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純粋接触分解 / Sugito Tatsuki






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反射的に面を上げたハーレイを待っていたのは、しかし、気恥ずかしげなブルーの微笑ではなく、──見た者を凍りつかせ微動だにすることも叶わないまでに威圧する、どこまでも表情のない、揺らぎなく据わった、──血を映す瞳だった。険しく睨みつけられているわけでもないのに、それを目にした瞬間、圧倒的な力に射抜かれる。兇刃を突きつけられたかのように、一瞬にして身体の自由をきかせられなくなったハーレイは、己に触れるその指先が恐ろしく冷たいことに突然に気付き、途方もない恐怖に陥った。どうすればいい、慄然とし乱れる思考で、離れなくては、とだけ切実に思った。正直な身は冷汗を流し、末端ががくがくと震え、声を失う。けれど身を動かして逃れることはおろか、視線を外すことすら出来ない。

「──何が"大丈夫"なんだ?」

ブルーは瞳を逸らしてやる慈悲もなく、視線でハーレイを射抜いたまま、極めて平静な声でゆっくりと問う。ハーレイは、その愛らしい唇が開くのを、この世の終わりと思えるほどに、己の危機的状況にあることをおぼえた。

「お前が僕を思い遣って出来る(...)とでも思っているのか? 己の情動を抑え込んだその状態を保ちつつ最後まで至り、目的を達せられるとでも?」

ブルーの声は、聞き分けのない生徒の過ちを諭す教師のそれに似て、あくまで穏やかであった。 ハーレイの内で、最早、遅すぎる警鐘がうるさく鳴り響く。浅はかな己を後悔していた。今日のブルーは落ち着き払った様子で、思念も安定していたし、どこか憂いに沈むようだったから、その心の隙から入り込めると、今が行動に出る時と図ったのだ。優しい彼のことだ、きっと穏やかに受け容れて貰えるだろうと確信したのだ。──安心して、慢心しきっていた。それがどうだ。目の前にある恐ろしく冷ややかな表情、この彼に、先ほど自分は何を言ったか、思い起こしては愚かな己を縊り殺したくなる。今ほど時が戻ればと思うことはない。
ブルーの指がゆっくりと、ハーレイの頬を上下して優しく撫でる。ハーレイの喉が鳴った。ブルーはその哀れな様子を楽しむように、冷たい面に柔らかな微笑を湛えると、こんな場面でなければ心に安らぎを与えて包み込む温かさに陶然としてしまうほどの、我が子への慈愛に溢れた親の声でもって問うた。

「どうして僕に触れたい?」

その問いに隠された意図を量ることの出来るだけの頭の回転を、緊張と焦燥に駆られた今のハーレイに求めるのは酷というものであった。けれども、この問いを与えられた最後のチャンスととらえ、必死で望ましい答えを返そうと、中途半端に考えを巡らせたハーレイは、愚かにも、最も避けるべきだった言葉を思念に乗せてしまった。あるいは、はじめからブルーは答えを予測して、ハーレイが知らずそれを選ぶよう仕向けたとも知れなかった。それはブルーには容易いことであっただろう。
ハーレイの思念の声により明確に返答を受け取ったブルーは、目を閉じ、深く息を吐いた。再び瞼を上げると、とるに足らぬどうでもよい対象へ向ける何ら力のこもっていない瞳でつまらなそうにハーレイを見遣り、そして顔を背けた。視線と、触れられていた指先の縛鎖から解かれ、ハーレイは身体をよろめかせて身を引き、後ずさる。ブルーは緩慢な動作で、仰向けていた姿勢を横向きに動かすと、シーツについた両の手と肘に重心を移し、気だるげに半身を起こす。呆然として立ち尽くしているハーレイには一瞥もくれず、俯いて面にかかる髪を払いもせずに、表情を隠したまま、低く呟く。

「思い上がるな。"愛している"などと二度と口にするな、不快に過ぎる」

静まりかえった室内には、最低限にまで音量の落とされたその声さえ充分なまでに通る。

人形でも(....)相手にしているがいい」

下がれ、という抗いようのない命令を受け、ハーレイは、覚束ない足取りでブルーに背を向け、歩き出そうとした。一刻も早くこの場を離れたかった。これ以上彼の近くにいれば、間違いなく何らかの望ましくない事態が生じると分かっていた。状況の更なる悪化を呼ぶわけにはいかない。これでは釈明も歩みよりもあったものではない、彼が早く常の安定を取り戻さないことには、──そうだ、本当の(...)ソルジャーはこんな人ではない筈だ。ハーレイは必死で希望的観測を思考に上らせるに努めた。そう、今日は偶々どうしたのか、運悪く、虫の居所が悪かっただけなのだ。大丈夫だ、こんなことで決定打にはならない、彼が機嫌を直せば、また元のように、変わらずやっていけるだろう──それだけのことだ。

暫く距離を置かなくては、と方針を固めた、その矢先だった。ハーレイの決心を一瞬にして砕き、押し流して全くの無に帰してしまったのは、ハーレイがその耳に捉えた、ほんの小さなブルーの呼吸音だった。それを、しかし、ハーレイは聞き逃さなかった。次の瞬間、ハーレイは迷わず方向を転換し、ついさっき忌まわしい思いをしたばかりの寝台へと駆け戻った。寝台の端に腰掛けたブルーは表面上、目を伏せ思索に耽るかのように、至って平静な様を保っていたが、ハーレイの駆け寄る姿を捉えると、僅かに狼狽を表出した。

「……下がれと言ったんだ」

心なしか揺れる声での拒絶の意に構わず、ハーレイはブルーの傍らに腰を下ろすと、その薄い肩を抱き、背に手を沿わせる。触れられた瞬間、ブルーはあからさまに身を竦めた。

「……く……っ」

ブルーの唇が震え、わなないて、吐息がこぼれる。隠そうとするように細い両手が上がり口元を覆うと、ブルーはとうとう堪えきれなくなったように背を曲げ、俯いて、苦鳴混じりの切迫した呼吸を繰り返す。肩は震え、鋭い呼吸音が止まない。ハーレイは己の判断が誤りでなかった確信を得た。先ほど、平静を装ったブルーの僅かな呼吸音の異常に気付き、それを無視して去ることを己の規律に反するとして戻った。果たして、懸念した通りであった。

「は、あ……っ、あ……!」

ブルーは痙攣する指先では最早隠しようもないまでに呼吸を乱し、苦しみに眉を寄せ瞳を潤ませ、肌を紅潮させて息喘ぐ。肩を上下させ、喉が壊れてしまうのではないかというほどに激しく呼吸を繰り返す。
──情動由来の呼吸器系発作か。
ハーレイは応急処置として、背に沿わせた己の手から、精神を安定させるための思念を送り込もうと念じる。

「触れるな!」

しかし、ハーレイの手はブルーの放った加減のない思念波の衝撃によって撥ね退けられた。ブルーは己の周囲に頑なな防壁を巡らせて徹底的に外界を拒む。粗密のある青い輝きに包まれた中で、なお一層、悲鳴に近い息を継ぎながら、ブルーは為す術ないハーレイに情動の滲む声を叩きつける。

「そうして触れるな、そうして見るな、僕を、価値あるように扱うな」

ブルーは寝台から腰を浮かせると、一歩も進まぬうちによろめいて、がくりと膝を折る。冷え冷えとした床に手をつき、うずくまって声にならぬ声を上げる。 呻くと、両腕を交差させて己の身体を強く抱く。

「放っておけ、自分で収める、お前では駄目だ、僕を飾って愛でるしか出来ないで」

自らの肩を骨が軋むほど力を込めて掴んでいた手が動き、今度は片手は頭部へ、乱れた髪を掴み、もう片手は衣のはだけた首筋に爪を立てる。皮膚を突き破らんと食い込むその痛みに、背を仰け反らせて声を上げる、快楽の虜に堕ちたようなブルーの姿が、ハーレイの奥底の情欲を呼び起こした。

「下がれ、早く!」

殆ど懇願に近い、ブルーの上ずった叫びは、しかし、聞き届けられることはなかった。床にうずくまるブルーの身体は、安定を欠いた粗雑な思念による防壁を力ずくで破り侵入したハーレイによって無造作にも腕を引かれて起こされると、そのまま寝台へと投げ出される。ブルーが何事か口にする前に、その身に圧し掛かったハーレイは、片手に収まるブルーの首を押さえ込むと、開かれた唇を塞ぐ。もがくブルーの抵抗に構わず、無遠慮な舌をもって、その柔らかなる内部を貪ると、更に奥へと侵略を図る。
逃れようとするブルーの舌を絡めとるのに成功したと思った、瞬間、脊椎を駆け抜ける鋭い痛覚を得てハーレイは身を竦ませた。──己を陵辱する舌に、ブルーが歯を立てたのだ。

ハーレイは咄嗟に唇を離そうとするも、ブルーに舌を強く噛み挟んで捉えられたままで、少し首の角度を動かそうものなら、一層に肉に歯が食い込み激痛が走る。急所を捉えられて本能が警告を発する。無防備に差し出した生命を握られていると否が応でも実感せざるを得ない──ブルーがその気になれば、このまま噛み切ることも可能だろう。しかし、恐怖心を追いやり、怯む身を奮い立たせて、ハーレイは一層に意地を燃やした。

舌を捉えられたままで、片手をブルーのはだけた衣の間に侵入させ、辺り構わず肌を撫でさする。舌にかかる歯の圧力が増し、ぎりぎりと容赦なく肉に食い込む。意識を囚われそうになるその激しい痛みをよそに、ハーレイは指先で、また手のひら全体で、ブルーの皮膚感覚を刺激して苛む。触れられるほどに、ブルーは反応を返すまいと耐えるように、頑なに捉えた舌を噛み締める。
腰から脇腹をなぞり上げてやると、ハーレイの舌を捉えるその力が、最後に一瞬抵抗を見せた後、とうとう瓦解して、甘やかな声がもれると同時に力を失った。ハーレイは解放されてなお痺れに痛む舌を引いて己の内に取り戻す。

目を伏せて呼吸を乱すブルーに、ハーレイは先ほどとは違う、情欲を包み隠さず表出した攻撃的な目を遣る。──今の行為だけでも分かった筈だ、あとは彼が許すかどうか──

「許可など求めるな」

荒い息の下からブルーは告げる。情動のゆえに潤み、鮮やかさを増した赤の瞳で見上げる。

「お前の好きなようにすれば良い。僕のことなど少しでも考えるな、──今だけは」

それが条件だ、とブルーは言い切った。

だから、ハーレイはブルーの言葉に忠実に従い、歯を噛み締める力の抜けた瞬間にブルーの唇からこぼれた熱い吐息を間近に捉えて呼び起こされた、その情動の赴くままに動いた。折角取り返したばかりの己の舌を再びブルーの内へねじ込む。 侵入する舌に、今度は拒まずに内を開き、激しく蹂躙を受けると、ブルーは自ら舌を絡めて応じ、己を組み敷く者の首に腕を回して強く引き寄せ、髪に指を差し入れて頭を抱いた。未だひりつくハーレイの舌を、ブルーが絡めとり、自ら為した傷口を押し開くように舐め上げると、走った痛みにハーレイは思わず苦鳴をもらす。唇が離れると、ブルーは痛ましげに呟いた。

──だから、下がれと言ったのに。




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