもせずに、ブルーは、己の身を押さえ込む者の姿を捉えて、身を凍らせた。
「……あ、…」
震える唇は微かな吐息をもらしただけで、何も言葉を紡げない。ただ、遮蔽することなく内奥を透かしてしまう瞳は、紡がれなかった言葉を明瞭に代弁した。
――どうして、
ブルーの抑制出来ぬ内心の動揺が分かって、ハーレイは一層の苛立ちをぶつけるように、加減することなくその細い身を押さえ込んでやった。骨の軋む痛みにブルーの苦鳴が上がる。その些細な反応さえ、ハーレイは憎々しくて仕方がなかった。
「どうして」だと? どの口でほざくのか!
決まっている、お前のせいだ!
どうしてこんなことになった、こんな目に遭わなくてはならない、お前のせいだ!
お前のせいでこんなことになった、何もかもお前のせいだ、全てお前が!
内奥でどろどろと渦巻く熱の塊からとめどなく湧き起こって噴出する情動を隠さぬ視線の交錯は、ブルーに全て理解させるには十分だった。瞠られていた大きな目が、力を弱めて翳り、固く閉ざされる。強張った身体もまた少しずつ弛緩して投げ出され、完全にその身は従順の姿勢を示した。
「そうそう、最初から大人しくそうしていれば、もっと優しくしてやったのに」
「思わぬレア物が見られるな、何せ化け物同士のナマときてる」
思い通りに事が運んで、男たちは満足げに見物の態勢に入った。
ハーレイは既に頭に入っている行為の手順をなぞっていった。
絶望しきっていたのだ。もう、どうでもよかった。生きるべき(など――下らない。とんだ戯言だ。どうせ死ぬんじゃないか。どうしようと、我々は、全て!
衝動を、抑えることなく、そのままにぶつけた。徹底的に、貶めてやらなければ、気が済まなかった。
自分の下で、苦悶して息を乱し、固く目を閉じて、情動を突き上げる度に強張った背を反らして高く喘ぐそれ(は、ひどくつまらないものだ。
ハーレイは思った。
これは彼ではない。
守ろうと誓い、信じて、支えとした、あの儚い夢のような、美しくも悲しい、そして強く心を引きつける力を持った、『ブルー』などでは、決してない。
ただの都合良い道具だ。
たまたまそこにあって、行き場のない衝動を散らせるに丁度良い手段、それだけだ。
か細い腕が持ち上がり、容赦ない責め苦に限界を知らせて許しを請うように、ハーレイの腕にすがりついてくる。その度にハーレイはぞんざいに振り払う。それでも懲りずにしつこく何度も手をかけてくるから鬱陶しくて、意外に力の込められている、汗ばんだ華奢な指を、ハーレイは強引にひき剥がして掴み上げるや、忌々しく床に打ちつけて大人しくさせた。その時、何か外れるような妙な感触があったけれど、気にも留めなかった。
決して瞼を上げない、その苦悶の表情に、乱れた息遣い、声、身体の内も外も痙攣する動き、その存在の全てが、いちいちハーレイの情動を刺激した。
ああ、うるさい、うるさい!
黙れ、黙っていろ!
その口を塞いでやる、
その喉を塞いでやる、
何も伝達出来ないように!
首を、
その首を絞めてやる(!
悔しかった。
大事な大事なブルーが、あんな者たちにいいように弄ばれて汚されるのを、目の当たりにしなくてはいけない。それをどうすることも出来ない、己の無力が、悔しかった。そして、認めたくなかった。決して、認められなかった。
裏切られたと思った。勝手に神聖視していたのは一方的な理想像の強要なのに、その時、脆弱な精神は、己の非を受け容れる正当な術を全う出来るほど成熟していなかった。過誤を知ってなお、修正することが、出来なかった。代わりに現実をねじ曲げて解釈し、己に向けるべき憤りの矛先を逃れ、彼に転嫁した。
裏切った。
お前はこんなに醜いのに、
口当たりの良い言葉で騙した。
どうしてこんな思いをしなくてはならない。
返せ、『彼』を!
ブルーを返せ!
ブルーはこんな者ではない、
彼は不可侵なる純潔の存在であって、
こんな汚らわしいものではない、
お前など、
ブルーを騙って貶める、お前など、
消えろ、
――死んでしまえ。
異常な舞台で、ひたすらに、己の内なる衝動のままに、ハーレイはブルーを陵辱した。
ずっと、ブルーの心は閉ざされていた。力を奪われていながらも、身体を弄ばれていながらも、間違っても誰にも読まれることのないよう、意志を保ち続けた。
ハーレイは、ブルーがこのまま永遠に目を開けなければ良いと願った。目も耳も口も、心もずっと、閉ざしたままでいてくれと願った。
そうだ、
その心が読めてしまったら、その瞳の奥を見てしまったら、自分はもう、
ああ、
頑なに閉じられた、その目がもし、一瞬でも開かれて、自分を捉えたなら、
もう生きられない。
死んでしまう。
荒い息を吐く、自分の頬を伝うのは、汗なのか、血なのか、それとも他の何かなのか、もうハーレイには分からなかった。視界は歪んで、音はとっくに聞こえなくなっていた。
とうに受容の限界に至り、意識を手放した小さな身体をなお、強引に揺さぶって、辱め続けた。
見物していた男たちが、定期報告の時間といって、場を後にするまで、行為を止めることは許されなかった。
「とんだブルーフィルムだったな、後世に残る傑作だ」
面白い暇つぶしになったと嘲笑しながら、男たちは再び厳重に格子のロックをかけ直した。陰鬱な沈黙に呑まれる"オープンフィールド"中央で、今まで蹂躙し続けた白い身体の上からのろのろと身をどかせるMを振り返り、男はおどけて言った。
「はは、泣くほど良かったか? 惜しかったなドブネズミくん、もっと早く知っていたら毎日の慰みになったろうに」
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