転生語『邂逅』 / Sugito Tatsuki
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ふと、気付いたのだが──と、ブルーはそう言って切り出した。世間話への導入だろうか。あまり突っ込んだ話をするのは、何か色々と怖いことが出てきそうなので遠慮したいところだが、何気ない表面上の雑談ならば構わない。無為にハーゲンダッツの帰りを待つというのも芸がないので、会話に乗ることにする。
「なにか?」
「いや、大したことではないのだけれど」
前置きして、ゆっくりと慎重に言葉を選びながら、ブルーは続ける。
「どうも、君を見ていると……不快だ」
ブルーが重々しく口にしたのは、そんな台詞であった。視線を外しながら。眉を寄せながら。深く溜息を吐きながら。
言葉を失う僕。当然だろう。何を言うかと思えば、「不快」って! 結構酷い部類の形容じゃないか。言葉を選んだ結果がそれってどうなんだ。しかも「大したことではない」とか言っていなかったか。いや、僕にとっては結構それ、大したことだけれどなあ!
すなわち、有害とまではいかないが、見るだけで不快。生理的嫌悪。視覚的暴力。……自分で言っていて悲しくなってきた。そこまで言われなくてはならない、何を僕はしたというのだろう。あれ、そういえば確か、前にも「気持ち悪いよね」とか誰かに言われたような。どうも僕は、いつも身に覚えのないことによって、多大な損害を受けている気がする。何か恨みでもあるのかと、周囲に本気で問い質したくなってくる仕打ちだ。落ち込む。怒るより、むしろ落ち込む。
さっきまで普通に喋っていたじゃないか。それどころか、ベッドに招き入れようとさえしたじゃないか。なんだ、寝惚けてよく見えていなかったのか? 「不快」の威力は、じわじわと効いてくるようだった。やっぱり容赦ない言葉だよこれ。
「……それが人に面と向かって言う言葉かというのはともかく、いっそ率直にキモいとでも言って貰った方が、心情的にはまだましだな」
折れそうな内心を隠して、精一杯の応答をすると、ブルーは「そういう意味ではない」と力なく首を振った。煩わしげに腕が上がって──包帯だらけの指が、眼帯に沿わされる。
「単純に、右眼が疼く」
覆い隠され、機能を果たさない方の瞳。そこに生じる不快感のことだという。
聞かされて──こういう反応をするのは、本来は不謹慎にあたるのかも知れないが、僕は自然と胸を撫で下ろした。
なんだ──そういうことか、と。少なからず、安堵した。想像していた事態と違って、今の僕の在りように、何か問題点があるわけではないことが分かったからだ。ブルーにとっては、わざわざ口にしたくらいだから、放置出来ない問題にあたるのだろうけれど。
不快といって、それは──仕方のないことだ。どうしようもないことだ。その眼と、僕を見ることとの間に、どのような因果関係があろう。胸やけがするとか、苛立ちがこみ上げるというならともかく──目が痛むのは、僕のせいではない。そんな道理はない。レモンを見ると唾液が出てくるとか、そういう話ではないのだ。第一、初対面では条件反応も何もあったものではない。見る者の特定の部位の痛覚を刺激するスキルなんて、僕は持っていない筈だ。多分。そんなのあったら便利すぎる。
「まあ、花粉症じゃないか? この春は例年より多く飛んでいるらしいからな」
「なるほど。じゃあ舐め取ってくれないか」
「お断りだ。頑張って独りでやってくれ」
「眼球がびくびくびくびくして止まらない」
……BAROQUE? また微妙なネタを……。
微妙さに自分でも気付いたのだろう。ああ、と小さく嘆息すると、ブルーは片手を側頭部にあてる。
「いけないな。まだ頭が上手く働かないようだ……すまないが、手伝って欲しい」
手伝い──目覚ましにラジオ体操でもするのだろうか。それなら付き合ってやってもいい。僕のラジオ体操は完璧だ。幼少時の夏休みに始まり、学校の朝礼、体育の授業と、常に皆の模範となる、緻密にして流麗な全身表現に魅入るがいい。密かに期待を募らせつつ、そんな内心は隠して、謙虚にも「僕に出来る事なら」と応じた。
ブルーは頷くと、緩く首を動かして、部屋の片隅を見るよう促す。
「そこに、容器があるだろう。氷砂糖が入っているから、一つ取り出してくれないか」
ラジオ体操ではなかった。残念だ。流水の動きを披露してやるのは、また今度にしよう。次の機会があればの話だが。
さて、示された先には、青い空気に溶けそうなサイドテーブルがあり、小さなガラス瓶が乗っていた。ご丁寧なことに、中身の氷砂糖まで青く染色されている──などということは、さすがになかったので安心した。言われるまま、蓋を開けて、適当な欠片を取り出す。
手に乗せて差し出してやると、ブルーは「ありがとう」と小さく頷いた。そのまま、氷砂糖をじっと見つめる。
「…………」
「…………」
……食べないのか? すぐに受け取って貰えると思って差し出したのだが、ブルーは一向に、自らの腕を持ち上げようとさえしない。僕の手のひらに乗った、それに視線を注ぐだけだ。
何か問題でもあるのか──いや、別に僕の触れたモノを食べるのが嫌というわけでもないだろうが。自分から頼んだのだし。まさか見つめるだけで養分を吸収出来るビックリ人間だったというのはナシとして、だったら何だこの妙な間は。
「あの……どうぞ……?」
何故か恐縮する僕。ブルーは不思議そうにこちらを見上げる。首を傾げ──そうしたいのはこちらのほうだというのに。何だその、いかにも意図の通じない相手に戸惑っているといった様子は。鈍いなあ、困るなあ、みたいな表情は。察しろ、みたいな暗に期待のこもった瞳は。
たっぷり見つめ合って腹を探り合った結果、相互理解が進展しないと見て取って、ブルーはようやく口を開いた。
「食べさせてくれないのか?」
「…………っ」
何でそこまで…! 距離なしにも程がある。あまりの衝撃的発言に、僕が硬直している間にも、ブルーは面を上向けて、薄く唇を開いて、ついでに何故か瞼を下ろして、え、なんだこれ、キス待ち? キース待ち?
「焦らさないでくれ、意地悪だな。さあ、早く……欲しい、入れて…」
「切なげにいかがわしい台詞を吐くな!」
ブルーはつまらなそうに瞼を上げると、やれやれといった風情で首を振る。
「薄情な男だ。ジョミーなら喜んで口移ししてくれるのに」
「あいつと一緒にされても……」
僕は健全な十代前半少年なのだ。奴とは違う。主に理性と品性と純粋さが違う。
「ふむ。確かに、あれほどの舌遣いの技巧を君に求めるのは酷というものだな」
どれほどなんだ。チェリーの茎が結べるとかいうやつか。あまり具体的には聞きたくないけれど。
言葉の合間に、ブルーは小さく身じろぐ。
「それは冗談として。では、勝手に食べるから、もう少し近寄せてくれないか」
どうあっても自分の手を使う気はないらしい。いや──使わないのではなく、使えないのか。遅まきながら、ブルーの腕を見て、僕は気付いた。医療的に正統な手順に沿わず、無造作に巻きつけられただけの包帯は、彼の細い指に複雑に絡んで、ある箇所ではきつく、また別の箇所では緩んで煩わしく、その両手の動きを阻害している。氷砂糖のひと欠片を摘む、何ということもない動作さえ、叶わないまでに。
だから、口移しは勘弁だけれど、せめて口元まで運んでやるのは、依頼された者として当然の働きだ、と僕は納得した。食べさせてくれ、と頼まれた最初こそ、こいつ平然として何言っているんだいい加減にしろ帰れむしろ僕が帰る、と呆れたものだが、明瞭な根拠が知れれば、躊躇うことは何もない。人間、支え合い、助け合い。相互扶助の精神。情けは人のためならず。といって、僕が今後、彼によって助けられるというシチュエーションが起こり得るとは、考え難いのだが。論理的なのだか気紛れなのだか、我ながらよく分からない判断基準だ。貸しを作るつもりもないが、別にこれは褒められたことでも何でもなく、単純に、「僕に出来る事なら」という前言を撤回するほど、僕は姑息でもなく、図太くもないということだ。
とはいえ、手のひらに乗せたものを直接食わせるというのも、まるでペット扱いするようで、(本人は気にしていないようだが)さすがに申し訳ないように思われた。これならまだましだろう、ということで、氷砂糖を指先に摘み直し、唇に近付けてやる。
僕の気遣いをどう捉えたか、ブルーは照れたように目を伏せると、顔を寄せる。氷砂糖に触れるか触れないかのところで、小さく口を開いて──そっと、咥えた。
僕の指先を。
「ぇ、……な、」
思わぬことに、氷砂糖を取り落とす。それはちゃんとブルーの口腔内に収まって、だからもう目的は果たした筈なのだけれど、咥えられた指が、硬直して──柔肉の合間に囚われたまま、引き戻せない。
熱い吐息が、神経の集中した鋭敏な指先を撫でる。身体を焼くかの鋭い痺れが、肌を走って背筋を駆け昇る。その軌跡はすぐに滲んで、じわりと骨まで染み入っていく。抗い難い感覚に、思考は麻痺しきって、ただ受け容れることしか出来ない。
上下から指を押さえ込む、柔らかな感触。温く湿った気配。濡れた唇が滑らかに動いて、第二関節あたりまでを取り込む。
あ、と思ったら、歯を立てられていた。上がりそうになった声を寸前で押し殺した、僕を誰か褒めてくれ。ちなみに、痛かったわけではない。ではどうだったんだと聞かれると、是が非でも黙秘権を行使したいところだが、うわ、食んでる食んでるそれは勘弁。甘噛みというからには、甘いのだろうけれど、この甘さは氷砂糖が溶けたからなのだろうか、僕って指先でも味覚を感じられる体質だったのか、だからスシって手掴みで食べるんだね、いや、いけない混乱している。
指の腹を、淫猥に舐め上げられて、その場に崩れ落ちそうだった。緩急をつけて施される甘い刺激に翻弄され、心臓が侵されていく。更に、侵略を進める舌は這い上がって──
まずい。これは非常にまずい。ヤられる。本能的な危機信号が、脳裏を強烈に駆け抜けた。
「っ……!」
瞬間、指先に痛みが走る。先程までの煽るような甘噛みではなく、純粋に、容赦なく歯を立てられたのだ。その痛みで、麻痺しかかっていた僕の指は、自由を取り戻した。反射的に、手を引き戻す。
抜けた、良かった──まるであの有名な顔面彫刻の口に手を入れてみた観光客の感想だ。
おお、指もちゃんと存在している。今の心境では、それだけのことで感動してしまう。かなり本気で、喰われるんじゃないかと思った。指から這い上がって、奥底まで。咀嚼され、嚥下される感覚を覚えたのは初めてだ。膝が震えている。心臓もうるさく鳴り響いて、どうしたんだ、落ち付け、深呼吸。正直いって、めちゃくちゃ怖かった。安堵のあまり涙が出そうだ。どうしてこんな目に遭っているんだ僕。
か弱いヒヨコの如く、怯える僕に対して、ブルーは平然として「うん。良い反応だ」などとほざいている。ふざけるな。弄ばれた屈辱で掴みかかってやりたくなるが、接近することを身体が拒んでいる。うかつに触ると、これ以上の恥辱を受けることになりそうだから。試す前から分かっている。脅威と、回避を、ただ一度の接触で、僕に学ばせた──なんだこいつ、何者だ。
取り敢えず、念入りに指先を拭うけれど、……あの感触は消えない。何ということをしてくれたのだ。大切なものを奪われた気がするじゃないか。心に無遠慮に這入り込んで、いったい──
「何を──した」
「良いものを見せて貰った。やはり、直接触れると鮮明だな。苦労して接触の機会を作った甲斐があったというものだ」
──1m以内に、近付くなという、ジョミーの言葉を破棄させたのはブルーだった。枕元まで招いた僕に、触れる機会をずっと、狙っていた──のか。誘うような言動は、真実、接触を誘っていたということか。ここに至る、言動の全てが──ただ、このために。思惑に、僕は見事に乗せられたと──そういうことか。
否。まさか、ただの偶然だ。後付けだ。そんなこと、あるわけがない──あるとは認めない。あってたまるか。
それより、いったい彼は、何を見たというのだろう。心臓まで這入り込む、あの感覚は、何だったのか。それについて、ブルーは明言しなかった。隠そうという意図ではなく、彼自身、言葉で言い表せないということらしかった。良いものを見たといって、満足げにして、しかし、それが何なのかは本人も分かっていないという破綻。つくづく、言葉が通じない。感覚だけで生きているような人間だ。
更に厚かましくも、ブルーは右手を差し出して、握手を求めてきた。またよからぬことを企んでいるのは明白だったので、これは冷たく断る。残念ながら、もう指一本たりとも触れたくないと思っていたところだ。それでもめげずに、困ったような微笑を浮かべるブルー。
「君の××を、また見せてくれないか」
「無闇に伏せ字にするな! 怪しいじゃないか!」
そんな表情をすれば許されるとでも思ったか。思わず声を荒げてしまった。予想外だったのか、僅かに目を瞠って、ブルーは口を噤む。
暫し思いに耽った後、ブルーは、ようやく思い至ったというように、「もしや、怒っているのだろうか?」と問うた。人を弄んでおいて、その反応は何なんだ。むしろ喜ばれると思ったのに、みたいな表情はどうなんだ。そういうことは相手を見極めてやってくれ。僕は一刻も早く、あの感覚を記憶から抹殺したい。
──ただ、好意的に解釈してやるとすれば、事故のようなものだったのかも知れないと、言えなくもない。右眼を眼帯で覆った、ブルーの得る視界は、いくらかの面で制限を受ける筈だからだ。その視覚情報からは、立体感や奥行きという、三次元的な評価が欠落している。左眼だけでは、距離を見誤ったとしても不思議ではない。
だから、目測を間違えて指先を口に含んだ、そこまでなら許容範囲内だ。その後の、こう、舐めたり噛んだりといった行為は、寝惚けて僕の指と氷砂糖を取り違えたのでなければ、大いに故意によるものだけれど。きっかけを、意図して誘導したのか、偶発的なものであったのか、それは分からない。
「目の前に指があったら、取り敢えず舐めるものだろう?」
「どういう常識だ」
「分かった。落ちついて話し合おう。考えてみれば、心の準備もないところに、申し訳なかった。では改めて、君の身体の一部を舐めさせて欲しいとお願いする」
「いい加減その話題を離れようよ!」
いったい、目の前の人物が何をしたいのか分からない。異星人と会話しているようだ。いや、むしろ地底人か。地下にひきこもっているのだものな。だったら僕は人類代表だ。多少の文化的差異があっても仕方があるまい。異文化交流って大変だね。しみじみと思う僕の心を読んだかのように、
「In other words」
とブルーが呟いた。わざわざ英語にする意味はなんだ。月まで連れてって欲しいのか。ちょっと目的地の座標、ズレてないか。それはともかく。
換言すると──どうだというのか。続きを促すと、ブルーは一つ決心をした真剣な面持ちで、口を開いた。
「率直に言うと、僕の愛人にならないか」
「……年下の恋人のサッカー仲間に言う言葉ではないな」
思いもかけないことに、反応が遅れてしまった。……実は、嫌な予感がしていたけれど! もしかしたらと思ったけれど! こういう時に限って、勘が当たって嫌になる。台詞自体は想定の範囲内、ただし、本当に口に出すとは予想外。というか、本気で言っているのか。これまでの言動を鑑みて、冗談と思えないところが──冗談で済まされなさそうなところが、怖い。逃げた方がいいのだろうか。少なくともベッドの傍にいるのは自殺行為に等しい。キース危機一髪。
「実は金髪ハーレムを作ろうと思うんだ。頼む。こういう男が一人欲しかった。君には資質がある。その髪を脱色してくれたら完璧なんだ」
「大真面目に語られても!」
「すまない。冗談だ」
なんだ。やはり冗談か。良かった。資質とか言われてギクリとしてしまったではないか。どんな資質だというのか。厄介な奴ばかりを周囲に引き寄せるスキルなら、なんだか最近、所持しているような気がしてきたところだけれど。後輩の言に従うと、僕はさしずめ、Mホイホイといったところか。そんな資質は要らない。
そして、冗談だ、と言った割に、ブルーは少しも愉快そうな様子を見せない。それどころか、肩を落とし、物憂げに瞼を伏せる。
「あまりジョミーが他の男と親しくするものだから。つまらない嫉妬心を起こしてしまったようだ。それならこっちだって、と。そうしたら、ちょうど都合良さそうな若い男がいたので、それもジョミーの友人というので、これはいい、あてつけに浮気してドロドロの修羅場にしてやろうと思ったのだ……すまない、君を選んで……」
「ついていけない思考回路だ! そんな三角関係は嫌だ!」
「仕方がないだろう! 僕は他に知り合いがいないのだ!」
「逆ギレ!?」
そうか、知り合い、いないのか……こんな風に地底にひきこもっているのだ、出会いも何もあるまい。もっと外界に触れてみてはどうだろうか。インドア派の僕が言えたことではないのだが。例えばサッカーをするとか。熱い戦いを経て、あっという間に友情締結だ。
しかし、彼の場合、そういう健全な場面が壊滅的に似合わないのは、この容姿のせいか。包帯を除外したところで、やはり青空の下で芝生を走り回る姿は想像し辛い。綾波がスク水を着たりブルマを穿くのは良いけれど、それで皆と泳いだりバレーボールしたりはしなさそうだものなあ。
「いや、確かに僕は綾波系と言われるが、むしろキャラ設定的には君の方が近いのではないだろうか」
「だから心を読むな! 設定とか言うな!」
「では青葉くんと呼ぶことにする」
「無理に声ネタを引っ張らなくても……」
と、ポケットに入れた携帯電話が振動をたてた。
「……失礼。なにやら着信が」
「これはメールだね。差出人……ジョミーからだ。なになに、『手を上げろ。ゆっくりと後ろへ下がれ。回れ右して壁に手をついたらそのまま動くんじゃない。逆らえば撃つ』だって。頼もしいことだ」
「僕はまだメール画面を開いてすらいないんだが、ナチュラルに電波盗聴?」
「電波は僕の十八番でね。これくらいは普通に読める」
いや、読めないだろう……むしろ、特技が電波って何だ。ニュータイプなのか。
「買い物先からでも、僕の身を案じてくれる、なんて優しい子だ。間男の次の行動まで予測して、先手を打つ、見事な手際だ」
「その予測は大外れだがな!」
僕の異議申し立ても聞かず、ブルーは「互いの行動パターンを分かっている。仲の良い証だな」などと勝手に納得して頷いている。だから人の話を聞いてくれ。本日で何度目かになる頼み事だ。多分、聞き入れられることはないのだろうけれど。
「君たちは、前世からの強い絆で結ばれているようで、たいへん羨ましいことだが、実際のところはどうなんだ」
いつの間にか、前世から運命づけられている、みたいな認定をされてしまった。なんて思い込みだ。そうまっすぐに見つめられると、こちらが悪いような、責められているような気分になるではないか。誤解だ、勘違いだと主張したいところだが、言っても無駄っぽいので諦める。
しかし、どういう関係か、と言われても、最初に申告したように、サッカー仲間はサッカー仲間であって──けれど、ここではそういう、所属とか属性とかを聞きたいわけではないのだろう。だから、強いて言うならば──
「……まあ、友人くらいには」
ということになった。ちょっとステップアップ。いまひとつ、本当にそうなのか、自信を持てないのが悲しいところだ。何せ相手は、ヒトをクズと呼んで憚らない暴虐人間だものな。そんなのと友人になっている僕ってなんなんだ。
僕の内なる葛藤を反映した、一応の返答を受けて、ブルーは小さく頷く。
「友人。フレンズ。そうか。身体だけで結びつく気軽な遊びの関係というわけだな。それなら安心だ」
「いわれのない汚名を着せないで欲しいな!」
「サッカーのことを言ったんだよ。勘違いしないで欲しい。僕はそんな俗っぽい発言はしない。イメージ戦略上、事務所の縛りがうるさいことで有名なんだ」
もう十分に存分にあからさまにこの上なく俗っぽい発言を繰り広げていたのは気のせいか。そして事務所とか。どんな組織だ。
「僕の扱いには、人々も何かと神経を遣うところだね。例えば、僕が肌を見せられるのはここまでがギリギリ限界だ。これ以上は脱ぎたくても脱げない」
「既にギリギリだから! 頼むから脱がないでください!」
「しかし、僕は下手に脱ぐよりも、むしろ首から下を身体に密着するボディスーツでコーディネートした時の方が、しなやかなラインが際立つといって評判が良いのだ。君も見習うと良い。やすやすと全裸を披露するものではないよ」
脱げばいいというものではなく、例えば一分の隙なく着こなした制服からこそ、醸し出される色気がある──仮にも人生の先輩から貰うには、嫌すぎる教訓だった。それ、どういう場面で活かせというんだ。要するに、僕に軍服を着ろとでもいうことか。うん、それはなかなか……別に色気とか、そんな不純な動機ではなくて、純粋に、憧れてしまう格好ではあるが……。
「コスプレをしたい時は、いつでも言ってくれ。王道は押さえてある。快く貸し出そう」
「……国家元首とかある?」
「ある」
即答。あるのか! すごい。驚いた。それはどういったプレイに用いるのか、若干気になるところだ。いつか貸して貰おう。それで演説ごっこするんだ。あれ、なんだか乗り気になっているよ僕。やはり、包帯コスの人間などの傍にいると、変身願望のようなものが湧き起こってくるのかも知れない。
その包帯の彼は、ふと思いついたように、こちらに向き直る。
「ところで、この格好でM字開脚をしたら、なかなか際どいところだと思うのだが、どうだろう。やはり、君としては昂りを抑えられないだろうか? よーし狩っちゃうぞ、みたいなケモノと化すのか?」
「…………」
ケモノはむしろ狩られる側だ、というのは置いておいて。何故そう誘いをかけたがる。愛人募集は冗談じゃなかったのか。いや、興奮はしないけれど! 断じて興奮しないけれど! 何故か少し動悸がしてくるけれど! 手が震えてきてるけれど! これは純粋に、身体が逃走を求めているだけであって、ひとつ闘争してやろうなんて気はないのだ。少しもない。だから勘弁してくれ。誰に弁明しているんだ僕。
応えがないのを見て取って、ブルーは小さく息を吐いた。
「そうか。それは、期待に沿えなくてすまなかったな。確かにこれでは、欲情ではなく畏怖になってしまうか」
「元々期待していないから大丈夫だよ!」
「恐怖のドキドキと欲情のドキドキは混同しやすいともいう」
「でも吊り橋の上で恋に落ちている余裕はないと思うなあ」
それなら、落下するロンドン・ブリッジの上なら一世一代の恋愛が出来るということになる。むしろ一期一会だ。
「発射寸前の最終兵器の内部とか」
「崩壊直前の地底とか」
「窒息間際の成層圏からの墜落とか」
「臨死体験の直後とか」
おお、映像化したら涙を禁じえないような、ドラマティックな場面が山盛りだ。宇宙を股に掛けて、恋多き人生が送れそうじゃないか。
「それで、本題に入らせて貰うと」
改まった面持ちで、ブルーは姿勢を正した。本題なんてあったのか。これまでの流れが、全て前座だったことに驚きだ。確かに、わざわざ僕を呼び出したわりには、行き当たりばったりみたいに話が進んでいくなあ、と思っていたところだ。
本題──ここで、ブルーが僕に切り出すことといったら、一つしかない。呼び出された時から、分かりきっていた。元々、共通の話題など、それ以外には挙げられないのだ。両者を繋ぐ、唯一の接点が、ちょうど不在にしている、この僅かな時間で、言うべきことは──
「僕の愛人になることを、考え直しては貰えないか」
「違うだろう! いつまで引っ張る気だ! もうジョミー帰ってくるぞ!」
「……ああ。見通されていたか。そう、ジョミーのことだ」
ようやく──話がそこに至った。ブルーが僕に、会いたがった理由。彼は、「ジョミーの友達」を知りたかった。それを通して、自分の目からは見えない、別の側面を、把握することが出来るから。外に出ることのないブルーにとって、ジョミーは唯一の、地上との接点だ。当然、ジョミーについての情報もまた、本人からしか得られない。一対一の、閉じた関係。その意味で、第三者の存在は貴重だ。すなわち、どうしたわけか親しくなってしまった、この僕が、選出された。
僕とブルーの面会を、ジョミーは色々と不安に思っていたようだが、その心配はまず要らない。ブルーにとっては、多分、ジョミーに関すること以外では、僕自身に興味などないからだ。それにもかかわらず、ここまで無駄な雑談に興じることが出来るとは、気が長い──回りくどい。
それとも──僕は、試されていたのだろうか。無益に思われた、会話の中で、僕は、俯瞰する冷静な目によって、試験されていたのかも知れない。ここに呼んだ時点で、恐らく今まで誰も越えたことのない第一関門は通過していたのだろうが、更に、その先へと進めて行かせるべきか否か。表層だけの会話を続けながら、ブルーは観察し、そして、時間切れ間際の今になって、判定を下した。
友達になるのに資格が要るのか、試験が要るのか、といったことではない。ジョミーの人間関係に関して、ブルーは何ら、口出しも手出しもしていない。彼は傍観する。彼は把握する。言うなれば、僕とジョミーとの距離を、相互の位置関係を、精確に測定し終えた──ということだ。
僕は、正しくジョミーの友達だと、認められたらしい。
だから──話しておきたいこともある。ブルーは、そういう表現をした。
「僕は、あの子の保護者みたいなものだから、色々と心配なんだ。ああいう性格だから、周囲と上手くやれているだろうか、とか」
「いや、その心配は要らないと思う……」
見事にカリスマ性を発揮して、自ら指導者とか名乗っているくらいだ。実際、いつでもサッカーのメンバー集めに困らない程度の交友関係を保持している。あのエキセントリックなキャラクターはなかなかの人気者なのだ。正直な所見を言うと、ブルーは「それはなにより」と軽く頷いた。
妙な態度だ。恋人の人間関係を把握しておきたい、というのは、独占欲や嫉妬のゆえに生じやすい思いであるが、この場合、単純に心配しているだけのように見てとれる。親が子を思い遣るようなそれは、ジョミーの抱いている思いと、性質が異なる気がする。それも、互いに気付かぬうちの行き違い、すれ違いではなくて──少なくとも、ブルーの側は、分かった上でやっている。ジョミーの思いを分かって、けれど、同じものを返してはやらない。まるで、敢えて厳しく線引きをしているような──疑問に思ったら、口に出していた。
「しかし、保護者、というのは……いささか、他人行儀なのでは。ジョミーは、その、恋人関係にあると思っているようだから」
「まあ、ベッドを共にするくらいのことはある」
「一線を超えている!」
「年長者の務めとしては、勢い任せの若い衝動をリードし、戸惑う性を導き、包容力でもって受け止めて、一から十まで優しく手ほどきしてやるのは当然のことだろう?」
「そんな不思議そうに首を傾げて訊かれても!」
ふと目を閉じて、ブルーは緩やかに言葉を綴る。
「恋人、とは違うな。もっと近い。どうあっても、離れられないのだから。僕は彼に全てを明け渡し、彼は全てを受け容れてくれた。彼のために、僕は生きたのだと思っている。感謝して、すまなく思って、──愛している」
静かな、そして深い慈愛を込めた声だった。
「……本人に、言ってやればいいのに」
「どうだろう。『なんだ、そんなこと。分かっているよ』とでも言われてしまいそうだ」
否──きっとジョミーは知るまい。そこまで思われていることを、彼は知らない。不安と疑念が拭いきれず、独占欲に表出している、それが証だ。ブルーが、ジョミーに言ってやらない以上、伝わらない。伝わらないように、敢えてブルーは、そうしている──何故か。
「近過ぎて、だからこそ、──自戒しなければ」
二度と、あの子を縛らないように。
僕のために、駄目にして、しまわないように。
ブルーは、そう言って、ふと微笑した。諦念、あるいは、自嘲。もう、手の届かない、遠い記憶の影を、瞳に映す──そういう表情を、以前にも、見たことがある。夕焼けの並木道で、ジョミーと話した時。彼もまた、同じ微笑を浮かべていた。今からは変えられない、どうしようもないことを、悔やみ、嘆き、やるせなくて崩れ落ちそうになりながら、同時に懐かしく、愛しく思う。その弱さと、愚かさを、自分で分かっている者だけが至る表情。
自戒して──けれど、こんなことでは、上手くいっているのか分からない、とブルーは自嘲した。
「あの子は、僕がどこかへ行ってしまうのではないかと、不安に思っているようだ。いつも走ってやって来ては、僕の姿を確認するなり、張りつめた神経を緩めてそのまま倒れてしまいそうなまでに安堵している。この包帯なんて、」
ブルーは指先で首もとの包帯を弄う。
「象徴的ではないか。どこにも行けないようにしたい、縛りつけておきたいと」
仕方のない子だ、とブルーは苦笑した。
「こんなこと、しなくても。少し目を離している間に、別れて二度と逢えないなんて、そんな心配は、もう要らないというのに」
ここに、来るためだったのか。「放課後はサッカーをしない主義」──普通ならば快諾するだろう誘いを固く断り、決して理由を言わずに、いつも駆け足で下校するのは。
今日だって、この部屋に入って──すぐにでも、寝台の身体を抱いて確かめたかった筈だ。友人の手前、そうはいかないけれど。縛って──縛られている。抗えないほど、強く、離れないように。あるいは、彼らこそ、運命づけられているといっていいのかも知れない。
「あの子は、まるで価値ある尊いものであるかのように、この瞳に触れて、脚に縋る。……いったい、この宙のどこで、何を欠落してきてしまったのだろう」
──あの子から、何を奪ってしまったのだろう、僕は。ブルーは呟いた。
微かな、モーターの作動音。静寂の支配した室内では、降下するリフトのそれさえ、明瞭に聞き取ることが出来た。
「離れようか。間もなく帰ってくる筈だ」
促すブルーの声は、何事もなかったかのように、穏やかだった。それが、穏やかで、それゆえに、一切の感情を覆い隠して窺わせない、仮面であることを──ここで僕は、初めて悟った。結局、本当の意味でブルーと会話出来ていたのは、最後の最後、僅かな時間だけだったのだ。それ以外のブルーは、掴みどころがなく、通り過ぎるだけで、思い返してみても、何だったのかよく覚えていない。あれは、表層であって、よく出来た自動応答であって、そこには思考も、感情も、心の一欠片さえも、割いてはいなかったのだろう。それでも、僕は気付かず、真っ向から相手をして、翻弄され続けてしまったのだから──測り知れない。深く沈んだ、その奥底に、何があるのか、垣間見ることすら出来ない。そんなものを、相手取っていたのだと、今更ながら戦慄する。
ともかく、長いようで短く、やはり長かった面談は、これで終了だ。ジョミーに見つかる前に、元の立ち位置に戻らなくてはいけない。寝台から立ち去ろうとする僕に、付け加えるようにして、ブルーは声をかけた。
「細かいことを言ったけれど。僕は、君たちが出会えて、良かったと思っている」
──ああ。僕もそう思っている。
口にする前に、通路の向こうで、リフトの扉が開いた。
──陽光の射さない、陰鬱な地底であることを、忘れさせるような輝き。こうして、愛しい光が訪れるのを待つ、ブルーの思いが、少し分かった気がした。
「ただいま戻りました! いやあ、一番コンディションのいい売り場を選んでコンビニ巡りしていたら、時間を食ってしまって、全速力で帰ったよ。何しろ間男にとって、10分あればコトに至るのは余裕だからね。さあブルー、どうぞ」
差し出されるハーゲンダッツ。ブルーは満足げに頷く。
「ありがとう。では、美味しいうちに、早速食べようか」
「はい、あーん」
「……ジョミー。そこの彼が」
さすがに人前でいちゃつくのには抵抗があるのだろう。スプーンを構えてノリノリのジョミーを制して、ブルーはこちらを見遣った。
「無視しては可哀相だ。僕たちの逢瀬を、餓えた狼のような目で見つめているよ」
「子犬が狼にすり替わっただけでえらい違いだ!」
「仕方ないなあ。じゃあほら、これでも舐めてろ」
「当たり前のように蓋フィルムをよこすな!」
「テーブルの下の子犬だって、パンクズは食べるものだよ」
「なんだか機会あるごとにクズクズと言われ続けている気がする……」
目障りなクズですみません。この場において、かなり邪魔者なのは自覚している。変に気を使われるよりも、存分に無視して貰った方がありがたい。というか、もう後は二人の世界ということで、静かに立ち去ってもいいような気がする。ただ、帰り道が分からないというのが問題で、ジョミーと一緒でないと、僕はここを出られないのだ。
それから、二人が仲良くアイスを食べ終わるまでの濃厚な時間、部屋の隅で寂しく膝を抱えて気配を消しているのは、僕にとって結構な苦行だった。ぼんやりと蓋フィルムを眺めて、友情って何だろう、とか思った。
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