saihate no henkyo >> 地球へ…小説



限界接触抵抗 / Sugito Tatsuki






-2-








目の前に、地球があった。

急激に意識を引き上げられた(.......)ソルジャー・ブルーは、一体誰が、何の目的で、いかにして己を強引に眠りから浮上させたのか思考を巡らせる前に、輪郭のぼやける視界に捉えた、青く輝くその姿を追った。
地球などなかった。
代わりに、ブルーはぎこちなく動かした瞳の端に、寝台から離れて立つジョミーを映した。ジョミーが自分を起こしたのだな、とブルーは理解した。どうしたんだ、と純粋な問いを思念に乗せる。 これまで、ジョミーはブルーに話したい時はいつも、まず控えめに思念を探り、ブルーを気遣いその負担とならないことを第一に確かめていた。ブルーが眠りを必要としている間は、ジョミーは邪魔にならないよう自分の思念を極力抑えこみ、ただ横顔を見つめるに留め、いずれその意識が自然と浮上するのを辛抱強く待つのが常だった。だから、ブルーはこんな風に深い眠りの底から意識を捉えられて無理矢理に目を覚まさせられたのは初めてのことであった。そのせいか、いまひとつ意識的にも身体的にも充分な覚醒が得られず、未だに頭がよく働かない。
緊急事態というなら、ブルーは周囲の異常をその鋭敏な神経で察知し自ら目覚めただろう。だが、こうして眠りから覚まされた今、特に周囲に空気の乱れは感じ取れない。覚醒を与えた張本人であると推測されるジョミーからすら、その性急な行いを為すに至った理由に値する何らかの訴えも発せられていない。
おかしい、とブルーは思った。ジョミーが返事をよこさない。彼が問いかけに対し何の応答もしないことなど、これまでに一度たりともなかった。また、隠すことを知らぬ筈のその心を、今、読むことが出来ない。──遮蔽している。ならば何故、自分を起こす必要があったというのか。すぐにでも話したいことがあったのではないのか。
己の思考の動きが軋むように鈍い、とブルーは実感した。

ジョミーが寝台へと近づく。ブルーを見下ろして立った、その位置は丁度、ブルーから見て眼振による視界のぶれの影響が少なく、最も明瞭に像を捉えられる角度をなす位置であった。ブルーが対象を詳細に見ようとする時はいつも、僅かに首を傾げる癖に気付いて、その理由を知ってから、ジョミーはそこを己の定位置としている。ブルーは先程より鮮明となったジョミーの姿を見上げた。感情的になっているところばかりを見てきたから、落ち着いた様子で微かに和らいだ表情のジョミーを見出し、少々意外に思う。ジョミーの深い緑の瞳は、光を湛え、どこまでも澄みきっていた。
ジョミーは寝台のフレームに手をかけると、ブルーに覆いかぶさるようにして顔を寄せる。互いの瞳の僅かな揺れも見て取れるほどの距離で、視線が交錯する。美しい目だ、とブルーは思った。 微笑したジョミーはゆっくりと目を閉じると、更に顔を近づける。柔らかに光を放つ金髪に視界を覆われたブルーは、ジョミーの呼気が己の唇にかかるのを感じた。そのまま、そこに温度をおぼえたと思うと、柔らかなざらついた感触に、舌を這わされたのだと知る。
ここに至って、ブルーは、いつまで経っても己の意識レベルが常のように緩やかな上昇を得ずに、覚醒に未だ遠い混濁した状態に留まっている異常に気付いた。思考が、働かない──妨げられている。 ジョミーが重ねていた唇を離すと、ブルーの瞳を覗きこむ。どういうことだろうか、とブルーは働かない頭で思った。
何故自分は目覚めさせられたのか。
何故ジョミーは何も言わないのか。
何故、意識活動が阻害されているのか。

ふと、ジョミーが眉を寄せた。ブルーにはそれが、泣き出しそうな表情に見えた。一瞬、心が揺らぎ、無防備となった、その機をジョミーは逃さなかった。
発せられた獰猛な攻撃(..)の意図に、意識レベルを沈滞させられた上に動揺から隙を作ってしまったブルーは、反応が遅れた。心を遮蔽する手続きを完了する前に、とめどない情動の濁流がブルーを襲う。濃密な汚濁した情動が、たちまちに希薄な己に入り混じる。呑み込まれ、染め上げられ、汚されていく過程をブルーは明瞭に捉えた。内側から起こる、身体の中心より指先に至るまで皮膚の下を撫で上げられるおぞましい感触に苦鳴を堪える。

衝撃に目を見開き、息を呑むブルーを、ジョミーは興味深げに眺め、意外と簡単だったなと思った。いや、準備が充分すぎるほどに周到であったのだ。彼を、一番深く意識を沈ませている時を見計らって強制的に目覚めさせた。覚醒を得てしまっては面倒だから、辛うじて状態の把握が可能な程度までで意識レベルの上昇を止めるよう思念で抑圧をかけておいた。ある程度は認識して貰わなくては意味がない、かつ、充分な抵抗が叶わない位の束縛の強度の調整は、どうやら上手くいったらしい。 末端を痙攣させ呼吸を乱すブルーの姿には、予期せず他者の強烈な思念を受けた際に生起する拒絶反応が見て取れた。この人もこんな風になるのか、とジョミーは暫しの観察から小さな発見をした。
これからだ、とジョミーは思った。流し込んだ己の情動の痕跡を辿り、顕わになったブルーの思念を捉える。それに己を重ね、這入りこみ、融合するイメージを想起する。 ジョミーの意図を理解したブルーは何とか抗おうと、自由にならぬ意識で己の遮蔽を試みる。
無駄なことだ、とジョミーは思った。

ジョミーは、ブルーにとって何が最も痛手を与えられることになるかを考え、ある結論に達したのだった。
それはジョミーの自殺(..)だ。
すなわち、自我の放棄である。自ら考え、行動することをジョミーに望むブルーに対して、その期待に全く逆らう行為は、彼の長きにわたる生涯の意義を全否定する仕打ちとしては充分だ。
彼に、過誤を見せつける。
あなたの選択は間違っていた。あなたの指名した後任者は役割を投げ出した。誰もあなたを引き継がない。あなたの思いはここで終わる。あなたは地球へ向かうなんて幻想を断ち切られる。いかなる未来においても、それは叶わないと知る。あなたのせいで、あなたは自ら思いを託した者の裏切りを呼び、絶望を味わう。
最早、術はない。あなたの全ては、あなたと共に終わる(...)
先はない、どこにもない、何もありはしない。

ジョミーは、ブルーに己の心を明け渡す作業を始めた。自己を確立しろというブルーの第一の教えに、その目の前で逆らってみせるという行為は、想像しただけでジョミーを高揚させた。心を委ねていく。初めての行為ながら、ジョミーはすぐに、そこに抗い難い甘美な魅力を見出した。何故ブルーが、こうも「自己概念の確立」に執着をみせるのかが解った。他者に己を委ねる快楽を覚えてしまえば、誰もが苦悩する自己など捨て去って、より快い方を求め堕落していくことを彼はよく知り、懸念していたのだ。だから、同調を超えて完全に心を委ねる行為を禁忌として同胞に教育し、過ちの犯されぬよう努めてきた。だが、禁止事項は、それが許されぬ事であるというだけで、既に誘惑的である。

苦悩の源たる自己を放棄し、煩悶を忘れ去り、空となって、ただ満たされたい。 そこには、自他の境界を保つ限りは決して得られぬ、全くの心の安寧があるのだ。そこへ到達したいと、ジョミーは力ずくで捉えたブルーの一端を押し開き、己を受け容れさせようと、衝動をそのままにぶつける。

だめだ、と呟くブルーの声には苦痛が滲む。強引に迫り、重く圧し掛かるそれを、受け容れることは勿論、拒絶して撥ね退けることも出来ない。それはジョミーが自らの意志で収拾するべきことだからだ。そうでなければ、ブルーの拒絶を受けてこの場は引いたとしても、きっと、目的が達せられるまで、ジョミーは同じことを繰り返す。そうしていずれは遅かれ早かれ、同じ結果へ至ってしまう。ブルーは、根本的解決、すなわちジョミーが行為の浅はかさに気付き、刹那的な衝動を制御する術を身につけ、二度と同じことを繰り返さぬよう強い自己を確立することを望んだ。ジョミーの内的過程に働きかけることは出来ない。その内に自発を待つのみだ。だからブルーは、ただ、耐える他ない。
絡めとり、融け合おうと侵入を止めない、底知れぬ強力な情動に囚われて同調しかけるのを、己の最後の砦で防ぐ。少しでも意識を揺らがせれば、僅かな隙間からねじ込まれてしまえば、──果てない衝動のままに食い尽くされる。いや、逆かも知れない。その段になれば、自分の方がジョミーをことごとく破砕して、取り込んでしまうかも知れない。ブルーにとって、そちらの恐れの方が脅威だった。ジョミーを失うわけにはいかない。まして己のゆえに彼を殺す(..)わけには──

抵抗を続けるブルーの思念を読み取り、今更何を期待しているのか、とジョミーは思った。ここで手を引くとでも、まだ間に合うとでも、思っているのか。遅い。もう既に、あなたのために、自分は終わって(....)いる。それを解らせてやろうと、ジョミーは一層、ブルーを探る思念に情動を織り込んだ。

──要らない、自分はもう、要らない。 僕はあなたで良い。他は要らない。
あなたとひとつになりたい。

「だめだ……それはだめだ」
朦朧とする意識で抵抗の姿勢を保つブルーは、うわ言のように繰り返す。あるいはそれは、ジョミーを制止するためというより、自分自身に対して、抗うよりも楽な方へ、流れに任せるという誘惑に囚われかけるのを戒める意味を持っていた。

頑なに侵入を拒むブルーに、ジョミーは不満を覚え、なかなか達せられずにつのる一方の欲求を、異なる形で満たす手段に出た。
ブルーは息苦しく喘ぎ、そんなことをしても何の意味もないのに、無意識の防衛反応からか、己に覆いかぶさる身体を離そうと、重く引き摺る腕を上げ距離をとろうとする。その両手首を掴み、シーツに押し付けて拘束するのはジョミーには容易いものだった。手を振り解こうと身をひねる抵抗も弱弱しい。そのひくつく喉元にジョミーが口づけると、びくりと身体が震える。首筋を辿り歯を立てれば、抑えきれなかった声が吐息とともにこぼれる。ブルーの力の抜けた手首はもう、解放したところで、おざなりの抵抗しか叶わない。

ジョミーはブルーの頤に指をかけ、顔を上げさせて固定すると、呼吸のために開かれた唇を唇で塞ぐ。舌を挿し入れ、内を探り、なぞり上げる。侵略に逃れる術なく、ブルーはただ速い呼吸を乱して息喘ぎ、上ずった声を上げる他ない。
ジョミーはその内側を余すところなく味わい、なぞり、侵し尽くす。熱い呼気が重なり、互いの唾液が混じりあって伝い落ちていく。水音と、擦過音と、切れ切れの声が更なる興奮を呼び、ジョミーはぬめる舌を、ブルーの舌と絡ませる。角度を変えて、より深く。
感触を、温度を、味を、探り得たい。
深く、深く、奥底まで、這入りこんで、包まれたい。
応えて、受け容れて欲しい。

……ひとりは嫌だ、助けて、安らぎを与えて、そして──眠らせて欲しい。

ブルーは再度、ジョミーに制止をかけ説得を試みようとして──出来なかった。暴力的な衝動の内にかいま見えたのは、注意を引いて助けを求める、今にも崩れ落ちそうな声だった。弱弱しいそれを、しかし確かに受け取って、ブルーは認識を改めざるを得なかった。
拒んだら、何が残る。
こうまでしなければならないほどに追い詰められ、ただ重苦しい未来に怯える子どもを、突き放して、ひとりにさせて、強くなれ、言う通りにしろと、それで一体、何を成させようというのか。

また同じことを、同じ過ちを、繰り返そうというのか。 決して埋めることの叶わぬと知る欠落を抱えて、長すぎる時を生きることが、どれほどの耐え難い痛みであるか、この身で分かりきっているのに。

ブルーは思った。この子の悲痛な叫びを拒むことは自分には出来ない。彼をこうまでしてしまったのは、ブルー、おまえ(...)自身に他ならない。だから、これでジョミーが満たされるというのなら、せめて、己の持つ限り、望まれたものを──明け渡せ。

頑なな心を解きながら、己を溶かし、流れ込む情動に呑まれ蹂躙を受けながら、奥底まで探られ征服されながら、ブルーは認めた。もう、終わっていた(......)のだ。気付かぬ振りを装って、気付かぬように強制して、けれど、最早、明らかとなってしまった。




ここが、僕たちの、限界点だったんだ。




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