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単純接触効果 フラクタル / Sugito Tatsuki






-2-








冷たい身体だ、というのが正直なところ、第一の感想だった。その容姿から抱く印象の作用もあいまって、ことさらにそう感じてしまうのかも知れない。か細い首や、胸には、ちゃんとあるべき熱が通っているのだろうか。色素の欠落しきった皮膚の下には、生温い血液の循環があるのだろうか。思いを馳せずにはいられない。
何らかの繊細な感覚を捉えようとするかに目を閉じたブルーが拒まないのを見て、ハーレイはもう片手も同じようにして肩に置く。 両手の中に、小さな身体を容易く閉じ込めたかの感覚に、ハーレイは戸惑った。手のひらからは熱よりも、薄い皮膚の下の骨格の感触が直に伝わる。未熟な作りで簡単に壊せそうな身体の不安定な危うさを実感し、ハーレイは胸が痛んだ。

「――そう、こういう風に」

音量を落とした、掠れ気味の声でブルーは独りごちる。常に人々の前に立って鼓舞し、進むべき道を示す、勇壮な指導者たる力を宿した声ではない。こぼれてしまった、ブルーの心の一端に触れたようで、ハーレイは、もっと直接に受け止めたいと、強く欲した。
肩に置いていた片手を、刺激を与えぬように緩慢に移動して、瞼を下ろしたブルーの白い頬に触れる。滑らかな肌を優しく愛でるようにそっと撫でれば、長い睫の落とす影が揺れる様子が見てとれる。湧き起こる愛しさのままに、頤に指をかけてなぞり、おさまりの悪い髪を払ってやる動きに応じて僅かに顔を上げる、その表情はあどけなく、軽く閉じた目、僅かに開く可憐な唇は、美しい調和でもって無垢なる清らかさを構成する。自然と、幼子にしてやるように、慈しむ思いでもって、色素の欠落しきった髪を梳いていた。肌をかすめてくすぐられるのが気になるのか、小さく身じろぐ様子はとても可愛らしい。

吐息をこぼすと、ブルーはふと目を上げた。ハーレイに向けられた透明な瞳は心なしか潤んで艶めく。唇が動いて――何か伝えたいのだろうか。ハーレイは聴き取ろうと身をかがめた。ブルーはしかし、何も口にしないまま、腕を持ち上げ、躊躇いがちにのばして、ハーレイの首元に触れ、なぞった。ひやりとした感触と共に、言語化される以前の段階のイメージが伝達される。それは、優しい、あるいは温かいといった表現に落とし込むのが適当であろう、穏やかに生起する感覚の一種だった。冷たい指先を明瞭に感じて、ハーレイは堪らず、衝動的にブルーの身を引き寄せるや、強く抱いた。腕の中の身体は悲しいほどに抵抗がなく、存在の実感が儚い。己の腕に頼らせたくて、ブルーの背を支えたハーレイの手のひらが捉えるのは、押し当たる脊椎のかたち一つ一つの明瞭な感触だ。

――庇護されるべきだ、と思う。
集団の突出した頂点として、ブルーは人々を導き、護る役目を自身に課した。しかし、ともすれば忘れられてしまうけれども――ハーレイは、正に今、初めてそのことを発見(..)した己の都合良さに歯噛みした。ブルーは、集団より立って出た者であると同時に、紛れもなく、集団の一員だ。彼もまた、護られるべき存在だ――人々が当然に、その権利を有するように。

――だが、一体、誰が? ハーレイは自問した。
どれだけの力の持ち主ならば、可能だろうか? 
一体誰が、ブルー自身よりも、より強固な力で、彼を守ることが出来るだろうか? 
彼の庇護の下に生を繋ぐ、自分たちの中の、一体、誰がそのような力を持てようか――
この細い身体を、腕に抱いて、己の身の陰に置いて庇うことは容易なのに、本質的には何ら――

「守ってくれようというのか――本当に、優しい子だ」

気付けば、ブルーの腕もまた、ハーレイの身に回って、宥めるように上下している。 囁き程度の小さな声が、確かな意味をもって胸を打ち、隅々まで響いて、ハーレイはもう、抱き締めた腕を決して外すまいと切望した。
守りたいなどと、一笑に付されても当然の、身の程知らずにも過ぎる傲慢な考えが、他ならぬ思いを向ける対象たる彼に受け容れて貰えたのだという歓喜に打ち震える。一方で、それと同時に、思いを達成するにはあまりに無力な現状に堪え難いために、何の意味もなく彼を腕の中に拘束して、まやかしの自己満足を得ている矮小な己に、この上なく嫌気が差す。
ハーレイの内なる情動の高まりを知ってか知らずか、ブルーは続ける。

「自然にそう出来るというのは、代え難い、生まれ持って贈られた能力だ。正直、羨ましく思える」

「それは――このサイオンパターンは、物理的防御に特化した性質だというから」

そういう能力を持つ自分が、他者を庇うなり守るなりしたがる行動様式を持つのも自然なのだろう――ハーレイは思った。
小銃より音速を超えて飛来する弾丸すら貫通を許さぬ完全なる盾、それが身体的欠損を補うためと説明づけられるにはあまりに不可解なまでの、異端たる能力の数ある系統における異常な突出のうち、ハーレイに与えられた特性だった。自ら望んだわけでもない、そうなったのは、だから、ただの事象の発生における確率の問題であって、一体何を羨ましがられることがあるだろうか――ハーレイはブルーの言葉の意図を掴みあぐねた。天より贈られた、と形容するに相応しいような才能とは明らかに異質である。ヒトにあらざる恐るべき特殊能力は、アイデンティティーを確立するというよりも、むしろ、自らが不当に排斥を受ける原因となった忌諱すべきものでしかなく、それが望ましいものであるなどとは、到底思えない。同胞と協力し生き延びるためにはどうあっても必要で、実際に役立った能力だけれど、――そんなもの、持たずに済めば、それが一番だったのだ。
沈黙したハーレイの抱く疑問を受け取って、ブルーは新たに説明を加えた。

「表出した能力だけを言っているのではない、気を悪くしないで欲しい。つまり、他にいくらでも選択肢があった中で、ある方向に力が向かい、開花したということは、そもそもの個の気質に起因していると言いたかった」

特異なる能力の表出する方向性と、個の性質の検査結果が高い相関を示すというデータは、ラボラトリ初期における研究から既に自明である。もっとも、あたかも人間相手(....)に実施するかの穏健な性格検査などという代物は、すぐに用いられることもなくなったのだが――ブルーはラボラトリに蓄積されたデータを、そんな埃を被ったものまでこぼさず拾い集めて記憶していた。高い相関は因果関係に直結するわけではないから、実際にまず個の性質があって能力を方向付けているのか、若しくは備えた能力が性質に影響し規定しているのか、どちらのモデルが相応しいのか、統計的根拠はないのだけれど、とブルーは補足した。

「だから、優しいのは良いことだ」

その手は守ることが出来る。触れる術を知っている。それが羨ましい。飾りない言葉で告げると、ブルーは自らの手のひらを広げてかざし、僅かに目を眇めて華奢な腕を見遣った。
――この手は兇刃に似た力で圧倒する他ない。触れるより前に、打ち砕いてしまう。
独白は、伝達して聞かせることを目的としたものではなかったが、身体的接触の効果によって、声ならぬ声でもってハーレイの内にまで伝い聞こえた。予期せず聞きとってしまった言葉に、平静を装うことが出来なかった、ハーレイの拍動の変調はほんの僅かなものではあったが、ブルーに気付かれるには十分すぎる正直な反応だった。

「――ああ、伝わってしまって――いけないな、気が緩むとこうだ。どうか聞かないでくれ」

強烈すぎるあまりに制御が執り辛く、出力の安定しない己の能力を恥じてブルーは呟いたが、願いを聴き入れてやり、流れ込むその思いを撥ね退けられるほどに、ハーレイの自律能力は上等には出来ていなかった。むしろ、こうして触れることで、いつも張りつめたブルーの気が緩んだというのが、あたかも自分の手柄のように喜ばしいあまり、逆に、もっと知りたいと欲して、意識を沿わせてしまう。幸か不幸か、それでハーレイは、ブルーの言いたいことを詳細に把握することが出来た。

生きるために欲した力は、ブルーの場合、恐ろしい破壊能力のかたちをとって与えられた。導く者として必要とされた、その力は、ブルーの自己概念の拠り所であり、誇りであり、――また同時に、救い難い欠落をもたらす源でもあった。ブルーはその矛盾を十分なまでに理解し、そして思う。
――力を振るう度に、触れるものを突き崩して行く毎に、この身は代わりに熱を失っていくようだ。
おぞましい、醜悪なこの両腕は、既に冷えきって、生々しい感触も温度も忘れてしまった。

嘆くでもなく、憂うでもない、あまりに淡々とした情動の静けさに、ハーレイはかえって胸中を乱された。意識を向ければ、否応なく気付かされる――もう随分と長い間、近しく身を寄せているのに、ブルーの身体は、芯から冷えきったかのように熱を思い出さない。
温度の変わらない腕が上がってハーレイの肩を押し、緩慢に身を離させる。適当な言葉を見つけ出すことが出来ずにいるハーレイの様子を見て取って、ブルーは、別段に気を悪くした様子もなく、ただ一言、だから聞かないでくれと言ったのに、と苦笑した。












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