単純接触効果 セカンダリ / Sugito Tatsuki
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ジョミーは初めて逢った時から、今に至るまでずっと、馴染んで当たり前になることなく、いつも、ソルジャー・ブルーの瞳が気になって仕方がない。以前にそれを言ったら、彼は、その理由を「赤は注意を引く色だ」という一言で片付けた。
赤は情動に強く作用することが知られている。原始的な戦闘場面において、多量の赤──すなわち出血を目にすることは生命の危機と密接に繋がっていたためだろう、今なお人は赤色により興奮状態を呼び起こされる。交感神経の働きが促進され、その支配を受けて呼吸が早まり、拍動が高まり、血圧と体温の上昇が起こる。
対して青色は、代謝を抑制し精神を鎮める効果を持つ。だから、藍色の闇と青の照明に薄く照らされたソルジャー・ブルーの寝室、時間の止まったようなその場に、血液そのものを映した彼の瞳は、全く異質だ。
ジョミーは、その色のゆえに畏れる者も多い彼の瞳を、きれいだと思う。彼は目を開けて、こちらを見ている時が一番良いと思う。実際、彼が先程目を開けてから、自分の心持ちがそれ以前よりも落ち着いているのを感じる。彼の目はジョミーを安心させる。何故そう感じるのかは本人にもよく分からないけれど、とにかく彼は寝ているよりは起きている方が良いのだ。静かであるより、動きのある方が良いのだ。
ソルジャー・ブルーの瞳が他者の目をひきつけるのは、その色のみに起因するのではない。寝台に横たわった彼は身体を殆ど動かさないために、唯一動きのあるその目が、他者の注意を引くのだ。たびたび繰り返す瞬き、揺れる瞳は、飽きずいつまでも見つめていたいと思わせる。
自分のしたいと思うことに正直になろうと決意したジョミーは、ソルジャー・ブルーの頬に指をかけ、息を詰めて、長い睫に縁取られた瞳を間近に見つめた。心なしか潤んだ瞳が揺れ動く様子を詳細に観察する。じっと注視していると、あたかも瞳にすいこまれるような奇妙な感覚が起こる。彼が2回、続けて瞬きをする。そしてもう1回、しかしその動作は、今回に限っては不完全に終わった。瞬きのために瞼を下ろしたのではない、意識的に目を閉じたのだと、数秒経っても動く気配がないことで気付く。
「……どうしたの」
至近距離で瞳を覗かれるのを不快に思っただろうか。視界を占領されて嫌だっただろうか。返事もなければ動きもない無反応振りを不思議に思い、それから、焦燥に駆られた。
今となっては、彼は普段目を閉じていることの方が圧倒的に多いのだけれど、その瞼が下りているのは、また目を開くまでの一時的な状態に過ぎないと、また瞼が上がることを前提としてジョミーは捉えていたから、特に焦りを感じるなどということもなかった。
だが、意識もせず、当たり前であった前提が疑われた、この瞬間、焦燥に襲われた。
思わず、切迫した思念で、ブルー、と呼びかける。反応がなかったらどうしよう──その恐れはとりあえずは回避された。彼が緩く首を振ったのだ。それを見てジョミーは安堵を覚え、何をあんなに余裕を失ってしまったかと、先の自分を妙に思った。
そして、彼の次の言葉を聞いて、自分は本当に焦り混乱していたらしいと、何故彼が目を閉じなければならなかった(か、彼の事情を推し量って理由に思い当たることもなかった自分を恥じた。
彼は目を閉じたまま、呟くように言った。
「少し、待っていてくれ。めまいが酷い── 今、僕の目が振れていただろう、多分近くで見ていたら君も酔う」
好きにして良いと言っておきながらすまないが、おさまるまで待ってくれと言う。
何て身勝手なのだろうと、彼の言葉を聞いてジョミーは思った。本当に身勝手だ──自分は。
彼がその眼振(のために歪む視界に苦しみ、辛いのだということは分かっているのに、目を閉じてしまうのを惜しいと思ってしまう。目を開けて欲しいと願うことを止められない。
全くもって自分が嫌になる。彼を困らせてはいけないのに、そうやって無理をせがんで気を引きたいだなんて──まるで退行じゃないか。子どものすることだ。いや、そういうことなのか? もう失われて戻
らない、優しく切ない記憶となった両親の代わり(に、彼に構って貰いたいのか? そんなことを自分は、望んでいるというのか? ──納得がいかない。違う、求めているのはもっと違う、違うのは分かるのに、ではそれは何なのかと問われれば言葉を失ってしまう。
水平方向に揺れる彼の眼振は、視界をぶれさせ、奥行きの認識を阻害して細かな作業に支障をきたすのみならず、その根底にある平衡感覚の乱れのゆえに、各種の行動様式にも深く関わりを持つ。
例えば、これは余程彼に近しい者しか知らないが、ソルジャー・ブルーは階段を歩くことが出来ない。シャングリラ艦内はスロープとオートウォークのみでも移動に不便がないよう改造がなされているし、また必要に迫られれば、その欠落を埋め合わせるための能力を発揮して、軽く必要な距離を跳躍してしまえば良いので、日常的に問題が表出することはない。もし彼が階段を駆け上る、あるいは駆け下りる──こちらの方が危険は大きいだろう──そんな場面が起これば、彼の欠損した奥行認知と平衡制御のシステムは、数歩もいかないうちにその脚に自ら段差を踏み外させるだろう。
青く輝く淡い光を纏い、優美な肢体で空を自在に飛ぶ彼の姿は限りなく崇高で、迷いなく闇を切り拓く強さに満ちている。美の概念がそのまま現象界に降ろされたような、正に人では在り得ないような、ひとつの欠落もなく完全な絶対者たる存在と感じさせ、讃えるべきと思わせる。けれど、宇宙まで飛べるその身は、重力に従えば、ひとりではまっすぐに歩くことすら叶わないのだ。
彼の感覚世界は健常なそれではない。あちこちに欠落を抱えて、その分だけ代わる特殊能力を持つ。それでも彼は、聴力の落ちた耳で聴こうとするし、視界のぶれる目で見ようとするし、まっすぐに歩けもしない脚で立ち上がろうとする。
その姿はジョミーにとって、あまりに痛々しくて仕方がない。もうやめてくれ、と懇願したくなる。けれど──同時に、とても貴く感じられる。目を背けたいけれど、心苦しいまでに、美しいと思うのだ。
固く目を閉じ、僅かに眉を寄せたソルジャー・ブルーは、めまいによって襲う、回転椅子に乗せられたような世界のねじれる感覚に耐えているのが分かったから、ジョミーは話しかけることも出来ず、ただそれが彼から去るのを待つしかなかった。彼に何もすることが出来ない。彼は自分を見出し、誰より強い力を持つと言ってくれたけれど、こんな時に彼の力になれないなんて、悪い冗談のようだった。ただ悔しくてならない。安らぎを分け与えることすら出来ないのだ。まるで無力だ、と思った。
彼の手に手を重ね、握った。それだって、励ますとか安心させるとか、そんな意味などではなかった。そうではなく、彼がこのまま世界の歪みに呑まれて落ちていってしまうようで、それが嫌だから繋ぎとめたいという勝手な思いの表出に過ぎない。
──そう、繋ぎとめたい(。
共に宇宙へ昇ったあの時、星に引かれて落下する彼を追って、夢中で手をのばし、手首を捉えて離れないようしっかりと腕に抱いた、あの時と似た心境だった。
彼の世界は今、上も下もなく、浮上しているのか落下しているのかも判然としない、支えるものなく触れるものなく、ただ静まり返った空虚な空間の広がりを成している筈だ。それは宇宙に頼りない身ひとつで放り出された、気の遠くなる程の絶対の孤独だ。彼の手を握る手に力を込めた。支えになれるかと思った。ここが、あなたの立つ場所だと、自分が道標になればと思った。それも──勝手な幻想だ。
触れれば安心するなんて、
触れれば温もりが心を癒すなんて、
──思いが、伝わるなんて。
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